アトピー性皮膚炎 潰瘍性大腸炎・クローン病 症例報告

潰瘍性大腸炎やクローン病完治の症例報告Part48(コメントなし)更新2022.8.3

投稿日:2022年7月31日 更新日:

症例報告109例目

完治された病名1)潰瘍性大腸炎

患者:53歳、男性

患者さんは平成16年8月に潰瘍性大腸炎を発症され、ほぼ10年間この病気と付き合ってきました。この10年間でいろいろな薬・治療方法を試していき、途中で二度ほど死にかける経験もしました。そして平成25年11月に松本漢方クリニックで治療を開始し、今までの薬を一切飲むことなく、松本漢方クリニックの漢方薬だけで快食快便の日々を送ることができるようになりました。

平成16年(当時43才)、それまで25年間吸ってきたタバコをやめて、体重が80キロ台から100キロ台まで増えていました。営業職で日頃からストレスを抱え、タバコをやめたこともあり暴飲暴食でさらに体重が増えたのでしょう。そんな中、夏場になり、下痢が続き、そのうち血便・粘液まじりの便に変わり、腹痛を伴う便意は日に20回以上になりました。身近に潰瘍性大腸炎の知り合いがいたこともあり、相談をすると病院を紹介され検査をしてみると、潰瘍性大腸炎の診断がでました。患者さんは身近に潰瘍性大腸炎罹患者がいたこともあり、癌では無かった安心感で難病になったということの重大性がまだわかりませんでした。

最初はサラゾピリンの錠剤とプレドニン(ステロイド錠剤)を処方されましたが、あまり効果がなかったのでステロイド注腸(ステロネマ)を使用されました。注腸の効果は凄く、一週間ほどで血便・粘液が治まり、二週間ほどで便も固形化しました。ただし、注腸の副作用として偏頭痛と神経が過敏になるのを感じ、そのときからバファリンも飲むようになりました。

それから3年間はほぼ同じ繰返しで年に3回ぐらい寛解と再燃を繰り返しました。繰り返す度に段々症状が悪化していき、そのたびに薬の量が増え、注腸をすると直ぐ治っていた炎症が徐々に長引き始めました。この頃からこの病気の本当の怖さを理解された患者さんはいろいろな治療方法や薬を試すようになりました。

ステロイドを長く使いすぎているとのことで免疫抑制剤のイムランを使用するようになりました。少し効果があったものの頭髪が抜けてしまい、営業職だった患者さんには死活問題で中止されました。その後、ずっと処方してきたサラゾピリンも偏頭痛がひどいのと尿があまりにも黄色くなり、何かと不都合な面が多く、ペンタサの錠剤と注腸にかわりました。この頃、白血球除去療法(LCAP)も試しましたが、針がとてつもなく太くて本当に痛い思いをしたのにも関わらず何の効果もなく、特定疾患の保険証を持っておられたのでほとんど国の負担で済んだものの医療費が高額なだけの治療でした。

この頃から、患者さんはこの個人病院の医師に対する不信感が芽生え始めました。話し合って治療をすること無く、全て決め付けて治療され、患者さんの思いは聞き入れてもらえませんでした。ある日「この病気で難治性の人は、眠りが浅いからだ」ということで、睡眠薬を処方されるようになりました。すると最初は良く眠れましたが、そのうち薬が無いと眠れないような体になってしまいました。もともと良く眠れるタイプでしたが、ステロイドを多用するにつけ興奮してイライラ感が増し、眠りが浅くなりました。どうしても睡眠薬はやめたいと申し出ると、「俺の治療方法に不満があるのか」みたいな高飛車な態度で応対してきました。「病気を治すには、ストレスのかかる今の仕事を辞めるべきでは」とも言われたそうです。

いろいろな不満を抱えながら通院しているうちに、思わぬ出来事が起きました。いつもの様に血液検査を受けて東京に出張した時のこと、地元の病院から電話が携帯にかかってきました。「大丈夫か?意識はあるか?今すぐ救急病院に行くか、地元に戻ってこい」とのこと。話を良く聞くと、血糖値が530、それと筋肉がとける状態にあり昏睡状態になる恐れありとのこと。重要な仕事だった為、仕事を終えて3日後に帰るというが「今すぐ病院に行かないと死ぬぞ」と言われたのでこの一ヶ月の体調を冷静に振り返りました。ちょうどダイエットをしていたので急に体重が減ってきたのはダイエットの効果がでてきたのだと思っていました。そういえば、「足がやたらとつる」、「やたらと小便が出る」、「頭がボーとする」過労とダイエットによる症状だと思っておられましたが、医師の話を聞いて合点がいきました。後で奥さんから言われたそうですが、出張前に患者さんの会話はろれつが回らず変だったそうです。大切な仕事だったそうでしたが命には変えられず、府中の救急病院に緊急入院しました。

