潰瘍性大腸炎・クローン病 症例報告

潰瘍性大腸炎、クローン病完治の症例報告Part13(コメントなし)更新2022.3.13

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症例報告31例目

完治された病名1)潰瘍性大腸炎

患者:43歳、女性

慣れ親しんだ関西を離れ、嫁ぎ先の土地柄の違いになかなか慣れず数年が経ち、2013 年10 月、春からお嬢さんを保育園に入れてようやく復職されましたが、やはり独身時代のそれと子育てをしながらパートとして働くことは全く違いました。長年勤めていた同じ職種の金融機関で働き出しましたが自分のことだけでなく家族のこと、娘や義父、義母の病気などで急に仕事を休むことが発生して、次に出勤した時には平謝りばかりし、心無いことも多く言われ、ストレスがパート勤務開始によってさらに増幅しました。それだけが原因ではないのかもしれませんが、気づいたらその頃からガスが強烈に臭うようになりました。

同年11 月、どうしても仕事を続けたかった患者さんは「何とか馴染もう」、「イヤミを言う人ともうまくつきあっていかなくちゃ」と何とか頑張っていました。しかし頑張り過ぎてストレスが溜まってしまい変わらずガスが臭いままでした。そして、立派なぐらい大きくて快便だったのが、だんだんそんな偉大さもなくなり、柔らかく、少しずつ細くなってきました。

2014 年1 月下旬~2 月、臭いガスは相変わらず続き、やわらかい便が出る頻度は減っていきました。

ご主人の妹の一周忌をつい2週間前に済ませたばかりの頃に、車で小一時間のところに住む義父が突然倒れ、大動脈解離により亡くなりました。その後は生活が一変されました。大変だった田舎のお葬式、見たこともない知らない親戚の方の多さ、田舎のしきたりに基づいてお葬式でやることの多さ。その地から出てきてしまっている患者さん夫婦にとっては、わからないことだらけでした。村の組合の方にたくさんお世話頂き、無事済ますことができましたが、悲しみに明け暮れているヒマもありませんでした。さらに一人残された義母の今後のことで悩まされました。リウマチがひどく、外を歩くのもおぼつかないのですが、家業をやっていることもあり、そのお店を続けたい義母の気持ちを考えて患者さん夫婦で協力して何とか手助けしていくことに決められました。生き甲斐のお店を閉めてしまったら義母がもう生きる気持ちもどんどん無くなってしまうかもしれないと思ったからです。しかし、サラリーマンだったご主人は、義父を失った大きな喪失感により今までと何ら変わりなく普通に会社に行く日々を送くりました。それが精一杯だったのかも知れません。

患者さんは金融勤めが長かったため、相続手続きには期限があること、そしてご主人のような複雑な家柄では、それはとても大変な手続きになるとわかっていたので、義父の個人、お店の事業の名義書き換えなども多大な労力を要するので、早く取りかからないといけないとの思いでいっぱいでした。ご主人も「そんなに大変だったら僕がやるよ」と言ってくれたものの、そんな兆しは全くありませんでした。この頃には患者さんもパートを始めて半年近く経とうとしていた頃でした。

さかのぼること11 月、仕事中に配送業者が運んできた重い大きなダンボール数箱が、患者さんの足に落ち、松葉杖状態となるほどの捻挫をされました。そして1ヶ月以上経っても治らず、しかし休みにくい職場だったので無理をして出勤しさらに立ち仕事をメインに働いていました。そんな状況下で法事やお葬式を済ませと、本当に次から次へと難問が降りかかり、心身もろともヘトヘト状態でした。ご自身でも限界だとわかっていたものの、頑張り過ぎていました。

この頃から、患者さんの便が本格的におかしくなってきました。固形物、やわらかいものを含め、全く出なくなり、代わりに『痰』のような物がぽこぽこと出てくるようになったのです。初めは白色でした。日によっては黄色っぽかったり、ピンクだったり、とにかく『痰』のようなものしか出ない状態が2週間以上続きました。頻度的には 1 日に 1~2 回。そしておならも出なくなっていました。おならが出るかと思ったら同時にこの『痰』のようなものが出てしまい、下着を汚すことも度々ありました。着替えの回数もとても増えました。これは絶対におかしい!!と、近くのかかりつけ医の所に行くと腸炎に効く薬4日分が処方されただけでした。しかし全く状況が変わらず、今後は紹介状を持って大きな病院に行くことになりました。

