シェーグレン症候群 全身性エリテマトーデス

全身性エリテマトーデス完治の症例集Part3(コメントなし)更新2021.12.14

投稿日:2021年12月12日 更新日:

こちらに詳細な説明を大量に記述した「全身性エリテマトーデス完治の症例集Part3(コメントあり)」がありますので、難しいですが是非読んで下さい!!

症例報告2例目

治した病名:全身性エリテマトーデス、肺炎、伝染性単核球症、成人発症still症

原因不明の発熱だけでなく、以前から疲れやすく頭痛を起こしていましたが、当院に受診してすべて完治されました。

患者:当時34歳、女性

小さい頃から体が弱く、毎月のように熱を出しては病院のお世話になっていました。2歳で肺炎を起こし入院し、20歳で伝染性単核球症で入院し、のちに症状が改善してきた頃にまた発熱し、今度は成人発症still症と診断されそのまま約1ヶ月入院されました。そして33歳の頃に原因不明の発熱を起こしました。

20歳の伝染性単核球症、成人発症still病で入院されていた約1ヶ月間、毎日ステロイドの点滴をされていました。退院後もプレドニン20㎎を1日4錠から飲み始め1年4ヶ月かけて薬を減らしていきました。当時はステロイドがどのような薬か全く知らず、医者の言う通りにすれば病気は治ると何の疑問を浮かびませんでした。しかし、担当医から「完治はしない。この病気と仲良く付き合っていくことになる。人より疲れやすいから休み休みやりなさい」と言われたそうです。

その後、急性腸炎、発熱が続いたり、検査のため等で5~6回入院されました。大きな病気はなかったものの、首、背中に直径5㎝ぐらいの円形の掻いた後のあざのようなものと、両足膝下と肘にかゆみがあり、それが後に乾癬だったことがわかりました。

それからは症状が抑えられ、何事もなく13年過ごし患者さんは結婚され2人出産されました。しかし、体は疲れやすく、1日予定を入れたら次の日は家でゆっくり休むようにする生活で他の人と同じようには動けませんでした。それでも年に3~4回は熱を出して寝込んでいました。

2013年4月、お子さんが入学、入園と新しい環境の中で患者さんも一緒に緊張し頑張り過ぎて今まで感じたことのない疲れを起こしました。それでも毎日休む暇もなく動き回り、5月末にいつものように発熱されました。市民病院で採血、検尿、レントゲン、MRIなどの検査をされ、皮膚の奥深いところに炎症を起こしていると言われ、皮膚科を受診しそこで深在性エリテマトーデスの疑いがあると診断されました。皮膚の一部を切り取り検査に出す生検手術もされましたが確証たる結果が出ませんでした。しかし症状などから深在性エリテマトーデスの疑いという診断は変わらず、ステロイドの塗り薬を処方され様子を見ることになりました。この時、熱は3週間ぐらい続きました。

その後約1~2週間続く原因不明の熱がほぼ毎月のように出てきました。熱を起こす前は、家事や子供の用事、自分の用事などにより忙しく休まずに動き回っている時に疲れを蓄積し、熱を起こすことがほとんどだったそうです。また子供の夏休みの際に公園に連れて行き、プールで遊んで1日を過ごした翌日、1週間高熱を出してしまうことがありました。のちに大学病院の医者から紫外線が刺激になって熱が出ることがあるから夏は日焼け止めをしっかり塗りなさいと言われたそうです。その際の熱は薬を飲まず、1~2週間ぐらいで患者さんが自力で熱を下げられました。

毎回熱が下がった後、もう絶対大丈夫!絶対熱は出ない!と思いながら症状を繰り返し気づけば半年が過ぎてしまいました。流石に半年も続くと肉体的にも精神的も疲れ、また患者さんが熱で寝込んでいる時はご主人が子供の面倒を見てくれていたので、日常生活に支障が出てくるようになりました。そして12月に大学病院を紹介してもらい膠原病・リウマチ・アレルギー内科を受診され、血液検査の結果が悪くそのまま入院することになりました。しかし、入院した後も熱は下がらず治療は何もせず、検査入院という感じなりました。のちに免疫異常の熱と膠原病による皮膚炎の2つの病気が同時進行していると診断されました。病名は付かず、しかし普通ではない異常な状態であり、このまま症状が酷くなれば、全身性エリテマトーデスか混合性結合組織病になる可能性が高いと言われました。今のままでは日常生活をまともに送れず、もし病気が悪化すると治療方法はステロイドで抑えるだけで根本的な治療ではありません。もう子供とも一緒にプールに行ったり、遊びにも連れて行ってあげられない。こんな病気の母親で子供がかわいそうだとまで思ってしまいました。

