いずれ詳しいコメントも付け加えた「鼻炎・結膜炎・花粉症完治の症例集」を上げるので乞うご期待!!
症例報告1例目
治した病名:アレルギー性結膜炎、アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎
長年ステロイド剤を使い続け、辛いリバウンド症状が起こりましたが無事乗り越えた方の症例報告です。
患者:当時19歳 男性
この患者さんは、幼少期から気管支が弱く、風邪をひくとよく気管支炎を発症していたそうです。その度に気管支拡張剤や去痰剤などを使用してこられました。小学校に上がると、目の痒みや鼻水が多くなり始め、教室の埃や校庭の砂などの影響で目を掻くので、充血し、目が開けにくくなったため眼科を受診され、春季カタルと診断されました。1%ステロイド点眼薬とアレルギー点眼薬を処方され、使い始めました。数ヶ月経過してもあまり改善が見られず、今度はパピロックという免疫抑制剤の使用を提案され、左目に1日3回使用し始めました。その時に医師からは、春季カタルに効果はあるらしいが、まだ使用例が少なく、副作用もはっきりわからないと言われたそうです。
眼科での処方:1%ステロイド点眼薬、アレルギー点眼薬、パピロック
鼻炎もあったので、耳鼻科も受診されており、こちらでは抗アレルギーの内服薬を使用されています。アレルギーの検査で、ダニとハウスダストがアレルゲンになっている事がわかりました。医師から減感作療法が最良の治療ですと勧められ、2005年5月、8歳の時にこの治療を始められました。最初は週に1回から始まり、その後月に1回になり、2年間続けましたがましたが、あまり改善は見られませんでした。
耳鼻科での治療:減感作療法
眼科もインターネットで見つけた別のところに変更されましたが、そこでもパピロック点眼とアレルギー点眼と抗アレルギー剤を処方されました。医師から、副作用はないから大丈夫と笑顔で言われたそうです。結局パピロックは、目が乾く感じがするということで使用を中止されました。
別眼科での処方:パピロック点眼、アレルギー点眼、抗アレルギー剤
インターネットでアレルギーの病院を検索しているときに当院を発見され、2011年9月、中学3年生の時に受診されました。アレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎の漢方煎じ薬を処方しました。1ヶ月も経たないうちにリバウンドが出現し、目が充血し、夜中に目を掻くようになり、朝は特に目が腫れ、目を開けられない程になりました。光が眩しくて朝に電気をつけられなくなりました。太陽が眩しく、物や人にぶつかりそうになって危険なので、自転車での通学を電車通学に切り替えられました。目の痛さと浸出液で夜眠れないとの相談を受け、抗ヘルペス剤を処方しました。抗ヘルペス剤を飲むと少し痛みは和らいでいたようです。目を掻き過ぎて感染を起こしたり、見た目にもわかるほど下瞼が腫れました。それまでやってきた減感作療法や、使用してきたステロイド点眼薬、免疫抑制剤の点眼薬などの量が多く、リバウンドも激しいものであったと考えられます。ただリバウンド自体で目が見えなくなることは絶対にありません。
1年後の秋頃には、このような症状も落ち着き始め、浸出液も出なくなり、完治されて普通の生活が送れるようになりました。
当院での処方:アレルギー性鼻炎とアレルギー性結膜炎の漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤。
症例報告2例目
治した病名:アレルギー性鼻炎
兄弟ともに当院で治療を受け、完治されました。
患者:当時9歳、男性
息子さんが2歳くらいの頃に鼻炎の診断をされたそうです。その時の耳鼻科の医者には「希にみる鼻炎の持ち主だ」と言われました。初めの頃は春頃に鼻が詰まるだけだったのが、だんだん悪化していき1年の半分くらいには鼻詰まりを起こすようになって時折鼻血がでたり、目に痒みが出るようになりました。耳鼻科に行きアレルギーを抑える薬を処方されるがまま何の疑いもなく母親はずっと息子さんに飲ませてきました。後に、妹さんもアトピーになりすでに当院にて診ていた事から、息子さんも今まで受けていた治療が間違いだった事に気づき、このままでは一生治らない!妹さんと一緒に治療を受けることになりました。
処方:漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤(顆粒)。
漢方の煎じ薬を飲みはじめて1週間も経たないうちに鼻詰まりは軽減し、夜も快適に眠れるようになりました。心配していたリバウンドも今のところなく、息子さんはとても調子が良いと言っていました。兄弟そろって無事に完治され、快適に過ごされています。今では、当院へ通われておりません。
症例報告3例目
治した病名:アレルギー性鼻炎、喘息、
慢性的なアレルギー性鼻炎から喘息へと悪化してしまい、不安と恐怖の中にいましたが偶然にも当院を見つけ受診し、完治されて以前よりも健康な体になりました。
患者:当時36歳、女性
患者さんは14歳の頃から慢性的なアレルギー性鼻炎に悩まされていました。特に秋頃がひどくなり、症状がひどくなると近所の耳鼻科で抗ヒスタミン剤を処方してもらってその場を凌ぐという状態が20年続きました。
