シェーグレン症候群 症例報告

症例報告(全身性エリテマトーデス)更新2021.9.11

投稿日:

世界中でどんな名医でもどんな医者でも治せない極め付きの難病である全身性エリトマトーデス(SLE)を治したのであらゆる病気を治せる医者と豪語することは許されるでしょうか?

症例報告1例目

病名:全身性エリトマトーデス(SLE)

全身性エリテマトーデスと診断され、約1年に渡り治療を続け完治されました。

患者:当時31歳、女性

自己免疫疾患で最も難病とされている全身性エリトマトーデスを完治させた症例を提示しましょう。なぜ私が治すことができたのでしょうか?自分の免疫で自分の人体を破壊させるような自己免疫疾患という病気は絶対に存在しないからです。それでは自己免疫疾患とは何か全身性エリトマトーデスとはどんな病気なのかについてまず述べましょう。

全身性エリテマトーデス (systemic lupus erythematosus略してSLE) とは、自分の免疫システムが誤って自分の正常な細胞や組織を攻撃してしまう自己免疫性疾患の1つで、全身のさまざまな臓器に炎症や組織障害が生じる病気でとされていますが全身の組織の細胞に感染したヘルペスが原因です。現代の慢性疾患による炎症のすべてはすべての人が永遠に罹患し続けるヘルペスによる病気です。るこの病気で特徴的に認められる検査異常は全身を攻撃する自己抗体によるものではなく細胞に感染した絶対に殺しきれないヘルペスが破壊した細胞の構成成分に対してBリンパ球作ったIgM抗体を自己抗体と名付けているだけです。何故ならば自分自身の体の構成成分を含めてこの世の有機分子のすべてに対して攻撃性のないいわば自然抗体というべきIgM抗体を1億種類も作れるように骨髄でBリンパ優は運命的というよりも遺伝子を持って生まれるからです。全身に多様な症状が現れるのは、はじめに述べたようにherpesはすべての細胞に感染して増殖するために細胞を利用尽くしてしまった後、使いようがなくなったその細胞は自然に死んでしまいます。死んでしまった細胞が多すぎれば多いほどその組織の細胞の働きが障害され様々な機能障害に応じた症状がみられるのです。この症状に応じて又障害された組織に合うように慢性○○疾患と名前がつけられるのです

指定難病の1つであり、日本全国の患者数は約6~10万人で男女比は1:9で、妊娠可能な女性に起こりやすいのは、女性ホルモンの一つである黄体ホルモンが妊娠中に多く代謝されるとコルチコステロンというステロイドホルモンになりその結果すべての妊婦は免疫が抑制されるのでヘルペスが生理的に男性よりも増えてしまうからです。

それではSLEの症状は何があるでしょうか?全身性ですからいわばすべての組織に感染したヘルペスによる症状がみられるのです自己免疫疾患を勉強する最高の教科書になります。すべて列挙して自己免疫疾患の勉強は終わりにしましょう。アッハッハッハ。

それではSLEのすべての症状、つまりヘルペスの症状をすべて書き連ねましょう。

①全身倦怠感herpesが自律神経に増殖しているからです。

②皮膚症状の蝶形紅斑は全身性エリテマトーデスに特徴的です。蝶形紅斑とは、顔に蝶のような形の赤い発疹が出現する皮膚症状で、鼻筋を蝶の胴体に見立てると、ちょうど蝶が左右に羽を広げたような形のように盛り上がった紅斑が出ます。それは顔面に人体の中で毛細血管が一番豊富でherpesが毛細血管の内皮細胞に感染して傷つけているからです。しかも蝶形紅斑が出現しやすいかおの頬は皮膚が薄い部分ですから目立つのです。

このほか、円板状に盛り上がった紅斑(円盤状紅斑)、光線過敏症(強い紫外線を浴びた直後に露光部に免疫が強められて皮膚症状が出てしまう)や脱毛が半数以上の患者さんに認められ、痛みを伴わない口内炎が生じることもあります。それぞれの症状の根拠を説明しましょう。盛り上がった後半の盛り上がりの原因は盛り上がりの下にある皮膚の5層の表皮細胞にherpesが大量に感染して増殖しているからです。強い紫外線を浴びた直後に露光部に皮膚症状が出てしまう光線過敏症の原因は光に対する過敏症はないのです。光は命の源泉ですよね。光が嫌だという皮膚を持っている人は生き続けることはできませんよね。皮膚症状が出るのは日光の紫外線は皮膚を温めて免疫の働きを高めてアレルギーやherpesとの戦いが強まり症状が出るのです。症状のすべては免疫が強くなったという証拠にもかかわらず現代医療は理屈に合わない反対をのべているのです。脱毛が出やすいのは毛根にはメラニン細胞が多く、だから黒い髪の毛になるのですがherpesはメラニン色素が大好きで住みたがりそこで増殖しやすく毛根が傷つきやすくなるからです。

③関節痛や関節炎やリウマチ

関節痛、関節炎は特に病初期に頻度の高い症状で、左右対称に多関節に生じます。関節リウマチを合併する人もいくらでもいます。リュウマチがSLEに見られるのも原因は同じヘルペスですから同時に見られても不思議ではないのです。