そんな時、患者さんの姉が当院のホームページを見つけ出し、患者さんが退院後すぐに当院のホームページを読まれました。すべての膠原病、アレルギーは治ると書かれた松本理論、当時掲載されていた沢山の手記もあり、当院に受診することを決意されました。

退院して次の週に自宅から当院まで1時間弱の距離をかけて家族全員で当院に受診されました。血液検査を受けてもらい、間質性肺炎の数値である肺サーファクタントの数値が正常値より上回っていましたが、全く問題ないことを患者さんに伝え不安を取り除きました。全ての病気の原因は化学物質とヘルペスウイルスであり、患者さんの病気は絶対に治ります!治すのは患者さんの免疫と言って患者さんと握手を交わしました。患者さんは前医に「膠原病は原因不明の病気で完治はない。」と言われ諦めていた気持ちが、病気は治せる!元気になって当たり前の日常を過ごせるようになるのだと目の前が明るくなったそうです。

当院での処方:漢方煎じ薬、漢方風呂を週2回、抗ヘルペス剤、お灸。

2014年1月、漢方煎じ薬と漢方風呂と抗ヘルペス剤とお灸を始めました。漢方煎じ薬を飲み始めてすぐに吹き出物が出てきました。そして子供の頃から酷い便秘だったのが少しずつ解消されていきました。

2~3月頃、冬にもかかわらずパジャマがびちょびちょになるくらいの寝汗をかく日がたびたびありました。痒みも少しずつ増していき、顔がむくんで目が腫れぼったくなりました。その後は足もかなりむくみました。風邪を引いたわけでもないのに喘息のような咳も出てきました。頭痛、めまい、全身の倦怠感がありましたが、抗ヘルペス剤を飲んでもらい、1ヶ月ぐらいでほとんど症状がなくなりました。どの症状も患者さん自身の免疫が上がって元気になる途中なのだと思えば苦にはならなかったそうです。

治療を始めて8ヶ月が経ち、気づけば毎月のように出ていた発熱が起きなくなりました。以前ではすぐに疲れて頭痛がしていたのに、頭痛も少なくなり、疲れにくくなられました。そして7月にはご家族でプールに行くことができ、完全防備で半分以上は日陰で休んでいたものの、次の日には熱も出ず元気に過ごせたとのことです。

痒みと吹き出物などのアトピーの症状が残っていましたが、徐々に改善していきすべて完治され、当たり前の日常生活を送れるようになられました。今では当院に通われておりません。

症例報告3例目

治したすべての病名:全身性エリテマトーデス、

医師への不信感があり、標準治療以外の治療法を調べていた中、当院を見つけ受診され、完治されました。

患者:当時46歳、女性

1988年、当時18歳の頃に全身に蕁麻疹が出て高熱を起こしました。診療所で診てもらうも原因はわからず、環境の変化が原因かもしれないということで痒み止めを処方されました。その後はときどき疲れた時や生理の時に全身ではないもの蕁麻疹が出るようになり、引っ搔いた跡はミミズ腫れが出るようになりました。心拍数も平常時で90台でした。

両親の離婚、その後母親の再婚もあり、患者さんの母親は厳しくインスタント類は禁止、外食も金銭面で難しかったため一度もした覚えはありませんでした。また転校、母親との確執により患者さんがこの病気になった原因が心の問題であるとわかりました。

20代頃、服飾系の専門学校に行く資金を得るために就職されていましたが、この頃から貧血、頭痛、生理痛が酷く、疲れやすくなりました。しかし、薬は飲まないようにされていたのと、寝ると回復されていたことから症状が気になりませんでした。そして専門学校に行くことができましたが、通い出して1年目の終わり頃、体調が悪化し、2年目の通学を断念せざるを得ませんでした。耳の後ろ辺りに脈を打っているような頭痛を起こし、眼の奥や顎まで痛むときもありました。頭痛がひどすぎて髪の毛を触るだけでも痛みが走ったため、脳神経外科にかかり検査を受けてみたことがありましたが、結局、原因不明でした。1年程休学したのち、夜間の部に入り直し、資金が足りなくなったため仕事をしながら通学されましたが、無事卒業できました。