2002年10月、風邪を引いて突然息も出来なくなるような喘息の発作に襲われました。内科で「喘息です」と診断され、薬を処方されましたが、一向に咳は止まらず、夜も眠れませんでした。また患者さんは母子家庭で子どものためにも働かなければなりませんでした。しかし患者さんの勤務が営業事務で電話をとることも多くあったために仕事で支障をきたすようになりました。再び近所の内科を受診するとプレドニン注射を打たれました。心配そうにしている患者さんに内科医が「喘息には一般的に使う薬だから、心配しなくていいよ」と言われたそうです。その後、咳はピタッと止まりましたが、咳をした後の胸を押さえつけられるような圧迫感が残り、その上、指先が震え出したのです。結局は苦しくてとても会社にいける状態ではありませんでした。
患者さんの叔父が長年喘息に使われた薬により、薬の副作用で亡くなられていました。「喘息の治療で一般的といわれている注射を打たれただけで、一層辛くなるなんて…。私はどうしたらいいのだろう?一生この辛さと付き合っていかないといけないのだろうか?」不安と恐怖を抱えインターネットで検索していると偶然当院のホームページを見つけました。患者さんは藁にもすがる思いで胸の圧迫感でフラフラになりながらも仕事を何とか終えて電車に乗り、当院に受診されました。私はいつものように患者さんに必ず治ると言い、安心させ、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方しました。何か不安なことがあれば休日でも連絡が取れるように私の携帯電話番号も教えました。
当院での処方:漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤
当院を受診したその日のうちに早速、漢方煎じ薬を飲まれました。産まれて初めての漢方煎じ薬に最初は匂いも味も苦戦されていましたが、飲むと喉が潤し、約5分後には喉の調子が楽になったため、吃驚されたそうです。咳を止めると同時に喉も潤し、横になって眠れるほど胸の圧迫感から開放されるのを、漢方煎じ薬を飲み始めたその夜から実感できたとのことです。喘息患者にとって、夜、横になって眠れることがどれほどありがたいことか。
その後、治療は順調に経過し、当院で治療を始めて1年後にはほとんど喘息の咳が出なくなり、また20年以上悩み続けていたアレルギー性鼻炎も嘘のように完治されました。漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を飲み続けたことによって、夜はぐっすり眠れるようになり、昼間も元気で仕事を頑張れるようになり、さらに風邪も引きにくい丈夫な身体になり、以前まで冷え症で冷たかった指先もポカポカと温かくなりました。さらにさらに、以前まで酷かった生理痛や腰痛まで痛みがなくなりました。当院で治療を始めて2週間後くらいに、終わったばかり生理が再び始まり、患者さんはビックリされましたが、それ以降は嘘のように生理痛がなくなりました。患者さんの身体に不要な経血が、随分体内に溜まっていたため、生理が再び出始めたのです。
1年前よりも元気で健康な体を手に入れ、そしてお子さんのためにも仕事をほどほどに頑張って健やかに過ごされておられます。症状も完治されたため、当院にはもう通われておりません。
症例報告4例目
治した病名:アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎、頭痛、
母親の姉の紹介で当院に親子で受診され、お二人とも完治されました。
患者:当時42歳、女性、娘さん12歳
娘さんが2歳半頃にスギ、ヒノキ、ブタクサの花粉、犬アレルギーがアレルギー検査で高値であったため、毎年1月初旬から6月半ばまで耳鼻科に通い、抗アレルギー剤を処方され服用されていました。「早めに薬を飲み、備えると症状が軽くなる。」と耳鼻科医に言われ、何の疑問も持たず言われた通りに1年半、抗アレルギー薬を服用されていたのです。
しかし2月半ばになると備えて早めに抗アレルギー薬を飲んでいるにも関わらず、鼻水・鼻づまり・くしゃみ・頭痛・目の痒み、とあらゆる症状が出てその症状は年々酷くなっていきました。花粉量の多い年は耳鼻科、眼科にも通い、抗アレルギー薬の投薬と目薬を使用し、頭痛が酷い場合は3日おきに耳鼻科で鼻に溜まった鼻水を吸い出してもらわないと副鼻腔炎になってしまうほどでした。また鼻のかみ過ぎで耳が痛くなる事もしばしばありました。症状は2月~3月を過ぎても鼻詰まりだけは消えず、ティッシュの手離せる時期がありませんでした。また近所の犬を触って帰って来た日は、目の上は腫れ上がり呼吸もし辛そうで、娘さん自身も危機感を感じたのか、この時から大好きな犬、猫も触らなくなりました。このまま娘さんは一生アレルギーと戦い続けなければならないのか?と母親はいつも不安を抱えていました。
娘さんが小学校高学年になると症状は益々酷くなりました。2月~3月は頭痛、鼻づまりに苦しみ集中が出来ず、夜も鼻の痒み、詰まりで寝不足が続き、寝ながらも上あごが痒く、舌で痒いている様に口をもごもご動かしている状態が続きました。進級したことで学校の宿題も増えましたが、とても勉強どころではありませんでした。数年たったら受験生になるが、こんなに症状の酷い症状で受験勉強をし、試験当日も乗り越える事が出来るのか?日々の生活も益々きつくなるのではないかと母親は悩みが膨らみ、不安が募っていきました。「頭痛いから耳鼻科で鼻吸ってもらう。」と訴える娘さんを連れて耳鼻科へ行った時に医者に悩みを打ち明けてみましたが、「アレルギーは治らない。しかし今は良い薬が出ているので安心してください。」とあっさりはっきり言われてしまい、落胆されてしいました。
