症例報告84例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:38歳
この患者さんは17年前、21歳の時に潰瘍性大腸炎を発症しました。それから松本漢方クリニックを知るまでの間、病院での治療はもちろん、病気に効くといわれる物を片っ端から試してきました。しかしそれでも症状が改善することはありませんでした。もっと早く松本漢方クリニックを知っていればこんなに長い間暗闇の時を過ごすことはなかったでしょう。当院で治療を始めてからは、年に数回寝込んでいたのが嘘のように、たとえリバウンドが起きても寝込むことはなく、日常生活を送れるようになったのですからね!アハハ!世界中の医者が私の真似をしたらいいんです!この世に治らない病気はないのですから!!アハハ!
患者さんが社会人になって1年が過ぎた頃、ご友人と一緒に焼き肉を食べたあと急に腹痛を起こし、トイレに駆け込むと今まで経験したことのない様な勢いの水様便が出ました。その時は肉にあたったと思い、痛みもすぐに治まったので気に留めませんでした。ところがその後も下痢が続き、しまいには拭いた紙に血が付くようになりました。腹痛はなかったので最初は痔かと思いましたが、だんだん出血の量が増えていき、さすがに不安になり休みを取って内科を受診されました。症状を伝え、肛門鏡で調べた結果、痔になっており、出血もおそらく痔からの出血だろうと診断され、患者さんはホッと胸をなで下ろしました。
しかし安心したのも束の間、だんだんお腹が痛くなってきたのです。下血の量も増えていき、再び内科を受診。内視鏡検査の結果は「潰瘍性大腸炎」でした。医師から「この病気は最近増えてきている。完治は難しいが薬でコントロールすることはできる。病気と仲良く付き合っていきましょう。」と言われました。潰瘍性大腸炎と診断されて一番に考えたことは「あぁ。私も母を心配させてしまう身体になってしまった。」ということでした。というのも患者さんには鬱を患っている兄弟がおり、そのことで母親は大変苦労されていました。父親は仕事人間で家族のことは顧みず、家の問題はすべて母親任せだったのです。そんな家庭で、患者さんは母親に負担をかけまいと自分なりに頑張ってきました。なので病気になってしまった時、自分の身体のことより母親のことが先に頭をよぎったのです。
発症する前の生活はストレスまみれだったそうです。家族の問題、就職したばかりで慣れないハードな仕事、職場の人間関係。そのストレスを発散するため、休日はご友人と朝から夜遅くまで遊び、暴飲暴食。食事もファストフードや加工食品など食べたいものを食べたいだけ口にしていました。ご両親にも心配されるほどでした。
こんなに自分の身体を粗末にしていて、おかしくならない訳がありません。そんな生活を続けていたせいか、時々脂汗が出るほど胃が痛むことがあり、その度に胃薬を飲んでしのいでおられました。ストレスで鬱にならないように患者さんの体の中の副腎皮質からステロイドホルモンを大量に放出された結果、DNAの転写酵素に影響を与え免疫を下げ、IgGからIgEにクラススイッチできなくなり胃痛や下痢を起こしだしたのです。そして患者さんの体は心の在り方を見つめ直すための信号という名の症状を出し続けるのです。そんな時にステロイド剤を入れるとますます免疫が落ち、見かけ上良くなっても完治は遠のいていくのです。
それから顔の右側一面に赤い発疹が現れ、慌てて皮膚科へ行くと「ストレス性の発疹でしょうね。軟膏と飲み薬を出しておきます」と、ビタミン剤と消炎剤のような軟膏をもらっていました。
このようにもうずっと患者さんの身体は悲鳴をあげていたのに、その度に身体は必死にけなげに戦ってくれていたのに、患者さんは自分の身体のことにまったく無頓着でした。というより、抱えているストレスにどう対処して良いのか分からず、毎日無我夢中で、身体のことを顧みる余裕がなかったのでしょう。そのような経過があってからの発症でした。当然のことですね。
潰瘍性大腸炎と診断されてからすぐ2週間ほどの入院生活が始まりました。しばらく絶食し、一日中針を刺している状態の持続点滴。入院中は胃カメラや心電図などの検査があり、その後食事は八分粥から繊維の少ない低残渣食へ変わりました。その時に処方された薬はサラゾピリンでした。その頃はまだ粒が丸くて大きく、とても飲みにくかったそうです。