その間、親に反対されながら通学されていたため、喧嘩が絶えず、家から出て、友達のうちに泊まって遊び、寝ずに仕事へ行ったり、仕事の後は専門学校に行き、帰宅後、夜中に課題をこなすなど無理をし続けていました。食事はインスタント食品をよく食べるようになり、夜食にも食べたり、外食も多くするようになってしまいました。生活習慣が乱れ、知らない内に患者さん自身が病気になるように体を追い込んでしました。

2000年、仕事に追われ、休日に遊びに行った翌日には寝込む状態になり、循環器内科を受診してみるも原因がわかりませんでした。仕事先の人に患者さんの汗のかき方や、体力の落ち方などの症状を見て、甲状腺ホルモンを測ってみるといいと言われました。早速、病院で検査を受けてみた結果、甲状腺機能亢進症(バセドウ病)と診断されました。メルカゾールを処方されましたが、通常1日6錠から始め、機能亢進消失後は服用量を徐々に減らしていくのですが、医師の説明不足のため1か月6錠のまま飲み続けてしまい、甲状腺機能低下症になってしまいました。この頃から関節の痛みを感じ始めました。医師に理由を聞いてみても納得のできる説明をされなかったため、甲状腺治療で有名な某病院に転院されました。しかし、薬物療法で前の病院と変わらず、薬の量が減り甲状腺の症状が抑えられましたが、関節の痛みや元々以前からあった筋肉の痛みはますます強くなってしまいました。有名な某病院の担当医に理由を聞いても、「あなたが言われている症状は検査の値には出ていない」の一点張りで、他の医師に聞いてみても同じような返答をされました。

また納得のいかない点がもう一つあり、医師から甲状腺機能亢進症は心拍数が高くなり、心臓に負担がかかるため、治療の1つにアイソトープ治療を勧められました。しかし、結果はやってみないと分からず、もし甲状腺機能が低下して、甲状腺ホルモンが出なくなっても、薬でホルモンを補充でき、一生に見続けることになるがメルカゾールよりも副作用が少なく安心だと説明を受けられました。患者さんは、一生薬を飲むことになっても心臓に負担がかかるのが亢進症よりも低下症の方がマシと言われているように感じ、アイソトープ治療を断りました。

前医による処方:メルカゾール1日6錠。

2010年、当時42歳、筋肉や骨、体中が痛く、仕事も1日持たなくなり、勤務時間や勤務日数を減らして続けられていました。大学病院に受診してみたところ、抗核抗体が80倍と正常値でした。しかし、原因は不明なまま、病気は治すこともできず、治療にはステロイドを使わなければならないことしかわかりませんでした。段々できないことが多くなり、上司には症状のことを伝え少し配慮してもらっていましたが、患者さんの部署には4人しかおらず実質他の人に負担がかかってしまうため、結局、患者さんは辞めることしました。

2012年、42歳の時、以前まで通っていた甲状腺の病気には行かず、薬も最低限の1錠だけ飲み、検査だけ受けることができる病院に通われました。全身性エリテマトーデスと病名が付き、プレドニゾロンというステロイド剤を飲み始めました。ステロイドが良くないことはわかっていたものの、苦痛から早く解放されたかった事と、実家にうつ病の弟さんが常に実家におり、母親からは鬱憤を晴らすように患者さんに当たり続け、患者さんにとっても母親にとっても多大なストレスを抱えていました。体も心も休まることができず、患者さんは自分さえ我慢してプレドニゾロンを飲めばすべて解決すると思っていました。プレドニゾロンを飲むと数日で体の痛みが引き、動けるようになり、また気分が高まって寝なくても元気だったりしたため、改めて麻薬と一緒だと思われたそうです。

前医による処方:プレドニゾロン。

飲み続けて3ヶ月後、足先に痛みが出るようになり、医師には「ステロイドのせいでは?」と言えず、症状だけ伝えると、脱髄が起きていないか調べるため、近畿大学付属病院へ行くことになりました。結果は軽度の運動神経伝達不良と診断されましたが、肝心の痛みの原因はわかりませんでした。それからは病院に行く毎に薬が増えていきました。この頃、患者さんは医師不信になっており、薬を一部しか飲まず全部は飲んでいませんでした。