そんな時、母親の姉が当院を勧めました。母親もイネ科のアレルギーがあり血圧も高く万年肩こり、頭痛に悩まされていたため、親子で当院に受診することを決心されました。
2015年5月に親子二人で当院に受診されました。そしていつもどんな患者さんに言っていることですが、「治らん病気はない。治すのは自分の免疫や。」と握手をしました。その時、それまで通っていた耳鼻科にサヨナラし、当院で完治させる決意がみなぎってこられたとのちに患者さんに言われました。自宅に帰るとすぐに今までの抗アレルギー薬・痛み止め・メンソレータムなど必要ない沢山の薬を全て処分し、心新たに当院で処方した薬を整理しました。
当院での処方(母親):イネ科のアレルギー、肩こり、生理痛、頭痛等に効く漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤。
当院での処方(娘さん):鼻炎に効く漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤。
漢方を処方されたこの時期は娘さんにアレルギー症状はほぼ無い状態でした。娘さんは症状が軽い中、苦い漢方を飲む事を嫌がりましたが母親が「治すのは自分やで、あの辛い時期の事思い出してごらん。」と励まし、漢方を飲み続けさせました。母親も当院で処方した漢方煎じ薬を飲み続けました。漢方を飲み始めた当初は分かりませんでしたが、ふと気が付いた同年11月頃、以前だと娘さんが症状の酷い時期以外にも常に鼻詰まりがあり、凄い勢いで鼻をかんでいましたが、その行動は一切なくなっていました。同時に母親も頭痛が軽減され、生理痛も痛み止め無しで過ごすことが出来る様になっていました。
12月頃、母親の体の不調、肩こりが急に酷くなったため、血液検査を受けてもらうとヘルペスの数値が異常に上がっていました。抗ヘルペス薬を増量して服用するように指示しました。すると痛みは無くなり、体調が緩やかに良くなっていきました。1週間もすると朝目覚めた時に長らく味わっていなかった爽快感があるほど良くなりました。
娘さんは漢方を飲み続け12月頃までは絶好調の体調でしたが、2016年2月初旬より以前と同じ症状が一気に出始めました。すぐに私に相談し別の漢方に変えて処方し経過をみました。初めの10日間は鼻詰まり、頭痛で苦しみ。「鼻が臭い」と言い出して副鼻腔炎になり始めているのかと母親は心配しながら変更して頂いた漢方をしっかり飲ませていました。すると再び緩やかに症状が無くなり3月初旬には何事もなかった様に症状が治まりました。
娘さんはアレルギー性鼻炎を完治させ、母親は今でも予防のため、抗ヘルペス剤を飲み続けておられます。
症例報告5例目
治した病名:アレルギー性鼻炎、アトピー性皮膚炎
ステロイドの離脱やアレルギー症状でつらい日々を過ごされていましたが、当院を受診して普通の生活を送れるようになった患者さんです。
患者:当時29歳、女性
小学校1年生の頃にアトピー性皮膚炎と診断されました。皮膚科に通うのはもちろん、色々な民間療法も試みましたが、効果はありませんでしたが、中学生になると症状が出なくなりました。
成人してから再びアトピーの症状が現れました。正確には、就職して、夜勤をするようになってからです。子供の頃の症状とは違い、手首から先だけに症状が現れました。手のひらも手の甲も、両面がひび割れ、皮膚のシワも無ければ、血管も見えない程腫れて、むくんでいました。絆創膏、包帯、綿手袋、ゴム手袋をして、仕事をしていました。夜も痒みで熟睡できませんでした。就職中は、別の漢方の病院へ通っていたそうですが、勤務が変則的で、きちんと煎じ薬を服用できず、通院もできず、治療に専念できませんでした。
結婚の為、退職すると、手の症状は治まってきましたが、今度は、顔や耳、胸部などに症状が現れるようになりました。症状に波がありましたが、徐々に症状が広がり、悪化していきました。
この頃、四国のT病院を紹介されて、食事制限や、塗り薬で治療していきました。症状は軽くなりましたが、なかなか薬を手放すことはできませんでした。また、食事の制限がある為、ストレスも多くなり、「食事制限ができないために、症状が良くならないのだ。」と、自分を責めるようになってしまいました。そのうち、T病院にも通わなくなりました。
症状は軽く経過していましたが、出産してから約一年後くらいに、急激に悪化し始めました。ステロイドは塗りたく無かったのですが、微熱も出るようになり、近所の皮膚科で、「こんな状態だったら、塗らないと駄目です。」と言われ、ステロイドを使ってしまいました。それでも劇的に良くなる事はありませんでした。
この頃インターネットで、当院のホームページに出会いました。「もう、何をしても治らないのだ。」と思っていたのですが、手記を読んで、「治るかもしれない!」と思いました。しかし、あまりの闘病記に記載されたリバウンド症状に、なかなか治療に踏みだすことができなかったそうです。しかし、1歳になる子供でした。「この先、子供が幼稚園や学校に行くようになった時、母親のせいで、いじめにあってしまうかもしれない。」と考えたからです。「それだけは、避けたい。」と思い、当院での治療を決心されました。