④腎臓に生じるループス腎炎や様々な腎炎や腎機能障害

約半数の全身性エリテマトーデスの患者さんには、ループス腎炎と呼ばれる腎臓の病気が現れます。ループス腎炎(じんえん)は、自己免疫疾患のひとつ、全身性エリテマトーデスの症状としておこる腎臓病です。全身性エリテマトーデスの原因はヘルペスですからループス腎炎の原因もherpesです。ループス腎炎の原因もほかのすべての腎炎の原因もヘルペスであるので「なぜ腎炎はherpesによっておこるのか?」という新しいタイトルで近いうちに腎臓の構造から機能から更に一度かかると一生治らないどころ透析で苦しまなければならない腎炎のすべてを詳しく詳しく説明します。とにかくループス腎炎の根本原因は糸球体のメサンギウム細胞に感染したヘルペスとの戦いで炎症が生じたためです。

結論から言いますと腎臓の血液ろ過を行う糸球体のメサンギウム細胞にherpesが感染するからです。すべての種類の腎炎の原因は腎臓のherpesがまず感染することから始まり、あらゆる腎炎はメサンギウム細胞とメサンギウム基質の病変がみられるのはメサンギウム細胞は腎臓の免疫のかなめでありherpesとの戦いでメサンギウム細胞が敗北すると腎臓の他の細胞である上皮細胞、基底細胞、上皮細胞にherpesは感染を広げ最後は透析となるのです。

糸球体内メサンギウム細胞とメサンギウム基質は、糸球体毛細血管に囲まれる基底膜に存在する細胞で毛細血管の構造を維持する以外に免疫を押さえて増えすぎたヘルペスウイルスなどの免疫で殺しきれない特別な病原体を処理できる大食細胞のような機能をも備えています。糸球体内メサンギウム細胞は食作用を有するとともに、一種の線維芽細胞であり、さらにメサンギウム基質として知られる不定形の基底膜様物質である糖タンパク質フィブロネクチンなど)およびミクロフィブリルも分泌しており、細胞外マトリックスの役割を担っています。

血管に侵入したほとんどの病原体は腎臓の毛細血管に来るまでに人体の600か所に存在する二次リンパ組織で処理されるのですがヘルペスだけは例外です。血液は最後は必ず腎臓の糸球体でろ過される必要があるので血液に流れ込んだヘルペスが糸球体の毛細血管に侵入して偽(?)のマクロファージである糸球体内メサンギウム細胞に感染したり貪食されてしまうヘルペスウイルスも時に存在するのです。糸球体内メサンギウム細胞に感染したヘルペスを殺すためにTNF-α、IL-l、IL-6、IL-8、IL-10 などの免疫のサイトカインを産生したり血管作動性物質であるレニン、エンドセリン、一酸化窒素、プロスタグランヂン、トロンボキサン、スーパーオキシドアニオンなどの活性酸素 なども産生できるのは糸球体内メサンギウム細胞だけがherpesから糸球体を守る唯一の疑似免疫細胞なのです。メサンギ ウム細胞から産生される他の因子は,糸球体微小循環機能を含めた糸球体機能の維持,さらには糸球体障害の発症, 進展および修復の仕事で重要な役割を果たしていることは後で詳しく述べます。いずれにしろherpesとの戦いで最後に糸球体内メサンギウム細胞敗北してしまった結果、あらゆる腎炎が発生するのです。

ついでにメサンギ ウム細胞がどのようにヘルペスという異物を処理するのかを述べましょう。 糸球体内皮細胞は有窓つまり老廃物や過剰な水分をボーマン嚢に流しだす為にほかの毛細血管にない穴があります。この窓(穴)からメサンギウム細胞の突起が窓から高い血管内圧のために糸球体内皮細胞の外に出てしまっている部分がありこの部分を糸球体外メサンギウムと言い、これらの突起はろ過された老廃物が流れ出ていくボーマン嚢という袋の基底膜と毛細血管とが接続しているので糸球体の内部や外部の出入り口を開閉する仕事も行っているのです。更にメサンギウム細胞は不規則な形状で平滑筋細胞に似た収縮能力も持っているので毛細血管の内圧も自由に変えられるのです。血管内皮細胞とメサンギウムが交通しているので,比較的大きな蛋白分子を含む血漿成分,組織液成分の通路となっておりヘルペスウイルスもが自由に出入りできるのです。

糸球体外メサンギウムと間違うのは傍メサンギウム領域です。メサンギウム細胞が存在する領域の中の端のほうを傍メサンギウム領と言い、この領域に免疫複合体と言われる抗原抗体複合体が沈着し始めると腎炎が発症し始めるのです。抗原抗体複合体まさにこの抗原こそ抗体のFc部分と結合したヘルペスウイルスのペプチドなのです。

更にメサンギウム細胞はherpesに感染した病的状態でメサンギウム細胞の遺伝子にherpesが侵入すると遺伝子に形質転換を行い色々な遺伝子の配列を変えてしまい、言わば 胎児の遺伝子に戻り筋線維芽細胞様細胞となり,胎児型平滑筋ミオシンなどを発現するようになります。更にヘルペスが感染していない正常で健康な状態ではでは産生しないⅠ型コラーゲンやⅢ型コラーゲンなどの新たなる細胞構造を維持する蛋白を産 生し始めます。このようにメサンギウム傷害後の形質転換後は、減った細胞を補うためにメサンギウム細胞を大きくしたり細胞を増殖させたりするのです。

さらに糸球体外メサンギウム細胞で作られる外基質産生亢進により糸球体の再構築を図る修復機転を行い始めるとますますメサンギウム細胞も大きくなりこれが。慢性化するとメサンギウム増殖性糸球体腎炎や進行性糸球体硬化と呼ばれる腎炎が生じるのはこのような制御機構がherpesによって障害された結果であり、最後の最後はherpesによる糸球体再生不全となり透析となるのです。結局はメサンギウム細胞が一人頑張ったところで根本原因であるヘルペスをターゲットにしないかぎり永遠に偽りの自己免疫疾患は作られていくでしょう。何回も何回も繰り返しますが絶対に絶対に絶対に絶対に絶対にこの世にはありえません!!!!!!!腎炎の可能性が考えられたらすぐに抗ヘルペス剤の点滴を保健医療でやってもらえば透析はいらなくなるでしょう。アッハハハ!!