1週間の入院後、地元の総合病院に戻り、2週間入院しました。トータル3週間入院して、どうにか退院することができました。血液検査の報告を受けたのを最後に、この個人病院の医師とは会っていません。というのも血液検査の前に何度かその異変を医師に伝えていたにも関わらず事務的な対応しかしてこなかったからです。この時点ですでに5年が経過していました。潰瘍性大腸炎の治療は、昔からの知り合いである総合病院の先生に担当してもらい、糖尿病は糖尿病専門の先生にみてもらっていました。前回と違い、いろいろと相談しながら治療されていました。特に糖尿病の治療は大変でした。インスリンを使用しながらの治療でしたので、一日5回、朝、朝食前、昼食前、夕食前、就寝前に注射し、その度に血糖値の検査をしました。低血糖をおこすと大変なのです。その他に血圧の薬も併用していました。

それと潰瘍性大腸炎の薬(ペンタサ錠剤、プレドニン錠剤、調子悪いとき、ステロネマ注腸)、とにかく薬漬けの日々でした。そんな中、急にインスリンを出さなくなった膵臓が徐々に回復し、担当の先生からインスリンの分泌が活発になってきていますよといわれました。「一度インスリンの注射をすると、一生インスリンの注射をして、最後は透析をして段々体が弱っていくのだろうな」と想像し、「もうまともな生活は出来ないのかな」と思っていましたが、「まだまだあきらめてはいけないぞ!」という感情がでてきました。また、安部総理が大変な辞任劇の後、潰瘍性大腸炎を抱えながらも活発に活動されていた姿をみて、「まだまだ諦めてはいけないぞ。必ず病気は自分で治せる」という意識になっていきました。

当時2012年(50才)のことです。

この時期から潰瘍性大腸炎は国立の大学病院で診てもらっていました。というのも、ステロイドをこれ以上使用したくなかったのと、保険適用になったレミケードを試したかったからです。これは患者さん勘違いで、安部さんはレミケードで元気になられたと思っていたそうです。そして、2012年の年末、レミケード治療を受ける為の条件が全て満たされ、2013年レミケードの治療を始めることになりました。

年明け、一回目のレミケードを点滴で注入。体全体に今までに感じたことの無い壮快さに驚かれました。具体的にいうと、今までずっと冬場は鼻がつまっていましたが、スキッと通り、それまでの軟便が健康なときの便と同じでふっくらと出てきました。それから2週間後、2回目の点滴を受けられました。何の異常も無くますます調子良くなり、3回目、4回目と受け続けました。そして安心して5回目の点滴を受けたとき、異変が起きました。点滴を受けはじめて5分ぐらいして、何か所かが痒くなりはじめました。それから5分位するともう我慢出来ない位の痒みになりました。そして息苦しくなり、血圧が低下していきました。アナフィラキーショックが起きたのです。下の血圧が40より下がり、息苦しさと、朦朧とする意識の中でなんとか持ち直しましたが、アレルギーが起きてしまったためレミケードによる治療は中止となりました。その後、もう一つだけ他の免疫抑制剤をためされたそうですがが、ちょっとした痒みが出て直ぐに中止になりました。

そして担当医から「免疫抑制剤を使った治療はもう出来ません。残る手段は大腸の全摘手術しかありませんね、ステロイドを一年以上抜いた今が一番の良い時期です。決断してください。」と宣告されました。患者さんはいままで7年近く治療してきて、結局腸の全摘しかないのかと情けなくなり、仕事のこと、家庭のこと、いろいろなことが頭のなかで駆け巡り、悲しくなりました。

2013年10月、奥さんと話し合い大腸の全摘を決断され、会社の上司にも11月には手術、入院をすると報告されました。しかし、患者さんの中で引っ掛かることがありました。インターネットの検索で見つけた松本漢方クリニックの存在だったのです。実は2010年、ステロイドの多用でインスリンの分泌が悪くなり糖尿病になったときにインターネットで既に松本漢方クリニックの存在を知っていました。