2002年8月、当院に受診され早速、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を服用されました。受診時に微熱があったため、抗生剤も一緒に飲んでもらうように指導しました。熱が引いたら漢方風呂に入ってもらいました。2~3日で熱が落ち着いたので、漢方風呂に入られました。顔、首は赤く腫れ、弱い所はひび割れ、リンパ液がにじんでいました。発汗多量でしたがクーラーにあたるとピリピリと痛み、首にはガーゼとタオルを巻いて、過ごしていました。
当院での処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、抗生剤、抗ヘルペス剤。
当院での治療を始めて一週間後、両足に赤い湿疹が出て痒みがありました。顔や首の症状も相変わらず残っており、耐えがたい痒みがずっと続きました。首は、空気に触れるだけで、ピリピリと痛み、動くのが辛く、日中もうたた寝することが多くなりました。リンパ液が臭い、全身ヒリヒリしていたそうです。漢方風呂に入浴後、皮膚が剥がれても、下の皮膚が赤黒い状態でした。
治療開始後1ヵ月は、上記の状態が続きました。1ヶ月過ぎると首の腫れが軽減してきたが、まだ皮膚は赤黒く、他の症状もあまり変化が見られませんでした。それでも、9月半ば、子供を連れて5分ばかり外を散歩できるようになるまで回復していきました。
季節が秋になり、過ごしやすくなると、症状も軽くなりました。しかしこの頃辛かったのは、足の付け根のシワに沿ってほとんどがひび割れ、リンパ液がにじんでいたことにより痒みと痛みが最も苦痛だったとのことです。トイレの時、ひび割れがしみて痛く、苦痛だったため、トイレを我慢してしまう程でした。この症状は半年も続き、秋冬には全身に同じひび割れの症状が起こりましたが、それでも何とか普通の生活を送れていました。
しかし、翌年2003年の春、またひび割れ症状が出てきました。今度は、リンパ液こそ出ませんでしたが、皮膚の痒み、乾燥、赤みが出てきました。夏にかけて、どんどん酷くなり、全身の皮膚が軽い火傷をしたような感じになり、薄いピンクの長袖長ズボンを履いているようでした。正常な皮膚のように、しなやかさがなく、関節を動かすと皮膚が伸びないので体を動かすたびにヒリヒリした苦痛が続きました。また前年よりも体重が38kgまで激減してしまいました。これ以上体重が減少しないためにプロテインを飲むように指導しました。体がだるく、生活の意欲も低下してしまいました。子供を外に連れ出すこともできなくなり、ご家族に頼ることが多くなりました。患者さんは「この年は、アトピーが治るように」と調子の良い時に、少しずつ千羽鶴を折って前向きに治療を続けました。免疫力を上げて早く治そうと漢方風呂にずっと入り続けていたそうです。それに伴って毎日、古い皮膚が剥げ、次の日にはまた皮膚が剥げるのを繰り返されました。
11月下旬頃、症状が落ち着いてきました。皮膚も剥がれなくなり、12月には漢方風呂を卒業し、普通のお湯に入れるようになりました。また久しぶりに家族で遠出(ドライブ)をしました。体に負担がくることも無く、普通に過ごせたとのことです。患者さんは「この時初めて、治療の山場を超えたのかな」と実感されたそうです。
2004年春夏、去年に比べて症状が落ち着いていました。しかし花粉症になってしまい、くしゃみ、鼻水、目の痒み、目ヤニ等の症状が現れてしまいました。アトピーの煎じ薬から、花粉症の煎じ薬に変えて飲んでもらうと急速に鼻詰まりが治り、すぐに楽になりました。
5月に入ると花粉症の症状は依然に比べてかなり軽くなっていきました。また夏ごろ、汗疹の症状はありましたが、それ以上に悪化することなく経過しました。
また余談ですが子供が1歳前に卵アレルギーであることが分かり、食べると体にブツブツが出てきました。しかし子供と毎日、一緒に漢方風呂に入っていると、3歳になる頃には卵を食べても体にブツブツが出なくなりました。漢方風呂に一緒に入り続けたことにより、子供のアレルギーも治ってしまったのです。
また、治療を始めてから生理も止まっていましたが、のちに正常に戻り、二人目を妊娠されました。まだ治療途中で患者さんは戸惑っておりましたが歓喜されていました。患者さんは二人目を諦めていたからです。あまりにも患者さん自身の置かれている状況に絶望し、普通に生活できる人をずっと羨ましく思っていました。洋服にしても、デザインより素材を重視し、暑い夏でも半袖を着る事ができませんでした。薬の色が染み込むのでそれが目立たない色の服を着るようにし、髪の毛も生え際が抜けてしまい、顔の症状を隠す意味も含め、いつも帽子を深くかぶっていました。何より、人の目が気になっていたのです。
身体的な苦痛と同時に、精神的な苦痛も味わってきたのです。それが大量の漢方煎じ薬と漢方風呂、抗ヘルペス剤を使うことによってアトピーが完治されるのです。現在は普通の生活を送れていますが、仕事に家事に育児と、どうしてもストレスが多い生活ですから、今でも漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を飲んでおり免疫力を上げています。
症例報告6例目
治した病名:アレルギー性結膜炎、
当院に受診されていましたが漢方煎じ薬の独特な苦味で途中やめてしまいました。しかし、当院で治療を再開され、完治することができました。
患者:当時13歳、男性
