症例報告39例目
完治された病名1)関節リウマチ
患者:40歳、女性
この患者さんも不妊治療により関節リウマチになってしまった方です。
2006年6月頃、突然足の裏に今まで感じたことのない違和感を覚えました。患者さん曰く、まるで足の甲の中に小石が入っていて、それを踏みながら歩いて痛みを感じているような感覚だったそうです。しかし起き上がって歩き出した時のみに感じたためそのままにされたそうです。ですが前日に特にスポーツをしたり、山歩きなどをしたわけではないので疑問を抱えたままでした。
それから2ヶ月経過して8月頃、痛みは相変わらず起こり、さらに右足のかかとと左足のくるぶしが若干腫れてきました。患者さんはかかりつけの病院で血液検査を受けられましたが結果はグレーゾーンで医師からははっきりとリウマチと診断されなかったそうです。しかし3ヶ月に1回血液検査に来るように言われました。また紫外線はリウマチの進行を早めるとのことであまり紫外線に当たらないようにと指示されたそうです。紫外線ではなく太陽の光で体が温まって免疫が上がりヘルペスとの戦いが始まってリウマチの症状が出てくるのです。症状はウイルスや細菌や化学物質を体外へ出そうとしているので決して悪いことではありません。
病院では薬を処方されず湿布を毎日貼り続け、気づけば治まっていたそうです。10月頃のことでした。それから年末まで職場の同僚と旅行で大雪の中をずーっと歩いても足の痛みは起こりませんでした。
年が明け2005年1月、4ヶ月ぶりに血液検査を受けられました。またあの夏の痛みが起こりさらに足の指が曲げにくいと思い始めたのです。結果は陽性反応でした。前回、陰性反応ではなくグレーな反応でしたがリウマチの検査はリウマチでなくてもよくそういう反応が出るから気にしなくて大丈夫、というような話を聞いていたので「この検査、本当に合っているのか?」と思うぐらい患者さんはまったく信じられませんでした。病院から帰った後、インターネットでリウマチの事を調べ尽くしました。そして調べれば調べるほど、不安を煽ってくるよう内容ばかりに怖くなった患者さんは声を上げて大泣きしました。
それから2月から9月まで例に漏れず、内科の医師から県立医大への紹介状をもらい、医大でリウマチ専門の医師に受診されました。医大での血液検査を4回受けられ、結果は陰性が多く陽性になったのは最後の検査のみだったとのことです。しかし痛みは足の裏、膝、手の指、手首に出始めていました。医大では痛み止めとしてロキソニンを処方されていました。また同時期にご友人から行きつけの鍼灸院を紹介してもらい、自宅から電車に乗って往復3時間かけて訪れました。そこの鍼灸師はとても熱心で患者さんの話もすごくよく聞いてくれました。もともと腰痛もあるそうで、鍼は大好きで鍼の効能もよくわかっているつもりでした。しかし医師ではないという事がとても引っかかったそうです。リウマチの経過を診るために血液検査は絶対必要だったので、鍼灸院に通いながら医大にも通うというのは肉体的にも経済的にも、そして何より精神的にとても不安になりました。東洋医学と西洋医学の違いも余計に追い打ちをかけていました。
そんな中、患者さんのご両親が個人で何人もリウマチの患者を診ている有名な医師がいるというのをどこからか聞いてきてその病院に行く事になりました。しかしこの医師は患者さんの話もろくに聞かずに、初診の段階で”ステロイド”を処方しました。一応、薬をもらうも家に帰ってすぐに捨てられたそうです。血液検査も受けられましたが結果も聞きに行きませんでした。この件をきっかけに、誰に自分の病気(体)をあずけるか真剣に考えるようになりました。そしてリウマチは本当に治らないのか、治してくれる医師は日本にはいないのか、以前よりもっと熱心に治療法を探すようになったのです。
初期症状が出て1年数ヶ月、2005年10月、患者さんが松本漢方クリニックのホームページを見つけ出しました。「リウマチが治った」と入れて検索されてヒットしたとのことです。当院のホームページでははっきりと病気は自分の免疫で治せると明記しています。病気の原因や治療法をしかも全て無償で掲載しているところは何処を探しても私しかいないでしょうね!!アハハ!!!最初に患者さんが見つけたのは当院で治療されていた患者の闘病手記でした。そこから芋づる式に関節リウマチの完治の理論と根拠をどんどん読み進めていきました。まさに患者さんの理想とする東洋医学で治す医師免許を持った医師がいたのです。ご主人にも説明してわざわざ休みを取って一緒に松本漢方クリニックへ来院されました。
診断の結果、患者さんは2年熱心に通った不妊治療の時に使われた非常に強い免疫を抑える薬によってリウマチになったことがわかりました。患者さんはリウマチになったことはもちろん、原因が不妊治療だったことに大変ショックを受けられていました。不妊治療を2年続けられましたが残念ながら患者さんは子供を授かることができませんでした。診察後、鍼灸を受けてもらい自宅でのお灸のやり方を説明した後、当院で処方した薬を受け取ってもらいました。当時、患者さんが日常生活で出来なかった事、苦痛に感じた事を思い出せる範囲で下記に列挙しておきます。
