症例報告133例目
完治された病名1)クローン病
患者:27歳、男性
2009年6月中頃、下痢になり始めていましたがただの下痢だと思い、そのままにすれば治るだろうと気にも留めませんでした。それから1ヶ月後、急に夜も眠れないほどの腹痛が起こりました。次の日、近所の病院で診てもらうと、おそらく風邪の菌が腸に入ってしまったことによる胃腸風邪だと診断されました。その日は点滴を受け、腹痛を抑える痛み止めと下痢止め、解熱剤を処方され、家に帰りました。しばらくは薬を飲むとある程度痛みが和らいだので良くなってきていると患者さんは思っていました。
しかし、いつまでも痛みが完全に引くことはありませんでした。血液検査をしてもらった結果、赤血球の数値が異常に高く、次の日、大腸の検査をすることになりました。その結果もあまり良くなく一度様子を見るために検査入院をすることになりました。翌日、血液検査、CT、エコー、色々な検査をした結果、大腸が癒着している可能性があるということで、小さな病院から市立病院の外科病棟に移ることになりました。
その日のうちに市立病院に転院し、診察を受けました。患者さんと直接会うまでは緊急手術を行う予定でいたそうですが、患者さんが思っていたほど顔色が良かったのを見て手術をせずに治療するようにしてくれました。このとき手術をせずに済んだのは本当に幸運でしたね。この市立病院には約1ヶ月入院され、1週間の絶飲絶食、24日間点滴を受けて約10kgほど体重が落ちました。そして、大腸カメラなどいろいろな検査の結果、クローン病と診断され、服薬のベンタサとエレンタールを処方されました。
その頃に患者さんのお姉さんがインターネットで松本漢方クリニックのホームページを見つけ、当時掲載されていた患者さんの手記を持ってきてくれたのです。その頃には、病状もよくなり点滴も外れていました。患者さんの手記や、私の根本的治療法を読んで、早く退院して松本漢方クリニックで治療したいと思うようになりました。
しかし、市立病院はCRPの値が少し高いといっていつまでも退院させてくれませんでした。ストレスは溜まる一方で、大学の夏休みの終わりも近いこともあり、早く松本漢方クリニックに行きたいこともあって母親も呼んで直談判し無理やり退院することになりました。
9月18日、患者さんと父親、母親の3人で初めて松本漢方クリニックを訪れました。2つの煎じ薬を処方して半年後には体重も元に戻り、CRPの値も次第に良くなり、痛みも全く無くなりました。
再び体調の異変が起こりました。2015年7月中頃、夜も寝つけないほどの急な腹痛に襲われました。しかし昼間には痛みが引いたりしていたので何とかだましだまし過ごされていました。それでもだんだん痛みは増していき、昼間も痛みが続くようになり、なぜだか腰も痛むようになって再び松本漢方クリニックを受診されました。
約2年ぶりの受診でした。患者さんの体調を聞いて下痢と炎症を止める漢方煎じ薬と前回はなかった抗ヘルペス剤を処方しました。抗ヘルペス剤を飲み始めると痛みが少し和らいではきましたが完全に痛みが取れるということはなく、時折激しく痛くなる時もありました。その度にアシクロビルの量を増やしたりと調整していました。
それと同時期に患者さんの父親が緑内障の治療で通っている鍼灸院の先生がクローン病の針治療もしていることがわかり、その鍼灸院にも通うようになりました。そこの鍼灸院の先生自身もクローン病を患っており、痛みが強い時の対処方などを聴き、痛みが強い時が続いた場合は食事をエレンタールのみにした方がいいとも教えてもらったそうです。しかし、患者さんの職業的な事情もあり特定医療疾患の申請をしていなかったため、エレンタールの代わりに食物繊維を含んでいないゼリー飲料を勧められました。
漢方薬とアシクロビルを飲み続けながら、食事をゼリー飲料に変えて1週間程で痛みもかなり和らぎアシクロビルの量も少しずつ減らしていきました。2週間たった頃には痛みもほぼなくなり、少しずつですが食事も徐々に固形物に切り替えていきました。3週間後には、普通の食事をとれるようになり、アシクロビルも飲まなくなりました。週2回通っていた鍼灸院も1か月後には週1回に減りました。