糸球体の構造は毛細血管を取り囲む内皮細胞と糸球体基底膜があり毛細血管の外に上皮細胞と足細胞があります。メサンギウム細胞とメサンギウム基質は内皮細胞と基底膜の間に存在しています。

糸球体の毛細血管は血液をろ過するために穴が開いています。メサンギウム細胞は糸球体のおびただし数の毛細血管の隙間にあるので糸球体基底膜と接触しており血液のろ過作用を行っています。

SLEの合併症を続行しましょう。それぞれの説明はまたの機会にしてあげましょう。

⑤間質性肺炎

⑥そのほかの症状

胸膜炎

⑧心膜炎

⑨精神症状

脳血管障害

⑪中枢神経病変

⑫シェーグレン症候群

⑬発熱

⑭日光過敏症

⑮口内炎

⑯脱毛

⑰神経精神症状

⑰心病変、消化器病変、血液異常

⑱漿膜炎

⑲消化器病変、食欲不振

⑳鼻の潰瘍、のどの潰瘍

下図にSLE皮膚症状の写真を10種の病名で撮影されたSLEを示しましょう。

①蝶形紅斑、②水泡性ループス、③環状紅斑、④班状丘疹状ループス、⑤円板状皮疹、⑥疣贅状ループス、⑦凍瘡様ループス、⑧深在性ループス(脂肪織炎)、⑨Lupus Erythematosus Tumidus(エリテマトース トゥミドゥス)、⑩円板状皮疹(頭部、永続的脱毛)

30歳の夏、突然の発熱を伴う強い胸痛および心膜炎、胸膜炎、倦怠感のため、病院を転々と回わりましたが病名はわからず、やっと大学病院で膠原病の全身性エリトマトーデス(SLE)と言われ、精査入院およびステロイド治療が必要だと診断されましたが、大学病院での入院治療を始める前に当院でステロイドなしの治療を開始されました。リバウンドにより顔と上半身の激しいアトピーを経験されましたが、現在はSLEの症状はほとんどなく、アトピーの症状もほとんどなくなり完治されました。

 患者さんが小学生の頃、アレルギー性鼻炎の症状が起こり、中学生頃に見かけ上治まり、高校生で埃などのある場所へ行くと軽い喘息と腹痛を起こすようになりました。症状は治まらずそのまま大学生に上がると今度は手首の痛みが出てこられました。免疫を抑える間違ったアレルギーの治療がIgEを逆クラススイッチさせてしまいIgGに戻ってしまい化学物質をIgEで排除している免疫の世界を戦いのIgGの世界のいわゆる自己免疫疾患に変えられてしまったのです。勿論免疫を抑えている間に増やされたヘルペスの戦いも始まりだしたのです。

症状は依然治らず、大学を卒業し社会人なった22歳の夏、40度の発熱により他の病院にて伝染性単核球症と診断され、約2週間入院されました。処方された2~3種類の薬と点滴を受けられました。伝染性単核球症と診断されたときにherpesの四番目のEBウイルスであるとわかっていたのになぜ抗ヘルペス剤の点滴を医者が行わなかったのかどうかは私にはわかりません。なぜかというと入院中に行われた医療は一切表に出ないからです。

治療:ステロイド含量のステロイド剤。

処方:おそらくステロイドを含んだ2~3種類の薬。

また22歳~25歳の間にアレルギー性結膜炎の症状を起こしましたが、コンタクトレンズを一日使い捨てのものに代えると症状は出なくなったそうです。さらに時々血便や鮮血、血の塊が出ることがありましたが、肉や魚を控える食生活にしてから症状は落ち着いたそうです。

しかし25歳頃、首の付け根の骨と仙骨に強い痛みが走り個人病院へ行かれました。この痛みはヘルペスによるものであります。血液検査の結果、抗核抗体 320で、膠原病の疑いがあると診断され、痛み止めの薬を処方され服用すると数日で痛みがおさまったため、そのまま何もせず放置したそうです。痛み止めはステロイドです。そうでなければherpesの痛みは簡単に止まりません。

処方:痛み止め。

その後、盆の窪から首の後ろにかけて肌にかゆみがあり、ただれたような色素沈着状態になりました。ちなみにぼんのくぼ(盆の窪)とは後頭部と首の境目にある部分で、延髄にあたります。延髄は普通の姿勢では頭蓋骨と頚椎に覆われていますが、うつむくと隙間が開き窪のような隙間になるのです。シャンプーを界面活性剤不使用のものに代えると湿疹は見かけ上ひいていきましたが、完全には治りませんでした。

28歳の夏、発熱と胸の真ん中の奥の強い痛みがあり、病院を数件まわったのちに近所の総合病院でレントゲン撮影とエコー検査をされました。しかし結果は異常なしと診断され、痛み止めを処方され数日服用し、熱が引いていきました。

処方:痛み止め。

痛みが1~2ヶ月続き、のちに痛みが消えたそうです。患者さん曰く当時は骨が何らかの原因でゆがんだせいで痛みが起こったと思われたそうです。固体でできている骨がゆがむなどはありえないことです。29歳の冬、発熱が数日続き、右おでこに帯状疱疹ができ、3~4日処方された薬を服用されました。以降、長期的に薬を服用していないとのことです。

