前回の続きです!!以下に前々回分と前回分を載せておきますので是非是非読んで下さい!!
「リウマチ性多発筋痛症完治の研究報告Part14-①(コメントあり)」
「リウマチ性多発筋痛症完治の研究報告Part14-②(コメントあり)」
2、幸運との出会いは当院との出会いであった。
身体の痛みが取れ考える余裕ができたので、膠原病や自己免疫疾患のことをインターネットや書店に行き調べに調べた。以前から松本漢方クリニックの事はインターネットで知っていた。他の病院のも調べてた。私だけは医学的根拠を上げ原因を特定していた。他の先生方は自己免疫疾患を否定しておらず原因も特定していない。矛盾した治療が多い。が、治ると書いてある。すべて大嘘です。一般の医学の教科書には自己免疫疾患は自己の免疫が自分を攻撃しているので生きている限り絶対に直せない怖い病気であるからから一生免疫を抑える薬を飲まざるを得ないと書かれています。免疫を絶対押さえないで最高の医者であるすべての人が持っている自分の免疫で治せるという松本理論も完璧であるので当院に来られた自己免疫疾患の何万人の病気を治した証拠も腐るほどあるのです。にもかかわらず私の医療を逆につぶそうと医薬業界は企んでいるのです。そのために今現在苦しみどん底にいます。考えるとムチャクチャな話である。私の論文を読んで凄い衝撃を受けた。免疫を抑制する西洋医学と180度違うので驚かれた。漢方薬で免疫力を上げ化学物質と戦う免疫をクラススイッチさせる。ヘルペスは細胞の奥深くの核に潜伏感染させて閉じ込めるしかない。私には豊富な臨床結果と医学的根拠があり原因を完全に特定している。更に原因がわからない故、誤った症状だけを一時的に消し去り無知な大衆喜ばせる治療が行われ新たな病気を生み出す現代医学。人間の持つ免疫の種類やその偉大さ。食い入る様に読まれた。私のその治療法に何一つ矛盾は無かった。インターネットの私の論文は全て読まれた。解らない用語は調べてメモしたりした。
2011年1月4日松本漢方クリニックで診察を受けに来られた。年末からステロイドの副作用で既に足は浮腫み顔はムーンフェイスになっていた。
私の診察を受けていきなりの私の日本一の大迫力にびっくりした。全てが理路整然とし正論であるとも思われた。孤高の戦士にも見えた。「あんたの免疫が治すんや」この言葉が心に響いた。父親はステロイドすなわち免役を抑える間違った医療によりウェゲナー肉芽腫症となり、腎臓の細胞にもヘルペスが感染して腎不全になり人工透析になった。最後は免疫抑制剤により医者が作った感染症になり敗血症で死んで行った。患者さんは自分のリウマチの発症もステロイド注射が引き起こした可能性があることにやっと気付かれた。
ただ不思議と彼を治療した医師や彼の父親の最後を担当していた医師に怒りは湧いて来なかった。何故ならば彼らは罪の意識を全く持っていないからです。彼らは間違った医療を医者の集団を守る優れた頭脳をもった学び大学の教授と言われるお偉方から医学部で学びそれを実行しているだけだからです。また私が何故今の医療のやり方にそこまでボロカスに言うのか、私はわけの解らない理論がまかり通る医療業界や既得権者と常に戦っているから攻撃的になるのだろうと思われたようですがまさに図星であった。現代の病気はすべて免疫を抑える薬をやみくもに出す医者の作った産物です。
3、治療
治療方法や漢方薬の飲み方はインターネットの彼はすでに治った患者さんの手記を読んでいたのでスムーズに治療に入れた。2011年1月4日からステロイド等の全ての薬を止め漢方薬と漢方湯そして抗ヘルペス剤による治療がスタートした。長男の受験で大変な時に妻に全て漢方薬の煮出しをやってもらった。奥さんの治療に対する理解と献身的な介護がないかぎり耐えられなかったと彼は思った。会社には治療がかなり時間がかかり迷惑をかける事を報告した。1月6日朝起きると身体中強ばり全身にガラスが刺さっているようなヘルペスとの戦いに特徴的な痛みに襲われた。リバウンドが始まった。他の私が治した患者さんの手記である程度予想していたが想像を絶するものだったのは重症な他の患者さんと変わらなかった。
Herpesによる頭痛と耳鳴りがひどくベッドから起き上がる事も寝返りさえ出来なかった。トイレも奥さんの付き添いがないと行けなかった。ただ痛みに耐え自分の免疫が自分の為に戦っていると自分に言い聞かせた。痛みより眠気のほうが勝つのを知った。正に「人間痛みで死ぬ者はいない」である。完治に向けて治療がスタートした。
他の患者さんの手記を読んで一番知りたかった事は治療にどれくらい時間がかかるかだった。痛みに耐える覚悟はできているが一番不安なのはこの痛みが一年なのか二年なのかと言う事だった。不安で患者さんの手記の中の日付を必死に目で追っていた。私は病気を治す原理はどの医者よりよく知っていますが勿論自死でもしない限り必ず自己免疫疾患で死ぬことはなく自分の免疫で治せるのも知っていますがいつ治せるかは自分の免疫に聞いてくれと答えています。
