潰瘍性大腸炎・クローン病 症例報告

潰瘍性大腸炎やクローン病完治の症例報告Part56(コメントなし)更新2022.10.5

投稿日:

症例報告130例目

完治された病名1)クローン病

患者:40歳、男性

当院に通われる前から完治に至るまでかなり詳細に症状や治療について協力して頂いたクローン病患者さんです。かなり長文なので頑張って着いて来て下さい。

排尿のキレが悪い、肛門にしこりのような違和感があり、それがジャマをして括約筋が締まらない感じ。おかしいと思いつつ、そのまま放置されていました。3ヵ月後、椅子に腰かけたとき、肛門に激痛が走りましたが、またそのまま放っておきました。2週間後、針を100本くらい刺されているような痛みに、熱も出てきて、ついに一晩眠れず、合わせ鏡で肛門を見てみると、肛門の左側が腫れあがっているのが見えました。直径5センチはある赤い腫れが肛門の中まで続いているように見えたそうです。

全くおさまらない激痛に地元で有名な肛門科を受診されました。すぐに切開され、膿が出されました。「この病気は、肛門周囲膿瘍というんです。」説明のあと、続けて、「念の為、検査を受けていただきます。この病気になる人は、100人に1人の割合で、腸に何らかの異常があるんです。1000人に1人は、大腸がんがありますので。」大腸内視鏡検査を受けると、白いプツっとしたものがあり、おそらくクローン病の初期だと言われました。検査が終わり、クローン病のパンフレットと薬が出ました。

患者さんはもらったパンフレットを読んで、一生涯つづく?やったところで、治るわけではない?と思いました。薬も毎回山のように渡されました。ペンタサを1日3回を食後に2錠ずつ、プレドニンと胃薬を1日1回2錠を処方されました。

患者さんは薬を飲むたびに、何か取り返しのつかないことを始めているような気持ちでいました。まだ症状もろくにないうちからこんなに薬を飲んで大丈夫なのか?それも胃薬を飲まなければいけないような「強い薬」を。さらに一定期間で飲み終わるならまだしも、これから死ぬまでこれを飲み続けと?

パンフレットのタイトルは『クローン病の正しい知識と理解』とありました。このタイトルを見て、原因がわからないと言っておきながら、どうして、そのあとに「正しい」治療法が書いてあるのか?正しいことも書いてあるのだろう。だが、間違いも混じっているはずとおおいに疑っていました。

患者さんは主にネットでクローン病について調査をはじめた。しかし、どのサイトを見ても原因不明、治療法なしの一点張りでした。しかも当時は松本漢方クリニックでクローン病の手記がなく、ネット検索をしても当院にたどりつくことができませんでした。疑問をいだいたままペンタサとプレドニンを2~3週間ほど言われたとおりに飲んでいましたが、残り薬を思い切ってゴミ箱に捨て、通院をやめました。その後はいっさい薬を飲まず、クローン病の治療をせず放置したそうです。変にこねくり回すより、よほどマシだと患者さんは考えたのです。2~3年はときどき腹痛と下痢があったものの生活に支障はありませんでした。

しかし、3~4年たつと時々だった下痢がいつも起こすようになり、トイレの回数が1日20回に、30回にと増えていき、ひどい日は40回に達しました。時々起こっていた腹痛も「いつも」になり、それもナイフで中から刺されるような感じだった。もともと体重50キロとやせていたが、40キロに減量してしまった。1日を布団の上で過ごすようになり、立ち上がるのも重労働となった。「これでいいのだろうか。やはりパンフレットにあるように腸管が破裂するのだろうか。いや、これでいいはずだ……」不安と恐怖のまま、さらに1年ほど放置するとピークが去っていったのかそこまでひどくはなくなってきました。放置といっても、断食、自然食品、乳酸菌、整体など薬を飲む以外のことを試していました。

そんな折、お世話になっている整体師から松本漢方クリニックホームページを教えてもらい、早速ホームページを読み漁ってすぐに松本漢方クリニックに向かいました。2010年、発症から8年もたっていました。

病気とは異物にたいする正しい免疫の反応である。異物は細菌とウイルスと化学物質の3つであり、その内の細菌とウイルスはすでに人類は克服した。残る化学物質にたいしてはIgE抗体で戦うのがアレルギー、IgG抗体で戦うのが膠原病(クローン病など)として症状として現れる。免疫を抑えなければ、IgGの戦い(膠原病)はIgEの戦い(アレルギー)に変わり、これを抗体のクラススイッチという。さらに免疫を抑えなければ、IgEは作り尽くされ、化学物質との戦いに負け、自然後天的免疫寛容をおこすとクローン病が完治できるのである。

私がこれまでどんな治療をしてきたかを聞き、薬を飲まず食事療法だけでリバウンドを乗り越えたことを労り褒めました。医療を知らない素人の人が独学でやるとリバウンドに耐え切れずに結局ステロイド剤や痛み止めなどの薬に頼ってしまうのでとても大変なことなのです。食事療法をしていたことを聞き、これから食事は何を食べても大丈夫だと言い、最後に「必ず治してあげるで!」と力強く握手して終わりました。

そのあとは血液検査・鍼灸を受けてもらい、大量の漢方薬を受け取って帰途についた。これから毎食前・食後に漢方薬を飲み、お灸も毎日自分でしてもらい、地元の鍼灸院で治療を受けてもらうように指導しました。

薬の処方は、胃や腸管の炎症や潰瘍を改善し出血を止める葛根黄連黄ごん湯、蜂窩識炎やフルンケルに効果的で腹部の緊張弛緩や胃腸を整える排膿散及湯を毎日飲んでもらい、頭痛や肩こりがする時にはベルクスロン錠(抗ヘルペス剤)、発熱・腹痛が起こった時にはフロモックス錠(抗生物質)を飲んでもらうように指導しました。