前医による処方:メルカゾール(甲状腺)、プレドニゾン(副腎皮質ホルモン)、テノーミン(頻脈改善)、足の痛みにリリカ、メチコバール、ヒドキサール、貧血にはフォリアミン、胃薬はオメプラール、セルベックス。

患者さんは、当時、医者が薬屋さんにしか見えなかったそうです。医者がステロイドを処方する際に「人は元々副腎皮質ホルモンが0.5㎎毎日出ているので、15㎎は安心して飲める量だ」と言われましたが、患者さんの心の声は自然のホルモンと人口のホルモンでは全く違いますよねと思っていたとのことでした。また胸にシコリみたいなものができ、痛かったため乳腺外科を受診され、「乳腺に石灰化が起こっている」と診断されましたが、こちらはステロイドを止めるとすぐにシコリの症状はなくなりました。

2013年43歳頃、プレドニンを飲んで1年経った頃、足の痛みが激痛に変わっていました。このまま薬を飲み続けてはいけないと薬を減らしながら他の治療方法を探しました。調べ方を「どこの病院で治せるのか?」で探すのではなく、「なぜ病気は起こるのか?」で調べ始めたところ、当院のホームページに辿り着くことができました。

内容は難しかったものの、今までの病院とは違い、ステロイドを一切使わず、患者の免疫によって病気を治すという方針に、家族同伴の元、見切り発車で当院へ駆け込んだそうです。院内と私の雰囲気が他の病院や医者とは違うように感じて、患者さんはすごくワクワクされたそうです。鍼灸も受けてもらいましたが、初めての鍼灸で初日はすごく疲れたそうですが、気持ちは充実されていたとのことです。

当院での処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、抗ヘルペス剤1日10錠、お灸。

当時はまだ全身性エリテマトーデスの手記が少なかったのですが、症状が似ている人の手記を読んでもらいました。患者さんは手記を読むたびに後悔と反省を繰り返されてきました。不安のあまり、私に相談されましたが、全身性エリテマトーデスよりリウマチの方が重い症状だと思われていたようで患者さんの病気の方がずっと重いと知り、さらにショックを受けてしまいました。また、蕁麻疹が出てくるのは仕事を終えて帰宅しリラックスしている時に出てくるものだと説明しました。

患者さんは部位によって痛み方に違いがありました。痺れ、ピリピリ、鈍痛があり、特に困っていたのは激痛でした。患者さんの場合は足に激痛が走り、何もしていないのに捻挫したような感じにあり、指は突き指をしているような、足裏は硬い物や鋭利なものを踏んだような激痛が時々おこりました。重い物をずっと持ち続けたり、腕立て伏せやスクワットをしたりすると筋肉が痛くなるのは普通ですが、軽い作業でも痛くなっていました。また赤い斑点が体中に出て痒く、顔は太陽に当たると赤く腫れてしまいました。患者さんは当院に受診されるまで太陽光アレルギーだと思っていました。

下記にステロイド服用前とステロイド服用後と当院で治療を受けた際のリンパ球とMMP-3の血液検査の値を載せておきます。

 ステロイド服用前ステロイド服用後(2012年)当院で治療(2014年)
リンパ球30.611.024
MMP-339.179.718.6

リンパ球はステロイドを服用して3ヶ月であっという間に値が減りますが、増やすのには時間がかかります。しかし免疫を上げる薬は漢方煎じ薬しかなく、また免疫を抑えずヘルペスウイルスだけを抑える抗ヘルペス剤のアシクロビル以外、存在していません。免疫が上がって来ているのか、リバウンドが起こり今まで出てきたことがなかった水泡が出てかゆみとチクチクした痛みが起こりました。

治療を始めて8ヶ月、手の関節の痛みがかなり和らいでいました。まだすぐ疲れてしまいますが以前よりも動けるようになっていました。患者さん希望により抗ヘルペス剤を1日8錠に減らしてみたいと言われ、一旦抗ヘルペス剤を減らしてみました。

2014年末頃、親知らずが隣の歯の神経を横から突いていたことによる痛みで夜眠れなくなっていたため、2015年2月頃に抜くことにされました。抜歯した翌日に発熱を起こし、その後は疲労感が酷くなり、1年に計2回ほど高熱を出しました。抗ヘルペス剤を1日12錠飲むように指示すると、抜歯後に今まで痛くなったことのない個所の背中、脇腹、肩甲骨、鎖骨と、元々あった心臓辺りの痛みがなくなりました。昔から生理痛が酷く、普段以上に体が痛く立っても座っても辛い症状もあったため、前回と同じ漢方煎じ薬と生理痛に効く漢方を追加して処方しました。