2014 年2 月下旬~3 月

検査に二週間待たされている間にインターネットでいろんな言葉で検索をしては色々調べていました。患者さんは症状がほぼ一致の『潰瘍性大腸炎』ではないだろうかと予想され、結果は案の定『潰瘍性大腸炎』と診断されました。

ここから毎日の飲み薬と注腸が始まりました。初めて出されたのはペンタサ錠250mgを 1 日3錠でした。2週間ほどしても効果がないことを告げると、ペンタサ錠は500mgを1日6錠+プレドネマ注腸20mg60mlへ変更になり、まずは1週間の様子見。そしておかしな便がだんだん改善され、通常の便の形に戻ってきたように感じたので、薬がなくなる頃に再度診察へ行き、このまま同じ薬の処方をしてもらいました。さらに1週間分でした。

しかし、ちょうどこの薬を使い始めて10日~12日過ぎた頃から、だんだんと膝、足の付け根など、下半身に痛みが走るようになっていきました。痛みは日々ひどくなり、家の中でも立っているのがやっとでした。階段の上り下りは這いずって行うという風になってしまいました。

またもや「これはおかしいっ!!ネットでみた副作用にこういうの書いてあった!!」と思い出し、すぐに次の日に予約ナシで診察を受けに行きました。前日よりも痛みは激しくなっていて車に乗り込むのもやっとでしたが、車がないと生活が難しい地域だったので、何とか頑張って運転して病院にたどり着きました。車いすに乗せてもらってやっと診察を受けました。医師がからは、そんなキツイ薬ではないし、副作用も私の反応事例はとても率が低いので薬のせいかはわからないが、それでも10日過ぎた頃だとその可能性もあるし、薬も合う合わないがあるので、では薬を変えてみましょうか、とのこと。3月の半ばから飲み薬もなくなっていたので、直腸型なので注腸のみで様子を見てみましょうということで、ここからペンタサ錠+プレドネマ注腸がペンタサ注腸1gに変更になりました。

2014 年3月下旬~4月

3週間ほどが経ち診察の時期がきました。便は、便なのか何かがわからないような状態で血が出たり、また水溶性の便が出たりの状態になっていました。回数的には1日に5~6回、ひどい時で10数回ぐらいでした。そのことを医師に話すと、飲み薬も追加になりアサコール400mg、1日6錠が加わることになりました。

2014 年5月

また1ヶ月ほど続け、その間血便が出る回数はめっきり減り、粘便もなくなってきて軟便ぐらいにまでなってきていました。たまに固形便も出るようになり、便秘になったかのように感じるときもあれば治ったのかなと思うほどの普通の便が出ることが数日続くこともありました。

また診察の時期がきたのでその状態を話し、「アサコールが合っているようですね・・・このまま少し薬を増やして抑えていきましょう!」と言われました。アサコール400mgは6錠→9錠へと変更になりました。ペンタサ注腸1gは変わらずの毎日です。

患者さんは薬漬けになっていくのは嫌だと思い、「状態が良くなってきつつあるので薬は極力飲むのを減らしたいし、注腸ももうしなくてもいい気がするんですけどだめでしょうか?」と聞きました。医師は「そうですね、ただこの病気は今は抑え込む、抑え込む・・・の対処法しかないのでお気持ちはよくわかるんですが、腸内の炎症がこれ以上広がらないようにする為にもお薬は飲んでもらって、注腸は必ずしてください。どちらかというと注腸の方が大事です。」と言われました。

西洋医学から見たこの病気に関する情報しか知らなかったこの時の患者さんは、医師にこう言われると「はい・・・」としか言えませんでした。

2014 年5 月下旬~6 月

言われるがまま飲み薬が9錠に増えてから1ヶ月が経ち、またもや診察の時がきました。3月からは牛乳、コーヒー、お菓子類、パンは食べず、生野菜は避けたほうがいいとは言われていたので温野菜を中心に食べていました。するとほとんど普通便が出る日々になっていました。大きさも立派で、「もう治ったんじゃない?!」と思うような毎日を過ごしていました。しかし、これはステロイドよって一時的に症状が見せかけ上に良くなっただけで、ステロイドが切れてしまうとさらに悪化して症状がぶり返してしまうのです。