漢方で潰瘍性大腸炎を完治できるという、信じられないホームページの内容。しかしそこに掲載していた私の理論と実績、そして患者さんと同じ潰瘍性大腸炎罹患者たちの大量の闘病体験手記、中には10~20以上にわたり病気を経験した方たちの生々しい経歴と治療内容に患者さんにとって納得のいくものでした。そこで製薬会社に勤める兄、国立大学病院で医学部助教授として勤める子供の頃からの友人に相談したところ「そんな胡散臭い漢方の治療はやめとけ」と言われ、そのときはまだもっといい治療法、もっと優秀な専門医が存在するだろうと思い選択肢の中から消えてしまったのです。医学界や製薬業界にとって本当の意味で病気を治す治療をしている私の存在はものすごく忌まわしい存在なんでしょうかね?なので今は潰されにかかっています。光栄な話ですね?アッハッハッハ!!私と同じ漢方と抗ヘルペス剤を使った治療を行うと医者は皆廃業してしまいますから仕方ないことですね!アハハ!悲しいですね!そしていろいろな治療法を試した結果、大腸の摘出手術しか選択が無いと言われた中で、頭に松本漢方クリニックの記憶がよみがえったそうです。

もう一度、私の理論と体験談を読みなおして「これしかない!」と思われました。病気は自分が作りだすもの。そしてそれを治すのも自分自身の免疫である。専門用語もいっぱいあってかなり難しい文だったと思いますが、患者さんにとって全て合点のいくものでした。「よし!これでだめなら大腸全摘しよう」と奥さんともう一度話し合ったところ、全面的に賛成してもらい当院へ来院する決意をしたのです。

2013年11月、当院へ来院。潰瘍性大腸炎の状態は最悪でトイレは1日に20回前後、粘液交じりの血便で、油断すると漏らして血液まじりの粘液が出る状態でした。事前に予約をしてもらった鍼灸を受け終わってから診察室に呼びました。待合室で待っている間に書いてもらった容態票を見ながら分かりやすく患者さんの潰瘍性大腸炎の症状について説明しました。「病気は自分が作るんや。そして治すのも自分自身や。絶対治る」力強く励まし、患者さんの顔つきが変わったのを見て食前食後の2種類の漢方薬と漢方風呂、お灸を処方しました。

帰宅して早々に食前食後の漢方煎じ薬を煮込みました。お灸を毎日行い、週に1回の漢方風呂に入ってもらいました。お灸は煙たいので窓をあけて据えていましたが11月、12月は寒くてたまらなかったそうです。また糖尿病で使用するインスリン以外はすべての薬(アサコール、プレドニン、ステロノマ、緑内障予防の目薬)をやめてもらいました。

11月からはじめ、12月が過ぎ、1月の半ばまでに変化はありませんでした。しかし、今まで使用していた薬をまったく飲まずに症状が悪化することはありませんでした。そして1月半ばに全身に湿疹が出てきました。特に足のすねとふくらはぎに大きな湿疹がいっぱいできました。ただし患者さんの場合はジュクジュクする様な湿疹は出ませんでした。また、手足の先端がやたらと冷たくなり冷え性になっていたのが、煎じ薬を飲んでポカポカと暖かくなってきたのがわかりました。

1月末には便が固形化し、粘液、血液が少なくなってきました。そして2月の中盤には、ほぼ正常な便へと変化しました。3月には完全に普通の便が出るようになりました。今まで何度もステロイドにより普通の便が出ることはありましたが、今までの薬で抑えつけてきたステロイド剤とは全く違うことを実感されました。今までだと便がまともになっても、体温が低く(36度前後:10年前は36.8度前後ありました)、神経質になり、妙にイライラしていたのが今回は精神的にも肉体的にも自然で心地よく、また体がポカポカしてよく眠れるようになったそうです。

また3ヶ月間、特別に食事制限をしたり、お酒を止めたりしていません。松本漢方クリニックで診察を受けて処方した漢方薬をまじめに飲んでだけです。また患者さんがストレスをコントロールできていたのでステロイドホルモンが大量に放出されず免疫を上げることができたのも1つの要因でもあります。そして血糖値もうまくコントロールが出来るようになり、ついに10月にはインスリンを止めることができ、今では漢方薬以外何も飲んでいません。

11月から1ヶ月半、漢方薬を止めていました。すごく体調が良かったのと、途中で漢方薬を空けるとどうなるのか試してみたいのもありました。結果、年末の慌しさと暴飲、暴食の影響もあり、ほんの少しですが血液と腸の粘膜が固形の便につくことがあります。腹痛はありません。前の再燃期と違うのは、ここから急激に悪くならないところです。心と体を休め、体の免疫力を上げるとまたふっくらとした心地よい便がでます。

2013年の11月、松本漢方クリニックで漢方薬を処方していただいてから漢方以外の薬品は服用しておりません。そして、去年の3月から粘液まじりの血便は出ていません。糖尿の数値も下がり、インスリン注射もなくなりました。それに伴い血圧も下がり、血圧の薬も飲まなくてよくなりました。今では特に不調がない限りは当院に受診されておらず、健やかに過ごされています。