2016年3月、首、背中、お腹、太腿が痒くなり、クラススイッチが起こりました。徐々に回復していき、のちに筋肉の炎症を最後にすべての症状が完治されました。

今では当院に通院されておりません。

 2013.112014.22014.72014.112015.42015.112016.1
CRP0.05以下0.05以下0.050.050.050.050.05
血沈5545263
抗核抗体80倍     80
抗dsDNA1以下      
VZV31.434.632.530.731.645.344.5
リンパ球13.218.820.221.3212324

症例報告4例目

治したすべての 病名:全身性エリテマトーデス、

膠原病の母親の死をきっかけに当院を受診されました。

患者:当時30歳、女性

学校による多忙と痛みで体も心もボロボロで、19歳の時に足の血管が詰まり、当時膠原病を患っていた母親の通院先の大学病院で全身性エリテマトーデスと診断されました。母親は遺伝したのではないかと落ち込み気落ちされました。それから患者さんは入院されステロイド30㎎の治療から始まり、その後10㎎まで減りましたが、だらだらとステロイドを飲み続けるストレスにより患者さん判断で5㎎まで減らしました。3~4年後、歩行困難になり大学病院の中をたらい回しにされ、全ての科で何もすることがないと言われ、患者さんは仕事を退職し自宅療養になりました。

その頃はどうしていいか分からず落ち込む日々でした。4か月ほどして大学病院からもう一度検査を受けて欲しいと言われ入院したところ、全身性エリテマトーデスから来ている脳に萎縮ということでステロイド60㎎から治療を始めることになりました。当時、患者さんはまだステロイドの恐ろしさを分かっていませんでした。

ステロイドの恐ろしさを理解されたのは母親がきっかけでした。膠原病により母親は大量のステロイドと免疫抑制剤を服用されていました。最初の頃は痛みだけでしたが、帯状疱疹が出始めた頃から入退院を繰り返していました。原因を聞いても担当医からは分からないという答えが返ってきました。そして母親は高熱を出して入院し急変され亡くなられてしまいました。患者さんに身をもってステロイドの恐ろしさを教えてくれました。

母親の死に疑問があった患者さんと父親はパソコンで調べている際に、患者さんの手記から当院のホームページまでたどり着きました。父親と話し合い、母親と同じステロイドに殺されるのは嫌だと父親に言い、命をかけてステロイドを止める決意をされました。

母親のことも相まって感情が高ぶって泣きそうになっていましたが、何度も握手をかわして励まし、必ず治ることを何度も何度も説明して安心させました。漢方煎じ薬と漢方風呂と抗ヘルペス剤とお灸を処方しました。

ステロイドを止めて半年後、関節の痛みからアトピーに変わり、治ってはストレスや前の病院で出されたステロイド剤によりまた関節の痛みを起こしての繰り返しでした。

しかし、例え手と足の皮膚が酷い状態でも血液検査の値は良く、前の職場にも復職できるまでに良くなっていました。

今では症状が完治され、通院されておりません。

症例報告5例目

治したすべての 病名:全身性エリテマトーデス、パニック障害

潰瘍性大腸炎を患っていたお兄さんが当院を受診し完治されていたため、患者さんも当院で治療を行い完治されました。

患者:当時44歳、女性

2011年9月、それまで肌荒れとは無縁だったのですが、顎に赤い発疹(湿疹)ができました。すぐに治ると思いあまり気にされませんでしたが、それから2ヶ月かかっても治りませんでした。当時、東京に住んでおられましたが、実家のある大阪に帰省すると1週間ぐらいで肌荒れが綺麗に治りました。それからは肌荒れのことは気に留めず、大阪で2か月間滞在し、2012年1月に東京に戻ったとたん、また顎と口回りに赤い発疹ができました。