今では、便の状態も普通になり腹痛もなく食事も普通に摂れています。鍼灸院も2週間に1回と回数も減りました。完治されたため、患者さんの治療を終了しました。
症例報告134例目
完治された病名1)クローン病
患者:23歳、男性
クローン病の初期症状が現れたのは2014年の3月でした。高校卒業後、工業系の工場に就職し、公私ともに順調な日々を送っていましたが、2013年から新しい仕事を覚えることになったり、リーマンショック以降抑えられていた受注が増えてきたりと、忙しい日々が始まりました。しかし、今までの諸先輩方はこなしてきた、若いうちの苦労は買ってでもするべきだ、この程度の労働時間で体がダメになることはない、指導役の先輩だって大変なんだ、などと自分に言い聞かせて必死に働きました。そして、余裕がなかったことで上手くストレスを吐き出すこともできず、ストレスが溜まり続けて副賢を刺激され、ステロイドホルモンを出し続けた結果、患者さんの体からも悲鳴が上がったのです。
3月半ば、年度末の追い込みも終わりが見え、安心していたころでした。初期症状は大便をした際にお尻から出血があり、しばらくしてからイボ痔もできましたが、その後1、2ヵ月ほど放置されました。しかしいつまでたっても治らないので市販の軟膏薬を1~2ヵ月程使いましたがそれでも治りませんでした。近くの個人病院で診てもらい、そこで軟膏をもらいましたがその軟膏も効かず、肛門科、胃腸科を専門にしている病院で診てもらいました。しかし、結局同じような軟膏を処方され治らず、原因不明という繰り返しに患者さんは不安が募りました。そしてその医者から「軟膏で治らないなら切除するしかない。」と県内有数の肛門科、胃腸科専門の大病院を紹介されました。
最初の下血が出てからちょうど1年経った頃、2015年の3月の時点で下血はほぼ排便するたびにお尻を拭いたトイレットペーパーにしっとり血が染みる程度でした。イボ痔は少し大きくなり鋭い痛みを伴うようになっていました。下痢は週に数回、体重の変化はなし。
諦めと恐怖を抱えて紹介された大病院へ行きました。患者さんの担当になった医師はその病院の院長らしく、患者さんの肛門を覗き込み10数秒後に「これはクローン病かもね。」と半ば確信するように呟きました。しかし、多くは説明しないままに「腸に潰瘍があるかもしれないから」と内視鏡検査を勧められました。後日、内視鏡検査を行い小腸に潰瘍があることを確認し、クローン病と断定されました。「この病気は完治できません。けど食事制限と投薬によって症状は抑えられます。気長に付き合う覚悟をしてください。」と患者さんに言いました。その後病院専属の栄養士の説明を受けました。「油脂、不溶性食物繊維、辛味香辛料、アルコール、炭酸飲料、冷たいもの等を避け、さらに食事は程々に、それでいて気負いすぎず、気長に付き合う覚悟をもってください。」と伝えられました。完治できない、厳しい食事制限に患者さんはショックを受けると同時に冷静に受け止めようと必死でした。帰宅後、患者さんは趣味のバイクツーリングや料理、キャンプの全てがまともにできなくなることに気づき、悲しくなりました。
冷静にならなくては、前向きにならなくてはと必死に思考を前に向かせながら、色々なことを諦める覚悟をしなくてはと思いました。親御さんにも笑いながら、さも大したことではないようにクローン病のことを伝えたそうです。
1日1食にエレンタールを食事代わりに食べ、あとは油脂、不溶性食物繊維、辛味香辛料、アルコール、炭酸飲料、冷たいもの等を避けた食事を摂って過ごされました。処方された薬は5―ASA製剤のペンタサをメインに、プレドニン等のステロイド薬も処方されました。この時、患者さんは病院から渡されたパンフレットやインターネットで初めてクローン病がどのような病気か知り、驚きました。症状が酷い人は腸を切除しなければならない、拒食症のようにガリガリにやせ細る、発見されたのは1932年以降で原因も根治治療法もわからないまま、というものでした。そんな病気に罹ったことに再びショックを受けつつも、「自分はまだマシなほうなんだ。」という気休め程度に自分を慰めました。
