潰瘍性大腸炎・クローン病 症例報告

潰瘍性大腸炎やクローン病完治の症例報告Part61(コメントなし)更新2022.10.21

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症例報告140例目

完治された病名1)クローン病

患者:18歳、男性

中学三年の4月頃、痔瘻が現れました。常に激烈に痛むほど膿んでいたわけではなく、自転車にまたがるときや排便時に少し違和感を覚えるくらいでした。その頃、患者さんが所属していたバレーボール部は顧問が厳しく、総体に向けてほぼ毎日朝3km~4.5kmの走り込みの後、朝練、放課後も2時間程度練習があり、土日祝日でいろいろな学校で一日練習試合があり、とても大変な時期でした。休む間もなく毎日の練習でかなりのストレスがかかり、この結果、痔瘻という形で症状として現れたのです。

その後、県総体で3位という好成績を収めて引退した8月初旬、食事中に下腹部に刺すような圧痛を感じました。今までの努力が実った結果と厳しい練習からの解放により、肉体的にも精神的にもホッとしてストレスで抑制されていた免疫が活性化し、ステロイドホルモンにより逆クラススイッチが起きて殺しのIgGが化学物質と戦って炎症を起こしたのです。そして食べては倒れ込んで悶え、食べては倒れ込んで悶えを繰り返していました。それからもずっと腹痛は変わらず苦しんでいましたが、受験の年ということもあり、何とかコツコツと勉強されていました。しかし原因をはっきりさせたいということで、近くのクリニックでCTや上部消化管の内視鏡をされましたが、原因は見つかりませんでした。

そして私立の受験が終わった二月下旬頃、病院を変えて受診した際、炎症性腸疾患の疑いが強いということでH医大へ紹介されました。それまではペンタサと一日エレンタールを二包飲むように指示されましたが、患者さんは食事はとれるのに栄養剤を飲む意味が分からず、患者さん判断でエレンタールを一切飲みませんでした。

H医大に行く前に、公立高校の受験が控えていました。お腹を温めるためにカイロを貼った状態で受験に挑みました。患者さんの場合、自覚症状として下痢がなかったのが幸いして何とか受験することができ、無事に合格しました。

そして、三月下旬、H医大のIBD内科を受診しました。診察が終わり、二日後から一週間ほど検査入院をしました。食事に特に制限はなかったものの、小腸ゾンデバリウムの検査が相当きつかったそうです。大腸内視鏡も受け、担当医によりクローン病小腸型と診断されました。その時に、担当医はおそるおそる顔色を窺うようにレミケードを勧められました。しかしレミケードについての説明はメリットしか言われず、また副作用に関する説明はわずかでした。そんな説明でもIBDを特に扱っている病院が勧める治療なのだからと、レミケードの使用を承諾してしまい、初めてのレミケードを打って退院されました。

新年度になり高校に入学してしばらくした後、二回目のレミケードをうちにH医大へ向かいました。一泊二日の入院をされ、レミケードを打って退院した翌日、目が開けられないほどまぶしく、痛みを覚えたので当番医の眼科に行きました。診断は角膜潰瘍とのことで、その時は処方された眼軟膏を塗ってすぐに収まりました。本来なら、この副作用でレミケードに対して少しでも疑問を抱くべきだったのでしょうが、角膜潰瘍もすぐに治ってしまい、以前あった腹痛や痔瘻も消失してしまったので、この後も近くの大病院でレミケードを4回、H医大で打ったのを合わせて計6回打ちました。その間、全く日常生活に支障は出ず、人並みに勉強し部活をし、充実した高校生活を過ごされていました。

しかし、レミケード6回目を終えた高校一年の10月下旬から、手の平の奥のほうに、水膨れのようなものができ、お腹には湿疹ができ始めました。これがレミケードの二つ目の副作用として出現した尋常性乾癬でした。担当医のいる病院の皮膚科にかかると、「これはパラドキシカルリアクション(矛盾反応)だ」と説明されました。尋常性乾癬の治療において、レミケードやヒュミラ等の抗TNF-α製剤が使われる一方で、この薬剤を使うことによって尋常性乾癬を発症してしまう、という全く意味不明なものでした。本当に免疫を抑えるとろくなことがありません。もちろん患者さんもご家族も到底理解できず、疑問を抱えたまま次の治療薬としてヒュミラを使うか使わないか、という選択を迫られていました。

