症例報告22例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:29歳、男性
患者さんが潰瘍性大腸炎と診断されたのは、専門学校に通っていた19歳の頃です。授業やバイトに励んでいた普通の日常の中、初めの異変は大便の際に血便が出てきました。少量の血便で痔にでもなったのかと安易に考えましたが、徐々に下痢が続くようになり、便の回数も 1 日に10回以上になっていきました。
そして、ある日突然、便器が染まるほどの大量の出血が出てきました。今まで健康のことには、ほぼ無関心だった患者さんもさすがに病院へ行こうと決心せざるをえない状況でした。近所の大病院へ受診され9年間通い続けられました。受診すると、すぐに大腸ファイバーの予約を取ることになり、担当医からは「良くて痔、悪くてポリープ」と聞かされ、検査までは処方された痔の坐薬を使用されていました。
そして、大腸ファイバーの検査当日、下剤や薬を飲み、腸をからっぽにし、眠くなる薬を打たれ、検査の途中に痛みで目が覚め、また薬を打たれを繰り返しました。今まで味わったことのない苦痛でしたが、「検査の結果がわかれば治療が出来る。また普通に生活ができる」と信じていた患者さんは、検査を気力で乗り越えることが出来たのだとのちに語ってくれました。しかし、検査結果により潰瘍性大腸炎と当時患者さんが全く聞いたこともなかった病名を付けられました。そして「潰瘍性大腸炎は難病で完治することはない」と担当医から伝えられ、多くの食事制限や投薬の継続等について説明され、「今後私の人生はどうなるのか」と不安を感じ、正に“お先真っ暗”という状態になりました。
その日から病気との戦いが始まりました。薬を毎日飲み、食事はパンが中心で、かなりの食事量を減らし、エレンタールで栄養を確保するという生活になりました。薬の影響で顔はむくみ、周りの友達からも心配されるほど痩せていきました。薬を飲み始めてからほどなくして、便の回数も少し減り、血便もなくなりました。さすが薬の効力!!と思った患者さんは「うまく病気と付き合っていけば意外と大丈夫なんじゃないか」と感じておりました。食事はお肉も食べ、薬も飲まないことが多くなり、病院へも行かなくなりました。
そして薬の効能が切れて再燃し、病院に行き、先生に怒られ、また薬漬けの生活に逆戻りしました。
患者さんが28歳になるまで寛解と再燃を繰り返しましたが、薬が効かなくなり、だんだん再燃の期間が長くなり、症状も悪化していきました。約9年という長い間、薬を信じ、「難病だから仕方ない」と思い込み、毎日を過ごしておりました。患者さんは当時を振り返ると後悔でしかありませんでした。もっと早く行動していれば・・・もっと早く私に会えていれば・・・ですがその時の患者さんは薬を疑う知識も、自分の免疫で病気を治すという程の関心も持っていませんでした。
2014年10月、またも再燃され、しかも今回は間違いなく今までよりも症状がひどく、仕事にも影響する程でした。便の回数は多く、血便も止まらず、先生から告げられた治療は、ステロイドの使用でした。毎晩、肛門からステロイドを入れ、まずは血を止めるというのです。しかしステロイドを使用しても、血は止まらず、便の回数は減らず、免疫を下げている為か、毎日倦怠感があり、体重も激減していきました。何をするにもしんどく、何もしたいと思わない。寝たい。それだけでした。それでも患者さんはその医者が出す薬を信じ、症状が和らぐことを願っていました。しかし患者さんのすぐ傍で、病気や薬についてたくさん調べてくれていた奥さんがいました。
奥さんは苦しんでいる患者さんを見て、なんとか病気を治してあげたいと思ってくれていました。そして探し出してくれたのが、私の松本漢方クリニックでした。奥さんは患者さんの手記や私の理論や漢方についてたくさん調べていました。奥さんの誘いで松本漢方クリニックに行くことになりましたが、最初は患者さんは漢方についての知識もなく、また私の論文や患者さんの手記を読んでおらず、本当に漢方が効くのかと疑っていました。しかし奥さんが必死で見つけて松本漢方クリニックで治療を受けようとも思っていました。奥さんがいなければ当院の事を疑っていた患者さんには帰ってもらっていたでしょうね。賢い奥さんに感謝ですね。
奥さんのおかげで当院での治療を始めることができ、この日から早速、漢方治療が始まりました。最初は漢方煎じ薬が苦くて飲むのが嫌だったそうですが、1~2週間で早くも効果が出ました。ステロイドを使っても全く良くならなかったのに、すぐに血便が減り、少しずつではありますが、便の回数も減っていきました。漢方を飲み始めてから半年経過すると、血便は全く出なくなり、便の回数も数回までに減っていきました。少し下痢が残っていましたが、漢方を増やし飲み続けてもらうと便秘になり、のちに解消されました。