最初に目の痒みが出たのは2004年6月、小学1年の夏でした。最初は、いつも学校でプールに入った後に目が痒くなっていたので、塩素の刺激によるものかと思っていましたが、しだいにプールに入らない日も痒みを訴えるようになりました。
眼科に受診するとアレルギー性結膜炎と診断され、すぐに目薬が処方されました。しかし、その目薬の処方箋を見るとステロイドの文字があり、母親は子供の目というデリケートな場所にステロイドが、しかも初回の診察で簡単に処方されたことに不信感を覚え、それっきり医者には通わなくなりました。処方されたステロイド目薬もすぐに処分されました。
その後も患者さんの目は頻繁に痒くなり、市販のノンステ痒み止め(抗ヒスタミン)でなんとか痒みをごまかす毎日でした。しかし、目の痒みは年々悪化し、痒み止めの目薬も効き難くなり、ついに5年後(小学5年)の夏、全く効かなくなってしまいました。痒みは、朝起きた時から始まり、一旦治まっても昼間また襲ってくる、そして食事中も寝る前も、眠っている時以外は、いつでも何度でも襲ってきました。いったん痒くなると、耐えられない痒みが何時間も続き、患者さんは激しく痒みを訴えながら目を掻きまくっておりました。ご両親は真っ赤に腫れた患者さんの目を保冷剤で冷やす他にはどうしてやることも出来ず、途方に暮れるばかりだったそうです。強く掻くことで角膜を傷つけるかもしれない、という不安もありました。学校も、痒みが治まるのを待って遅れて登校したり、痒みで早退したり、夏休みが近づく頃には休みがちになっていました。追い詰められ、母親は夏休み中の8月中旬に患者さんを当院に受診されました。
実は、患者さんは以前にも当院を受診されており、発症して間もない小学一年の頃に一度当院を訪れていました。母親が当院のことを以前よりホームページを通じて知っていたからです。私のアレルギー治療に関する理論を読み、目からウロコが落ちる思いだったそうです。特に、自然後天的免疫寛容は、母親はアレルギーは一生完治しないと思っていたために衝撃であり福音だったそうです。しかし、当時、患者さんがどうしても漢方煎じ薬が飲めず、無理矢理に飲ませても吐いてしまい、毎日それの繰り返しで母親は当院での治療を断念してしまったのです。
そして2ヶ月後、再び当院を受診し、今度は患者さんも治したい一心で進んで漢方煎じ薬を毎日欠かさず飲み続けました。
途中、思う様に効果が出ず、よく電話で母親から相談が来ましたが、私は叱咤激励をし、そして漢方煎じ薬を変えて経過を見てきました。
当院での治療を再開してから18日目、患者さんは全く痒みのない朝を迎えることができたのです。その日を境に、症状は劇的に良くなっていきました。朝友達と一緒に登校し、目が痒くなる不安もなく勉強し、放課後も友達と一緒におもいっきり遊ぶことが出来きました。体育の水泳も、最初は恐る恐る参加されましたが、痒みの症状は全く出てこなかったのです。
服用して2年後、症状がまったく出なくなり完治されたため、今度は通院しなくても大丈夫なことを伝えて最後の診察を終えました。
症例報告7例目
治した病名:アレルギー性結膜炎、
目の痛みと充血で悩んでいましたが無事に完治されました。
患者:当時39歳、女性
患者さんは中学生の頃から視力が悪かったのでコンタクトレンズをしておりました。しかし、大学生になったある日、突然目に痛みと充血が出てコンタクトレンズの装着が辛くなってしまいました。近所の眼科に相談に行ったところ、コンタクトレンズ装着などによるアレルギー性結膜炎と診断されました。
眼科で処方された目薬は、使い始めはよく効きましたが、時間が経過すると症状が元に戻ってしまいました。その後もあまり効果が感じられず、その後眼科に相談して何種類もの目薬を処方されましたが、改善せず最終的にはアレルギーの体質だから仕方がないと医者に言われてがっかりされました。
冷たい風に当たったり、埃っぽいところに行くだけで目がしみたり、すぐに充血して周りの方からも「目が赤いけどどうしたの?」と頻繁に聞かれ、患者さん自身も目の充血と不快感により、集中力が欠けていたとのことです。目にいいと言われるお茶を飲んでみたり、良い眼科がないかとインターネットで探して病院を変えたりされましたが処方される薬はいつも同じでした。そんなある日、インターネットで当院のホームページを見つけ、当時掲載されていた沢山の闘病手記や私が書いた論文を読み、岡山に住んでいましたが、高槻の当院まで来院されました。
漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方し、早速煎じて飲んでみるとすぐに目の充血、鼻のむず痒い感じが治まりビックリされたそうです。のちに当院での血液検査の結果はスギ花粉とハウスダストなどのアレルギーの項目が高値だということがわかりました。
漢方煎じ薬は独特の風味があるので最初は慣れるまできつかったようです。また、自宅で漢方を煎じている時や、会社で飲んでいるときに友人に漢方独特の色と香りにビックリされましたそうです。良薬口に苦しと思いつつ頑張って飲み続けました。
漢方煎じ薬を飲み続けて順調に良くなり、目の痛みも充血が完治されました。もう当院には通っておりません。
症例報告8例目
治した病名:花粉症、アレルギー性鼻炎
現代医療が根本的治療ではないと身をもって理解された患者さんです。
患者:当時33歳、男性