レミケードを投与されなくなり、尋常性乾癬の発症に伴って、当時はステロイド軟膏、ローション、イムラン(免疫抑制剤)、マーズレン、ビオスリー、ペンタサ…と大量の薬を処方されていました。本当に薬漬け状態でした。そして、ヒュミラを使うかどうかを「もう少し考えさせてください」と何度も何度もひっぱり続けました。一月末のバレーの新人戦当日のことでした。父親から私のクローン病の完治の理論と根拠を渡されたのです。

読み進めていくにつれ、他の代替医療とは異なる何か、そして治るかもしれないという希望を感じました。パラドキシカルリアクションに対して大きな疑問が生まれ、今まで自分が受けてきた西洋医学の治療に不信感が募っていた時だったのでなおさらでした。その時、「これで行こう。」何に導かれたか、松本漢方クリニックで治療をすることを固く決意していたのです。

新幹線を乗り継ぎ松本漢方クリニックを受診されました。初めてだった鍼灸治療を受けてもらい、自宅でのお灸の作り方を教えてから診察を行いました。

そして自宅に帰って、翌日からすぐに漢方薬三種とアシクロビルを飲み、お灸をされました。松本漢方クリニックでの鍼灸の施術後から、排便時の痛みが消失してくるのを感じておりました。すると患者さんの痔瘻は松本漢方クリニックに行ってから一週間前後で完全に無くなったのです。レミケード副作用後に痔瘻の治療薬と処方されていたポステザン軟膏(痔)を一本も使わなくて済みました。

しかし、初診から4月にかけて、尋常性乾癬に伴う皮膚の症状はピークに達し、全身の痒み、四肢末端の皮膚の剥落、ヘルペスが殺されたことによる大量の膿、火傷のような熱さ、そしてそれは両耳にも及び、膿により耳が塞がり、聞こえづらくなったりもしました。その他においては、腹部の拍動痛、38度程度微熱が続いていました。睡眠のリズムも完全に崩れて、新聞配達のバイクの音を聞くと同時に眠るような生活でした。腹部に関する症状はまだまだでしたが、皮膚のリバウンドは4月頃が最も強く出現されていました。

その後、栄養管理の面から一度入院されました。一週間程度、病院で維持療法としての補液と三分粥の継続によってCRPが沈静化したのちに退院しました。この時から、一日二包から三包程度のエレンタールを飲み始めました。そして、皮膚の症状がかなり良くなってきているのを実感しました。

しかし、食べたいものに変化があらわれたり、発芽玄米粥を受け付けなくなったりと、再び栄養管理の面で不安があったので、5月中旬ごろから二週間、入院することになりました。一回目の入院と同様、補液をしながら、全粥→潰瘍食三分粥→三分粥と食事の質を上げていく中、40度の高熱が起き、担当医とこの後の治療方針についての話し合いがありました。担当医は、「三分粥で 40度の熱、しかもCRPは7.92という今までにない高値。私はヒュミラを勧めます。」とのこと。熱の正体は免疫が病原体と戦っていることによるものだとすでに私から原因を聞いていたので、熱が出てCRPが上がることはつまり、免疫が復活して戦っている証拠であると患者さん自身も感じていたので、もちろんヒュミラは断りました。しかし、その後の担当医の回診が苦痛だったのでした。漢方薬や鍼灸、アシクロビル等の治療に対してあれやこれやと批判し、しまいには「僕は○大の研究室でIBDの研究をやってきたんだよ!?」と説得されたのです。説得と言えるかどうかはわかりませんがね!患者さんは担当医に何も言い返せず、回診が終わった後、自分のベッドで泣きながら、何度も何度も何度も何度も私の論文を読み込んでいました。結果的には、下手に言い返して栄養管理できないということにならなくて良かったのかもしれませんが。最終的には、エレンタール(一包300kcal)×3とエンシュアリキッド(一本250kcal)×3のみ一日に服用するということで退院しました。

二回目の退院後、もちろんエレンタールとエンシュアリキッドのみで生活するのは苦痛で仕方なく、発芽玄米やおかずなど、様々なものを食べて何とか食欲を満たしていました。しかし、数日後に修学旅行を控えたある日から、便秘気味になり、強い腹部膨満感と拍動痛に苦しむようになりました。修学旅行は行きたいと思っていた患者さんは何とか体調を戻そうと必死でしたが、状態は変わらず、修学旅行をキャンセルするという苦渋の決断をしました。

