症例報告162例目
完治された病名1)クローン病2)ベーチェット病
患者:21歳、女性
小さい頃から便秘体質で、腹痛が起こってもガスでお腹が張ることもよくあり、特に気にすることもなく過ごしてこられました。しかし、異常が起き始めたのは2017年1月頃でした。腹痛、回数は少ないですが下痢をしていました。患者さん自身は特に気にしていなかったそうですが、「下痢が続くのはおかしいから病院に行った方がいい」と母親から言われた為、同年3月に近所の病院Aを受診されました。当時、会社の先輩に理不尽に注意をされるようになりストレスを抱えていた患者さんはそのことを医者に伝えると「ただのストレスだから様子をみましょう。」と言われ、整腸剤などの薬をもらい診察は終わりました。
薬を飲んでいる数日間は、お腹の調子が少しよかったそうですが、薬を飲まなくなると再び腹痛・下痢を起こしました。しかし、病院に行く時間がなく5月まで放っておられました。
最初の受診から2ヶ月経っても下痢は治まらず、唇の内側と舌に10個以上の口内炎と喉に違和感があつた為、別の病院Bを受診しました。その頃は食欲が全然わかず朝食は小さな菓子パン1つ、昼間は小さなおにぎり2個、夕食はご飯もおかずも少量でした。徐々に体重も減少し、体力も減っていったため毎日体がだるく、仕事から帰って来てもすぐに横になっていました。
病院Bで受診した際も、病院Aと変わらずストレスによるものと言われ、また整腸剤を処方され服用されていました。この時、血液検査を受けられ、1週間後に結果を聞きにまた受診することになりました。
その間、左足に虫にさされたような腫れが3か所できました。そのまま様子をみると、その腫れが次第に大きくなり4か所・5か所と徐々に増えていき、内くるぶしから足の甲まで腫れ上がり関節が痛くなってきた為、皮膚科と整形外科で診てもらいました。
皮膚科では「特に原因がない。“結節性紅斑“だろう」と言われ、塗り薬をもらい、整形外科では「特に骨には異常ない為、痛みの原因が分からない。皮膚が腫れているのだろう」と言われ鎮痛剤や湿布をもらいました。原因がわからないまま、徐々に腫れと痛みがひどくなり、立ち座りや歩くことも難しくなっていきました。
1週間が経った為、病院Bで結果を聞きに行きましたが、特に異常はありませんでした。下痢が続き、体重が減少し、結節性紅斑もあった為、別の消化管内科を受診することを勧められ別の病院Cを受診されました。
病院Cでは大腸検査をした方がいいということで2017年7月13日に大腸検査を受けられました。結果は、“ベーチェット病”の疑いと診断され今度は大学病院で詳しく検査した方がいいと言われました。7月21日の検査を受けるまでは仕事を休んではいけないと思った患者さんは、足が腫れ歩きづらいのも無理を押して、タクシーを使って通勤されていたそうです。
そして大学病院での検査の日、検査結果は“ベーチェット病”の可能性が高いと診断され、入院して詳しく検査をするようにと言われました。検査入院するまで休職されていましたが、自宅で安静している時も足の痛みや関節痛はひどく、ほとんど座ったまま過ごしていました。
やっと入院日が決まり8月9日から入院することになりました。入院後、皮膚生検、胃の内視鏡検査、CT検査、大腸の内視鏡検査を行い、結果は“ベーチェット病“ではなく“クローン病”と診断され、病棟が変わりさらに検査項目が増えました。
小腸X線造影検査、小腸カプセルカメラ、大腸の内視鏡検査、注腸X線造影検査を行った結果、縦走潰瘍、関節痛、体重減少の症状があつた為、クローン病と確定診断されました。
クローン病と診断され2017年8月26日からペンタサを服用し、食事だけでは栄養が足りていなかつた為、エレンタールを朝夕飲んでおりました。食事が徐々に食べられなくなったのと検査が続いたこともあり、体重は60kgから45kgに激減してしまいました。
担当医からクローン病についての説明や治療方法について説明を受けられました。治療方法は、ペンタサやステラーラ(生物学的製剤)などを使用した治療をするというものでした。ステラーラの治療法は、効き目がなくなれば次の薬。また効かなくなれば次の薬。と言ったようにどんどん変わっていき、最悪、腸も切除しなければいけなくなるという説明でした。
患者さんと父親は色々と病気の事や治療方法などについて調べてみました。症状がひどい方は潰瘍があるところが狭窄になって、腸を切除した方がいたり痔瘻が出来たりしているとネットに書いてあり、次々とネガティブな内容のものを見てきました。
それを見た父親は、「1mmたりとも腸を切らせたくない。」という思いから何か他に治る治療はないのかと沢山調べてくれました。すると、症状がなくなったという患者さんの手記を見つけたのです。それが松本漢方クリニックを知るきっかけになりました。