ちなみに蜂窩織炎とは皮膚やその下の組織に細菌が感染し炎症を起こす病気で、皮膚の細胞感染症の中では伝染性膿痂疹と並び比較的に頻度の高い病気です。始めに患部の皮膚に赤み、腫れ、熱感、痛みが出現し、急速に広がります。フルンケルは化膿菌が毛包(もうほう)からもっと深く脂腺(しせん)にまで入ったものです。皮下膿瘍が起こってしまうと切開して膿を出します。

治療開始1日目、2010年4月22日。オナラが出やすくなる。いつもパンパンだった腹が、かつてなくヘコんだ。いつも冷えている手足がポカポカする。体重は50.4キロ。

2日目、起床後のおなかの張りぐあいが、いつもの半分ほどになっている。

3日目、下痢をもよおして目が覚めるのが通例だったのが、自然に目覚めて便意もなし。もよおしてトイレに行っても、いままでのように座ったと同時にバーッと出るのではなく、時間がかかり、量も少なかった。ひさびさに固形の便がのろのろ出てくるような感覚がした。が、出てきた便の形状は変わらず。

夜中に両ヒザ、明け方に両ヒジの関節が少し痛んだ。さっそくヘルペスとの戦いも始まった。

4日目、夜トイレに立ったとき、両ヒザが痛んだ。明け方、目が覚めるとヒザの痛みはなく、こんどは右手の親指と人差し指の間および右腕のヒジの内側が痛んだ。これも起床後まもなく消えた。

便がなかなか出ない。またしても腸のなかを固形の便が進んでいるようなひさびさの感覚があったが、まだ軟便だった。それでも粘度がアップしているかんじ。とにかく、便意と同時にトイレにかけこみ座ると同時にバーッとやる以外なかったのと比べ、劇的向上といえよう。回数もこれまでの5分の4か3分の2くらいになった。

5日目、顔にブツブツが出ている。昼15分ほど仮眠をとって目覚めた直後、右の耳の奥が痛んだ。ここが痛むのは初めてのことだ。

6日目、かつてないほどぐっすり眠れた。便は、形状は変わらないが出にくくなっている。と思っていたら、午後から悪化。悪化というか、漢方をやる前に出ていた水様便が漢方後初めて出た。

7日目、起床後、頭痛がするもすぐ消えた。寝起きにヘルペスウイルスによる神経痛がおきるのがパターンになってきた。

1週間たったので血液検査結果を伝えるために電話による診察を行った。血液検査の結果により間質性肺炎があることがわかり、2週間だけ服用していたペンタサによる副作用が起きていました。免疫は抑えられたこと全部覚えているものすごい細胞なのです!「だいじょうぶや。この世に治らん病気はないで!」と言って患者さんには治療を続けてもらいました。CRPは4.4と高め。アルブミンも下がっていることがわかったので、しばらくアミノ酸の顆粒を飲んでもらいました。

患者さんはその後、間質性肺炎をインターネットで調べてみると「呼吸困難や呼吸不全が主体となる(息を吸っても吸った感じがせず、常に息苦しい)。また、肺の持続的な刺激により咳がみられ、それは痰を伴わない乾性咳嗽である」。てっきり癖だと思っていた、いつもの息苦しいような、胸に何かつかえているような感じで咳ばらいをよくしていたのです。

治療を始めて1ヵ月後、5月19日再び松本漢方クリニックに来院。私は薬の副作用が書いてある分厚い本を取り出してペンタサの項目を見せました。

【ペンタサ】副作用……間質性肺炎。とはっきり書いてあり、他にも十指に余る病名が連なっていました。患者さんは自分がクローン病の薬で死にかけていたことに驚愕されました。またこの時からお尻の膿を出し切る治療も始まりました。

8ヵ月後、血液検査の結果により間質性肺炎は良くなっていました。かわいた咳をしなくなり、妙な息苦しさも感じなくなりました。治療開始2ヵ月目あたりからしきりに痰が出る日々が続きましたが、それも止まっていました。

8日目、最近、寝起きが非常にだるい。免疫がヘルペスウイルスを攻撃しているのだろう。夜にひどい頭痛がおきるが抗ヘルペス剤をのむと和らぐ。

9日目、ヘルペスがひどい。体じゅうギシギシする。

10日目、このごろ目覚めは大変いいが異様にダルい。寝るまえに抗ヘルペス剤を飲むようにしたためか起床後の神経痛はない。

漢方薬のおかげだろう、便の調子がよい。西洋医薬の下痢止めは、(クローン病に対して出されたものだが)下痢がピタリと止まったが、出るべき便が体内にとどまっているだけというかんじで体調が悪化していき、2日で服用をやめたことがありました。一方、漢方薬は便自体が変化する。これまでよりもやや硬くなり出るのに時間もかかることが多くなった。下痢に特化した処方ではないのだが、それでもこの効果である。

12日目、就寝前、両肘にブツブツがいっぱいできているのを発見。そのブツブツは痛くも痒くもない。さらに夜中、目が覚めたとき、背中が異様に痒かった。クラススイッチが起き始めているのだろうか?