退院後は二週間に一度の通院。半年ぐらいは調子も良く、フルタイムで働けましたが、半年後に再燃。入院はせずしばらく自宅療養されました。この頃からフルタイムの仕事が難しくなりパートタイムにさせてもらい、午後は休むという生活を半年くらい続けていました。が、職場が病院でしたので院長も患者さんの病気がどういうものかは知っており、ついに「仕事を一度辞めて、ゆっくり療養しなさい」とクビになりました。仕事を辞めてからは、失業給付金をもらってしばらく自宅で静養しておられました。
その後、病院で処方される薬がサラゾピリンからペンタサに変わりました。その時の説明では、「ペンタサは新しい薬でサラゾピリンより副作用が少ない」というものでした。最初の頃は一年に2回ほどの再燃で、一ヶ月くらい掛けて緩解というペースでした。
ただ、その後の再燃時の症状が激しく、一日に25回ほどトイレに駆け込み下血の量も増加し、便器が真っ赤になりました。痛みが強烈で、痛みのあまり何度か嘔吐されました。ほとんどの時間トイレで過ごすような状態が続き、もちろん食欲もなく、無理に口にいれるとすぐ胃腸が反応してトイレに駆け込むという状態になり、再入院。
症状が激しかったので、医師からはプレドニゾロンを勧められました。ステロイドは怖いという知識はありましたが、この時の激しい痛みには勝てず、心の中で罪悪感と諦めのようなものを感じながら飲まれました。効果はてきめんで、あれほど辛かった痛みも、1~2日の服用で治まり、下血もなくなりました。激痛から解放された喜びと同時に、これほど劇的に効果が現れるステロイドに恐ろしさも感じていました。
退院してからは、しばらくプレドニゾロン、症状が軽くなればペンタサが処方されました。このころの食事は体調がまずまずの時は油や刺激物、冷たい物を避けた普通の食事、調子が悪いときはエンシュアリキッド(半消化栄養剤)を食事代わりに摂っていました。ただ、このエンシュアは甘ったるい味付けがなんとも飲みにくく苦痛でした。
発病して2,3年経過したある日、突然左の顔面が動かなくなり、神経痛が出ました。病院へ行くと「顔面神経麻痺」と診断されました。同時に左の耳が聞こえなくなる「突発性難聴」も発症。その後激しいめまいで一人ではまっすぐ歩けない状態になりました。立て続けに激しい頭痛があり、我慢が出来ず鎮痛剤を飲みました。
限りなく鬱に近い状況下で「私の体の中で何が起こっているんだろう?」「なんでこんなに苦しい思いをしなくてはいけないの?」「友人達は元気に毎日を過ごしているのに、なんで私だけ?」と自分の人生を恨んでいました。後になって全て体中の神経節で増え続けていたヘルペスウイルスを回復し始めた免疫が攻撃しているための症状と理解できますが、当時の患者さんはただただ辛い症状としか認識できませんでした。
発病して5~6年、相変わらず症状の激しいときはプレドニゾロン、普段はペンタサを服用しておられましたが、その薬もだんだん効かなくなってきました。プレドニゾロンの入った液を注腸する処置も受けようとしましたが、腸にまんべんなく行き渡らせるため、横になって体をゴロゴロ動かなければならいのですが、液が入ったとたんトイレに駆け込んでしまい無理だったのです。さすがに医者も困ったようで気の進まない様子ではありましたが免疫抑制剤(イムラン)を勧めてきました。これはさすがに飲んではマズイと思った患者さんはその薬は捨てました。
それ以降その病院へ行くことはありませんでした。その後、点滴を受けに近くのクリニックへは通っていましたが、2003年を最後に通院をやめました。発病してから7年も経っていましたが、幸いなことに、通院していた7年の間、医師から手術を勧められたことはなかったそうです
病院での治療に限界を感じ、自分でなんとかしてみようと、いろいろ調べ試してみることにされました。病院へ通っていた頃も、図書館や本屋へ行って調べてはいましたが、どれも気の滅入るような情報しか載せられておらず、ストレスになるのでやめていました。(当時、ご自宅にはインターネットができる環境はなく、情報源は図書館か本屋のみだったそうです。)潰瘍性大腸炎に良いといわれるサプリメントや健康食品などいろいろ試すも患者さんには効きませんでした。