人それぞれ症状が違うし、いつ免疫がクラススイッチするか誰もわからない。患者さんに藪医者が投与したステロイドはトータル100mg強。あとアザルフィジン三週間とリウトマレックスニ回分あと注射が四回でそのうちステロイド入りが2回だった。
1/4 | 1/19 | 2/1 | 3/2 | 4/7 | 5/9 | 6/1 | 7/6 | 8/4 | |
CRP | 2.28 | 3.04 | 4.54 | 2.10 | 2.45 | 2.25 | 1.49 | 1.03 | 0.66 |
RF | 36 | 46 | 49 | 26 | 24 | 18 | 17 | 12 | |
血沈 | 25 | 61 | 33 | 36 | 31 | 21 | 14 | ||
リンパ球 | 22.9 | 16.3 | 19.7 | 24.4 | 24.7 | 23.7 | 24.4 | 30 | 28.7 |
IgG | 1009 | 1374 | 1403 | 1334 | 258 | 1175 | 1128 | 1107 | |
水痘帯状ヘルペス | 7,4 | 7.2 | 6.5 | 10.8 | 10.6 | 13.5 |
上記の通りステロイドをやめた後リバウンドが始まりCRPが一旦上昇しリンパ球も減少したが血沈もRFもlgGも上がっている。その後CRPがやや横ばいをしてlgGの数値が減少し血沈、RFともに下がって来る。リンパ球も上昇しアトピーが出現してクラススイッチが始まり一挙にCRPが下がって行く。
1月、まともに歩けず会社から帰ってただ横臥し2時間ごとに痛みで目が醒めた。唯一漢方湯に入っているときが痛みから解放される時だった。凄い寝汗と全身の痛み、更に会社に出社するとひどい頭痛に襲われた。凄い寝汗と全身の痛み、更に会社に出社するとひどい頭痛はすべてヘルペスによるものです。世界中の医者は誰も知りません。抗ウイルス剤のアシクロビルが効き頭痛が納まると随分楽になった。2月、シャツのボタンも付けられないぐらい指が痛かった。ただ足に痒みがでて風呂でボリボリ痒いていた。アトピーが出現したのでリウマチの漢方薬と痒みを出す漢方薬が加わった。耳鳴りはひどかったが頭痛も軽くなり食欲も出てきた。身体の痛みは相変わらず取れなかった。3月に入り寒さも和らいだ頃身体の痛みが少しずつ薄皮をはぐように楽になっていった。痛みを飛ばす為にお灸をこまめにやった。お灸をすると火傷が起こりそこに免疫が集まる。自分でお灸をしながら痛みが無くなるたび先人の偉大さを彼は身を持って感じた。4月、5月が一番長く感じた。正に臥薪嘗胆、大きな進歩もなく日々痛かったり楽になったりを繰り返しながら過ごした。階段の上り下りが一段一段休みながらでないと出来ず当院に来られるときも一苦労だった。週二回鍼灸に通った。鍼灸の先生に特にしんどい所を訴えながら鍼と灸をしてもらうと身体がうそのように楽になった。常に励ましてもらい治療中の慰めにもなった。他の鍼灸院にも行ったがやはり松本漢方クリニックのように理論的にわかっていない先生では効果が上がらないと思いやめた。6月の半ば鍼灸の治療をしていて鍼灸の先生からアトピーの発疹が出ていると言われ、「今日はパーティーですね」と言われた。確かに腰あたりが無性に痒くなっていた。IgGが1gEにクラススイッチし始めた。
脇の下や背中に痒みの発生が広がるごとに身体中の痛みが嘘のように楽になってきた。何回も読んだ私の論文「リウマチ性多発筋痛症線維筋痛症の完治の理論」が自分の身体の中で現実のものとなり私の理論が正しいと証明された。7月に入るとCRPも1.O3になり階段の上り降りも楽になり車も長距離でなければ運転できるようになった。大病院に行かず漢方治療を選択した患者さんに懐疑的な目を注いでいた周りの人達も回復ぶりに驚嘆していた。
水痘帯状ヘルペスの価は上がったり下がったりで仕事で疲れた時など免疫が働き首や肩の動きが極端に悪くなる。抗ウイルス剤は1ヶ月で1週間分しか保険適用できない。あとは自費になる。費用負担は増えるがヘルペスを抑え込むため200日以上毎日飲み続けている。頭痛がなくなり。耳鳴りも治まった。大きく深呼吸した時、両手両腕に痛みがピリピリ走るような症状も6月ぐらいには無くなった。現代のすべての病気はヘルペスが原因であるにもかかわらず抗ヘルペス剤を保険で認めないのはなぜだか知っていますか?すべての難病が治ってしまうと医薬業界は破綻してしまうからです。