16日目、おなかがガスで張って苦しい時もあるが、痛むことがなくなってきた。

17日目、額の髪の生え際から上のほうにかけて湿疹ができているのを発見。

25日目、顔全体に赤いプツプツがあるのを発見。よく見ないとわからない程度で痒みもまだない。

28日目、5月19日、2度目の松本漢方クリニック。

治療開始1ヵ月目、とにかくだるい。

翌日、電話にて2度目の血液検査の結果を説明しました。CRPは2.4で良くなっていました。だるいのはヘルペスが原因なので、だるいときは抗ヘルペス剤を飲むように指示しました。前回21.7%あったリンパ球は13.7%とまるで死に際の老人の様にかなり減っていました。それほど患者さんは免疫をおさえてきてしまったのです。

6月7日、腹の痛みがなくなり、腹部膨満も軽減された。便の中に膿がまじることもぼぼなった。手足が冷たくなくなった。

6月13日、痰がとまらない。

治療を始めて2ヵ月目、食後の漢方薬を断痢湯(下痢止め)に変えました。

7月2日、最近ヘルペスによる神経痛がめったに出なくなったが、それと入れ変わるように、24時間キーンと耳鳴りがするようになった。のちに患者さんが恐らく5歳くらいに耳鳴りがあったことを思い出しました。耳鳴りの原因もヘルペスなのです。免疫が上がったことで聴覚を司る蝸牛神経に潜んでいるヘルペスウイルスが免疫に攻撃されて症状が起こったのです。

治療を始めて3ヵ月目、毎朝、寝起きに痰が出ている。加えて肛門から出る膿がやや増えた。おなかにたまるオナラは以前の8割を占めているところ。オナラの出やすさは倍増。下痢の回数も8割ほどに治まるがだいぶ硬くなってきている。

腹痛はめったにないが、まれに腸の特定部位を便が通過するとき鈍い痛みがする。しかし以前のような鋭い刺すような痛みはなくなっている。

変わらずヘルペスによる24時間のだるさ・耳鳴りが続く。

7月25日、当時しんどかったのはヘルペスによるだるさだけでした。

クローン病の症状としては、下痢と肛門から出る膿と腹部膨満だけで、生活の不便はあるものの痛みは消え、下血もなくなった。下痢の回数、膨満は以前と変わらずだが、下痢は硬くなってきているため体感としては半減、オナラも出やすくなっているためこれも半減したかんじ。しかし逆におしりの膿は増えてきていた。

間質性肺炎と思われる咳も減り、呼吸が以前よりもラクになられました。痰はまだ出続けていましたが。

7月28日、治療を始めて4ヵ月目が経過。体重がわずかに減り、49.2キロに。

8月4日、しばらく調子のよかった下痢が少し増えた、ヘルペスによるだるさがさらに激しくなる。体重もさらに減って、48.0キロ。

8月7日、当院との電話診察の日でした。おなかが痛くなったことを告げられ、その原因はストレスによるものだと説明しました。当時、患者さんはヘルペスによる激烈なだるさのためライターの仕事ができず焦っていたのです。それでも締め切りが迫ってくるため、全力で体に鞭打って怠い体を無理やり起こし、机に倒れ込むように座ってパソコンで執筆されていました。だんだんだるさが酷くなって仕事も遅れ、その遅れを取り戻そうとさらに無理をして仕事をするというイタチごっこをしていたのです。

すると治まっていた腹痛が戻ってき、せっかく現れていた顔面の赤いプツプツも引っこんでしまいました。ストレスによりせっかく上げた自分の免疫を抑えてしまい、また症状がぶり返したのです。それほどまでに自分自身の出すステロイドホルモンは医者達が出すプレドニンや免疫抑制剤などと同じくらいもしくはそれ以上に免疫を抑え込むことができるのです。ここまでヘルペスとの戦いが強烈になるとは思わず、患者さんは驚かれました。

しかし、仕事をしないわけにはいかなかった患者さんは、ストレス源を除くべくまた治療に専念できる生活と時間の余裕を作るため、無理矢理にも仕事の時間を増やし1か月分の余裕を作り出しました。

8月17日、パンツにおしりからの膿がつかなくなっている。顔のプツプツもまた出てきた。お腹はやはり便の通過時に決まった箇所が痛む(横行結腸中央と下行結腸ら辺)。終日だるくなる。

8月18日、湿疹が多く出る。しかもこれまでと違って痒みを伴っている。

8月30日、治療を始めて5ヵ月目が経過。しばらく熱っぽさがあり前日に熱を測ると2年ぶりに38.6℃の発熱。久々に下血もでました。朝、起床時には36.9℃、夕方になると37.2℃に上昇、夜にまた上がり37.8℃。

9月1日、血液検査の結果により、IgG抗体が減ってきて、間質性肺炎も良くなっていました。発熱と下血があるので抗生物質を処方しました。なお当時の体重47.6キロとまた減量。

9月18日、しばらく夜中に下痢で目覚める回数が1回だけになっていましたが、昨夜、ついに一度も目覚めず朝まで熟睡できた。何年振りの疲労感の少ない朝をむかえて患者さんは感動されました。

10月12日、治療を始めて6ヵ月目。お腹の痛みはいつもの箇所を便が通過するときだけ。発熱もなし。ヘルペスの執拗なだるさもいくらか軽減されたような気がする。神経痛はめったに起こらなくなる。

11月1日、治療を始めて7ヵ月目。ヘルペスのだるさで遅れた仕事を焦りながら取り戻したためか、すこし悪化させる。お腹は下行結腸が便を通過時のみ痛む。下痢は1日10回未満でやや硬い便がちぎれちぎれに出る。まれに泥状になる。出血はない。時々、夕方に37.1℃まで上がる程度。体重47・1キロ。

12月8日、治療を始めて8ヵ月目。4度目の松本漢方クリニックへ来院。患者さんの心の持ち方を何とかしないと治る病気も治らなくなると指導しました。CRP8.3と高い(正常限界値の約28倍。前回の2.4から跳ね上がった)。リバウンドを起こしていること、栄養状態はそんなに悪くなく、貧血もたいしたことない事を説明しました。体重46.0キロ。

12月13日、腹痛がとくに夜中にひどくなり、1時間に1回ほど目が覚めてトイレに行っている。そのため肛門の痛みもひどい。頬がこけてきたのに気づき、体重を計ってみたら44・6キロ。座っているだけで息切れするレベルで、当院で治療を始める前の状態に近い状態だったそうです。ただし、ヘルペスで一日中だるく、体温も高めと確実に免疫力は上がっている。心を正しく持ち、免疫力を下げないようにと頭では分かっていても上手くいかず。