途方に暮れていたとき、本屋でA先生の「病気は免疫で治せる」というような本を見つけました。当時の患者さんにとって、この本は唯一の明るい希望でした。A先生の本を買いあさって読みました。そしてA先生の理論に基づいて薬は一切やめて、副交感神経を刺激する物をいろいろと試し、ストレスを溜めないように気を付けていました。
しかし、希望が見え始めた頃に大きな試練がやってきました。家族の中で一番元気だった母親が病気で倒れたのです。余命は3ヶ月と告げられました。それから母親の辛い闘病生活が始まりました。
当時父は仕事で忙しく、兄弟も鬱で看病など出来る状態ではなかったので、患者さんが母親の入院する病院へ片道1時間半掛けて通い看病されていました。これまでの人生の中で、一番辛い日々だったでしょう。心も体もボロボロ、免疫もかなり抑制されていたと思います。体はヘトヘトでも、ほとんど潰瘍性大腸炎の症状は出て来なかったそうですから。母親が亡くなった後は、燃え尽きてしまったのか生きていることが虚しく、何もする気にならず無気力状態だったとのことです。母親がいてくれたことでなんとか繋がっていた家族もバラバラになりかけていました。ケンカが絶えず、またストレスの多い生活になっていました。自暴自棄になって、再び暴飲暴食をしておられました。
2006年、首が腫れ、動かすと激痛が走るので首にコルセットをはめ、トイレと食事以外はほとんど寝たきりの状態になってしまいました。この状態でも病院へは行かれませんでした。行けばまた消炎鎮痛剤などを出されるに決まっている。不信感でいっぱいだったのです。寝たきりといってもこの頃潰瘍性大腸炎が再燃していて、首の痛みにうめきながら何度もトイレに行っていました。その時、お尻に痛みを感じました。40℃近く熱が出て、だんだんお尻が腫れあがり、痛みでトイレへ歩いて行けなくなり救急外来へ運ばれてしまいました。
結果、肛門周囲膿瘍(痔瘻)でした。応急処置の切開ではコップに一杯分の膿が出たそうです。そのまま病室へ運ばれ入院。抗生剤の点滴を受けました。あれほど嫌だった病院へまた戻ってきてしまったと意気消沈されてしまいました。二週間ほど入院し、その後も何度か膿が溜まり、外来で処置を受けました。2008年、口の周りが真っ赤に腫れ、小さな水疱がぽつぽつと出来ました。皮膚科で口唇ヘルペスと診断されました。
2010年、今度は肋間神経痛と坐骨神経痛を発症しました。布団から起きあがるのにも激痛が走るので、30分以上かけて起きていました。当然トイレに間に合うはずはなく、大人用のおむつをしておられました。とても惨めでしたが、次から次へと襲う痛みにもうヘトヘトで、戦う気力もありませんでした。その間、神経痛に効くといわれる漢方薬を薬局で買ってきてもらい服用していましたが、坐骨神経痛には効かず動けないので、今まで拒んでいた痛み止めを飲んでしまいました。この頃の体重は35kgにまで減っていました。
体調が落ち着いてきた頃、東洋医学で治療ができる病院を探しました。県内の2カ所に通いましたが、どちらの医師も患者さんの病名を効くと顔を曇らせました。「病院の薬はいま何も飲んでいないの?」と聞き、「難病だからねぇ。漢方は体調のよい期間を長く維持することはできるかもしれないけど、根本治療は出来ないよ。」と言われ、ガッカリされましたが、何もしないよりは良いかもしれないと半年ほど通っていました。その間またお尻に膿が溜まり、近くの病院で処置を受けました。痔瘻の手術を勧められましたが断りました。この時ステロイドの注入薬が処方されましたが、もうあきらめの心境で使ってしまいました。今思えば、東洋医学の医院に通いながら、他の病院で処方されたステロイドの薬を使うという矛盾した行動をとっていましたね。それほどまでに精神が擦り切れていったのです。すでに限界だったのです。
2012年3月。半年通っていた医院の医師が倒れ、閉院することになりました。医院からは、東洋医学(漢方内科)を標榜している病院のリストを渡され、他の病院を探して下さいといわれました。しばらくいろいろ調べてみましたが、これといったところがなく半分諦めていました。7月に再燃し、食事が摂れなくなったので近くのクリニックへ毎日点滴に通ってなんとかしのいでいました。
なにか突破口のようなものはないのか、このままずっとこんな生活を繰り返していくのか…。ネットでなんとなく半分冗談のつもりで「潰瘍性大腸炎完治」と入力し検索したところ、松本漢方クリニックがヒットしたのです。8月26日のことでした。