当時は東日本大震災による福島原発事故発生以来、放射能により東北および関東で湿疹や蕁麻疹のできる人が多くなっているとインターネットで見たことがあり、患者さんもその影響だと思い、近々オーストラリアに移住することが決まっていたため、日本を出たらすぐに治るだろうと考えていました。その後、2012年2月にオーストラリアに1ヶ月間滞在しました。オーストラリアに滞在中のその間、顎と口回りの発疹も自然に治まりました。「やっぱり放射能の可能性が高いかも。東京に帰ったらまた発疹がでたりして。」と思いながら1ヶ月ぶりに東京に戻ったとたん、また発疹がすぐに現れました。この時も大阪に戻ればまた治るだろうと考えていたのですが、東京に1ヶ月間滞在したあと、2012年4月に大阪に戻りましたが、とうとう発疹は治らなくなりました。ちなみにこの時の発疹は全く痒くありませんでした。ファンデーションを塗れば目立たず、それまで肌のトラブルが一切なかったのもあり、気長に治すしかないと思い悩んでしまいました。

2012年7月、東京を離れ、大阪の実家に3ヶ月滞在した後、10月にオーストラリアにご主人と2人で移住されました。この時も顎に赤い発疹がありましたが、人から見ると分からないくらいでした。移住してから2ヶ月程たった頃、やはり病院に行って薬をもらう方が早く治るのではないかと思い、病院へ受診されました。その病院ではステロイドの塗り薬と抗アレルギー剤の飲み薬を処方され、その時に病院の先生に「オーストラリアのステロイドは日本のステロイドと違って全く副作用ないから安心してくださいね。どれだけ塗っても体の中に入ることはないから大丈夫ですよ。」と言われたそうです。それを信じた患者さんはステロイド剤の軟膏をそれから9カ月間ずっと塗ったり塗らなかったりを繰り返していました。しかし、それまであまり目立たなかった発疹が、ステロイド剤を塗り始めてからどんどん発疹の範囲が増えていき、数も増えていき、頬の赤みも出てきました。さらに痒くなかった発疹が痒くなってきました。ステロイド剤を塗っている間は発疹が抑えられていますが、ステロイド剤をやめるとすぐに悪化されました。ステロイド剤を塗る前はただの普通の発疹みたいな感じだったのが、白い小さい膿を持った湿疹に変わってしまいました。この湿疹ができる時、ものすごく痒くなりました。

治らないのは何かのアレルギーかと思われた患者さんは、2013年3月に前回と同じ病院でアレルギー検査をしてもらいました。その結果、「SLEとかシェーグレン症候群っていう病気、聞いたことありますか?一生治らない病気なんですけど、あなたはその病気だと思います。けどまだ軽くて値もたいしたことないし、自覚症状も顔の肌しかないし、とりあえず今は何もしなくていいので様子だけ見ておいて下さい。あなた、よく今まで生きてたね。」と言われました。あとはその時の抗核抗体の値が80倍と言われたことだけ覚えていました。思いもよらず、一生治らない病気だと言われた患者さんは一瞬、何を言われているのか分からず、恐怖心を煽られて憤りを覚え、絶対に誤診だと思いました。

その担当医に病気のことを言われたあと、SLEやシェーグレン症候群について色々インターネットで調べましたが、患者さんに当てはまる症状がほとんどなく、当てはまるのは顔の発疹だけだったそうです。あえていうならドライアイは少しありましたが、それは発疹が起きる前からある症状だったこともあり、それほど困るほど乾くこともなかったそうです。

患者さんは誤診だと思い、恐ろしい病気のことを考えないようされました。しかし、その後も発疹が治ることがなく、当時学校に通っていたため発疹と赤ら顔で学校に行くことが嫌でステロイド剤を塗り続けていました。そんな日々を過ごされていた頃、お兄さんから突然メールが届きました。「今から吃驚すること書くけど、全部ホンマのことやから信じてくれよ。」と前置きされていました。

お兄さんのメールの内容を要約すると、お兄さんは潰瘍性大腸を患い、一生治らない難病だと診断され、2年間ほど当院以外の病院で治療を受けていましたが、治療しても全く良くならず、薬の副作用で苦しんでいました。インターネットで色々調べた結果、このまま対症療法を続けても一生治らないと思い「絶対に治す!」と固い決心のもと当院の戸を叩いたそうです。そしてあんなに苦しんでいた病気をわずか1ヶ月半という短い期間で完治させました。お兄さんは病気が治って今では元気に幸せに暮らしています。

ほとんどの薬は免疫を抑える薬であり、飲んだら症状を抑えるだけで薬の効き目が切れると今度は最初の時よりも酷い症状を起こし、また薬を飲んで症状を抑えてを何回も繰り返すだけで、免疫を抑えるステロイド剤や免疫抑制剤や抗アレルギー剤や抗ヒスタミン剤などは使ってはいけないという内容のメールが書かれていました。