 2011年7月の終わり頃、普段はほとんど口にしないお酒とお肉を飲んだり食べたりした翌日に体調が急に悪くなり、翌々日には強い胸痛と40度以上の発熱が起こしました。この時の胸の痛みが尋常ではなかったらしく、ほとんどベッドで身動きが出来ず、痛みで胴体を動かすことが出来ませんでした。体がカッとして火照り、胴体に熱がこもり不快感があったそうです。心臓、または肋骨の中身を直接ギュッとつかまれたような痛みがあり、胸を押さえて身動きができないほどでした。さらに痛む部位は移動しているように思え、説明するのが難しかったそうです。胴体を動かせば激痛が走るので寝ているときも、寝返りの際にナイフで刺されたような激しい痛みに驚いて真夜中に目が覚めるようなこともありました。また寝汗の臭いが匂った事のないような不快な臭いの汗だったそうです。他にも症状は色々あったそうですが、意識が朦朧としていたため正確に思い出せないようです。

患者さんは心臓疾患や神経痛または乳がんなど様々な病気を疑い、近所の総合病院へ行かれました。検査の結果、CRP 7.22と高値でしたが、医者からは原因がよくわからないと言われ、鎮痛剤のロキソニンと抗生物質が処方されました。ロキソニンを飲むと痛みが少し引き、熱も下がりなんとか仕事ができるようになったそうです。これはロキソニンにより、ヘルペスとの戦いが楽になったのです。

胸痛の症状について詳しく記述していきますと、寝た状態から座った状態になるだけで痛みで身をよじり、うなり声と冷や汗が出てしまうほどの痛みを伴い、夜は寝返りはもちろん、身動きをとることは一切不可能でした。歩くのも一苦労で、ゾンビのように息切れをしながら、ゆっくりとできるだけ身体を動かさないように胸を押さえながら歩いて過ごされていました。

排泄するときも胴体に激痛が走り、少し動くだけで息切れが起こり、患者さんは当時は本当に死ぬのではないかと思っていましたが、他人に説明することも体力を使うため、うまく説明できなかったそうです。横になった状態でも痛いので、朝から晩まで一日中ソファでぐったりと座っておられました。すべての症状はherpesの戦いによる免疫の正しい働きの現れです。

 熱が続き、周囲の勧めで近隣の一番大きな病院の内科を受診されました。前の病院で原因がわからないと言われたため、社会人になってからのこれまでの体調に関して時系列にリスト化して医者に体の異常を訴えられました。医者は患者さんが元気そうに見えたのか、最初は怪訝そうな態度だったのが少し真剣な雰囲気になり、結果、血液検査や検尿やレントゲンや心電図や超音波(心臓部、胸部、甲状腺)の検査や診察を1ヶ月に渡って数回受け、膠原病の疑いと診断され、循環器科にて心膜炎になっているということがわかりました。この間で心膜炎は自然にひいていったそうです。検査を実施した病院には膠原病科がなかったので紹介状を書いてもらい、別のリウマチ膠原病科がある病院へ転院されました。

 その後、胸の痛みはまだ残っていたものの熱は下がり、薬を使わずになんとか生活に支障はない程度の症状になっていたため、少し安心し、このまま病院に行かなくてもいいのでは?などと思われていた後に、9月の頭に39度近くの発熱を起こし、胸部にも7月と同じような激しい痛みが起こり、その症状が3日間続いたためにロキソニンを2~3日飲むと症状は和らぎ頑張って仕事に行かれたそうです。

発熱と激痛の症状が2回も起こったため、紹介状を持って大学病院の膠原病科を受診されました。研修医らしき医師の事前問診のとき、研修医「蝶形紅班の症状はありますか?」私「チョウケイコウハンってなんですか?」研修医「身内でSLEの方はいらっしゃいますか?」私「エスエル?なんのことでしょうか?」といったように、専門用語ばかりで知識がなくチンプンカンプンだったそうです。

患者さんは自身の病気が重症ではないと診断されるのを期待されましたが、膠原病科のボスの先生には『膠原病、全身性エリテマトーデスの可能性が大、精査入院の準備をしておくように。』「熱が37.5度以上出たらすぐ病院に来てください。」と言われ、入院の期間は1~2週間程度なのかと聞いてみると、わからないと言われ、レントゲン撮影(胸部、手部)、血液を採ったあと、患者さんは困惑し頭が真っ白なまま自宅へ帰られました。

ただ、原因不明だった体調不良の病名がわかり、その病気を治そうという気持ちになったこと、見た目は元気に見えるのであまり病気のように扱われないことが多かったので医師に「つらいでしょう。」と言われ、ほんの少し心が軽くなったそうです。

自宅に帰り、インターネットでSLEのwikipediaを読むと、治療はステロイドが主で、1950年代には診断後多くは5年以内に死亡していた、という内容を読み、患者さんは生まれて初めて自分が近々死ぬかもしれないと思われました。SLEという病気で死ぬ理由は全く何一つありません。1950年代には診断後多くは5年以内に死亡していたというのは間違いだと考えています。何故ならばSLEで死ぬ根拠がないからです。それどこかSLEという病気がないからです。SLEの病気の原因はヘルペスですから死因がherpesである症例はいまだかってないからです。当時患者さんはステロイドが内服できるということを知らず、ステロイドを体内に入れることに恐怖しました。