「見つけた!!」患者さんの求めていたものが、松本漢方クリニックのホームページにあったのです。私の理論や手記を貪るように読み漁りました。読んでいくうちに、根本的な原因は化学物質であること、本来ならIgEを使ってアレルギーとして排出するものを、ストレスや間違った治療でIgEの働きを押さえ込んでしまったことで出せなくなった化学物質をIgGという免疫を使って排出では殺そうとしているのが、潰瘍性大腸炎などの症状なのだと理解されました。
また理論や手記のコメントに生き方や心の持ち方などを書いており、いかに心が自分の体に影響を及ぼすのか、治癒に大きく関わるのかということを読まれた患者さんは、その通りだと思ったようです。というのも、亡くなった母親の闘病中に精神免疫学の本を少し読んだことがあったのでほんの少しだけ知識があったのと、患者さん自身の考え方がほんとうにストレスを抱えやすいものだったので、まるで自分のことを言われているような気持ちになってしまいました。
居ても立っても居られず、今すぐ行きたい!と思いましたが、その頃は一日のトイレの回数が15回ほどあり、毎日点滴とおにぎりをほんの少し口にするだけだったので大阪まで行く体力があるか不安だったそうですが、幸い自宅から高槻までは2時間ほどで行ける距離だったので、日にちを決めて、少しでもトイレに行かなくても済むように、前日は食事は摂らず点滴を受けるのみにして臨みました。
9月4日、道中フラフラでしたが、久し振りに乗る新幹線にウキウキしながら、無事になんとか松本漢方クリニックにたどり着いたのです。
診察の前に鍼をし、採血を済ませた後の診察時、私がとても元気に笑顔で迎えたことに患者さんは新鮮味を感じました。今までかかった医師はみな無表情な方が多かったからだそうです。いつものことながら何度も「治るでぇ、治すのはあんたの免疫や!」と言い、握手もしました。これだけでも免疫が上がったような気になられたと後に患者さんに言われました!アハハ!詳しい症状を聞いて何度も痔瘻を再発していたので、潰瘍性大腸炎ではなくてクローン病になっていると診断しました。
処方した漢方の煎じ薬を2週間分と抗生剤と抗ヘルペス剤、二種類の漢方軟膏と入浴剤を持って帰り、夜遅くに帰宅されました。体はとても疲れていてヘトヘトでしたが、心には明るい希望の光が一筋差し込んでいました。その日の夜はぐっすり眠れました。翌日の朝、さっそく漢方を煎じて飲みました。今まで飲んだ漢方の中で一番苦い味だったそうでしたが、慣れていたのでそれほど抵抗なく飲むことが出来ました。驚いたのは、飲んだ翌日から下血が止まったことです。それまで少量ながら、3ヶ月近くも下血が続いていました。それが一日で治まったのです。一日15回以上あった下痢も、徐々に減り、5日後には5回にまで減りました。
効果を実感し、俄然やる気が起きてきました。それから毎日お灸をし、近くの鍼灸院で週一回のペースで鍼をうけ、漢方風呂に入りました。心が大事と、昔読んでいた心の問題と向き合う本などをまた読み始めました。
松本漢方クリニックでの治療を始めて10ヶ月後、その間何度かリバウンドがありましたが、症状が出ても免疫が回復している証拠と理解してからは、前のように落ち込むことはなくなり、冷静に受け入れ対処することができるようになりました。痔瘻の膿が溜まりはじめ熱が少しあるときは抗生剤を服用し、神経痛の兆候が出はじめたら抗ヘルペス剤を飲んでもらうとすぐに治まりました。体重も最低だった頃から10kg増えました。
松本漢方クリニックにかかるまでは、症状が出はじめると一ヶ月は家で寝込むことが年に何度もあったのが、今はリバウンドの症状があっても寝込むことなく、日常生活を送ることが出来ています。
患者さんの一番の問題は考え方でした。褒められることのなかった家庭環境と自分自身の努力で何かを達成するという経験をしてこなかったせいか、自尊心が低く、すぐクヨクヨ悩み、自分自身で自分を認めることができないので、周りからの評価で自分の価値を決めてしまうような考え方をしていました。いつも周りの空気をよみ、イイ子でいる。周りから認められている人を見ると羨ましくて仕方がない。くせになっている思考パターンに流される方がずっと楽なので何年もかけて身につけてきてしまった思考パターンを変えていくのは、本当に地道な努力と根気がいります。それでもこの問題に立ち向かい、患者さんは完治させたのです。