症例報告110例目

完治された病名1)潰瘍性大腸炎

患者:41

2014年5月末に人間ドックで潰瘍性大腸炎と診断され、その診断をきっかけに松本漢方クリニックをインターネットで発見し受診されました。しかし当時は自覚症状は全くなかったそうですが、1年以上前から吐き気とめまいに悩まされ、2013年12月末に退職するほど重症で自宅療養されておりました。ヘルペスウィルスはストレスがかかるなどして免疫が下がったために増殖し、回復するために免疫とウイルスが戦うことによって色々な症状が出てきたのでしょう。

患者さんの場合は特に迷走神経でヘルペスが増殖していた様で、主訴は吐き気でした。振り返ると、最初に原因不明の吐き気に襲われたのは23歳の時、高校卒業後すぐに一人でアメリカに渡り5年後に大学を卒業され帰国した時の事でした。文化がまったく違う異国の地で一人で働きながら勉強をするのはなかなか容易ではなく、楽しいことが沢山あっても緊張とストレスのかかる毎日だったそうです。母国語ではないのはどの教科も倍の時間をかけて予習復習をされ、そのうえ働きながらだったのでとてもハードな日々を過ごしてからの帰国でした。食事も日本食はあまり食べずにピザやハンバーガーなどで適当に済ませていたそうです。多忙だったのに加えて不摂生な生活で患者さんの免疫は下がってヘルペスウイルスは増殖していったのですが、そんな事を患者さんが知る由もなく、帰国早々に就職活動をしなければいけなかったのです。しかし、体が重く、味噌汁を飲んで吐き気に襲われることもありました。近所の病院にて初めてバリウムを飲み検査を受けるも悪いところは見当たらず、対症療法をしているうちに吐き気も止まりました。その後、仕事をしながら年に1度の海外旅行を楽しみに生活をされていましたが、以前までは14時間飛行機に乗っても何ともなかった患者さんが、飛行機に酔うようになっていました。そのうち飛行機だけでなく、長時間の電車にまで酔うようになり、仕方なく酔い止め薬を飲んで旅行する様になりました。

33歳の時、転職され、新しい職場で新しい仕事を始めたわけですが、それはとても神経を使う仕事であり、チームで仕事をするため自分一人が長期休暇を取る事は難しく、自然に海外には行けなくなりました。最初の職場は帰国子女が多く、あまり日本的な規則に縛られない環境だった為、帰国してすぐの患者さんには馴染みやすく働きやすかったのですが、転職後の職場は金融関係だったこともあり、規則も厳しく純日本的な環境で、患者さんにとっては少し息苦しい場所でした。また患者さんにとってストレス発散だった海外旅行にも行けず段々ストレスをためていき、ステロイドホルモンがどんどん出てきて免疫が抑制されていったのです。

そして仕事自体も不況のあおりでどんどん人数を減らされチームの人数は半分になったのにもかからず、仕事量はほとんど変わらない状況に陥り、人間関係にまでも悩まされてアップアップの状態で日々過ごすようになっていきました。そして2013年4月、転職後6年目の事です。3月末に全くそりが合わなかった上司が転勤でいなくなり、年度末の忙しい時期も終わり少しホッとした頃、歓送迎会に行った次の日に高熱と嘔吐に襲われました。生ハムを沢山食べたため食中毒かと疑われましたが、患者さん以外に誰も症状がなかったそうです。ストレスが減ってホッとされた際に今まで抑制されていた免疫が活性化され、増殖されたヘルペスウイルスと戦っていたために高熱と嘔吐が患者さんを襲ったのでしょう。

近所の病院で薬をもらい、2日後には仕事に行かれましたが、胃腸の具合は完全には良くならず、食欲も減り、胃痛が時々起こるようになりました。5月の連休はずっと寝て過ごされていましたが、連休が明けても本調子にはならず、6月に入ると今まで感じたことの無い様な体の重さを感じるようになりました。仕事帰りに歩いていると、沼を歩いているかと思うほど足が重く、体全体に何倍もの重力がかかっている様でした。食欲がないので他院で六君子湯という粉末の漢方と消化剤を貰って飲んでいたものの良くなりませんでした。