そんな辛い中、追い打ちをかけるように排尿時痛があらわれるようになりました。これが後の回腸膀胱瘻だったのです。左下腹部に生じる強い拍動痛と排尿時痛、そして逆流性食道炎のような症状も現れ、一睡もできなくなりました。患者さん曰く腹部症状においては、この時期がリバウンドの最たるものでした。熱湯がお腹の中で爆発したような激烈な痛みが生じ、「痛い、痛い」と喚き暴れるほど。そのまま担当医のいる病院に救急で向かうと、CTや採血採尿、腹部エコーを終えて、腹膜炎、それに伴う腹腔内膿瘍、尿管狭窄、水腎症、膀胱、直腸への癒着が見つかり、患者さんは頭が真っ白になりました。ここまでひどいことになっていたのかと絶望しました。膿瘍の状態を落ち着けてからオペをしようとの話があり、そのまま入院されました。そして絶食と抗生剤の点滴、しばらくしてTPN(中心静脈栄養)が始まりました。入院してから数日は痛みも強く、精神的にももうおかしくなりそうで病室の無機質な天井を見ながらただ涙を流す日々を過ごしました。

しかし、そんな時、転機が訪れました。この境遇を嘆いていても仕方がない。このままでは何も前に進まない。ベクトルを、エネルギーを、もう一度自分の力で治すほうに向けていこう。なぜかそんな気持ちがふっとわいてきたとのちのち患者さんが当時の心境を語ってくれました。その時から見える世界は変わり、自分の置かれた状況をゆっくりと寛容していくことができたとのことです。そんな気持ちに応えるように、膿瘍は小さくなり、炎症も沈静化し、なんとオペが見送ることになったのです。今でもこの時オペをすることにならなくて本当によかったと思います。

松本医学と今まで受けてきた治療からいろいろなことを学んだその時、本当に自分自身の免疫の責任、自分で作った病気なんだと実感されました。気持ちが切り替わり、入院の中、何かできることがあるか模索しました。結果、マインドフルネスという吐く息が長い呼吸法を特徴としている瞑想を行って、副交感神経を優位に傾かせ、しっかりと酸素を全身の細胞に届け、免疫力を上昇させるというものを毎日やってみたり、院内の図書館で様々な本を読むようになりました。闘病記や、哲学書、健康法など様々な本を読み、それら全てによって患者さんの多様な価値観を与えてくれたそうです。そして、自分の体の状況なんて大したことはない、大丈夫だと思えるようになりました。

そんな中、オペが見送られた状況で、選択されたのは、夜間経鼻経管栄養(以下鼻注)でした。この段階になって、一度担当医に回診で「よく考えてください!どうなっても知りませんよ!」と激しく怒鳴られたそうですが、患者さんと父親はもちろんヒュミラを断りました。この鼻注の指導には栄養課という別の担当が行うことになり、ここで出会った栄養課の係長さんから鼻注の指導はもちろん、栄養学的な方面からのクローン病のことを教えてくれたりとお世話になったそうです。

退院予定前々日に、尿の中に空気が混じりました(気尿)。担当医の見解では、腹膜の炎症が治まってきたのに伴って回腸から膀胱にかけて瘻が開いたのだろうとのこと(これを回腸膀胱瘻といいます)でした。

その後、泌尿器科に回され、患者さんにとって人生で最も苦痛な検査「膀胱鏡」を受けることになります。その時のことは思い出したくもないほどです。気尿は出る時と出ない時があり、便は一切混じっていないことから、何とか退院の許可がおりました。ハプニングもありながら、様々な出会いや変化があり、患者さんの中で大きな軸が良い方向にシフトされ、体調も体重も戻ってきました。一カ月の長く、密度の濃い入院をやっと終えることになりました。学校にはほとんど行くことのないまま夏休みに突入していました。

三回目の入院を終え、肉体的にも、精神的にもかなり安定し、入院中できなかった鍼やお灸などでの治療をしっかりとするようになりました。夏休み中、気になっていた映画を見たり、少し部活に顔を出したり、旅行をしたり、体調が万全ではないなりにも、夏休みを楽しむことができました。鼻注のおかげで栄養がしっかりと入っているからか元気に過ごせていました。しかし鼻注はそこまで苦ではありませんでしたが、何か固形物を食べたい、という欲求が体調が良かっただけにより一層強く感じストレスになっていました。

8月下旬頃、部活に顔を出した翌日の昼、軽度ではありましたが再び腹膜炎に似た痛みを感じ、一週間程度の再入院になってしまいました。これが四回目の入院でした。

いつも通り?絶食+抗生剤→日中のみのエレンタール→鼻注と徐々にレベルを上げていく中で、きつい下痢や、恥骨にかけて電気が走るような痛みが生じたときがありました。この症状は、アシクロビルをかなり飲んでいた中で起こったものだったので、原因はサイトメガロウイルスだったかもしれません。