小学生の頃から鼻水が出てくる症状があり、中学生の頃に鼻詰まり、鼻水がつらくなってきたので近所の耳鼻科で受診した結果、軽度の花粉症と診断されました。錠剤を処方され、飲めば症状が抑えられ治まるので何の疑問も持たず、治っているという認識で飲み続ける生活が始まりました。医者でないかぎり普通の人は根本的に治しているのではなく、ただ免疫を抑えているに過ぎないという考えに行きません。
また、花粉症は今でこそ国民病とまで呼ばれるようになり、シーズンになればテレビでも特集されているが、当時はそこまで騒がれておらず、ネットも普及していなかったので花粉症について調べることができませんでした。
やがて、だんだんと薬の効きが悪くなっていきました。かなり酷くなったのは高校受験を控えた頃でした。ちょうど花粉が飛び始める時期と重なり厳しかったとのことです。この頃になると錠剤に加えて点鼻薬も処方され使用するようになりました。受験中は1科目受けては、トイレに行って点鼻薬を使い、また次の科目をこなしてトイレへ行くという有様でした。
高校へ入学後、症状は酷くなる一方で、近所の別の病院へ行って血液検査を受けた時には基準値を大きく超える数値が出て、担当の医師から「これはつらいね・・・。」と言われたのを覚えていたそうです。今はマスクをつけていても違和感のない時代と違い、マスクをつけていれば体調不良、風邪だと思われてしまうため、症状が酷い時は高校の授業ではハンカチを鼻、口元に当てながら授業を受けるという日々が続きました。
身体を動かしたり、体が温まったりと鼻が通りやすくなったため、学校では体育の授業、自宅では入浴の時間が唯一緩和される時間でした。また、横になっていれば片方の鼻が通るので少しは楽になることから、家に帰ればベッドに可能な限り横になる生活でした。
良くなる傾向はなく、薬の効きも悪くなり、錠剤や点鼻薬を使っても1日持たなくなってきた時期は、花粉のシーズン前から気が滅入りました。そして、高校3年の頃には薬を飲もうが点鼻薬を打とうが大して症状に変わりがなくなってきていたので、飲んでも意味のない薬の摂取は避けようと患者さん判断で薬をやめて、ただ花粉シーズンを耐え忍ぶことにされました。
しかし、薬を使うのをやめたものの、代わりの対策があるわけではないので「これが一生続くのか」と思うと恐ろしく、根本的に治す方法を調べ始めました。この頃にはテレビでは花粉症が特集されることも増えており、所謂民間療法やヨーグルト、なんとか茶などで体質改善というのをよく目にするようになり患者さんも試してみたりされましたが、あまり効果はありませんでした。インターネットで情報を得るようになるとさらに真偽も確かめることができませんでした。テレビでタレントが「花粉症がひどい時は頭痛もあって起きられない」、「綿を鼻に詰めて働いている」という話をしているのを見てツライのは自分だけではないのだと言い聞かせる日々だったそうです。レーザーで鼻の粘膜を焼けばワンシーズンは乗り切れるという情報もあったそうですが、結局はその場しのぎ、身体にいいものではなさそうだし、金銭的にも気軽に出来るものではありませんでした。
「もう無理かな」と思い始めていたある日、インターネットで調べものをしている中、とある掲示板の花粉症に関するスレッドで当院を目にすることになりました。そこには「完治した」と書いている人が何人もおり、ただ症状を抑えているのではなく「治った」「もう通っていない」と書いてあったのを読まれました。患者さんは民間療法ではなく病院であることと、完治したという人がいること、そして遠方からも患者が通っているという事実を知り、「見つけた」という気持ちと同時に「これでムリだったらたぶんもう終わりだ」と思われました。
当院のサイトでアレルギーや花粉症に関する記述を読み、今まで治らなかった訳に納得がいきました。そもそもスギというのは遥か昔から日本に多く分布しているし、少なくとも一般人より花粉を吸っているはずの林業の人でも全員花粉症で苦しみ続けているわけではないのは何故か、という長年の疑問も同時に解消される内容でした。やはり、スギ花粉自体は悪ではなく、また無理に抑えるのではなく、異物(化学物質)との戦いに敗北することでアレルギー反応は終息するというのも目からウロコだったそうです。
花粉が出ないスギへの品種改良が進んでいるというニュースも見かけていましたが、それでも全部抑えることは不可能だと思っていた患者さんは、「無限の異物に対して有限の武器で対処しきれるわけがない、負ければいい」という事が医師である私から発信した情報として提供されているのは朗報だったのです。また、点鼻薬等を使った治療をしてきた期間により治るまでに時間が変わるという事も書かれており、今までやってきたのは何だったのかと憤りを覚えましたが当院で治療を行う覚悟もできたそうです。
患者さんは早速当院を受診されました。診察後、私は他の患者さんにも言うように「絶対に治してあげる」と言って握手をしました。患者さんは今まで「症状が抑えられる」「マシになる」「今シーズンは大丈夫」という類の言葉は受けてきましたが、はっきり「治る・治す」という言葉を使った私のような医者がいなかったため、治すことができるという安堵とこれから頑張って当院での治療を続けようと思われたそうです。
当院での処方:漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤。