その理由は7つ年下の弟さんが何度も入院するほど重度のアトピーによって1歳から6歳位までステロイド軟膏を使用されていました。しかし薬を塗っても一向に良くならないことから母親が薬に疑問をもち、色々と勉強をし、ステロイドの恐ろしさを常々患者さんに教えていたため、薬、特にステロイドは絶対使ってはだめだということを幼い頃から頭にあったのです。

ステロイド以外に治せる方法をインターネットで探し、当院の存在を知りました。私の論文と当時は誰でも閲覧できた大量の手記を読み、病気を治すことができると直感され、SLEが確定したら必ず大阪に行くことを決められました。

患者さんは当院のホームページを読み、病気の原因は心のストレス、心のあり方だという部分を読み、患者さん自身でステロイドホルモンやアドレナリンを出して免疫を抑え続けていたことに心底驚かれました。これまでの体調不良に対する答えではないか、とも思ったそうです。症状が大きく現れたタイミングに関しても納得いくものがありました。その時期に心がホッとすることが多く、免疫が徐々に上がっていたのだと思われました。

SLE疑いと言われた翌週に大学病院に受診すると、「SLEでしょう。今週中に精査入院してください。」と言われました。しばらく休養したら症状が良くならないのかと患者さんが問いかけると医師に「この病気は休めばよいというものではない。」と返答されました。同日に心膜炎、胸膜炎のため、循環器科の診察中その循環器の医師が、「自分だったらロキソニン系の薬を入れて胸の水をなくすけど、SLEだったらステロイドを使うのだろうなあ。前、SLEの患者で同じような症状の20代の女性が救急車で運ばれてきて亡くなったからなあー・・・。」とつぶやいていたのが非常に印象に残ったそうです。医療に関して無知だった患者さんはどこをどう質問していいのかわからず、ただその言葉を聞き、記憶をしようと努められました。当時の患者さんの胸のあたりは死にそうではないけれど普通ではない状態なのだなということは理解されましたが、同じような症状(胸水)をもった患者さんが亡くなったという情報にはとても動揺されました。また、それと同時に、大学病院の医療は進んでいると思いステロイドを使わない方法を提案してくれると患者さんは期待されましたが、この時初めて「ステロイド」という言葉を聞き、「やっぱり大きな病院でもステロイドを使うのだ・・・」と失望されました。

患者さんは自身の肺の下約1/4が真っ白になってしまっているレントゲン写真を眺めながら、この先どうしたらいいのだろうと漠然とした不安を感じられました。この日は入院に関する説明を受け、書類を持ち帰りました。

この頃の症状は、慢性的に続く37.4~38.0程度の微熱、一番症状が強かった胸部痛、背部と腹部に痛み、血便、深呼吸やあくびができない、しゃっくりしているような呼吸のしにくさ、倦怠感、食欲減退により47キロから42キロの体重減少、歩くのは問題ないが走れない、動悸、手首・指に軽い関節痛などの症状がありました。胸痛のため睡眠中も身動きがとれなかったのは辛かったそうです。

母親に入院することが決まった事と松本漢方クリニックの松本先生ことを話してみました。ホームページを見せて読んでもらい、入院前に行くか入院後に行くか色々と話し合い、結果母親に押され入院前に当院へ行くことにされました。この時に母親に相談して今でも本当によかったと思っているそうです。

当院に着くと漢方の匂いがし、病院特有の人工的なニオイではなくて、安心できる匂いに感じられました。待合室にはミーティングをしていた私の声がきこえ、その熱気を感じ、待合室にある多くの張り紙も人間的な雰囲気でとても安心できたようです。診察で色々と話し、私は患者さんに質問しました。「ホームページにはSLEの患者さんの手記はないのに、どうして来たんや?」「先生の論文を読んで、リウマチもSLEも同じ膠原病だから治ると思って来ました。」と患者さんの返答を聞き、偉い!と言いながら握手をしたのを覚えています。患者さん曰く私の診察を受けていると前向きな気持ちが湧いてきて、精神的な面でも大変楽になったそうです。これまでいくつか病院に行きましたが、私のような医者に初めて出会いました。このように真実を追究し、患者自身の内面に働きかけ、根本的に病気を治す手伝いをする医者は他にはいないと尊敬の気持ちが湧いてきたそうです。私の言うことはどれも納得のいくもので、端々に現れるやさしさを感じ、患者さんは思わず涙が出そうになり、あまり人前で泣くことをしないので必死でこらえたそうです。診察の後、漢方薬について看護師さんにも色々と説明をしてもらい、細かい相談もできて、とても感謝されていました。松本漢方クリニックは全体が力を合わせて運営されているのだと感じたそうです。

検査:血液検査、検尿。

治療:鍼灸。

処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、お灸。

大阪へ行った翌日からすぐ免疫を上げるものと胸の症状を和らげる2種類の漢方煎じ薬と血行を良くし免疫を上げる漢方風呂とお灸を開始されました。薬を薬局で渡された時は、植物を乾燥させて細かくしたものがビニール袋に入っていて、プラスチックで包装された無機質な化学物質の薬よりも、素朴な植物の暖かさを感じ、うれしく思ったそうです。患者さんは自分の病気は手間と時間をかけて向き合って治すものなのだと直感で感じられました。

ニオイと味ともに個性的な苦味がありますが、ステロイドを飲むこと、これで病気が治るということを考えるとまったく苦にはならなかったそうです。漢方煎じ薬を飲み始めるとすぐ便秘が治り、若干下痢気味になられました。