このことを医師に告げ、もう薬も注腸もなしでいきたいと言ってみたものの、薬は続けてもらわないと今の状態を維持できるかわからないと断られました。また「悲しいですけどこれは難病なんで、そう簡単には治らないんです。」と改めて『難病』と聞かされ大変ショックを受けられました。ステロイドによって一時的に元気になったとはいえ、医者から「難病」と言われ患者さんは本当に悲しくなりました。今度の診察は2ヵ月後になり、薬もいっぺんに2か月分の処方をされました。注腸だけでもダンボール2箱の大量の薬を持って帰られました。

2014 年7月~8月

注腸を毎日やっていましたが、1日やり忘れたことがあり、それを機にそのうち3日に1回。1週間に1回という感じで使わなくなってきました。以前に違う名前の注腸でしたがひどい副作用を経験したことがあったため使わなくなったのです。しかし、飲み薬だけは毎日飲みました。食事も何が良くて何がダメか調べたものに書いてあることはあくまでも参考程度にし、自分の身体と相談しながら食事をされました。

この2ヶ月間で、最初は固形状の便から徐々に便がまた柔らかくなっていき、しかも手の指ぐらいの細いものになり、よく見ると出てきたものに筋がつき、腸の途中のどこか細いところをくぐって押され出た感じのようなものが出るようになりました。そして何よりこの小指ぐらいしかない便に戻っていることにまたショックを受けられました。そして下痢になる回数も増えていき、また血便か出る頻度が増えてきました。そして便も少し黒く見える時がありました。しかし患者さんはなんでこうなってしまったのかは察しがついていました。

7月下旬から10日ほどの予定で患者さんのご両親が泊まりにきていました。一筋縄ではいかない家族問題に加え、ここ数年で老々介護状態に発展していたため、少しでも違う空気をとの思いで連れてこられたそうですが、見事にその思いも覆される出来事ばかりが起こり、鰥寡さんのストレスがまたどんどん蓄積していったのです。

8月末。前回から2ヵ月後の診察がやってきたので、体調の事を話し、ちょうど発症してから半年経過していたため再度大腸カメラでの確認を受けることになりました。そしてまた1か月分の薬を処方されましたが、注腸をサボりがちになってしまい、薬をもらって帰ろうか相当迷いましたが結局そのままもらって帰ってしまいました。

2014 年9月初旬

かかっている大病院ではなく、その近くにある開業医さんでカメラを受けることになりました。そして一週間後の結果。「あなたもう直腸型じゃないよ、S字結腸にまで拡がってるよ!!」と言われ、患者さんは大変ショックを受けました。炎症が広がっていることがわかり、患者さんは当院へ受診する決意を固めました。同年6月ぐらいからネットでいろいろ調べまわり、思いつく限りの言葉をそこかしこに検索してはひっかかって出てくるサイトを読み漁っていました。そんな中、『潰瘍性大腸炎完治』、『潰瘍性大腸炎は必ず治る』が書かれた私の論文が目に入り、食い入るように読み進め、他の論文もサーフィンして、漢方治療を受けてみようか、との思いがその頃からだんだん出てきていました。病気は本当に治らないのか、薬漬けになる以外何かあるんじゃないか・・・と疑問と可能性に感じた賢い患者さんだったからこそ、私の松本漢方クリニックのサイトに辿り着くことができたのです。

なので、すぐさまこのカメラをしてくださった開業医の医師に、「先生のところは漢方治療をされていますか。できればこの炎症を抑えるのに使う坐薬もステロイドが入っているでしょうから使いたくないんです。すみません。」と伝えました。このまま西洋医学の病院に通い、症状が良くなるどころか悪化するぐらいなら、免疫を高めて症状を完治させる漢方治療に転向しようと本格的に決心された時でした。

2014 年9月中旬

通う前に松本漢方クリニックのサイトを熟読し、理論にとても納得され腑に落ちるものがありました。医学的な言葉はすごく難しいところですが、それでも難病やガンは自分で作ったもの、先天的なものや高齢者以外では難病になるのは自分のせい、言葉だけみるとキツく感じるかも知れませんが、患者さんは私の文章を読んでスッっと腑に落ちるものがあり納得したのです。

今までどの病院に行っても曖昧な言葉で片付けられていたことが、自分の免疫がすべてだということ。そしてたくさんの私の論文の説明にこれだけ膨大な量を患者さんにイチから説明するのは大変だと思われました。ましてや全ての病気の原因がヘルペスだと説明できる医者は私だけですから、余計に現代医療を行う他の病院の医師たちがいちいち説明してくれるわけなく、曖昧な言葉で終わらせるのです。