今では普通の生活を送れるようになり、夫婦仲良く過ごされています。当院にはもう通われておりません。
症例報告23例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎2)生理不順
患者:33歳、女性
初めて症状が出たのは高校3年生の時です。部活を引退してすぐに下血と下痢が続いていましたが、今までの疲れが溜まっていたのかなとあまり気に留めていませんでした。強豪運動部のマネージャー業をしていた患者さんは毎日激務で3年間のストレスは相当なものだったかです。引退して強いストレスから解放された患者さんの体の中の免疫が働き出し下血と下痢が出てきたのです。3年間の強いストレスで自ら膠原病になり、その症状は体内に入ってきた化学物質との戦いだと、この頃は思いもされませんでした。
なかなか症状が治まらなかったので地元の内科で診てもらうと、医者は疲労だろうと整腸剤を処方されて診察は終わりましたが下血と下痢は治まりませんでした。とうとう耐えられない程の腹痛と高熱を発し、駆け込んだ大学病院で潰瘍性大腸炎と診断されました。即入院そしてステロイド点滴を受けられました。「一生治らない病気です。」と淡々といった医師の言葉は高校生だった患者さんにとって残酷で絶望的で夢も希望もぶち壊すものでした。この世に治らない病気はないのです。それを無知な大学病院の医者が患者の生涯を揺るがすようなことを平気で言ってしまう現代医療はとてもとても残念なことです。患者さんはこの先どうなってしまうのだろうと不安でいっぱいでした。入院と自宅養生含め2ヵ月の間使った薬は、ステロイドの点滴・錠剤・座薬、ペンタサ、胃薬、整腸剤とすべて免疫を抑制するものでした。退院後もステロイド錠剤とペンタサは長く続ける事となり、患者さんは一生治らない病気と言われ、この薬を飲むしか無いのだと思い込んでいました。
ステロイドの常用は確実に体を蝕んでいきました。恐ろしい数の副作用に苦しめられ、この頃にはそんな西洋薬に疑問を持つようになりました。ムーンフェイス、骨粗鬆症、貧血、筋肉痛、倦怠感、精神不安定、数え上げれば切りがありません。しかし目の前の大学受験や就職を優先し、やめる事ができませんでした。担当医師もちょっと下血があるとすぐプレドニンの量を増やす始末でした。
就職してからの6年間は過酷な労働によるストレスで、止まらない下血・下痢、激しい腹痛や嘔吐、全身蕁麻疹や帯状疱疹に襲われました。ステロイドをやめたい気持ちがあるのに、でも他にどうすれば良いのか分からない、と完全に道を失っている状態でした。これらの症状は全てヘルペスウイルスが原因で起こったものです。外部によるストレスと医者から大量に出されたステロイドのせいで、ヘルペスウイルスが爆発的に増えたのです。この頃が一番症状が酷い時期だったとのことです。
結婚を機に退職され、早く赤ちゃんが欲しかったこともあり、アサコールを服用しながら1年かけて脱ステロイドを行いました。しかし数ヵ月後には再び下血と下痢が起こりました。寛解が長く続いて安定していないと流産しやすいと言われ、免疫抑制剤の使用を勧められました。「妊娠の際、問題や危険はほぼ無く安全」と言う医師の言葉を疑いもせず、妊娠を急ぐあまり完全に受け身で治療を受けてしまいました。結果、妊娠できていないばかりか、更に遺伝子をめちゃくちゃに傷つける結果になってしまいました。
そして免疫抑制の恐ろしさを体感する事となるのです。顆粒球除去療法は毎回終盤に激しい腹痛に襲われ終了しました。免疫抑制剤のレミケードとヒュミラは約1年続き、リンパ球激減で風邪の症状が2ヵ月も続き、血小板が減ったため鼻血が頻繁に出て止まらず体中アザだらけでした。顔は青白く気持ちも沈んでいました。患者さんは潰瘍性大腸炎どころではない恐ろしい症状が次々と起こり「薬に殺される!」と怖くなりました。いつも当院に辿り着く患者さんたちは散々医者から病気づくりさせられて最悪な状態で私の医院へ来られます。私だけでなく世界中の医者が唯一免疫を上げる漢方煎じ薬と免疫を抑制せずかつすべての病気の原因であるヘルペスウイルスの増殖を抑える抗ヘルペス剤を大量に出すことができれば一生治らないと言われ絶望する患者さんが確実に減るのです。しかしそんなことをすれば世界中の医者がいらなくなってしまうので、医学界は認めないのです。悲しいですね。医者は病気を治すことが仕事のはずが、免疫を抑える事ばかり行う病気づくりが仕事となっているのですからね!アハハ!憤りを通り越して呆れてしまいます!