・足の指を曲げたり、反らせたりが出来ない。
・つま先立ちが出来ない。
・階段を一段ずつでないと下りられない
・普通なら徒歩 5 分の距離を倍の時間でかかる。(もちろん走れない)
・道路のデコボコをとても感じやすくなる。
・今まで履いていた靴が履けない。
・羽毛の布団なのに、足先が布団を重く感じる。
・膝立てが出来ない。
・立っていると、自分の膝をとても感じる。
・正座が出来ない。
・手首が痛い。(お肉のトレイを重く感じる)
・お鍋が持てない(フライパンが片手で振れない)
・洗濯物干しのピンが硬い(広げるのが一苦労)
・文字を書く時に、指の関節が痛い。
・ホッチキスが止めれない。
・PCのマウスが動かせない。(左手で右肘を支える感じ)
・掃除機をかけるだけで右肘が痛い。
・アイロンが重たい。
・化粧する時、ファンデーションを塗りぬくい。
・眉毛が書けない。
・ブラウスの襟が折れない。
・右肘で右肩を触れない。
治療を始めて2ヶ月が経過し、2006年元旦、大晦日から元旦にかけて年末の会社の大掃除やらお家の大掃除やらで無理したのが悪かったのかリバウンドが起こり急激な肩の痛みに襲われました。なんとも言えない。なにも出来ない。何をしても痛いという状態だったそうです。その日は患者さんの実家へ帰省されていましたが自分でお灸をしようにも腕が上ず、真夜中のことだったので何度も起こすのが忍びなく思った患者さんは明るくなるまで布団の中で泣きながら痛みを耐え続け、ようやく明るくなってきた頃、1Fに降りていって泣きながら母親にお灸をしてほしいと言いました。娘さんのこんな姿を見てどれだけご両親は患者さんの事をすごく心配されていましたが、この急激な痛みは2日ほどで治まったのです。もちろんその後も痛みは起こっていましたが、何も考えられないほどの激痛はとりあえず治まってくれました。
患者さん曰く、今までで一番辛い冬だったそうで、両膝から下、両肩から手首までお灸の痕だらけになったそうです。お灸は毎朝 30 分と仕事から帰ってきて 30 分、仕事に行く前には足湯もして出勤していました。その合間には漢方煎じ薬も煎じて、お風呂も作って漢方煎じ薬は3番煎じまで作ってお茶のようにして1日中飲み続けられました。漢方だけでお腹がいっぱいになるほど飲んで頂きました。お風呂にも雑誌を持って入ったりして少しでも長く入るように心がけてくれました。真面目に飲み続けてもらった結果、冷え性だった患者さんの手足がまったく冷たくならなかったそうです。また、会社の同僚達がインフルエンザで発熱を出す中、患者さん一人だけとても元気だったそうです。
冬が終わって春から夏の間、相変わらず痛みが残っていましたが階段をのぼってもあまり辛くなくなってきました。徐々にですが確実に良くなっていっているのが見て分かるほどでした。
2006年10月、当院の治療を始めて丸1年経過した頃、当院の治療を始めた当初にはできなかったことがいつの間にかできるようになった事が沢山ありました。
・手首の痛みが取れ、肩の痛みもなくなり、膝も痛くなくなりました。
・階段の昇り降りがスムーズになる。
・足の甲の痛みはまだ残っているが、歩けるようになる。
・右肘がまだ曲がって痛むが、痛い日と痛くない日があるようになりました。
そしてついにクラススイッチがおこってアトピーが出てきました!
2007年元旦、腕、足、お腹、背中、首とあらゆるところが痒くなりました。アトピーに消毒薬と薬湯を処方して入ってもらうとピタッと痒いのが止まりました。なので、我慢できないくらいの痒さを味わったのは約2ヶ月ほどの間だけだったそうです。
2007 年春~2008 年春、相変わらず漢方煎じ薬とお風呂、お灸と鍼を続いていましたが、血液検査の結果は確実に良くなっていき、痛みもまったく感じない日が続いていました。あんまりにも痛みがないそうで患者さんがリウマチだったことを忘れそうになるくらいでした。右足のかかとと、左足のくるぶしの腫れ、それに右肘の腫れと曲がっているのはありましたが、日常生活でまったく不便に感じることがなくなったそうです。薬湯を二日に一度に減らしました。2008年夏期休暇にご主人と一緒に往復3時間のハイキングをされましたが、体に痛みが起こることはなく、痛くないのでお灸をサボることが多くになりました。
2008 年 10 月、薬湯を週に1回週末だけに減らしました。まだ右足の甲が痛むようですが同じところに定着する痛みは治りにくいので時間がかかってしまうのです。
血液検査の結果はすべてマイナスになりましたが、患者さんのリンパ球と好中球の値がギリギリ基準値内ではありましたがリンパ球の値が低く、好中球の値が高く、クラススイッチしにくい状態だったのです。