漢方を煎じて飲む日々が始まりました。ちなみに、当院を見つけるきっかけとなった掲示板には「煎じ薬が面倒」と書いてあるのも見かけたそうですが、患者さんから言わせれば、ずっと症状に悩み続けることに比べれば数億倍マシだと思われました。さらに、今までの経緯から抗ヒスタミン剤や抗アレルギー剤を使ってきたため、治るまでには時間がかかると覚悟されていましたが、当院が処方した漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を飲み始めてしばらくすると症状に明らかに良くなっていきました。あれだけ詰まっていた鼻が通る日が少しずつ多くなりました。漢方は効くまでに時間がかかるものという妙なイメージもあり、花粉シーズン中は基本的に鼻が詰まっているものだったので驚かれました。
治療を続けて翌年の血液検査の結果、スギに対する数値が下がっていました。当院に受診する前はシーズン中に薬を飲めば、症状自体は抑えられるが翌年の血液検査では数値は寧ろ上っていたので驚かれました。つまり当院に受診されるまで根本的な治療は出来ていなかったと証明されたのです。
漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を飲み続けて翌年、シーズン前に検査をすれば緩やかではあるものの数値が下がってきていました。患者さんは今まで過剰な薬や点鼻薬の使用もあって治療する期間が長期間となってしまいましたが、免疫を抑える薬を使ってこなければもっと早いスパンで治療を終えられたでしょう。
その後も、花粉シーズン前ぐらいになると漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方しておりますが、それ以外は鼻詰まりや鼻水が垂れることはなく、普通の生活を送っております。
症例報告9例目
治した病名:アレルギー性結膜炎、
目の周囲のアトピーが綺麗になり、快適な日々を送れるようになりました。
患者:当時60歳、女性
20歳くらいに空気が乾燥する2月末ごろより3月にかけて、上瞼が痒くなりました。皮膚がカサカサして化粧もできなかったとのことです。でも、大してひどくならず、患者さんは「冬の間の肌の手入れが悪いからだ。」と思い、化粧品を替えたり、念入りに肌の手入れをされました。その当時はまだ花粉症なんて言葉もなく、単なる肌荒れだと思っていたのです。
患者さんが結婚後、二女がアトピー性皮膚炎と診断され、フルコート軟膏とリンデロン軟膏を処方されました。患者さんは上瞼の調子が悪くなると、二女の薬を少量つけていました。免疫が抑制されて症状がすぐ良くなったようになりました。上瞼の調子が悪くなるのは1ヶ月程だったので、この様なことを約15年位続けておられました。
しかしその後、目の中も痒くなり、白目が赤らんでいきました。白目の毛細血管が切れて、俗に言う「うさぎ眼」に3回もなりました。そして眼科の診断を受けた所、アレルギー性結膜炎と診断されました。またその頃より、春先だけでなく、10月中頃~11月末の秋頃も眼科のお世話になり始めました。
眼科に通い始めた頃は、点眼薬を処方されて使うとすぐに症状が良くなりましたが、だんだん薬が効かなくなっていき、眼科で洗顔されて軟膏を塗られた時は調子が良くなりますが、その後は点眼薬を1日4回まじめに点けても良くならず、痒くて目ヤニの出る期間もだんだん長くなりました。眼科医からは、「きちんと1日4回目薬さしてますか?」「あら!まだ治らないの?」など言われ、いつも不快な気分になっておられました。このまま通院していても一向に改善せず、それどころか悪化して目ヤニもひどくなり、痒みも増し、また目頭に目ヤニが固まったようなのがくっついたりして、治療方法に不安を覚えました。
そんな折、医者をしている甥に会う機会があり、相談した所、当院を紹介されました。娘さんとお孫さんが2人共アトピー性皮膚炎だったこともあり、まず患者さんが治療を受け、治れば、2人も診察して頂こうと思い、2003年12月初旬に当院を訪れました。私はどんな患者さんにも言いますが、例に漏れず「絶対に治してあげる」と伝えました。患者さんは今まで医者から言われたことのない一言に勇気をもらい、また「アレルギー性結膜炎は、すぐに治るよ。」と言われた言葉にまた励まされたそうです。
当院での処方:漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤
私の言葉通り、患者さんの症状はみるみる良くなり、翌年の2004年2月初めには「もう治ったから、来なくていいですよ。」と患者さんに完治宣言を伝えました。あんなになかなか治らなかった目の痒みや目ヤニや上瞼の赤みが綺麗に治り、患者さんは歓喜されました。そして年末に帰省した娘さんとお孫さんにも当院を紹介され、当院で治療を始め、のちに完治されました。
しかし、2005年3月初め、患者さんが風邪を引き、市販の風邪薬を飲んでしまいました。患者さんは1年以上も漢方薬を飲んでいませんでしたが、当院に受診しなくても大丈夫だと思ってしまったそうです。
その頃は大量の花粉が浮遊していると注意報もありましたが、市販の風邪薬を飲んだ後にまた目の調子が悪くなってしまいました。しかし何とか我慢できると思い、塗り薬の紫雲膏も消毒液も手元にあったため、ダマしダマし過していました。しかし、連休中に猛烈に上瞼が痒くなり、つい目を強くこすってしまったのです。目は赤く腫れ、涙目になり、久しぶりに当院に受診されました。