患者さんは今までの治療と呼ばれるものは何だったのか、自分の体はどうなってしまったのか。いつの日か生まれてくる子供と家族のためにも、本気で自分を大切にしようと思いました。インターネットで検索しまくり辿り着いたのが松本漢方クリニックと当院で治療を受けていた患者さんのブログでした。その患者さんは私の理論と、自身で得た知識も加えながら分かりやすく綴られておりました。今は残念ながら患者さんの私生活が忙しくなってしまいブログは閉鎖してしまいました。
当院へ受診する1ヵ月前から西洋薬(ヒュミラとアサコール)は自己判断で断っておられました。間もなくして両足首が突然腫れ立てなくなり、さらに足に赤い発疹が出て高熱が続き、目の奥と頭全体の激痛で目も開けられない状態になってしまいました。これはステロイドを止めてかなりきついリバウンドが起こったのです。
2015年11月千葉県より旦那さんの運転する車で大阪まで向かわれました。患者さんは体調がかなり悪く弱っていたので、質問を受けても上手く答えられずいました。「治すのはあんたや。」と、患者さんと旦那さんに何度も握手をかわしました。処方したアシクロビル、煎じ薬2種(下痢止め、下血止め)、紫雲膏(塗り薬)、鼻炎の薬を毎日続けて飲むように指導しました。診察後に鍼灸の施術を受けてもらうと、目の奥の痛みと頭痛が明らかに軽くなったのを感じられました。またアシクロビルを服用した晩は久々に安眠でき、早速その効果を体感されたとのことです。足の腫れも頭痛等も順調に治まっていきました。
初体験の漢方煎じ薬で独特な苦味に最初は苦戦されましたが、2回目以降から慣れていったそうです。ご自宅でのお灸はじんわり温かくて気持ち良く、とてもリラックスできていました。1ヵ月で激しい下血と下痢が緩和していきました。3ヵ月後には首から背中にかけて湿疹が出てきました。下痢と下血はまだあったのでクラススイッチではありませんが、IgE抗体が働きだしてくれた事に安堵しました。
ストレスは溜めないよう注意してもらいました。また生活面では食品添加物をできるだけ避け、体調が悪く心が折れそうなときは手記に励まされ希望をもらっていたそうです。何より自分の体に何が起きていて、これから何が起こるのかが分かるという事は、何よりも心の安定剤となっていました。体重が増え体力もつき活き活きとした患者さんの様子に、いつも近くにいる旦那さんが1番その変化を喜んでくれていたそうです。
アシクロビル、煎じ薬2種に加えて、漢方風呂、鉄剤、ビタミン剤を処方しました。下痢が解消されたので、ヘルペスと免疫アップに効く漢方に変えました。血液検査ではようやく単純ヘルペスの数値が250から150に下がりましたが、まだまだです。アシクロビルの服用は、症状が強く出た時は1回につき最大6〜7錠と量を調整して良いと伝えました。ある時に強いストレスで腹痛が増していたので多めにアシクロビル錠を飲んだところ、2日目には大量の下血がおさまりました。突き上げるような腹痛も穏やかになりつつあり、下血が少量出ているもののトイレも1日3、4回で安定していきました。
妊娠の為に生理不順も改善していきたいとのことでした。手記を読んで、本来の機能を取り戻した方もいらっしゃるので希望がわいてきたそうです。妊娠すると女性ホルモンが免疫を抑えてしまい完治が遠のいてしまうので、しっかり治療して頂きました。松本漢方クリニックに出会ってから約1年が経ち、体の不調が取り除かれ生きている喜びを実感されています。また家族の理解がとても有り難いとのことです。今では生理不順も完治され、普通の生活を送っております。