また患者さんはもともと生理痛がひどく、毎月3日間1日3回鎮痛剤を飲んでおられました。その他、パソコン仕事だったため、目が疲れてくると頭痛に襲われて鎮痛剤を飲み、首こりが酷くなると頭痛がして飲み・・・という様に鎮痛剤と共生しているといっても過言でないくらいに服用していました。この頃から生理の後に体調がとても悪くなることに気が付きました。鎮痛剤で胃を荒らしているのかもしれないと思い、量を減らそうとされましたが、痛みが酷すぎて断念されました。この鎮痛剤が体を悪くする大きな原因で体に良くないと何となく感じていても痛みには耐えられませんでした。婦人科を受診するもやはりどこも悪くないと言われピルを処方され、その後悩んだ結果、10月頃から飲み始めました。

7月に送別会で天ぷらを食べた後、また高熱と吐き気に襲われ、お腹も下してしまいました。病院で薬をもらい、何とか無理矢理にでも仕事に行ける程度には回復させて出勤されていましたが、8月の最終週のある日、吐き気が止まらず体調が極度に悪化しました。朝、何か食べようとするもバナナを一口飲み込む事さえ一苦労だったほどでした。

すぐ病院に行き、今度は胃カメラで検査をしてみるも胃はとてもきれいでどこにも異常はないとのことでした。それから3週間、お粥だけで毎日を過ごし必死に出勤されていましたが回復されませんでした。この頃から、ゆらゆら床が揺れるように感じるめまいの症状が出始めました。めまいと吐き気があるので、脳の病気かと思い脳神経外科で脳と首のMRIを撮ってもらうもやはりどこも悪くありませんでした。

9月下旬、内臓も一度大きい病院で診てもらおうと総合病院へ行かれました。そこで血液検査、腹部CT,エコー検査などを受けるも結局どこにも悪い所はなく、心療内科に行ってはどうかと言われました。精神的なものではないかとかかり付けの内科医にも言われていたそうですが、仕事でストレスはあるものの食事が出来なくなるほどの悩みではなく、私生活でも別に問題はありませんでした。その内科医には、当時患者さんの年齢が39歳だったので、40歳になるのに何か引っかかっているんじゃないですか?とか、未婚なので結婚のことで悩んでいるのではないですか?とか、結婚したら治るかもとまで言われました。何の解決にもならず、総合病院でも心の問題だと言われ途方にくれましたが、良くなるとは思えないのに心療内科に行っても無駄だと思い受診されませんでした。

不眠症にも悩まされ始め、お粥だけで仕事に行くことに限界を感じ始めた10月中旬、1か月間の休みをもらいました。検査でどこも悪くはなかったのだから、1か月休めば良くなるのではないかと思ったからです。この頃から鍼灸整骨院に通うようになりました。首のコリをとると、いわゆる自律神経失調症が良くなると聞いたからです。首や頭や足に鍼やお灸をしてもらいました。

だんだん良くなり、11月中旬に仕事に復帰されましたが、復帰した途端、今まで経験したことのない様な首と肩の凝りに襲われ、1時間も座っていられなくなりました。じっと座っていると首と肩が凝って呼吸が苦しくなる程で、めまいまでしてきました。おまけに顎がだるくなり、3時間仕事をするのが限界でした。チームでの仕事だった為、度々休むのは皆に迷惑だと思ったのと、ストレスとして考えられるのはもう仕事しかないと思い、思いきって12月末で退職することにしました。この時も、仕事を辞めて1~2か月ゆっくりすれば治ると思っていました。

1月~2月は吐き気・めまい・倦怠感・首こり・肩こり・顎関節症・不眠症といった症状に悩まされて、ほとんど寝たきりの状態でした。週に2回、鍼とお灸はしてもらいに行っていました。この頃、事態打開の為に近所の心療研究所という所に行ってみました。そこでは100問以上の質問に答えてそれを数値化しうつ病などの疾患を判定する方法をとっていて、その心理テストを受けられました。点数が高いほどうつ病が深刻なのですが、患者さんの点数はとても低く「あまり落ち込んでもいない」という病気とは程遠い診断でした。やっぱり心因性ではないと思うと同時に、何をどうしたら改善するのか、自分の体なのにさっぱり分からず、道を見失った様な気分になりました。

3月下旬になってやっと首・肩の凝り、倦怠感が良くなってきました。吐き気とめまいはまだありましたが、このまま暖かくなれば治るのでは?と思い、明かりが見えてきた気がして喜んでいた頃、人間ドックの案内がきました。今までの健保では5万円程していたものが、国保では1万2千円で受けられる上に近所の病院でやっていることを知り、予約されました。しかし4月中旬、風邪をひいて39度の熱をだしました。熱、喉の痛み、咳、鼻水といった典型的な風邪で、耳鼻科で薬をもらいました。なかなか治らず、しばらく続けて薬を飲んでいました。