東日本大震災以降、新聞やテレビでは本当に知りたいことが報道されておらず、今まで知らなかった原発問題や無関心だった政治のことにもちゃんと向き合おうと思われた患者さんは、インターネットで世間のいろんな利権のことや政府の対応、世界情勢についてずっと調べていたため、お兄さんのいう事はすんなりうなずけました。これを機に患者さんに処方されているステロイド剤のことを調べてみたところ、4日以上使用しないでください。と書かれており、患者さんはそのステロイド剤を9か月も使用されていました。

患者さんはステロイドを断つ決心をし、2013年9月からステロイド剤を塗るのを止めました。すると、すぐにものすごく恐ろしい顔になりました。目の周り以外の顔全体に何千個あるか分からないくらいの湿疹のような白い小さな膿を持った発疹ができ、顔が赤く腫れ上がり、以前の顔の原形をとどめていませんでした。痒くて掻いてしまい、掻いたところから汁が出てきて、この世にものとは思えない顔になってしまいました。震災以前までは肌トラブルが全くなかったため、毎日落ち込んでしまい、外には一切でることができませんでした。買い物などは全部ご主人がしてくれました。ご主人のおかげで患者さんは一番辛かった時を乗り越えることができました。オバケみたいな顔が2ヶ月ほど続きましたが、3ヶ月目でやっとだんだん症状が落ち着いていきました。とは言え、それでも他の人が見たら振り返ってビックリするくらいのレベルだったそうです。しかし、マシになったとはいえ、4ヶ月たっても治らないため、もう一度大きい病院で原因を調べてもらおうと受診されました。

2014年1月、意を決し、大きい総合病院に受診し、検査もしてもらいました。しかし、担当医にはニキビだと言われ、納得できず患者さんはステロイド剤を大量に処方した前医に以前膠原病の疑いがあると言い、膠原病の検査をしてもらうように強引に検査してもらいました。絶対に膠原病ではない確証が欲しかったのです。しかし、結果はステロイド剤を出した前医の診断が正しかったという悲しい現実の確証を得ることになってしまいました。その診断が分かった晩、患者さんは打ち震え、ただ泣くことしかできませんでした。お兄さんに電話し、当院で治療をすれば必ず治るから日本に戻ってこい!と言ってもらい、すぐに帰国し当院を受診されました。

2014年1月24日に当院で初診を受け、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤とお灸を処方し経過をみました。早速、初診から治療を始めて1週間ほどでリバウンドが起こりました。リバウンドが起こるまでは顔の発疹しか自覚症状が無かったのですが、治療を始めてからは体、特に背中がだるくなり、特に朝がだるいため起き上がるのに苦労されました。しかしお昼前くらいにはだるさはなくなり、普段通り過ごされていました。この症状が1ヶ月くらい続きました。またリバウンドが始まってからご飯を食べるとしんどくなるようになり、ご飯が食べられなくなりました。ご飯を食べると体が痺れたりだるくなってしまったからです。しかし食欲はあったため少しだけでも食べていました。この症状も1ヶ月間ほど続きましたが、2ヶ月目くらいにはこの症状はなくなりました。

さらに治療開始して1ヶ月くらいたった頃から寝ている時にすごく喉と目が乾くようになりました。目は瞼がくっつくんじゃないかと思うほど乾いたそうです。喉がカラカラになり、枕元に水を置くことが欠かせなくなりました。これは5ヶ月くらい続きました。しかし喉と目が乾いているのは寝ている時だけで、起きているときはこの症状はないとのことでした。また肩こりとみ足の付け根の関節が広がり痛みがあるとのことで、抗ヘルペス剤を飲んでもらいました。肩こりも関節の広がりもヘルペスウイルスによるものだからです。現在では肩こりもなくなり、関節の痛みもなくなりました。またリバウンドが起きてから、抜け毛が酷くなりました。元々髪の毛が多かったため、患者さんは抜けてもさほど心配していなかったのですが、かなりの抜け毛の量にハゲたらどうしようと思い抜けるのが恐くなってきたとのことです。また発疹がマシな日は抜け毛もマシになっていたそうです。