5月6日、開院の1時間前から玄関に並んで診察を受けられました。そして今回は1ヶ月で完治できました。今回を期に何かあればまず私に相談するようになりました。
今では、患者さんや娘さんやお孫さんは目の痒みもアトピーも完治され、快適な暮らしを過ごせており、当院には通院しておりません。
症例報告10例目
治した病名:アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、喘息
神経ブロック、レーザー治療まで受けましたが一向に良くなるどころか悪化させてしまいましたが、当院で治療を受けて完治されました。
患者:当時65歳、男性
患者さんが鼻炎の症状に悩まされ始めたのは20歳後半からでした。当時はアレルギーなどと言葉もあまり知られておらず、風邪ひきの延長程度と考えられていたため、ときどき風邪薬を飲んで凌いでおられました。
30歳半ば頃、鼻炎の症状がますます酷くなっていきました。仕事の関係で東北の日本海側へ転勤していたので、S病院の耳鼻科でアレルゲンの皮膚反応テストを行いましたが、すべて陰性の結果でした。「体質的なものなので、手術をしてみては」と医師に言われ、D病院を紹介されそこで神経ブロックの切断手術をしました。1ヶ月程の入院で治療は終わりましたが、結果的には2年くらい症状が軽くなった程度でまた鼻炎の症状が戻ってきて元の状態に戻ってしまいました。
手術の翌年、風邪を拗らしたような症状から、咳が止まらなくなり、喘息の発作が始まりました。また病院に逆戻りになり3ヶ月の入院となりました。
このときにはまだ、テオフィリン系の薬はあまり使われておらずアミノフィリン系の注射と抗生物質の投与で副作用が酷くて大変だったとのことでした。さらにステロイド剤も投薬されていたのですが、隣のベッドの人が薬の副作用かムーンフェーズで寝ているのが見えて、恐怖心を覚えとても1錠も飲めませんでした。そのためか入院期間が長引いてしまいました。
退院後、3年ほどかけて症状を治しました。患者さん判断で近隣の漢方薬局で処方してもらった麦門冬湯という漢方薬を続けていたそうです。しかし、その後も相変わらず鼻炎の症状に悩まされ続け、市販の抗ヒスタミン剤でなんとか症状を抑えりして約30年が過ぎておりました。
近隣の漢方薬局での処方:麦門冬湯
1999年春頃から咳が続くようになり、少し息苦しさが加わるようになってきました。同時に抗ヒスタミン剤が効かなくなり鼻炎の症状も酷くなっていきました。さらにしばらく落ち着いていた喘息の発作が夜中におこり、慌てて翌日病院の門を叩いたのです。
抗ヒスタミン剤のリバウンド症状かとも思われました。今までに飲んだ薬の量は、1回3錠1日2回×365日×30年=65,700錠だそうです。
3ヶ月程の通院で発作の症状が消えましたが、翌年の8月頃にまた喘息が復活しました。その間、鼻炎と結膜炎に悩まされ耳鼻科医院、眼科医院と交互に通院を重ねていました。鼻炎は点鼻薬、結膜炎は目薬を処方されましたが、くしゃみ、鼻水は止まることを知らず、目の痒みは掻きむしりたいほどの症状を呈していたのです。
ある日、インターネットで「アレルギー性鼻炎も5分で治せる最新レーザー治療」という謳い文句が飛び込んできました。藁にもすがる思いで東京でレーザー手術を受けてしまいました。しかし、鼻血が6ヶ月も続き、鼻づまりで口呼吸しかできず、患者さんにとっては最悪の症状となってしまいました。
半分あきらめの状態に追い打ちをかけるように喘息の発作が起こりました。患者さんの地元に喘息の専門病院が少なく、車で40分ほどかかるO病院へ向かいました。すぐ入院と言われたらどうしようか思われましたが、少し様子をみることにして、投薬を受け取って帰ることにしました。
吸入ステロイド、テオフィリン、吸入気管支拡張剤、そのほか数種類の薬を使用している内に発作も少なくなってきました。
O病院での処方:吸入ステロイド、テオフィリン、吸入気管支拡張剤など。
それでも何とか治りたいと思い、インターネットで探していたところに私の論文に出会ったのです。何回も繰り返し繰り返し読まれました。難しい部分もありましたが、どうにか私の基本的な理念は理解することが出来たそうです。
10月6日新幹線を乗り継いで6時間、丁度島根県沖地震に出会い電車が遅れながらも午後3時過ぎに当院に来院されました。アレルギー性鼻炎については今までの経過から見ると少し時間がかかることと、「必ず治してあげるから」と伝えると、患者さんの顔色に元気が出たようでした。
当院での処方:漢方煎じ薬、抗ヘルペス剤。
漢方煎薬を飲み始めて、途中で症状により漢方煎じ薬を変えたりしましたが、2ヶ月目くらいから息苦しさが夜中に始まり、気管支拡張剤の吸入を毎日続き、次に日中、夕方にも吸入する事態になってしまったのです。しかし、私が患者さんに説明したIgE抗体が一時的に高まり、絶頂が過ぎれば治り始めるとの言葉を信じて、漢方煎じ薬を飲み続けました。
お正月を迎える頃になると、何となく呼吸が楽になってきたのです。それと同時に目の痒みもだんだんなくなり、鼻をかむ回数が少なくなったようなのです。
2月初め、喘息症状がなくなって約1ヶ月、目の痒みもほとんど消えて鼻炎も朝起きた時のクシャミを除けば、本当に楽になりました。
罹病した人でなければ分からない苦しい喘息、クシャミと止まらない鼻水、掻き毟りたいほどの痒みの結膜炎、やっと決別する日が来たのです。今では当院には通院されておりません。