漢方風呂は2日に1度入り、微熱もあり倦怠感もひどかったため、お風呂は一時間つかるのに精一杯だったそうです。お灸は毎日母親にお願いして背中にしてもらっていました。痕になってしまったのが少し悲しいですが、当時は藁にも縋る気持ちで、意識も朦朧としていたので、おもいっきりお灸をしてもらっていたようです。痕などどうでもいいと思うほどに体調がすこぶる悪かったのだと思います。お灸は12月頃まで毎日されていました。

広島へ帰った数日後に、大学病院から入院日の確定のお知らせの電話がきましたが、主治医にその時初めてステロイドに抵抗があるということを伝え、入院を断ることにとても骨が折れましたが、自信を持って断ることが出来ました。大学病院の主治医からは翌週すぐまた受診するようにと言われ、翌週後に母親の同伴のもと病院へ着くとすぐ胸部レントゲンを撮られ、主治医から胸膜炎はひどくなっている。同じ症状で亡くなった患者がいる。肺なので症状が広がって息ができなくなる可能性がある、などと説明を受け、入院したほうがいいということを再び言われました。後に母親によると、この時のお話しでは、この患者さんはステロイド治療をしていて亡くなられたという説明をされたそうです。ステロイド治療とはどのようなことをするのか質問すると、まず大量のステロイドを点滴でいれると言われました。母親がステロイド治療をして、妊娠できるのか、治ったケースなどの明るい話はないのかなど色々と質問すると主治医は答えらえないのか叱られていました。患者さんは、実際にレントゲン画像をみせられ、医師に不安をあおられ、胸の水が広がって息が出来なくなったらどうしよう・・?やっぱりステロイド治療をしなければ、死んでしまうのでは・・?などその場で不安になりましたが、ステロイド治療に首を縦に振ることはありませんでした。結局その日は一度自宅に帰り、よく家族と話し合って決めてまた来週受診するようにと有耶無耶にされました。

自宅に帰り落ち着いて考え、私が言ったように、ステロイドは心臓や肺の機能が止まりそうなときなどの危篤の時以外は使う必要がない、という意思を改めて固められたそうです。そして、治療に専念するため、9月いっぱいで仕事を辞められました

2011年10月初め、大学病院でレントゲンを撮り、前回採った血液検査の結果により、医師から胸膜炎が酷くなっていると言われ、再び患者さんの不安を煽るように誘導をしてきたそうです。医師から「ステロイドはやっぱり使いたくない?」という質問に対して「ステロイドは使いません。」と患者さんは根気よく答えました。今はまだ良くてもステロイドを使って抑えないともっと悪化してしまうと言われ、医師から「重篤な(死にそうな)ときは?(ステロイド使うか?)」という質問に、「死にそうなときはステロイド使ってください。」と患者さんが答えると医師は呆れたような表情をしたそうです。

患者さんは当院のことを話そうかとも思ったそうですが、話がややこしくなると思いしませんでした。大学病院の医師にはステロイドが嫌な理由として弟さんのアトピー治療でのステロイド治療をみてきたため、拒否感があるということを訴え続けました。しかし「塗るとステロイドは皮膚の上で広がるけど、投薬はまた違うよ。」と説得されたそうです。次週受診するように言われ、また次回でも意思が変わっていなかったら、元の病院で経過観察してもらう方向にしようということになりました。ステロイド治療をしないなら観察をしても意味はないが、重大な病気があるのにこのまま治療せずに通院をやめるということは医師として、してはいけないとのことで紹介元の医療センターへ再び紹介状を書いてもらい、元の医師が膠原病科の専門ではないので、大学病院の医師から元の医師(内科)へ電話で説明もしてもらいました。元の医療センターの医師は女性の先生でしたので、「女性同士で話しやすいだろうし、色々と相談して考えなさいね。」とも言われたそうです。もしステロイド治療をする決心が出来たら、またこちらにいつでも受診してください。こちらに受診するときはステロイドを使用するという意味ですよ、と言われ、患者さんは承諾し、ここでの通院は終了となりました。

全身性エリテマトーデスの発病により患者さんの自信を失わせるものでした。ステロイド治療はしないと心に決めていても、毎回他の医師に治療するように不安を煽って誘導され続けられると、患者さん自身が瀕死の患者で不幸な人間にでもなったような気持ちになり、自宅に帰るとどうしてもいつも気分が落ち込んでしまいました。

上記の内容を患者さんから聞き、「病院が患者に不安を与えるような場所じゃいけない、希望をあたえないといけない。」と患者さんへ伝えました。たったその一言ですが、患者さんは内面から希望の気持ちが湧いてきて、身体がポカポカ温かくなっているような感じになられたそうです。

9月いっぱいで仕事を辞めた後、さまざまなリバウンド症状が日替わりで出てこられました。体温は37.5から38.0度くらいの熱が続き、一日中体温が安定せず上下されていました。立っていられない程の倦怠感、難聴、耳鳴り、頭痛、食欲不振、気持ち悪さ、尿が非常に少ない、手首痛、腕のしびれ、寝汗、呼吸時の違和感などの症状がいつも起こっていました。倦怠感のため基本的にベッドから動くことができず、すべての日常動作に苦痛が伴われました。

食欲はまったくなく、梨の1/8を細かくスライスしたものを食べるのが精一杯であり、漢方薬を飲むことが唯一の食事のようなものとなっていました。この頃の倦怠感、食欲不振の症状を患者さん曰く患者さん自身は妊娠したことはありませんでしたが、まるで「つわり」のような状態だったとのことでした。食事をほとんどできなかったため、体重は健常時47㎏あったものが、39㎏にまで落ち、顔も目が落ち窪み身体はアバラが浮いて歩いてもフワフワして頼りないものでした。