12月15日、地元の病院で強めに勧められたエレンタールを私の許可の元、エレンタールをもらって飲んでもらいました。痩せすぎて栄養が足りないため、エレンタールで体重を元に戻さなければならないからです。

12月17日、当院の血液検査の結果、引き続きIgGの世界にとどまってしまい、減るべきコルチゾール(ステロイドホルモン)が増えていました。痩せていましたが栄養状態はそんなに悪くありませんでした。肺サーファクタント(肺炎の度合い)は下がって間質性肺炎は完治されました。患者さんの心の葛藤をやめるように、良いカッコしいをやめることを指導しました。しかし、長年持ち続けてきた心のあり方を変えることはそうそうできることではありません。

2011年1月10日、治療を始めて9ヵ月目。昨晩、猛烈に腹痛を起こし、午前中に潰瘍ばかりの排泄物が4~5回たて続けに出た。明らかに便とは違い、真っ白い固まった痰のような便で、腸壁の潰瘍がはがれ落ちたものと思われる。

1月27日、10ヵ月目。この頃から高熱が毎日出るようになる。昼すぎから上がってきて37℃台になり、夕方になるにつれて38℃前後まで上昇、夜には38℃後半になることもあったが、だいたい38℃止まりだった。体重43・2キロ。BMIが15を切った。

2月8日、体重42・5キロ。BMIが14を切った。夜、熱37.7℃。下痢1日30回(うち就寝時10回)

3月頃、毎日昼から38℃後半の熱が出るようになった。これと同時におしりに違和感をおぼえるようになった。7年前の肛門周囲膿瘍が再発しました。針で刺すような痛みがつねに肛門を襲うようになった。針は何本か、あるいは何十本か刺されているかのよう。夜も眠れなくなった。ちょっとでも股をこすらせたり寝返りなんか打とうものなら、刺されていた何十本かの針を動かされたような痛みが尻から脳天まで走って目が覚め、しばらくは気も狂わんばかりに悶え苦しむ。30分か1時間もすると、少しは痛みがマシになり、ようやく眠りにつける。しかしウトウトするとつい動いてしまって、もとの木阿弥になり、気がつくと朝になっている。熱は、運がよければ37℃まで下がっている。やつれて体重は42キロになった。

膿瘍はミカンのL玉くらいの大きさに広がっている。履いているパンツがちょっと動いてかすっただけでも気を失いそうになるほど痛みが走る。

ひとまず抗生物質を飲んでもらい、シートン法というゴム管を入れて、膿が出てくるようにする治療を地元の病院で受けてもらいました。熱も37~39℃を行ったり来たり。寝汗もびっしょりかく。ほぼ毎日、私に状況を報告してもらいました。

普段からただでさえひどい下痢だが、肛門がこうなってからは直腸付近の下痢をまったく支えられず、さらに1日20回から30回とトイレに行く頻度が増えていた。しかも激痛で身動きひとつ取ることも困難で、ほうほうの体でトイレまで旅をした。

受診前夜、夜10時くらいにトイレに行き便座にまたがり、いつもどおりにいきむと「パツン」と小さな破裂音がした後、肛門からではなく膿のたまった箇所から赤黒い膿がどろどろ出てき、便器の中が血で一杯になりました。どうしたらいいのか困った患者さんは私に連絡を入れました。私は今すぐ病院の夜間外来を利用してもらい、抗生剤を打ってもらうように指示しました。

病院に勤務する奥さんの友人が車を出してくれ、現場の医師の判断で抗生剤の点滴のみ打ってもらい、翌日の朝にまた病院へ来ることになり、一旦帰宅されました。その時には午前になっていましたが、膿を出したおかげか久しぶりに安眠できたとのことです。

翌朝、奥さんと一緒に病院へ。外科医からこれからは毎朝の抗生剤の点滴とクローン病の痔瘻の治療にレミケードを使うことを勧められました。患者さんはレミケードの治療を拒否されました。外科医からレミケードの副作用を心配する前に痔瘻で死んでしまうよ、と説得されましたが、患者さんは死んでもレミケードは嫌ですと答えました。外科医の表情はそうとうこわ張って最後に「それではおしりの穴がふさがるかどうかはわかりませんよ」と言われ診察を終えました。

次に消化器内科へ行きました。そこでは入院を勧められましたが、レミケードはせずに栄養剤だけ入れて体重を増やす方針を説明されました。すぐに私の元へ連絡を入れて相談され、入院を後押ししました。またシートン法はもうしなくてもいいことも伝えました。

こうして患者さんは下痢が1日10回を切るところを目標とし、経過を見ながら2~4週間の入院をされました。

エレンタールを1日1200キロカロリー(ほぼ基礎代謝量分)を入れられ、段階的に1500、1800と増やしていきました。入院初日に42.2キロあった体重は、5日間でさらに減り40・2キロとなりましたがそこで下げ止まり、徐々に体重が増えていきました。

しかし、ある日担当医から「白血球除去療法」を勧められましたが、当然この療法もお断りされました。また別の日、担当医から呼び出されレミケードの副作用の説明を聞かされましたが、「免疫によってクローン病は治る」という前提がない担当医からの説得に患者さんが応じる理由がありません。そのまま話は平行線に終わりました。

退院が近い頃、就寝しようとすると体のあちこちが痒くなり、毎夜、寝る前にこの痒みが襲ってくるようになりました。トイレに入ったとき、鏡をみると顔中に目立たないが赤いプツプツが現れていました。

そして下痢が1日10回前後に減り、体重は44キロまで増えて無事退院することができました。病院側は自分たちの成果だと思っているのでしょうね!アハハ!患者さん自身の免疫が世界一の名医ですよ!アハハ!