血液検査を月1回受けてもらっていました。抗核抗体の値は、当院の初診時に受けた時は320倍あったのですが、治療を開始して7ヶ月経った頃には160倍に減少していました。

患者さんが26歳の頃にパニック障害の発作を起こしており、治療を受けていたことがありました。治療後は1回も発作は起こしていなかったのですが、当院で治療を始めてから2週間ほどたった頃にパニック障害が起こりました。本当に苦しくて苦しくて、でも薬は飲むことが難しく、死ぬほど辛かったと患者さんは言っていました。手や足が痺れ、息がしづらく、どんなに深く息をしても肺に空気が入っている気がしないのです。しばらく横になっているとマシになってくるのですが、4ヶ月間ほど毎日こういう状態が続き、患者さんは膠原病の症状よりもこの自律神経失調症の症状の方が辛かったのです。鍼灸治療を受ける際にも呼吸するのが苦しく、うつ伏せになる事ができず、横になったまま治療を受けたくらいでした。ヘルペスの薬で自律神経失調症の症状もマシになるので飲み続けてもらいました。結果、今は苦しくなることもなく、ヘルペスの薬がなくてもパニック障害の発作を起こさなくなりました。

治療を開始して7ヶ月たった頃、患者さんの肌がだいぶマシになり、前まではパっと見ただけで振り返られそうなほど気持ち悪い顔だったのが、ただのニキビ面くらいの程度になりました。今では以前のように綺麗な顔に戻り、友人とも気軽に会えるほど良くなりました。

お兄さんの治療の際にはアトピーが全身に出て2週間で完治されました。患者さんの場合は顔にブツブツとアトピーが出てきました。痒みもどんどん強くなってきました。やっと抗体のクラススイッチが出てきました。完治に向けて1歩でも近づきたいと思った患者さんは免疫をあげるため、当院で処方した薬やお灸、漢方風呂以外でも食生活を変えてみました。朝は無農薬のニンジンとリンゴのジュースを低速ジューサーで作って飲んでいます。散歩をしたり、手作りのヨーグルトを毎日食べていました。患者さんはもう完治されましたがパニック障害も患っていたため、必須アミノ酸と必須脂肪酸の多い食事を採ることを勧めました。食べるものがとても重要と思い、保存料などが入っているものは食べないようにし、外食もほとんど行かなくなりました。産地も厳選していた徹底ぶりです。ストレスはかからないようにし、腹が立ちそうだと思ったら、その件に関しては考えないようにされています。お兄さんがされていたことを患者さんも真似ていました。

SLE患者さんの方に比べて症状が軽かったのもあり、順調に改善されて、今ではオーストラリアに戻り、ご主人と一緒に普通の生活ができるようになるまで完治されました。海外であるため、頻繁に受診できませんが、どうしても困ったことがあれば国際電話で当院に受診し、お薬を日本にいる親族の方から送ってもらうようにしてもらったこともありました。現在では当院に受診されておりません。

こちらに詳細な説明を大量に記述した「全身性エリテマトーデス完治の症例集Part3(コメントあり)」がありますので、難しいですが是非読んで下さい!!

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シェーグレン症候群完治の症例報告Part1(コメントなし)更新2021.12.17

シェーグレン症候群完治の症例報告Part1(コメントあり)に詳しい詳しい説明もコメントしましたので、是非是非読んでください!! 症例報告1例目 病名:シェーグレン症候群、関節リウマチ、再生不良性貧血、 …

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シェーグレン症候群完治の症例報告Part1(コメントあり)更新2021.12.17

シェーグレン症候群完治の症例報告Part1(コメントなし)もあるので良ければ読んで下さい。 症例報告1例目の研究報告 治した病名:シェーグレン症候群、関節リウマチ、再生不良性貧血、ドライアイ 一生治ら …

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全身性エリテマトーデス完治の症例報告Part4(コメントなし)更新2023.11.4

症例報告6例目 完治された病名1)全身性エリテマトーデス 患者:28歳、女性 患者さんが中学生の頃、顔が赤ら顔になり、倦怠感がずっと続くようになり、喘息のような咳が出るようになりました。お風呂にあがる …

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全身性エリテマトーデス完治の症例集Part1更新2021.10.13

世界中でどんな名医でもどんな医者でも治せない極め付きの難病である全身性エリトマトーデス(SLE)を治したのであらゆる病気を治せる医者と豪語することは許されるでしょうか? 許されますね。アッハハアッハハ …