父親から漢方治療を提案され、患者さんも手術せず、また治療を受けて以前の様に普通に好きなものを食べたいと思っていたので、少しでも治る可能性がある漢方を試してみたいと思われました。
大学病院の担当に漢方治療を受けたい旨を説明し「ステラーラに入る前に、漢方治療をしてみたい。」と伝え、無事に退院を了承してもらえました。9月8日で退院され、9月12日に松本漢方クリニックを受診されました。
症状が出てくるようになったのが、職場が変わったことと人間関係によるストレスで脳が耐え切れなくなって脳の病気である鬱になってしまうので、脳を守るためにステロイドホルモンが作られてきました。しかしストレスをかけすぎてステロイドホルモンが大量に作られてしまい、免疫を抑制してしまったのです。ストレスとステロイドホルモンの関係については詳しく説明しているので詳しく知りたい方はここを読んで下さい。この病気を作ったのは患者さん自身であり、病気を治すのも医者ではなくあくまで患者自身の免疫であり、私はその免疫の手助けをすることを伝え、この世に治らない病気はないと何度も説明しました。患者さんは完治しないと諦めていた少しの不安が和らいだのか、顔の表情が柔らかくなっていくのが見て分かりました。
食前に下痢止めの断痢湯、食間に紅斑の治頭瘡一方、食後に治打撲一方の3種類の漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方し、診察後に鍼灸を受けてもらい自宅でもお灸をするように指導しました。鍼灸をすると体が楽になるという方がいますが、患者さんはあまり感じられなかったそうです。
松本漢方クリニックを受診した翌日から毎日、漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を飲むのとお灸の治療を始められました。朝昼晩、服用されましたが、初めての漢方に泣きながら飲み続け、魚中心の食生活で好きなお肉は食べられず幸い思いをされてきました。ですが、治す為に毎日頑張って漢方を飲み続けました。食前、食間、食後の繰り返しで、エレンタールも朝夕と飲んでいた為、お腹は水分で常に満腹になりご飯があまり入らないようになってきました。ご飯も入らず、下痢も続いていましたが体重はあまり変わっていませんでした。
飲み始めてから3週間くらい経った頃、1日5回ほど下痢をしていたのが、2~3回に減りました。それからは特に症状が変わりませんでした。10月頃に食間の漢方を止めて水分での満腹感が減った為、少し食事の量が増えてきていました。
薬を飲み始めて2ヶ月たったあたりから便が下痢から軟便に変わっていきました。1日2~3回は出ていました。徐々にガスによるお腹の張りも関節痛もなくなっていっていました。
2018年1月末には、便が軟便から普通便になりました。それからは体重も増えていき、まだ完全ではないにしろ動けるようにもなっていきました。
3月中旬頃から断痢湯から黄芩加半夏生姜湯の漢方煎じ薬に変更しました。以前の漢方より少し飲みやすくなったそうです。
月1回は大学病院へ血液検査の為、通院されていましたが結果はあまり良くなっていませんでしたが、腹痛や下痢、痔瘻などもなかった為、医師の方から何も言われなかったそうです。
クラススイッチは、肘や膝の裏が痒くなったり、目が痒くなったりされましたが、それほどひどく出ることはありませんでした。症状は、悪くなることもなく体重も増え続けているので、この調子であれば仕事復帰が出来ると伝え、もう一度大腸の内視鏡検査を受けてもらい結果次第で復帰できるか判断することになりました。
2018年6月15日、大腸の内視鏡検査の結果、縦走潰瘍があったところも口内炎のような小さなものになってかなり回復されていました。まだ少し潰瘍があり、血液検査の数値もとても良いわけではなかったものの、これほどまでに治っていたことにご家族は驚かれたそうです。クローン病と分かってからクローン病の治療を受けずに当院で治療したのが早かったことが、症状が早く良くなった要因の1つでした。
同年8月に仕事復帰することになりましたが、また以前の様に症状が悪化しないようストレスを溜めすぎないように心がけて、真面目過ぎず少し不真面目に頑張ってもらいましょう!アハハ!今では無事に完治されて当院での治療を終了されました。もう当院へは通われておりません。
症例報告163例目
完治された病名1)クローン病
患者:28歳