四回目の入院から復帰したのは、8月末のことでした。楽しかった文化祭を終え、やっと学校にもぼちぼち行けるようになりました。しかし、休んでいた時の単元はもうとっくに終わってしまっていて、何とかついていくのに必死でした。もちろん体調も万全では無かったので、保健室で休み休み頑張っていました。食事は鼻注だけでなく、発芽玄米粥をメインにいろいろなものを食べていました。

そして10月の中頃、久々のバリウム検査がありました。検査を終えた後、担当医に呼ばれて診察室へ。最初に返された採血結果を見て、担当医は「炎症はなさそうやけど、なんで好酸球がハイ(高値)なんかなぁ」との一言。実はこの頃から、アトピーや喘息など、様々なクラススイッチと思われる症状が出現していたため、患者さんは腑に落ちました。何よりもびっくりしたのは、リンパ球が32%だったのです!三割目指そうと私が言っていたため、患者さんは心の底から喜ばれました。バリウムの結果も、一番悪かったころの結果に比べてぐっと良くなり、瘻孔は消失していました。ただ、潰瘍が治ったことによって、狭窄が生じていました。ですが総じて検査結果はとても良いものでした。

しかし、良かったのも束の間、今度は激しい尿意と会陰部の拍動、微熱によって夜中に救急で病院に向かうことになります。ある意味、リンパ球が上がったからでしょう。前立腺にいるヘルペスに対して攻撃を仕掛け始めた結果でした。各種検査と直腸診の後、急性前立腺炎だと診断されました。その日は朝まで病院でゆっくりと休み、抗菌薬をもらって帰宅しました。

帰宅して二時間後、睡眠の途中、僕は呼吸困難で目を覚ましました。焦って過呼吸になり、吐き気を催し、うめきました。しばらくして、その症状は治まりましたが、良くなった矢先、このような症状が出て涙が止まりませんでした。今思えば、おそらくですが、これは突発性間質性肺炎でしょう。これも熱が出て、ヘルペスをたたいたことによる症状だと思います。改めて完全に殺すことができないヘルペスウイルスの怖さを痛感されたのでした。

腹部の症状で残ったのは腸管狭窄のみになり、食事がたくさんは食べられないので狭窄解除のためのオペをお願いすることにしました。しかし、バリウムから一カ月たってCTをとってみると、三回目の入院ほどではないが、腸管の壁肥厚と尿管狭窄、水腎症が見られました。消化器外科からは、尿管ステント留置を含めた難しいオペになるだろうと言われ、不安を覚えました。手術前の入院の時も、人工肛門、尿管切除になるリスクもあるということを言われました。ただ、この頃から、ここまでいろいろなことを経験してきた自分を神は死なせるわけがない、とよく分からない自信が生まれていました。そして、狭窄部切除のオペを行うことになるのです。これは12月の中旬のことでした。

下剤を飲むのはきつく、手術当日も浣腸があり大変だったそうですが、いきいきとした顔で手術室へ入っていきました。気が付いたらオペは終わっていました。時計を見ると3時過ぎでおよそ6時間に及ぶオペだったようです。その時間の経過が、オペの壮絶さを物語っていましたが、何とか無事に手術が成功しました。狭窄があった回腸と上行結腸は、瘻の通り道になっていた虫垂と合わせて部分切除(合わせて27cm)、膀胱と直腸の癒着部位はくくるような形で処置をしていただきました。その後は、ICUに一日入った後、病室に戻り、ゆっくりとリハビリをしました。腸の切除後は、とにかく歩くのが大事だということを、手記から学んでいたので、ひたすら歩きました。術後2日目で4キロ近く歩いたそうですが、そのリハビリの甲斐あって、かなり良いペースでドレーンが抜け、食事がとれ、と回復していきました。

麻酔の副作用だった眠気からも克服し、とてもいい状態でした。食事も、退院間近になると、クローン病を発症する前のような量のものになり、質もとても満足されました。術後からは二週間かからず退院し、残すところは留置された尿管ステントの抜去となったのです。

退院してからは、オペ以前に比べてかなり良質で量もたくさん食べられるようになり、オペのありがたみを実感しました。症状はというと、腹部の症状はほとんど無く、年が変わった1月にクラススイッチと思われる喘息(術中ステロイドに伴うEBウイルス感染によるものかもしれません)がありました。オペから復活した免疫が頑張っていることを確認できました。食事がとれるようになり、体調もかなり安定したので、学校に行くことができるようになりました。当たり前のように授業を受けたり、友達と話したり、部活をしたりと、そんな一瞬一瞬が本当に喜びでした。そこから2カ月はあっという間に過ぎ、患者さんは出席日数は非情にも全く足りていなかったため、進級できず、もう一度二年生をすることになりました。ちょうどその頃、尿管ステント抜去のための二度目の膀胱鏡を終えました。

