症例報告5例目
完治された病名1)シェーグレン症候群2)橋本病
患者:49歳、男性
例に漏れず、当院に受診する以前に通った病院は地元の北海道から遠く離れた東京と合わせて約50件(300回くらい通院)、受けてきた治療方法の種類も物凄く多かった患者さんです。医者に不信感を抱き、本やインターネットでありとあらゆるものを調べては独学で自身の病気に実施されたそうです。4年間毎日4~6時間程度の時間を費やして病気に関する資料を隅から隅まで調べ尽くし(目を通したサイトは数万件以上)、そしてようやく松本漢方クリニックに辿り着きました。今まで見てきたものより断然秀でて素晴らしく医学的・科学的に分析された見解と意見がまとまっているのに驚愕されたそうです。しかも無料で誰でも見れますからね!そんな医者がどこにいますか?ここにいます!!アハハ!!そして患者さんは2004年3月半ばに松本漢方クリニックを初受診されたのです。以下からは患者さんが当院に通うまでの経緯を綴っていきます。
患者さんは土日を含めて5日も休めず、また帰宅が午前になるのは当たり前という過酷な労働によって強烈なストレスを掛け続けてこられました。上司が最悪で部署内で自殺者が3人出すほど過酷な職場環境だったそうです。またこの患者さんはもともと神経質で仕事に熱心で熱中しやすく、またとても優しい性格の持ち主だったため、精神的身体的にも限界がきて1999年に危うく過労死になりかけました。一命をとりとめたものの過労死をきっかけに様々な症状が患者さんに現れてしまいました。1999年4月~2000年4月までの間に心臓血管系の病院を6件ほど通い、そのうちカテーテル検査を4回受けられたそうです。血液検査では異常なし。
2000年5月、忙しい部署からやや暇な部署に異動になりました。ほっとしたのか1週間後の午前2時頃、患者さんは心臓発作を起こしました。しかしカテーテル検査では異常を認められず、心臓神経症と診断されました。ちなみに心臓神経症とは、自律神経失調症の1つで心臓に分布している自律神経に異常が生じ、心臓を中心に症状が出ることを指します。
部署を異動してストレスが軽くなり、鬱にならないように患者さんの副腎皮質からステロイドホルモンを大量に出す必要がなくなりました。すると免疫が上昇しだし、ステロイドホルモンが止まるまで増殖しあちこちの細胞や自律神経や感覚神経や運動神経に感染しまくったヘルペスウイルスとの戦いが始まり様々な症状が起こったのです。自律神経失調症の原因もherpesなのです。ヘルペスの抗体を調べないので検査しても何も異常はなく原因がわからないため不定愁訴とか自律神経失調症という病名が付けられてしまい無駄な治療が何年も行われてしまうのです。
2001年4月から交感神経優位、セロトニン不足と言われSRRIなどの薬を半年飲み続けた結果、副作用によりアレルギー体質になってしまい、心身症系病院で1ヶ月入院することになりました。しかし退院後、同年10月に心臓神経症の薬SRRI(デパス・パキシル・リボトリール他)の副作用により薬剤性肝臓障害、右顔面麻痺、手指・足指のしびれが現れ、再び入院することになってしまいました。のちに退院後は心臓血管系の病院に通う。
2002年10月、今度はβ遮断薬(テノーミン)で2回目の薬剤性肝臓障害を起こし再入院。すると入院中に異常な痒みを覚えました。γ-BHC、オイラックスを何十回も体全身に塗られて以降、酷い花粉症が出なくなったそうです。2種類の薬は疥癬の治療薬として使われることがありますが、保険診療では適用外となります。しかしオイラックスは例外的に適用薬として処理されることもあります。ですが市販されているオイラックスにはステロイド剤が配合されているものがあるので決して自己判断で疥癬に使用しないでください。γ-BHC (gamma-benzene hexachloride、日本語でガンマ-ベンゼンヘキサクロリド)は有機塩素系殺虫剤であり、農薬や殺虫剤として多量に使われ続けてきましたが、毒性が強くまた異性体の残留問題による土壌蓄積性や健康被害などが問題になり、現在多くの国が使用禁止になりました。疥癬の治療では試薬として使用することができるが毒性が強いので過量に投与してしまうと重大な作用を起こします。そんな2種類の塗り薬を何十回も体全身に塗られていたのです。免疫が抑制されて免疫と化学物質の戦いがなくなり花粉症の症状が出なくなってのでしょう。
2003年3月~5月にかけて首の左右の腫れ、胸・背中・両足に赤い発疹、腹痛、眼のかすみ、眼のかゆみ、日光がまぶしい、不眠、ふくらはぎ・アキレス腱のあたりの痛み、背中・肩が痛いといった症状が起こり、血液内科や免疫関係の病院に通われました。しかし調子が良くなることはなく同年6月に眼、のど、鼻、皮膚の乾燥、肩、気管支、鎖骨、背中のあたりが硬く重苦しさを覚えました。特に食道・気管支のあたりが硬く重苦しく重い逆流性食道炎になっていました。
12月1日と寒い日、右手の指がすべて鷲手(ワシテ)になってしまう。鷲手とは手が麻痺する事により常に指の間接が曲がった状態になってしまい、手がまるで鷲の手のようになります。筋肉が萎縮してしまう病気にかかっていたり、脳等の神経系の病気の後遺症を持つ方に多くみられます。手の指をわずかに動かす事が出来る場合もありますが、物を掴んだり細かい作業を行うのは難しいと言えます。見た目にも異常は直ぐに分かります。また今までは血液検査で異常が見らえていなかったのが、血沈8と前回の2から上昇。抗核抗体40。リンパ球の割合20%程度と免疫力低下。抗サイクログロビリン抗体1.1と低値。TGHA検査で甲状腺に対する自己抗体が陽性。のちに橋本病と言われることになる。