ご主人と当時5歳のお嬢さんを連れて、患者さんの住んでいる所からは車で片道3時間かけて家族で高槻の松本漢方クリニックへ来院されました。患者さんは本当にネットで当院を見つけた時すごく嬉しかったと言っておられました。

初めての診察。「あなたは見た感じからしてもこの病気もまだ軽い方ですね、大丈夫です。必ず治ります!もしかしたら潰瘍性大腸炎じゃなかったかもしれないですよ!!」と強いお言葉をかけると患者さんはとても嬉しくなったと同時に頑張って治すぞ!!もう『状態のいい時期を長く続ける』とかじゃなくて、みっちり完治してみせる!!と治療に意気込まれました。

2014 年10月

毎食後に漢方煎じ薬と毎日のお灸と週末の漢方風呂を続けてもらってから2週間が経った頃、下痢や細い便が出たり、1日に多い時では7~8回と、トイレに行く回数も増えてきていました。そして 10 月 3 日、家での昼食時、自分ひとりなので前日の夜の残りのチャーハンを食べ、ちょうど2時間半位経った頃にものすごい吐き気におそわれました。その吐き気は『気持ち悪いけど、出したくても出ない』というものでした。水を飲んでも飲んでも、出るのはほんのちょっとずつ。その気持ちの悪い状態と闘うことが翌日の午前中まで続きました。冷蔵庫に入れていたので大丈夫なはずなので、そのチャーハンに化学物質が入っていたこと、患者さんの身体がだんだん変化しており、今まで身体に溜まった化学物質を排出する為に吐き気を起こしたのでした。こんなに激しく苦しい思いをしたのは後にも先にもこの一日だけだったそうですが、振り返ると、吐き出すのに半日以上もかかるほど弱っている身体になっていたんだと思われました。日本いる限り、完全な無添加無農薬で一切化学物質が入っていない食べ物や飲料水は手に入りません。

そこから一気に体調を崩し、リバウンドが始まりました。お尻からも滝のような、まるで大腸検査の水を2リットル飲んだ後の状態が1~2日続きました。食欲もなく、食欲があっても食べることが出来ずポカリスエットなどの水分のみ取られていました。徐々におかゆなどを食べるようしていきましたが、下痢がしばらく続きました。トイレの回数も一日に10回以上に増えていました。

3日後、漢方を飲むことさえできなかったのが再開できるようになり、食事もやわらかいものや消化の良いものを食べるようにしていかれましたが、トイレの回数や状態などはまだまだ良くなりませんでした。血便の量も増えていき2週間も続きました。

こんなにリバウンドが酷いのは当院で治療を受ける前にかなり強いストレスを溜め込んでいたのと、他院で大量のステロイド剤を服用してきたことにより、免疫が抑制され続けられてきたため、漢方煎じ薬を大量に飲んで免疫が上がったことにより体の中に溜まりに溜まった大量の化学物質を排除しようとアトピーや下痢や痰や嘔吐やリウマチの痛みの症状として身体の外へ排出しているからなのです。

下痢がひどい時には家の中でトイレに間に合わずもらしてしまうことも何度もあり、大人用のオムツを買って対処するようになっていました。トイレ回数の多さと突如襲ってきて間に合わない状態。外に出ることは怖くて出来なくなり、毎日のお嬢さんの幼稚園の送り迎えもママ友やご主人にお願いするという日々が2週間以上続きました。食べ物も粗食にしてしまいますし、この頻度の下痢の回数で体力は非常に消耗していきました。

2014 年11 月

先月からの状態がまだ続いていました。しかし、患者さんは身体が変わっている時なんだ!!と自分に言い聞かせ、不要なもの、今まで溜まったものを排出しているんだ!きれいに掃除してくれてるんだ!!と暗い思考になって免疫を落とさないように前向きに考えました。体力消耗のしんどさと、あまりに下痢や血便がたくさん出続けると不安に苛まれることもあります。そんな時こそ、「自分の免疫が治すんやぞ!」という私の言葉を思い出し、自分で西洋医学の抑制のみの投薬がイヤになって止めたことを思い出し、自分の免疫の力を信じて日々を過ごされていました。

そして11月下旬に入ったころに、10回以上のトイレが10回未満に減ってきました。1日にして数回ですが、この数回減ったことでもだいぶ身体がラクなり、明るい兆しが見え気分が少し晴れやかになられました。