後で考えるとこれが悪かったのでしょう。5月初旬にまだ風邪気味のまま人間ドックを受けられました。風邪は咳だけが1か月も続き、やっと咳が良くなりかけた頃、人間ドックの結果が来ました。検便で引っかかっていました。2度のうち1度だけ血便有りだったのです。内視鏡検査をうけてくださいと書かれていました。風邪のせいかと思われましたが、かかり付けの内科医に相談すると、「風邪で血便はでません。今女性の死亡原因の第一位は大腸癌です。早く治療すれば治るので検査したほうが良いでしょう」と言われ、病院を紹介されました。

しぶしぶその病院にいくと、全く同じことを言われ、大腸内視鏡検査を受けることになりました。大量の下剤を飲まされ、これが一番体に悪いんじゃないかと思いながら検査を受けたところ、「大腸の入口と出口に浮腫と荒れがあります。おそらく潰瘍性大腸炎ですね」と言われました。その時の患者さんの潰瘍性大腸炎の知識は、『安倍首相がなった病気』という事だけで寝耳に水の話でした。その医師は5ミリ程度の厚さの冊子をパラパラさせながら、「でも、この病気はこれくらいの似た症例があるから、細胞検査してみたほうが良いので、出しておくから来週また来てください」と言いました。

その時見せられた大腸の写真のうち1枚に目が留まりました。出血して真っ赤になっている部分があったのです。質問すると、「検査の為少し取りました。すぐ治るから大丈夫」と言われましたが、荒れている所をますます傷つける事に違和感を受け、荒れは治らないけど傷は治るんだ・・・と不思議に思いました。本当に矛盾していますね!アハハ!1週間後にもう一度行くと、また前回と同じ冊子をパラパラさせながら「この病気はこれくらい似た症状の病気があるから判断が難しいけど、この細胞検査の先生は潰瘍性大腸炎の検査を一番沢山していてよく分かっている先生で、その先生が十中八九間違いないって言っているし、私もそう思うから、あなたは潰瘍性大腸炎です。難病なので難病申請しないといけません。薬を飲んでもらいますが、これは飲み始めたら死ぬまで飲み続けなければなりません」と一気にどんどんしゃべりだしました。

患者さんは1週間の間にネットで潰瘍性大腸炎について少し調べており、何となく分かっていた為話を聞き流していたのですが、死ぬまで飲み続けるという言葉を聞いた瞬間目が覚めたようになりました。『なぜ自覚症状がないのに薬を飲み、死ぬまで飲まなければならないのか?だいたい、十中八九ってどういう事?100%じゃないのはなぜ?』と疑問がわき、なぜ死ぬまで薬を飲まなければならないのか聞きました。治って止める人もいるが、やめた途端リバウンドみたいになってもっと悪くなる人がいるから、一度飲み始めたら止めては駄目なのだとの答えでした。

しかし患者さんは、症状が無いのに薬を飲み始め、止めたら症状が出るくらいなら、最初から飲まなければ良いと思いました。自覚症状なく薬を飲み続ければ、いつかこの薬は必要無いのではないかと疑い、薬を止めてしまう日が来るに違いないと確信していたからです。症状が無いのに飲む必要性を感じないと言うと、医師は「確かに1年後に再検査をして大腸が良くなっていた時に、薬のせいなのか潰瘍性大腸炎じゃなかったのかの判断がつきにくくなるだろうから、3カ月後にもう一度検査して、もし同じ症状が大腸にあったら、その時から薬を飲みましょう。今は良い薬が開発されてきているので大丈夫、そんなに心配することないですよ」と言われ、とりあえず何も薬を貰わず帰りました。

その頃、咳はなくなり風邪は治ったようでしたが、体調はまたどんどん悪くなっていました。耳鼻科でもらって飲み続けた風邪の薬が患者さんの免疫を下げ、やっと収まりかけていたヘルペスウィルスをまた増殖させてしまったのでしょう。吐き気とめまいがだんだんひどくなり、睡眠不足も深刻でした。夜5~6回は目が覚め、ほとんど眠れないので昼間少しウトウトすると、訳のわからない何かが首からザアーッと後頭部に上がって来る感覚があって驚いて飛び起きます。この1年で体重は7キロほど減り、もともと太っていないので、すっかりガリガリになっていました。また食べられなくなるともっと痩せる・・・その恐怖と悲しみと眠いのに眠れない苦しみ、顎関節症の顎のだるさなど、自覚症状のない潰瘍性大腸炎よりこれらの症状の方が患者さんにとってずっと切実でした。