漢方薬2種類を3番煎じまで煎じて飲んでいたため、水分は摂取されていたのですが、尿が一日に1~2回少量しか出なくなったときは少し不安になり、一週間以上続くようだったら私に連絡しようと思っていましたそうですが、3~4日後には治ったため結局その当時は連絡されなかったようです。

難聴になり、人から話しかけられても聞き取れず、音楽を聴いてもいつも聞いている音楽とはまったく違う音に聴こえ、騒音のように感じ、音というものを聞くのが苦痛となってしまいました。常に耳鳴りもしていました。外出しても普段と違う聞こえ方でまったく別世界にいるようないつもと違う感覚だったそうです。

頭痛は朝起きた瞬間から夜寝るまで1日中ずっと続き、頭痛が回復に向かうと難聴が出てきて、難聴が回復に向かうと関節痛が出てきて・・、次々と色々な場所から症状が出てきていました。

しかし、肉体的に少ししんどかったのですが、私の論文と今まで当院で治療してこられた患者さんの手記を読んでいたので、今の症状は治る過程で患者さん自身の免疫が頑張っている状態なのだ、と精神的に安定してこれらの症状を受け入れていたそうです。

11月になると呼吸がしやすくなり、体温は平熱の日が多くなり、症状は和らぎ、当院へ行くのと合わせて奈良へ旅行もでき、街中を自転車で観光したり、山なども登ったり、少しずつ体力に自信がついてきました。

12月、患者さんにより体力作りのため、週一回の水泳を始められました。

1月になると抜け毛が多くなり、首の後ろと足の甲が痒くなっていました。首の後ろはくっきりと色素沈着のようになってしまいましたが、熱は上がることはなくなり、そろそろ仕事か勉強か何かを始めようという気持ちが少し湧いてき、資格の勉強を始められました。しかし、おしゃれをする気持ちがあまり湧かなかったり、体重が44kgくらいでまだ体力、気力ともに戻らなかったりで、治るのはまだもうちょっとかかるのかな、と患者さんは思っていたようです。血液検査の数値は、検査するたびに正常値に近づいていました。

1月の半ばごろには胸痛の漢方煎じ薬からアトピーの漢方煎じ薬に変えて処方しました。漢方煎じ薬を飲み初めてすぐ、顔面の鼻の横の頬の肌が硬くなり、化粧水が染みるようになり、ファンデーションがのらない状態になられました。一週間くらいで首の後ろ、顔の鼻の横からアトピーがどんどん円心状に広がり、浸出液がでてきました。喉の奥がザラザラしていたそうです。浸出液が出るため気持ち悪さで夜はまともに寝られなくなりました。朝起きて鏡を見るたびに毎日変化していく顔に驚き、恐怖を感じるほどだったそうです。しかしアトピーが出始めてから抜け毛はおさまりました。

2月に入るとアトピーは身体へと広がっていきました。胸やお腹の横の部分から始まり、その後、両腕、背中にも湿疹が広がっていきました。腕の皮膚は盛り上がったようになり、境目が明瞭で手の甲のほうへ日に日に広がっていく様子が恐ろしくてたまらなかったそうです。患者さん曰く、まるで赤いウエットスーツを着ているような感じになっていたとのことでした。

漢方風呂からあがりに漢方塗り薬と抗ヘルペス剤軟膏を塗ったそばから浸出液がでて、拭いてもまた出てきて、耳たぶからも浸出液が出てと、気が狂いそうな状態になられました。パニック状態だけれどもパニックになっても仕方がないと思い、患者さんは耐えていました。唯一、睡眠中が幸せの状態でしたが、朝起きた瞬間、地獄の中にいるような感覚になられました。どうしようもなく、ひたすら松本漢方クリニックのアトピーの患者さんの手記をたくさん読まれました。

顔と首と腕がむくみ、常に顔と首からは浸出液が出て、尿の量が減り、まぶたは腫れ、顔はお岩さんのようになってしまいました。

あまりの症状のつらさで抗ウイルスの薬がほしくて、私へ連絡をせずに地元でSLEの経過観察してもらっている医療センターの皮膚科を受診されました。顔面に出ているのは蝶形紅班なので元の大学病院の膠原病科へすぐに行くようにと言われ、実際に医学書の写真を見せてもらうと自分の状態と同じだったので、これが蝶形紅班なのか、と初めて知ったそうです。医師から「ステロイド治療をちゃんとしたほうがいい」と言われ、紹介状を書いてもらったそうですが、患者さんは元の大学病院へ行くつもりは一切なかったとのことです。

顔はピリピリし浸出液が出て、デコルテ(前胸部の胸の谷間のこと)の方も浸出液が出始めました。デコルテは触ると肌じゃないみたいで、ゴワゴワ雑巾のような手触りになったそうです。

3月に入った頃は、恐怖で鏡を見られない日々が続いておられました。顔はまだらに赤く炎症し、首の後ろが切れたようにぱっくり割れ、浸出液が出てきます。夜は、顔がモコモコしている感覚でムズムズとかゆく、すごく気になりずっと触っていたそうです。熟睡できず、浸出液がでているので、掛けふとんが首、顔にかかることが気持ち悪く、肩から上を出して寝ておられました。また首と顔のむくみや腫れのせいか、寝返りを打てず、まくらも使えないほどでした。デコルテはヒリヒリと痛く、たまに腕や鎖骨の辺りがかゆく、朝は顔と首がつっぱって自由に動かせませんでした。また、脚にも部分的に湿疹があらわれてきました。