退院して3ヵ月後、体重は順調に増え48キロにまで回復されました。しかしアトピーに変化はなく、ブツブツの量は変わらず、アトピーが出ている箇所も顔だけでした。

また退院時には治まっていたお腹の痛みもじわじわ復活してきました。おしりの傷が治らず、傷口からいつまでも膿が出てきてかなり痛む。この膿のせいで、午後になると熱が出て37.5~38度台まで上がる。眠って朝になると平熱にもどっているをしばらく繰り返しました。

この時、一番困ったのは座るという動作ができないことでした。この頃からほぼ寝たきりとなってしまったかです

さらに1ヵ月後が経つと、不定期に肛門周囲膿瘍になっては外科のお世話になるようになりました。おしりが痛く、立つのも苦痛で漢方薬やお灸をサボりがちになりましたが、また漢方を飲みだし、お灸もふたたび日課に戻りました。しかしそんなしんどい中でもライターの仕事をされていました。仕事を休んでしっかり療養するように指導しました。

2011年9月、新しくできた肛門周囲膿瘍により外科で切開してもらいました。新しくできた右側の痔瘻は腫れはひいており、痛みもそれほどではないため比較的ましでしたが、古い方の左側の痔瘻は腫れが陰嚢まで広がってしまい、痔瘻は全部で3つになってしまいました。以前に比べて寝てきりになることが多くなってしまいました。

しかし腹痛は全く起こさなくなり、下痢は一旦1日30回の水様便になりましたが、だいぶ固形に近くなり、1日10回くらいに減りました。体重も増え、48.3キロにまで増えました。CRPは2.17。少しずつクローン病の症状が良くなっていきました。

そしてクラススイッチによりアトピーが酷くなってきましたが相変わらずブツブツが出ているのは首から上だけでしたが、ブツブツが目立つようになり、痒みも結構辛いときが増えて気がつけばポリポリ掻くようになりました。そして掻いていると、角質がボロッと落ちるように。鼻のまわりと口のまわりには白いものが噴きだしていました。

2011年10月、痔瘻が少しばかり良くなっていましたがまたひどく痛み始めました。とくに排便をきっかけに痛みが激烈になることがある。のちに、便がゆるいと肛門だけでなく瘻管からも出てしまい、糞便が瘻管にとどまったままになるのです。こんなときは排便後1時間くらい布団の上でがまんしてジッと動かず(動くと余計に痛い)、ひたすら悲鳴をあげておられました。膿の出口はあっても一定量がたまらないと出てきません。その溜まっている間が泣くほどの激痛を伴います。

2011年12月に痔瘻の治りを良くするため、漢方風呂を処方し週に1回入ってもらうように指示しました。早速漢方風呂に入ると、たまった膿が出てきやすくなり、徐々に膿の自体も少なくなっていき、おしりが痛くて眠れないことはずいぶん減っていきました。

2012年2月、腹痛が再発。痛みは酷く、呼吸もできないほどの激痛が起こるようになりました。またしても37~38度の熱を行ったり来たりするように。日和見感染が起きているため、抗生物質を出しました。抗生物質を飲むと腹痛は少しラクになったそうです。また、ついでに痔瘻も大幅によくなりました。

「ほぼ寝たきり生活」を始めて1年近くになりました。あまりにも激しいリバウンドに比べて免疫があまり高まらないことに患者さんは疑問を持ちました。もう一度、私の論文を読み返して考えました。そして、生後10ヵ月の時に熱が1週間以上下がらないことがあり、医者に連れて行くと点滴を足から刺して24時間、10日間点滴したことわかりました。おそらく状況的に解熱剤か抗生剤でしょう。解熱剤なら免疫は壊滅、抗生剤でも腸内フローラが変わり免疫に影響を与えたのでしょう。

生まれたばかりの患者さんは4100グラムのまるまる太った健康優良児でした。しかし、5歳くらいのときには顔は青白く、いつも下痢がちで、おなかが痛いと言っていました。外に出て走り回るなどということはなく、家の中で字を書いたり、絵を描いて遊んでばかりいた、おとなしい、母親の言葉を借りれば「手のかからない」子供でした。

しかしこれはクローン病のきっかけにすぎず、より患者さんの免疫を抑えたものは過剰なストレスでした。長年の壮絶ないじめと昔ながらの家庭でゲンコツと暴言の飛び交うのは日常茶飯事だった日々に免疫が抑え続けられてきたのです。ストレスにより免疫を抑えられ小学2年で花粉症、高校1年で慢性疲労にもなりました。

このとき強烈に免疫を抑えたことがクローン病になった原因、かつ、クローン病が治りにくい理由でした。ストレスでばらまかれるステロイドホルモンが難病の原因といっても過言ではありません。ストレスをなんとかしないかぎり、免疫力を上げる治療をしても、ストレスと免疫とが綱引きばかりしてリバウンドは起きても治療は進まないのです。

当院で治療を始めて3年が過ぎた頃、体を良くすることはもちろん、心を良くすることに意識をむけて治療をするようになりました。

2012年4月、クラススイッチにより毎朝、目が覚めると顔中から角質やら脂肪やらが噴き出ていて、触るとそれがボロッと落ちる。洗っても夜にはまた同じようになる。フケもすごく出て、頭皮も同じことになっているようだった。

しかし漢方薬を飲み始めて以来治まっていた腹痛が再発し、いっこうに治まらなかったそうですが、腹痛はヘルペスが原因のため抗ヘルペス剤を飲むと軽くなることを説明し、またリバウンドとクラススイッチが同時進行で起こっているためアトピーと一緒に腹痛も酷くなっていたことを説明しました。そして患者さんは今まで状況に応じて飲んでいた抗ヘルペス剤を食後必ず飲むようにしたところ、腹痛が和らいでいきました。