2014 年12 月

先月下旬から、水状態の下痢から進歩したような普通の下痢?や粘膜状の便が増えるようになりました。粘便はいらなくなった潰瘍の粘膜がはがれて出てきたのです。とにかく水状態の下痢が減ってきて形に近づくかのような状態になり、患者さんは嬉しくなりました。

12月も半ばになると、勢いはありませんがおならが出ることが少し増え、普通の下痢→泥状態へと固形になりつつありました。そして12月25日、1年以上ぶりに普通便(やわらかめの固形便)が出ました。本当にうれしくて涙が出たと患者さんから報告されました。こんなにうれしいクリスマスプレゼントはないと思いました。その日の夜、ちょっとお寿司を食べてしまったからか、翌日、翌々日とまた粘便でしたが、そこからはまた、一日に粘便と固形便が少し出るという日々が続きました。年末年始を嬉しい気持ちで迎えられて私も本当に嬉しいかぎりです。

2015 年1月

年末からこの一ヶ月間、ほぼ毎日固形の便が出る日々でした。1月30日に来院され、このことを聞き、私は「あなた自身の力が治したんですよ!」と言うと患者さんはとても嬉しかったのか目に涙を浮かべていました。

2015 年2~3月

2月2日、粘便や血便をともなう粘便がまた出始めました。トイレ回数も多いときで一日5~6回。そこから1ヶ月以上もその状態が続きました。思い当たることは1月下旬に義父の一周忌があったということ。2年前の義妹のお葬式から始まった嫁ぎ先の不幸ごとのたびに、知らず知らずのうちに患者さんの身体がものすごいストレスを抱えていたのです。

2月下旬からは毎日のように血便が続き、また気持ちはドンと落ちました。食べ物も病気をしてからは特に添加物などの化学物質には気を使っていたので、やはり身体が敏感に感じてしまうストレスしかないと患者さんは改めて思われました。

3月の半ば以降から血便は無くなり、泥状態のものへと変わりました。血便がなくなるだけで気持ちがだいぶラクになりました。患者さんはストレスを受けやすいんだということにつくづく嫌気がさし悲しくもなってしまいましたが、そう思っていても仕方ない、1、2月の血便がなくなっているから快方に向かっているときだと強く思うことにされました。

2015 年4月~6月

4月半ばからまた粘便とたまに泥状の物が出るの繰り返しになりました。患者さんは前と同じ状況に期待を抱きました。

5月、時々下痢になったり、粘血便も1、2回出ましたが、それ以外は普通便の日々。

6月、ほぼ毎日固形便。そして快方のバロメーターである便秘ぎみになりました。食べ物もトイレも病気がわかる前の生活に戻ってきました。

病気は自分で作ったもの、そして作った病気は自分で治せるのです。一般市民は病気になったら医師の言うとおりの診察と投薬を受け、言われるがまま身をゆだねる方がほとんどです。患者さんもその大衆の中の一人でした。病院の先生は『先生』だから、とっても難しい勉強をして、試験を受け医者になったのだから、そんな賢い方々に医療部門はお任せ!!と思っていましたが、私のホームページに出会い、考えが覆されました。自分の身体のこと、家族の身体もちゃんと自身がわかってないとダメだ!!しいては無料だからって何でもかんでも子供にワクチンを打たせたり、すぐ病院行って薬飲ませるのもいかがなものか!!という風に考えが全く変わりました。五十肩だからって、ご主人が肩に注射を定期的に打ちに行ってたのも自信を持って止める意見が言えるようになりました。

そして『潰瘍性大腸炎』を告げられた時のショックと、あと何年この腸が持つのかとか、びくびくクヨクヨしていた気持ちが、『大丈夫!自分の身体だから自分で責任もつ!免疫力を向上するふうに日々考えて生きていくのだ!!』と思えるようになりました。

医学には西洋医学も東洋医学もありません。唯一あるのは、自分の遺伝子に刻まれている、自分の免疫医学だけなのです。免疫を下げて病気を作り、免疫をあげて病気を治すしか道はありません。歴史が始まって以来、資本主義が世界を支配していますから、医療も知らず知らずのうちに完璧な算術医学になってしまったのです。少なくとも金より大事な命を預かる医薬業は、公務員と同じく社会主義にすべきなのです。

その後、患者さんは完治されて以降もストレスを溜め過ぎないように頑張り過ぎたり、我慢したりしないように心に余裕をもって前向きに考えるように気を付けています。当院にはもう通院されておりません。

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