そしてもう一つ、患者さんが恐怖していた理由があります。それは祖母の死因でした。患者さんの祖母は両親が結婚する前の昭和46年に亡くなっているのですが、死亡原因が不明で、父親が言うには「ある日ご飯が食べられないと言いだし、入院して検査したけど癌でもなくどこも悪い所は見つからなかった。1年半後にそのままやせ細って亡くなった」らしいのです。聞いただけですが患者さんと同じ症状だと思いました。このままいつか食事が出来なくなり祖母と同じ様に死んでしまうのかもしれない。そういう、食べられなくなるイコール死という恐怖が常にどこかにありました。

潰瘍性大腸炎と診断されてから、時間がたてばたつほど再検査を受けたくない思いが強まっていました。しんどいのでベッドで寝ている時間が長く、その間なぜこんな病気になってしまったのかという事ばかり考えていました。そもそも、なぜ大腸の荒れが治らないのか?手荒れも胃の荒れも治るのになぜ大腸だけ治らないのか。人間は生きている限り治癒力があるのだから傷は自然に治るはずなのに、大腸の荒れが治らない意味が分かりませんでした。

その頃、心療研究所でやっているヨガに通っていたのですが、臨床心理士でもあるヨガの先生に潰瘍性大腸炎と診断されたという話をしたところ、それは免疫の病気だよと言われ驚かれました。そんな話は検査した医師もかかり付けの医師も言わなかったからです。もしそうであるならば、免疫力が低いから腸の荒れが治らないという事なのか?免疫力を上げれば治るのでは?と考えました。

それから免疫力を上げる方法が書いてある本を何冊か読み漁りました。そのうちの1冊に、解熱鎮痛剤は免疫力を下げると書かれてあり、≪ある解熱鎮痛剤の副作用≫という表が載っていました。そこに『まれに潰瘍性大腸炎』と書いてありました。副作用というものは、その原因となる薬の服用を止めれば治るという認識でしたので、なぜ治らない難病の潰瘍性大腸炎が副作用の中に入っているのか疑問に思いました。その著者も潰瘍性大腸炎は治ると書いていたので、やっぱり治るに違いないと強く考えるようになったのです。以前、いわゆる自律神経失調症は漢方で治せると聞いたことがあり、免疫力も漢方で上げられると考えた患者さんは、いっそ不調全てを漢方で治せないかとネットで調べ始めました。そしてとうとう漢方内科松本漢方クリニックを発見したのです。2014年7月2日の事でした。

ホームページに掲載している私の潰瘍性大腸炎が完治する理論は、専門用語が沢山あって意味がわからなかったので先に当時掲載していた患者さんたちの手記を読みだしました。そこには潰瘍性大腸炎の薬の恐ろしさが生々しく綴られており、初めて潰瘍性大腸炎を知り、驚き、気の毒で涙が出そうになりました。そして薬をまだ飲んでいない私はなんてラッキーなんだと思われました。そのなかで、ヘルペスウィルスという名前に引っかかりました。8年程前に帯状疱疹をしたことがあったのでヘルペスについては知っていましたが、ここに書いてあるヘルペスとはそのヘルペスの事?と思いながら何となくヘルペスについての文章を読んでいるうちに思わず叫びだしそうになりました。

ずっと死ぬかもしれないと怯え、悩み、普通に生活できなくなってしまった症状全てがそこに書いてありました。あの、突然飛行機に酔うようになったことまでも原因はヘルペスウィルスだと。そうなんだ!やっぱり心因性なんかじゃない!と、大興奮して何回も何回もヘルペスについての文を読みまくったそうです。ここに行けばまた日常生活を取り戻せるかもしれない!早速当院へ受診されたのです。

7月4日、必死で朝から混んだ電車に乗って高槻まで来られました。吐き気とめまいの中、混み合った電車に乗るのは本当に辛く恐ろしいのです。しかし、このままではずっと働けず、食べられず、楽しみも無く、病気のオンパレードで年をとっていくしかないかもしれないと、そんな絶望感にとらわれていました。ドアが開くたびに深呼吸し、目をギュッとつぶって一駅ずつ我慢しました。とにかく必死でした。