数ヵ月に1回下血を起こしていましたが、この日は1度ではなく、2度、3度と下血したので心配になり、私に電話されました。話によると下血の色が真っ赤だったことからお尻から出ており(腸で出血している時は真っ黒)、また痔瘻がかなり痛むことから痔瘻から出血していることがわかり、血を止める漢方を処方しました。漢方を服用後は4度目の出血はありませんでした。

2012年7月、この時最もつらいのは痔瘻でした。瘻管が成長しようとしているのか、痛みが激烈かつ広範囲になって太ももの付け根あたりまで痛み7、膿の量も増えていました。

次につらいのがヘルペスで全身倦怠感、歯肉炎、口角炎、嗜眠病(いくら眠っても眠い)、腹痛、吐き気。とくに倦怠感と歯肉炎がひどい。ときどき起きる足先の神経痛、24時間の耳鳴りも健在。毎日38度台の熱も続く。これらの症状に伴って食欲が落ちる。

痔瘻が痛くて座ることができず、24時間布団の上で生活していました。食事するときは、うつ伏せで、胸の下に枕をいれ、肘をついて食べていましたが、この姿勢を維持するだけでもつらく、食べはじめて4~5分もすると疲れてしまい食べる量も自然と減ってしまいました。満腹になるのも早くなって子供がちょっと食べ散らかしたくらいの量しか食べられず、体重がとうとう41キロまで減ってしまいました。

2012年8月、リバウンド症状は引いたと思ったらまた激しくなったりと一進一退を繰り返していました。痔瘻の成長は止まったもののあいかわらず痛い。ヘルペスもまだひどいですが歯肉炎と口角炎がなくなり、発熱も毎日ではなくなりました。

2012年10月、エレンタールを1日600キロカロリーぶんを午前中に飲み、その間は絶食し、昼と夜に軽めの食事をするという生活を続けていくうちに体重が44.5キロまで戻りました。抗ヘルペス剤を1日1錠だったのを4錠にしたところ、症状のすべてが軽減しました。保険がきいていれば1日10錠に増やしてあげてクローン病の症状がなくなるのでしょうが抗ヘルペス剤は保険適用外でお金が足りずできませんでした。

痔瘻に効いた漢方風呂も保険がきかないため、漢方風呂は出さず抗ヘルペス剤だけを出しました。辛いでしょうが痔瘻は根性で乗り切ることになりました。患者さんは膿がたまった圧で自然に出てくるのを待つのでなく、たまるたび自分の手でしごき出すと痛みがかなりマシになるので、これでなんとか耐えておられました。これを始めたら膿の出口がいつのまにか閉じてしまうこともなくなる。

2012年11月、体重がさらに増えて46キロになった。白い便(というより痰のような排泄物)がほとんど出なくなりました。

アトピーは顔や頭皮じゅうに赤いブツブツが出ていました。掻くと角質やら皮脂やらがボロボロ落ちて特に頭はフケがすごい出てきました。

2013年3月、下痢が1日30回。もちろん24時間おかまいなしなので、夜、眠っていると目がさめてトイレへ行く。30分~1時間に1回に目がさめましたが、1時間も持つことはまれで、ひどいときは10分~15分に1回となり、それどころかいまトイレから帰ってきて寝床に横たわったとたんに便意を催すことがありました。患者さんにとってトイレへの往復は重労働です。何十回もの往復に気分が下がりました。1日の合計3時間はトイレにまたがっていました。

しかしこの当時、患者さんの心の持ち方が急に変わり、いまの自分はトイレに行けて排泄もできる。寝床もある。もちろん治したら幸せですが、いまのままでも幸せと思えるようになりました。心がようやく楽になったのです。

朝食を抜いて午前に仕事をされていましたが、昼食を摂った後は一日中、激烈に怠くなり、テレビをつける気さえも起きないほどの凄まじい怠さがずっと続いていました。以前の患者さんだったら仕事するなり本を読むなりと何かをしていないといられなかったのが、ようやく「ただ寝ている」ことに焦りを感じなくなりました。病気は病気で幸せな日々を噛みしめながら、治る日をこうして寝て待てるようになったのです。そのことに気づくまでに2~3年かかりました。

2013年5月、当院での治療を始めて4年も経ちました。腹痛は息ができないほどで、下痢は1日30回以上、しばらく治まっていた夕方からの高熱も復活した。これまで午前中は仕事ができていましたが朝から何もできなくなりました。

2013年6月、クローン病の合併症によりガスが溜まり、当時体重44キロだった患者さんのお腹はガスによりまるで中年男性のようにいつもパンパンに張っていました。1日30回のトイレも半分はオナラのせいでした。猛烈に便意を催して大急ぎでトイレに駆け込むもオナラだけということがしょっちゅうでした。便の時もあるもののオナラとともに排泄される時がほとんどでした。

フラジール(メトロニダゾール)というクロストリジウム・パーフリンジェンス(ウェルシュ菌)を殺すことができる抗生物質を処方しました。このウェルシュ菌により大量のガスを出すことがわかり、フラジールを飲んでみて1週間後にまた様子を報告してもらうように言いました。

早速届いたフラジールを飲んでもらうとオナラが減り、腹もへこんだのです。オナラだけでなく下痢も減り、夜中にトイレに立つのが5回と半減しました。1日を通しても20回を切るまでに激減しました。さらに腹痛までが減ってしまいました。ウェルシュ菌について詳しく説明されている論文があるので興味のある人はここを読んで下さい。

1~2ヵ月おきに地元の病院にて血液検査を受けてもらっていましたが前回、CRP6.8、リンパ球10%だったのがCRP2.8、リンパ球19%と値が変化していました。

2013年7月、フラジールを続けてもらうと発熱も出なくなりました。残りの症状は腹痛がひどく、下痢が1日15回以上ありましたがこれらはヘルペスによる戦いで起こった症状でしょう。一旦、フラジールを止めてみましたが、14~5日でだんだん悪くなっていき発熱が戻ってきたため、またフラジールを処方すると発熱は出なくなりました。