クローン病と診断されたのは19歳の時、症状は腹痛、下痢、発熱、嘔吐、下血と最悪の状態でした。元々お腹が弱く下痢をしやすかったそうで今思うとほとんど下痢をしていました。中学時代にはすでに痔がありましたが、痛みもなく出血もなかったのでそのままにされていました。当時、ご両親が離婚され、母親が家を出たため精神的にストレス過多となり、ステロイドホルモンを出し続けて下痢や痔になってしまったのでしょう。
中学校を卒業され専門学校に入学されました。10 歳のころからの夢の「ファッションスタイリストになる」ため、一日も早く夢を実現させたかったからでした。専門学校での日々はとても充実し、楽しいものだったそうですが楽しすぎて勉強も遊びも全力疾走だったそうです。寝ることも後回しにするほど興奮状態が続いていたとのことでした。肉体的なストレスから逃れるためにアドレナリンを、精神的なストレスから逃れるためのステロイドホルモンを出し続けていたのでしょう。
夢を追い続け4年が過ぎ専門学校卒業を半年後に控えた夏、東京でファッションスタイリストのアシスタントをすることになりました。卒業に必要な不足分の単位はアシスタントで働きながらレポート提出することで卒業できるとのことで休む間もなく常にストレスがかかっている状態が続きました。
この頃には下痢、下血があり、腹痛も酷く、痛みのために吐くこともよくあり、時々ふっと倒れることもあったそうです。また熱が出ることも多くなり身体がだるく動くのも辛い日々でした。さらに痔ろうが悪化し、膿がたまり腫れが痛くて歩くのも辛くなりました。電話でも異変が分かったのか、ご実家の母親が心配して愛知から東京にいる患者さんの様子を見に行くと、あまりの激痩せしている患者さんを見て母親が愕然とされました。しかし夢に近づいて必死だった患者さんは病院へ行くのを頑なに渋りました。母親は患者さんの身の回りのことを手伝い、買い物を代わりにしてくれ「どこでもいいから近所の内科へ行って相談しなさい」と言って帰っていったのでした。
その後も病院へ行くのを渋る患者さんを電話で母親が病院へ行くように促され、しぶしぶ近くの内科医クリニックで受診されました。しかし、仕事から離れたくないのと数ヶ月後に卒業旅行でパリに行くことを楽しみにしていた患者さんは症状をあいまいに伝え、ビオフェルミン(ビオフェルミン)を処方され様子見ということにして診察を終了させました。
パリ旅行を二週間後に控えた正月休みに帰省され、成人式用に準備してくれていた振袖を母親に着せてもらっている途中、急に吐き気がして吐いてしまいました。これだけ酷い状態にあっても患者さんはあまり深刻な事態だとは思っていなかったそうです。そう思いたくなかっただけかもしれませんが。相変わらずビオフェルミンを服用してその場しのぎをしている患者さんにさすがの母親が「とっとと病院へいけ!そんなんでパリ旅行へ行けるとでも思っとるのか!!」と激怒されました。
しかし正月休みが終わり東京へ帰っても仕事を理由に診察を先送りにしていました。現実逃避をしました。やっとクリニックで検査を受けたのがパリ旅行準備のための帰省前のことでした。検査結果は旅行から帰ってから聞けばいいと思った患者さんでしたが、あまりにも採血結果が悪かったため、実家で旅行準備をしている患者さんの携帯にクリニックから直接連絡が入り「今すぐ大きな病院で精密検査を受けるように」と言われたのです。
土曜日でも診察してくれる総合病院が一つだけあったのでそこに受診し、そこでも採血をされ同じく異常な数値が出て即入院となりました。パリ卒業旅行へは行けなくなりました。検査が受け続き、結果、クローン病と判明。一旦、退院し母親の元へ身を寄せましたが、患者さんは心身ともにボロボロでした。
クローン病はその総合病院では治療できないとのことで、大学病院を紹介され翌日に受診するつもりでしたが、明け方から高熱が出て救急車で運ばれることとなりました。大学病院で即入院となりました。内科での対処療法と検査が続き、そして腸の癒着や瘻孔が酷く外科の医師にすぐにでも手術が必要だと説明を受けました。その 1 週間後に手術をし、目が覚めたときには人工肛門になっていました。2 年半程の人工肛門生活を送り、痔ろうも落ち着いたので人工肛門をしまいました。この人工肛門の間は、週 3 日程度のんびりと高校に通いながら生活されました。高校を卒業するころには人工肛門もしまい、病状も落ち着いていたので今後どうするか考え、大学受験を経験してみて受かれば通うというように決め受験をしました。
薬学部に合格し、大学生活を送ることになりました。しかし、1 年が経つころから、体調を崩すようになり入院の回数が増えました。受験勉強で放出され続けていたステロイドホルモンがなくなり、抑制されていた免疫が活性化して症状が起こったのです。