どうにか松本漢方クリニックに辿り着きました。診察を始め患者さんの話を聞き、やはりヘルペスが原因である事、解熱鎮痛剤が患者さんの免疫力を低下させている事などを説明すると患者さんは納得することができ、診察を終えました。漢方煎じ薬を処方し、食事はたんぱく質を中心に食べてもらうように指導しました。体調を崩してからはお粥やうどん、イモ類を中心に炊いた物しかほとんど食べていませんでした。以前から鶏肉を入れたり焼鮭を食べたりしていたそうですが微々たるものでした。たんぱく質を多くとる事、特に青魚と赤身の肉が良いとアドバイスし、炭水化物は胃での残留時間が長い事もあり、ご飯は軽くお茶碗半分位にしてもらうようにしました。患者さんは炭水化物が大好きだったので減らすのは大きな苦痛でしたし、吐き気がひどく脂分をほとんど取れずに1年以上過ごしてきた為、魚や肉の脂分が吐き気を酷くしてしまうのではと不安にかられましたが私を信じて治療に専念されました。

それから言われた通りに人生でこんなにたんぱく質を食べたことがあるかと言う程食べられ、ご飯、麺類は半人前にして努力されました。塩鮭・鳥の胸肉は脂が少なく食べやすかったので最初はそればかり食べていました。煎じ薬はやっぱり苦かったようですが、不思議な事に3日飲めば慣れました。生理痛の漢方の粉薬を食間に飲み、とにかく言われた通りにすることに専念して頂きました。お灸も母親に手伝ってもらって頑張りました。

1週間後に血液検査の結果を説明するため、もう一度松本漢方クリニックに来院。予想通りヘルペスは単純ヘルペスが195と高値で、リンパ球が27.3%と少なく、免疫力は低いという結果でした。その他いくつかの値が基準値を外れていました。抗核抗体も160と高くでていましたが炎症を示す数値は低く、ステロイドホルモンも自分でたくさん出していたことが分かりましたが、患者さんは外からステロイドを摂取していなかったので「大丈夫。絶対に治るで」といつもの台詞をいうと患者さんは安心された顔つきになりました。

またスギ花粉症であることが判明し驚かれました。引き続き青魚・赤身の肉などたんぱく質を食べてもらうように指導しました。

最初の2週間は吐き気が酷く、本当に良くなるのか不安になりました。1度、朝からあまりに吐き気が酷くうずくまって吐き気に耐えていた時、我慢しきれず松本漢方クリニックに電話されました。処方した1日8錠の抗ヘルペス剤を増やして飲むように指示し「心配ない!大丈夫や!」と励ましました。何とか不安感を減らして耐えきることができたそうです。それからは毎日私の言葉をぶつぶつ繰り返しながら耐えていました。「大丈夫や!怖い病気は無い!絶対治る!死なへん!」

1カ月後の2度目の血液検査の結果、ヘルペスの値は132に減っていました。抗核抗体は変化ありませんでしたが、リンパ球の値が40.4%に改善していました。その2週間後、太ももに痒みのある赤いものが出来ました。しばらくすると反対側の太ももにも対になるように同じものが出来ました。これからもっと出てくるため塗り薬の紫雲膏を処方しましたがそれから何も出なくなりました。その後、薬はお灸の為に出来た火傷に使ってもらいました。

患者さんは数年前から下痢と便秘を繰り返すことが多く、『過敏性腸症候群』と言われていました。朝から何度もトイレに行き、小分けに便が出ている状態で軟便でもありました。断痢湯を処方し飲んでもらうと1か月半でアトピーのようなものが出た後しばらくして少し便秘気味になりました。一度、断痢湯を飲むのを止めましたが、しばらくするとまた軟便に戻ってしまいました。再び飲みだしてもらいましたが、3袋にすると便秘気味になりました。3袋で1日2回にし、2袋1日3回にし、2回に・・・という具合に様子をみてだんだん減らしていきました。4か月後には漢方を飲まなくても軟便に戻らなくなりました。

また患者さんのめまいは腸の調子ともかかわっていたのです。軟便で何度もトイレに行っていた時ほどめまいが強かったと患者さんと患者さんが言っていました。治療を続けてもらうと吐き気もだんだん良くなり、今ではほとんど無くなりました。たまに膨満感のような軽い吐き気はあったようですが、以前は寝込んでいた事を思えば軽いものです。あんなに毎日死にそうな思いで吐き気と戦っていた日々が嘘のようです。たんぱく質を積極的に取り炭水化物は半分に減らしたままですが、週に1回程は炭水化物を1人前食べて食事を楽しんでいるそうです。

松本漢方クリニックに行きだしてからは一切鎮痛剤を飲んでいません。頭痛は抗ヘルペス剤で改善しました。不眠症も改善し、睡眠導入剤を少しだけ飲んで朝まで眠れるようになりました。そのうち飲まずに眠れるようになるでしょう。顎関節症もめったに感じなくなりました。現在も予防のために治療を続けておられます。

-アトピー性皮膚炎, 潰瘍性大腸炎・クローン病, 症例報告
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