CRPは0.66となり身体中の痛みはほぼ無くなった。背中全体が痒くかきむしっている。右肩がまだ完全に上がらない状態で稼働範囲を広げる努力をしている。両手にお灸を毎日やっているし二種類の漢方と漢方湯や抗ウイルス剤も飲み続けている。失った体力と筋力を取り戻すため毎日出来るだけ歩くようにしている。日常生活に支障をきたす事は段々無くなってきた。家庭にも笑顔が戻ってきた。完全に元の身体になるには治療は続くと思う。暫くは私の世話にならなければならない。
今現在彼は全身の絶え間ない痛みから解放された。ステロイドを飲み新たな病気に怯えながら生きていく陰残な日々から明るい人生を取り戻す事が出来た。私がよく患者さんに言うのは「そこらの医者は病気つくりの名人だがあんたの免疫がずっとえらいんや」をまさに身を持って彼は経験され世界中のどんな医者も治せないリウマチ性多発筋痛症を自分の免疫で完治された。最高の医者は自分の免疫であることをまたもや患者さんが証明してくれました。ありがとうございました。
彼がいまでも悔やんでいるのはすでに亡くなられた父親の事だ。田舎に住む年寄りが一軒しかない医院の医師の言うことや治療法に疑問を持つ事はなかっただろう。もっと早く私の松本漢方クリニックのことを知っていれば死なさずにすんだのにとお父さんを思い返すとやりきれなくなると言っています。患者さんや彼の父親のような膠原病の患者は多い。関節リウマチだけでも推定70万と言われている。一年で一万人以上の患者が発症していると言われている。ほとんどの患者は以前の彼の様に原因不明と言われステロイドによる治療をしている。身体から痛みを取るため免疫を抑制し新たな病気になって行く。痛みは確かにいやなものである。免疫が身体を治す為に戦っている証明であるとわかれば少々のことは耐えられるものだ。彼は23歳の時十二指腸潰瘍から吐血しある製薬メーカーの胃酸を抑制する薬を10年以上飲んだ。
ところがピロリ菌が発見され除菌により治ってしまった。その後除菌は保険適用となりその胃酸を抑制する薬は特許が満了し普通の薬局で市販されるようになった。彼のようなピロリ菌による潰瘍患者はそれまでは胃酸を抑制する薬を保険を使い大量に投与された。穿った考え方かもしれないがその薬の特許満了と除菌の保険適用が妙に合っているように思われました。そうだとしたら製薬メーカーにとってこんな美味しいマーケットはなかっただろう。ステロイドの投与も何か同じような構図があるような気がする。私がいつも言っているように通り病気には薬がつきものでこの薬により巨額の金が動く。製薬メーカー、大学病院、医師会など巨大な組織が原因不明を放置して痛みを取るという甘い言葉で健康保険を使い薬を出し、それが既得権になる。そうなると原因不明が都合良くなるわけで膠原病治療は製薬メーカーにとって大きなマーケットになっているだろう。そんな巨大な既得権者には真実は邪魔なものなのだ。これが資本主義の根本原理なのだ。
そんな医療業界で組織に対抗し真実を追求する気骨のある医師は彼の知るかぎり松本漢方クリニックの私しかいないのも私自身が一番よく知っている。9歳の時の事故のために16歳からherpes脳炎が発病し以後地獄まで落ちていったにもかかわらず日本を代表するいくつかの大学の附属病院の医者の誰一人診断さえできなかった藪医者に絶望して自殺を断念して三つ目の大学である京都府立医大に入りなおしても大学のすべての医者はヘルペスのことは何も知らなかった。あらゆる医学書にも私の病気の原因であるヘルペスについては一行も書かれていないのに絶望して自殺を何回試みただろうか。今の今もherpesがこの世に最後に残るすべての病気の原因であるのに誰も言わないアメリカの資本主義医療のシステムを変えるにはどうすればいいのでしょうか?さらにその私の医療が潰されそうになっている窮状をどうしたらいいのかもがいているだけです。自分のherpes脳炎とおなじくヘルペスで苦しんでいる病人を治したいという思いだけで77歳になった今でも勉強をさらに続け臨床も頑張ってやり難病を治しています。このような真実を知っているこのような患者さんに私は支えられているから頑張れるのです。
この患者さんは運よく松本漢方クリニックの私の医療に出会うことができ、わずか半年で全身の極度の痛みから解放されリウマチ性多発筋痛症の完治ができた。私の治療の正しさを患者さんの立場から少しでも病気を治す真実が人目につくよう世に発信する人たちが増えることを望んでいます。病気を治させてもらってありがとうと言いたい患者さんがさらに増えることが唯一の望みです。
それがいつも私が言う「私の真実を信じてくれてありがとう」の意味なのです。
この患者さんは間違った医療を受けた時間が短く膠原病の中では治るまでの時間がかなり短かったと言えます。最後に伝えたいことは患者は全て医者や医院に任せるのではなく、自らも勉強し病気の意味を学び賢くなることが大切であるということです。「真実を学ぶこと」これも人間のもつ大きな心の免疫の一つなのです。