2013年8月、怠さがすごい。仕事をしようと、腹這いでノートパソコンを開くもそのまま布団に突っ伏してしまう。そのまま体が布団の中にずぶずぶ沈んでいくような感じ。当院の治療を始めてから一番ひどい倦怠感だったそうです。

鏡を見てみると、顔はいままでよりもいっそう赤く、脂肪も噴き出すようになっている。頭皮も顔同様にすごく、髪をかきわけて触ってみるとブツブツになっており、朝に洗っても午後にはもうフケが出てきていました。

漢方薬を食前をアトピー用、食後に痔瘻用と変えてみました。また血液の値がCRP1.0、リンパ球16%とリンパ球の値が止まっていましたが、CRPが減っていました。

2013年12月、ヘルペスに効く漢方を見つけ出し、食後の漢方を変えて処方してみたところ、腹痛と下痢以外の症状がことごとく治まってきました。特に異常な怠さが尋常な怠さになりました。この倦怠感の原因もヘルペスと免疫による戦いによって起こったという証拠です。

2014年3月、当時一番つらいのは痔瘻でした。針で刺すような痛みの原因もヘルペスによるものなので、抗ヘルペス剤1日4錠、フラジール2錠を処方すると体調が安定していきました。下痢が減ったおかげで夜は確実に3時間は途中で起きずに眠れるようになりました。まる1日仕事ができる日も増えてきましたが、リンパ球が元の値に戻ってしまいました。

以下に半年の血液の値を掲載させていただきます。

2013年9月:CRP1.35、リンパ球11.6%

2013年11月:CRP2.1、リンパ球12.0%

2014年1月:CRP2.7、リンパ球12.5%

2014年3月:CRP1.6、リンパ球12.4%

2014年7月、当院の治療を始めて5年目を迎えました。またしても体が布団にめりこんでいるように怠い症状が出ました。発熱もひどく、昼から夕方にかけてじわじわ上がっていき、夜には38度台後半となりました。スーッと鼻水もたれてきましたが、のどは痛くありませんでした。この状態が1週間ほど続きましたが、ある日両腕にびっしりアトピーが出てきました。首から下にアトピーが出てくるのは初めてのことです。数日すると、腕のアトピーは引っこみ、風邪のような症状も消えました。

そのまた数日後、強烈な眩暈を起こしました。まるで体がいきなり宙返りしたような感覚で起き上がろうとしても天井が1回転してしまい、トイレに行くにも這って行きました。

口内炎も久々にできましたが、一度に複数の口内炎ができ、とくにのどの奥がひどく、水や唾を飲んでも痛みました。しゃべっても痛みましたが、これらも1週間ほどで治まりました。

患者さんはリバウンドと判断し、私の手を煩わせまいと相談せずにしばらく様子を見ました。

次はオナラが続けて5時間も6時間も出るようになりました。しかもそれは休憩をはさんだだけで、しようと思えばもっと続けて出る感じだったそうです。疲れる、というのは座った姿勢ではガスが出ないため、四つん這いになり、頭を床につけ、膝を立て、お尻をなるべく高く上げてようやく出てきました。この格好を5~6時間も続けるのです。

お腹にガスが溜まりぽっこり、どころでなくまるで妊婦それも双子でも入っているかと思うぐらい大きく張りました。腹痛もかなり酷く気がおかしくなりそうなほどでした。

早くこの張りを減らすため2時間、3時間、5時間、6時間とおならを出し続けて1日合計7、8時間くらいこの格好でトイレにいていました。

食後になりやすい傾向があるため、消化物が腐敗していると思われましたがオナラに臭いはないのでウェルシュ菌の仕業ではないと思った患者さんは、自己判断で食事を減らそうとエレンタールばかりで過ごすようになりましたが、ますます症状は悪化していきました。

2014年9月、40キロまで落ちてしまい頬はこけていました。体重を増やそうと患者さん判断で1日2包(600キロカロリー)から3包(900キロカロリー)へ増量し、固形の食事は夕食のみ、それもダイエット中の女性くらいの量にしました。しかしますますガスがひどく、腹はぱんぱんに膨れ、食欲が出ませんでした。そこでついに食事を全廃し、エレンタールだけにされました。しかしそれでもオナラは減るどころか、ますます悪化していきました。かつてないほどの腹痛。腸が風船のように膨らんでいるのを感じる。夕方から出ていた熱が朝からも出るようになった。頭のなかにモヤがかかっているようで考えがまとまらない。仕事ができない。仕事どころか、トイレに行く気力もないが、なんとか家具にすがり、壁を伝って、全身全霊で用をたす。何も食べていないのに朝から腹が張っている。破裂しそうに苦しいのに座っても出てこない。例の四つん這いをやるとようやく出るが、ほとんどがガスでした。トイレにいる時間が15時間になってしまい、気がつくと食事と睡眠以外はまる1日トイレにいていました。

ついに体重39.5キロまで激減してしまいました。クローン病になってから最低記録です。120日で4.5キロ痩せていました。それでも患者さんはまだこれを免疫のリバウンドだと思い、私に相談せずにいました。

42キロの頃はまだ体に力があるのを感じましたが、当時は力が出ませんでした。何をするにも、起き上がるのも、トイレに行くのも、洗顔するのも、ヒゲを剃るのも、漢方薬を飲むのも、エレンタールを飲むのも、歯磨きも、風呂も、布団に横になるのも、いちいち全力をふり絞って、ようやくひとつずつをこなす状態でとうとう杖を買いました。

ここまで悪化して疑問に思った患者さんは、エレンタールだけしか飲まなくなってから悪化したことに気付き、試しにエレンタールをやめて固形の食事だけにされました。するとその日から発熱がピタリと止み、腹痛は激減し、1日30回だった下痢が10回にまで激減しました。腹の張りもへこみ、2~3日でオナラがほとんど出なくなりました。そして痔瘻までもが治まってきたのです。