この頃は、心配をかけてはいけないと思い、患者さんは人と会うのを避けていました。人に会わないといけない時は、マスクとめがねとタートルネックで隠していましたが、会うとみな血相を変えて驚いていたそうです。むくみとつっぱりと浸出液のせいで、食事、笑うなどの口を動かすという当たり前の動作が難しかったとのことでした。外に出たいけど一人では出たくないので、この頃、この容貌を気にせずに一緒に遊びに連れて行ってくれた友人知人にはとても感謝していたとのことでした。

アトピーが出始めの頃は、すぐ治るだろうと思っていたのですが、1か月以上も続いて、しかも日に日に悪化していくので、毎日このように考えていました。

元に戻るのだろうか、ケロイドのように痕にならないだろうかといった恐怖。この状態はアトピーの症状なのか、SLEの症状なのか、ヘルペスの症状なのか、SLEだったら嫌だし、アトピーだったらうれしいけどステロイドも使ったことがないのに何でこんなに症状にでちゃうのだろう・・、極度のアレルギー体質だから?でもよくわからない・・。というモヤモヤしたような気持ち。なにか行動したくてもできなくて、先の見えないことに対する歯がゆさ。かゆみと痛みと浸出液の肉体的な不愉快さ。この頃が患者さんにとって一番精神的には参っておられました。でもそんな中、周囲の「絶対治るよ!」という励ましの声は患者さんを勇気付けてくれました。この頃やさしく接してくれた方々への感謝の気持ちをこの先忘れることはないと思っているそうです。

遠方のため電話でのお薬注文の際、私はユーモアを交え面白おかしく励まし続けました。患者さんはすっと一筋の明かりが自分の中にともったように感じたそうです。

3月の終わりから4月頭になると、口が乾き、口内の一部がただれたようになり、刺激物は食べられなくなりました。デコルテが真っ赤で空気があたるだけで痛みが走りました。そんな状態でしたが、何かしなければいけないという思いで、山登りや神社仏閣をお参りして気を紛らわせていたそうです。

4月半ばになると、塗り薬は塗らなくて良いようになられました。浸出液やむくみは日に日に少なくなり、顔はジュクジュクした湿疹から粉をふいた状態へ変わっていきました。デコルテは内部の奥のほうがかゆいような感じがまだ残っていたそうですが、4月後半からは運動をすることを心がけて、体力回復を目指しました。

5月半ばになると、顔の肌は荒れていてまだ赤みが残るものの化粧ができる程回復してきました。鎖骨と首の間あたりが腫れて熱をもち少し痛い時や、胴体にまだらに色素沈着したり、腕はガサガサして粉をふき、たまにかゆくなったり、胸や首は赤黒くなり肌がザラザラで汗をかくとかゆくなったりしましたが、日に日に回復していきました。

体重が元の47キロに戻り、体力が戻っていきました。荒れていた心もすっかり楽になり、周りの物事に愛情を感じ、読書や音楽で心を安らげるようになったことに喜びを感じるようになるまで回復していきました。

6月になると、顔の肌は赤みが残っているものの、ほぼ治りました。アトピー発症以前はお風呂に入った後は急いで化粧水と乳液をつけないと肌が乾燥していたそうですが、今はお風呂上りに何もつけなくて良くなったので手入れが楽になり喜んでいました。胸やデコルテはほぼ普通の肌になり、お腹、背中、腕も徐々に回復していきました。

7月は、深呼吸時の胸の痛みがやや残っていることとお風呂上りの顔の湿疹や首と肘や膝の内側に湿疹が出てくる以外はSLEの症状らしきものはありませんでした。胸の痛みをゼロにすることとアトピーを治していくことを重点的に治療していきました。運動とストレッチをして以前より体力がついてきたそうです。実際漢方治療を開始してから、発症以前からの貧血も消えてなくなっていました。

衝撃の「発症」から約一年、発症による心の傷もようやく癒えてきました。患者さんにとってショックが大きすぎて涙を流して悲しむことさえできなかった日々。この傷は患者さん自身以外誰にも癒すことはできません。症状が回復に向かうにつれ、患者さんが自分のためだけに悲しみを感じ、涙を流してあげる日々が増えていきました。涙が出るようになってよかった、回復した証のようなものかもしれない、そう思えるようにまでなっていかれました。

患者さんは膠原病という現代における難病にかかってしまいました。しかし、患者さんは大変に幸運だったと思っています。まず、母親のおかげでステロイドを使用しなかったこと。次に患者さんは発病後、私と出会い、その治療理論に心から共感することができ、治療を開始することができました。ステロイドを使わずに自分自身の免疫でしか病気は治せない現代のすべての病気は自分で治せる真実を堪え難きを耐え抜いて治された勇気に対して頭が下がります。僕の松本理論をあらゆる脅かしにもへこたれずに免疫を上げる唯一の漢方煎剤治療を最後まで理解され信じて松本についてきてくださって本当にありがとうございました。私の理論と治療が完璧に正しいことを証明していただいた生きた証拠である貴方に感謝しきれません。ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとう、ありがとうございました。

同年代で女性のSLEが良くなったという手記や本が当時見つからなかったので、あればいいなと思っていました。もしこの症例報告が膠原病で苦しまれている方の参考になれば、心から幸いに思います。

19.(血液検査データ表)

-シェーグレン症候群, 症例報告

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