それからは、尿管ステントもとれ、本当に健康体になりました。ステントがとれたので自由に運動することができるようになり、バレーの最後の総体を見据えて、ゆっくりと練習していきました。そして尿管ステント抜去から3か月後、広い体育館でコートの上に立ってプレーできるようになったのです。体力はぎりぎりの中でも自分が出せる精一杯を出して、部員全員で一勝をもぎ取ることができました。バレー部も大好きなメンバーで、最後の最後に一緒にコートに立つことができました。何より一勝。これは一生忘れることのない最高の思い出になりました。もう一度高校二年生として、高校生活を過ごしました。無事、症状が完治されたため、当院での治療を終了しました。

症例報告141例目

完治された病名1)クローン病

患者:26歳、女性

2015年5月、毎日、腹痛と下痢に襲われ、一日10回はトイレに駆け込む日々に流石に変だなと思い、病院へ行きました。そして、6月にクローン病と診断されました。「一生治らない病気です」と医師から伝えられ、患者さんは悲観され涙が溢れました。

そこからクローン病について沢山調べて、東洋医学で治る!!という記事を読み、松本漢方クリニックの事も知りました。しかし、遠方の為、愛知県内にある鍼灸院に足を運びました。そこの鍼灸師もクローン病と闘って這い上がって来た先生なので、先生も治ったのだから私も治る!という光がさし、自宅から1時間の距離でしたが、週に1回鍼灸院に通い、完治に向けて頑張っていました。

1年程経つと体調も優れて来て、トイレが10回から5回程に減りました。だいぶ身体的にも楽になり、週1回だったのが2週間に1回、3週間に1回、最後は行かなくなってしまいました。

そこから一年半、クローン病になってから刺激物、お酒は辞めましたが他の物は普通に食べていました。患者さんの場合、特に痩せる事もなく、たまに腹痛に襲われるぐらいで何の変化もありませんでした。

しかし2017年2月、急に足のあらゆる所に赤く虫刺されの様な湿疹が出てきました。しかし痒くは無く、しばらくそのままにされていましたがその斑点は次第にみるみる大きくなり直径10センチ程にまで大きくなっていきました。それと同時に足の関節が腫れ上がり(膝や指の関節)、車椅子状態になってしまいました。

いったん、仕事を休業し、病院へ。細胞を取って検査した結果、合併症の結節性紅斑、抹消関節炎と診断されました。その合併症は4週間程で見かけ上は治りました。

同時に大腸カメラももう一度行うと、一年半前と何ら変わりが無い大荒れの大腸でした。荒れた腸管を見てもっと本気で治療に向き合わなければならないと思った患者さんは、足の経過検診などもあり、病院へ頻繁に通うようになりました。

そこで渡されたのが、ペンタサとエレンタールでした。それから食事の制限をされ、まともな食事も取れず、エレンタールばかり飲んでいました。そして、最終的にレミケードかヒュミラを勧められましたが、「これらを使ってしまうと漢方も鍼灸も効かなくなってしまうから辞めてくれ」という地元の鍼灸の先生の言葉を思い出しました。

患者さんは漢方か西洋医薬かで悩みに悩みました。漢方はすぐに効果がある訳ではない。気長に戦わなければいけない。その間に腸閉塞になる恐れもある。など色々悩みましたが、その答えを出す為にも松本漢方クリニックさんのホームページにあった手記をひたすら読み返したそうです。自分で作り出した病気は自分で治す!自分の免疫力で治す!という言葉が患者さんの胸に刺さりました。ヒュミラやレミケードは免疫を抑える薬。それに伴い、どんどん体が弱くなるリスクがある。そんな怖いリスクは負えないと思い、決意は固まりました。

そして2017年4月、両親ともに大阪の松本漢方クリニックへ車を走らせました。毎日漢方煎じ薬を続けて1ヶ月程、大腸がみるみる良くなっていく事が分かりました。

そして、2018年2月、大分体調も戻り、合併症の再発も無く、便は1日2回程、軟便では無く、普通の硬さに戻りました。休業してから再開した地元の鍼灸院の先生にも「いい調子だね!このままこの状態をキープしたいね」と言ってもらえ、2週間に1回のペースで通い、変わらず毎日漢方とアシクロビルを飲んでいました。今では完全に完治され、当院での治療を終えました。

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