そして2011年8月末に入院したとき、主治医に今度悪くなったら再手術が必要だと言われ、今まで拒否してきたレミケードも使うことを勧められました。手術もレミケードも拒否したい。そんな時、母親に今後どうしたいのかと詰め寄られ自分がどうしたいのか真剣に考えました。この時に母親に追い詰められなかったら松本漢方クリニックには出会えなかったとのちに患者さんは言いました。辛いことを見ないようにまた諦めるようにのん気で楽観的であまり考えないようにしていた患者さんには必要なことでした。涙をこらえ少し怒りも混じりながらも病室のベッドの上で携帯を使ってどうにか治療方法はないかと調べていると『松本漢方クリニック』手記にたどり着いたのです。
主治医は退院することに後ろ向きでしたが、早く退院をして松本漢方クリニックに行きたかった患者さんは半ば無理やり病院を出ました。
2011年9月末に初めて松本漢方クリニックを受診。私が絶対に治る!!と言うと安心したのか患者さんは涙ぐんでいました。どこの医者も絶対に治るとは保証ができないのでこんな事をいうのは私ぐらいでしょうね?アハハ!私は患者の免疫の手助けをしているだけにすぎません。病気を作ったのは患者自身でありますが、病気を治すのもまた患者自身の免疫なのです!!漢方煎じ薬と漢方風呂を処方し、鍼灸治療を受けてもらい自宅でもお灸をやってもらうように指示しました。何事も完璧を目指してしまう性格のようで無理をしやすいところがあります。これからはもっとおおらかに物事を考え、出来なくてもいいのだと考えて治療にあたってもらいました。
ちょうど漢方治療を始めて1年がたった2012年9月末にリバウンドがきました。下痢、嘔吐、37度ぐらいの発熱、腹痛に一晩苦しみました。下血はありませんでしたが、お腹の中身を取り出してしまいたいぐらいの激痛が起こりました。3 日間辛い日が続き、4 日目にはすこし食欲も湧いたのでお粥を食べました。ご飯が食べられたので、抗ヘルペス剤と抗生剤を飲みました。1週間経つ頃には出歩くこともできるようになりました。
とても辛かったと思いますが、良くなる過程だとわかっていた患者さんに不安はなく、痛みに堪えるのみだったとのことでした。また治るのだという安心感から心のゆとりが出たのか、幼いころから習っていた煎茶道の稽古を再開されました。お点前をする時の心の静まる感じがストレス発散となりました。松本漢方クリニックへの通院も月一回を目安に京都のお寺巡りの旅を兼ねて母親と一緒に一泊旅行のように楽しみながら通い続けました。
治療を始めて8 か月が過ぎた頃、アトピーも出始め煎じ薬がアトピー用に変わった頃でした。手記を書いて頂けたことで気持ちにひと段落ついたのか、気持ちが緩んだのか、毎日欠かさず漢方煎じ薬を煮出し、持ち歩き、食前食後きちんと飲んでいた漢方薬をさぼるようになりました。罪悪感があったものの「今はちょっと休むだけ」と出来ない自分を思い切って許せるようになりました。
それから休学中の大学への復学を考える時期でもありましたが、松本理論を読んで製薬業界・医療業界の実態を実感し薬学部を辞めて、心理学部への転部試験を受けることにされました。心の在り方がどんなに重要なのか身を以て体験してきたため、心理学部を十分に楽しんで卒業したいと考えました。働く意欲も出てきてアルバイトも始めました。事務のアルバイトでしたが、病気のことも伝え休みたいときには休める環境を与えてもらえる職場でした。
2013年2月末、初診時に比べかなり良くなった患者さんは両腕内側のアトピーと痔瘻の膿が少し残っていました。痔瘻は最後まで残る人もいます。クラススイッチが起こりアトピーが出てきたのでこれからますますアトピーが出てくることを説明しました。
それから2か月半後、予想通りアトピーはどんどん酷くなり赤く腫れあがり痒みも強い日々が続きました。抗ヘルペス剤を毎日飲んでもらいながら痒い時は掻いても良いと伝え、その後に塗り薬の紫雲膏を塗るように指示しました。そんな日々を続けながら5月の受診を終えた頃、のどの痛み、だるさ、咳、頭痛が現れました。これもリバウンドです。患者さんは何も心配しませんでした。身体が辛いときは迷わず大学の授業を休みました。春から薬学部から心理学部へ転部され授業がとても楽しいと感じておられました。この時のリバウンドの後からアトピーの部分の症状が変わってきました。赤く腫れあがっていた部分の腫れが引いて赤みも消えカサカサしてきました。色は薄い痣がある感じで痒みは相変わらず強いものの、気が向いたときに抗ヘルペス剤を飲み続けられました。
昔は体が凄く怠く、またそれが当たり前のことでした。それが今では味わったことがないぐらい体が軽くなられました。これは本当の健康を感じているからこそ、分かったことです。そしてクローン病は無事に完治され、当院での治療を終了されました。