ここにようやく私に相談の連絡を入れました。エレンタールにも化学物質は入っていますが、狭窄(腸管の中が狭くなること)がある人に効くため、患者さんにも処方していたことを説明しました。改めていままで手術をやったことがあるか聞き、エレンタールを飲まなくても栄養が摂れるとのことだったのでエレンタールをとめてもらいました。そしてエレンタールを止めて数日後には体調はすこぶる良くなっていきました。

2014年12月、血液検査のため、近所の病院へ。エレンタールをやめた効果は絶大で、毎日39度近く出ていた熱がピタリと治まり、40キロまで減ってしまった体重もじわじわ増えてきて42.5キロまで回復していました。2ヶ月前のCRP1.8から4.3と悪くなっていましたがこれは今まで抑えられてきた免疫がようやく本来の異物排除に手が回るようになったから値が上がったのです。アルブミンは2.7から3.1に良くなっていました。栄養剤をやめたら栄養状態がよくなったからです。

すると担当医から、痔瘻が膿はたまるが瘻孔から出ている状態をそのままにすると、癌になるという学会の調査を患者さんに伝え、年明けにでもレミケードかヒュミラを勧めてきました。癌という言葉を出して脅してでも楽にしてやりたいと思ったのでしょうか?患者さんはレミケードもヒュミラも断りました。またその学会の調査も、薬漬けになっている人しか調査対象にならないのでしょうから全員が癌になってもおかしくはないでしょうね。

2015年3月、体重43・5キロ。アルブミン3.6とほぼ正常値に戻りました。CRPも1.7まで下がりました。

2015年6月、当院の治療を始めてもう6年が過ぎました。4年ぶりに松本漢方クリニックへ行くことができた。血液検査の結果は血沈31、CRP1.8、リンパ球11%でした。前回の2010年のときCRP8.3だったのが1.8になったということは炎症がなくなってきていました。リンパ球は前回15.6だったのが11と下がっているのは患者さんが日々ステロイドホルモン出しているということです。それ以外の水痘帯状ヘルペスは11.5でしたがだいたいこれくらいは平均的なので問題はありませんでした。

リンパ球を増やしてもらうため、ゆっくり体を休めて心にゆとりを持って欲しいところですが。

2015年11月、トイレの回数が10回に減りました。途中で目をさまさず3時間、5時間と眠れるようになりました。人間らしい生活が戻ってきたように患者さんは思いました。トイレも駆けこむことがなくなり、便の状態も水様便はめったに出なくなり、常に軟便になりました。これに伴って腹痛もめったに起きなくなり、起きても軽い程度でした。

痔瘻だけは依然としてつらいものの、ピーク時に比べたらだいぶ楽でした。腫れて山脈のようになっていたのがだいぶ平地に近くなっていました。布団の上にいる時間のほうが多いものの、クッションをうまくつかえば座って食事や仕事もできるようになりました。

2016年2月、体重が48キロまで回復しました。リバウンドの峠を越えたかと思いましたがやはり一筋縄ではいきませんでした。

2016年3月、硬くなりつつあった便がまたゆるゆるになり、回数も7~8回まで減っていたのが17~8回に増えていきました。就寝してからトイレに起きるのも1回になっていたのが、3~5回に増え、おしりの膿もめっきり減っていたが、ドッと増え、刺すような痛みも復活してしまい、仕事もだるくて終日なにもできないようになってしまいました。

また足に虫刺されのようなものがいくつもでき、むず痒くなっていました。クラススイッチによりアトピーが起こったのです。日に日に増え、ムズがゆかったのがはっきりとかゆくなりました。さらに日を追うごとにかゆくなり、虫刺されのようなものは数百個くらいのブツブツがありました。いままでは、首から上ばかりで、それもめったにかゆくなかったのが、こんなに広範囲に出て、しかも激しいかゆみが出てきました。

耐えがたいかゆみがさらに日に日に激しくなりました。いつも気がつくとどこかを掻きむしり、特に夜は免疫が高まるためか激烈にかゆく、もんどり打ってなかなか寝つけませんでした。湿疹の範囲が足から徐々に体の上に広がっていき腕にも現れてきました。

2016年4月、ブツブツがどんどん増えていき、足から上へ上へと広がり、腰、腕、背中と体中が蚊に食われたようになりました。あと湿疹が出ていないのはお腹だけでした。しかしクローン病の症状は確実に軽くなっていました。

久しぶりに大腸の検査を地元の病院で嫌々受けると潰瘍が少なくなっていました。5年前のものと比べて明らかに少なくなっていたのです。血液検査は、CRP5.7、リンパ球16.9%とここ4年間ずっと10~12だったリンパ球が上がり出しました。CRPも跳ね上がっていましたが、これこそリバウンドによるアトピーの炎症の度合いが出たのでしょう。また好酸球8.3%(前回は0.4%)と上がっていました。アレルギーがあると上がってくるのです。

2016年5月、当院で治療を始めて7年目、アトピーが引っこみました。目で見てわかる湿疹が100個くらいが日に日に消えていき、そして肌がキレイになったのです。かゆみが起こるものの、気も狂わんばかりのかゆさではなく、ときどきポリポリかけば済む程度になりました。

トイレは1日10回強。夜中トイレで起きるのは2回くらいになりました。お腹は1箇所だけ横行結腸の中央やや左寄りがたまに痛みました。おしりはまだけっこう痛い。その後、金銭面的に当院に通う事が難しくなり、通院できなくなりましたが、今年に入って患者さんから欲を捨てたら病気がすこぶる良くなったと報告のはがきが送られてきました。心の持ち方ひとつで難病になったり逆に良くなったりするのです。

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