最初、難病センターから紹介され、市立病院の有名な医者のいる免疫内科に行ったところ、血液検査はほぼ問題なしと言われました。その後1カ月後どうしても具合が悪く2回目に通ったところ、「精神科へ行けといわれ、私にはわからないから、大学病院へ行け」と言われた。
次に大学病院に通っていた頃、変わらず血液検査では問題ないが、ベーチェット病・関節リウマチの疑いがあるが、時間がかからないとわからないと言われたのでこの時にPET検査も受けられました。大学病院では、研究媒体として、白血球の種類を検査し、HLA-DR0401、0901と言われ、リウマチになりやすい遺伝子といわれる。
次に、乾燥がひどく、シェーグレンの疑いがあると言われ、シェーグレンで日本一の病院(院長)に見てもらったそうです。シェーグレンは目(シルマーテスト:0~2)、口(ガムテスト:普通の半分以下)、唾液線造影他からほぼ間違いないと言われる。しかし関節リウマチはまだわからないと言われ(血液検査・レントゲンまったく正常)、シェーグレンでも関節痛はでると言われたそうです。頚椎5~6に突起あり変形性頚椎症と言われる。
現在の医療界は、専門分野での診察や治療を行えるがそれ以外だと全く分からないし理解しようと勉強するものも少ないです。専門分野での有名先生ほどそれが謙虚に出てきます。また医者の中にはろくに患者を診察せず流れ作業の様に過剰な薬を恒常的に処方する医者がいます。特に老人は大量に薬を出されますね。患者を治す、病気を治すという真理に基づいて治療を行うべきです。私のようにね!アハハ!!
食前食後の漢方煎じ薬、漢方風呂、抗ヘルペス剤と鍼灸を使い、松本漢方クリニックに通い始めて2~3ヶ月で以前35度程度だった体温が36度近くまで上がり、血液検査にてリンパ球の割合が30%程度に上がりました。両手首、両肘、両膝、両足首といった身体中の痛みが徐々になくなっていき、治療を続けて約1年でほとんどの痛みがなくなっていきました。さらにTGHAの値が正常値になり橋本病が完治されました。ゆっくりではあるものの眼やのどの乾燥、首の左右の腫れの腫れも徐々に軽くなっていきました。
寒いと体の痛みが少し出てくるようで冷やさないに気をつけてもらっていました。また仕事を頑張り過ぎたり、忙しくなった後のホッとついた時に体のだるさなどの不調、眼や喉の乾燥、首の左右の腫れが強くなったため、漢方を多めに飲んで鍼灸と漢方風呂に入ってもらうと数日で元に戻りましたが、仕事をし過ぎてストレスを作り過ぎないように心の持ち方を変えるように移動していました。今は当院には通院されておりません。
症例報告6例目
完治された病名1)シェーグレン症候群2)ミクリッツ病
患者:63歳、女性
2002年、涙腺が腫れ、涙の分泌が少なくなり、目がこすれてゴロゴロして角膜を傷つけ充血されていたため目薬を使っておられました。瞼が腫れて見た目も異様になり、腫れた瞼は重く感じていました。唾液腺も腫れて唾液が出づらくなり、食べ物を飲み込みにくい、口が渇くためしゃべりにくいという症状が起こり、他院にて診断の結果はミクリッツ病と言われたそうです。ステロイド剤を服用して瞼、顎の腫れはすぐ元に戻りましたが、長く服用している間に自身の体に合わないと感じ始め、ステロイド剤の副作用も知り、徐々にステロイド剤を減らしていき7年と長い期間をかけてやっと薬を止められました。
それから4年間は何とかうまく乗り切ったのですが、2009年2月、風邪を引いたのをきっかけに再発してしまいました。前回と同じように涙の分泌、唾液の分泌とも悪くなりました。以前の様にステロイド剤を使わず他の治療法方がないか色々考え、漢方薬で治療を行う所をインターネットで探し続け、松本漢方クリニックを見つけ出しました。
2010年1月中旬に初来院されました。今まで多くのステロイド剤を使ってきたことから治療には時間がかかることを説明し、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方してしばらく様子を見ることにしました。
後日、血液検査の結果、どの項目も正常値からはほど遠いものでした。さらに漢方煎じ薬が患者さんに合わず2回試みましたが、うまくいきませんでした。その上、EBウイルスによる肝機能障害も起きてしまい、5週間ほど薬の服用を中止し自宅で安静にしてもらいました。
治療を始めてもう半年が過ぎていました。7月に少し効き目のゆるやか薬に切り替えて治療を再開しました。今度は患者さんに合ったのか徐々に快調へ向かい、そして2010年9月下旬、血液検査の結果は膠原病特有の抗核抗体の指数値が1月中旬の初診時から全然変化しなかったのが80~40に一変に良くなりました。IgE抗体も最初に4906であったのが少しずつ検査のたびに良くなり今回は2830まで下がりました。(正常値は1700以下)その他の項目も気になっていたものが、良い結果となり、患者さんは大変喜んでいました。少なくとも治療に1年はかかると予想していた患者さんは当院の治療を始めて8ヶ月で効果が表れたことに驚愕されていました。帰宅の為に乗った電車でも家に帰り着いても嬉しくてスキップしたい感じだったようです。一生治らないと言われた病気が良くなったのですから当然ですね。まだ瞼の腫れが残っていたので1年半治療を続けてもらい、元の綺麗な瞼に戻して当院の治療を終了しました。