治療開始から数週間後、この時に患者さんの父親が患者さんのためにネットでいろいろ探して松本漢方クリニックを見つけてくれたのです。しかし患者さんは感謝しつつも、「原因もわからないのに漢方で治るわけないじゃん(笑)」と僅かな希望に縋ることを即座に諦めました。また父親もあまり強く勧めはせず、お前がそう決めたのなら、というふうに松本漢方クリニックの話はしなくなりました。
平静な態度を取っていた患者さんに判断を任せたのでしょう。しかしそれとは裏腹に、患者さんの心の内はこれっぽっちも平静ではなく、多くを調べないうちから全てを諦めようと頑ななものになっていました。世界中の医者が匙を投げるのになんで大阪の個人病院が漢方で完治させられるんだよ。と批判的な意見を持ちました。クローン病のことを知るにつれ、詐欺まがいのエセ医学には頼るまいと思い込んでいたのです。しっかりしなくては、騙されては駄目だ、自分は全然マシなほうなんだ、この治療法でいいんだ、と自分に必死に言い聞かせていたのです。
痔の痛みと腫れは引き、下血は止まり、下痢もほとんど止まりました。症状が和らいだので週に1回だけ脂っこいものを食べたり、プレドニンも少しずつ数を減らしていきました。順調に良くなっていると思い込んだ患者さんはすっかりその医者と治療法を信用しました。12月頃からこむら返りで夜に起きることが多くなっていきましたが、これを治療の副作用によるものだとは微塵も疑わないほどでした。
2016年の2月頃、痔が完全には無くならないことを受け、担当医から何気ないふうにヒュミラを勧められました。特に疑いもなくその治療を受けようと思っていた患者さんでしたが、すぐには返事をせずその日はとりあえずパンフレットを受け取って帰られました。パンフレットには、ヒュミラは抗TNF-α抗体薬で過剰に出されるサイトカインを殺すものだとあり、クローン病患者の多くが症状を改善させている、寛解状態を維持できる、旅行に行ける、といった美辞麗句が並んでおり、患者さんは期待が膨らみました。しかし、最後のページに書いてある副作用一覧のページに書かれている数の多さと一つ一つの症状の重さに途端に怖くなりました。
ヒュミラは抗TNF―α抗体薬、過剰に出されるサイトカインを殺すものだと書いてあっても、その文言自体に強い危険性を感じる人はごく一部でしょう。ほとんどが無知な患者です。そして病に侵された患者に差し伸べる医者の手ほど甘い誘惑はありません。
翌月にヒュミラを使えるかどうか確認するための結核反応等の検査結果をもらい、「特に問題なく使えるようです。」と伝えられましたがこのまま話を進めることが怖くなりとりあえず保留にしました。どうするべきか決まらないまま1ヵ月が過ぎてしまいましたが、担当医が体調を崩したためしばらく代理の医者が付くことになりました。ヒュミラ云々の話は引き継がれていなかったらしく、患者さんはほっとされました。そのままペンタサだけを投薬されていました。翌月も、翌々月も代理の医者が診察を担当しました。その代理の医者は同じ作業の繰り返しの様に診察をし、まるで誠意の無さが窺える態度に患者さんは不信感や苛立ちが募り始めました。
2016年7月、週に1度自由な食事を摂れる日に続き、翌日も久しぶりの友人との食事につけ麺を食べました。そして次の日には下痢になっていました。明らかに体調は悪く体が重く感じました。しかしそんな状態でも出社されましたが下痢は続き、頭痛と腹痛が酷くなり、体はふらつき、仕事が手に付かず、結局午後は早退されました。のちにクローン病の症状だと知り、患者さんはショックを受けられました。今までにない症状だったので最初は重い風邪なのかとも思っていたからです。その日は10回以上の下痢をしました。
患者さんは何故、今回はこんなに酷いのか疑問に思いました。初期症状が現れてから何度も満腹になる程の食事をしたこともあり、クローン病治療が始まってからも油脂やアルコールを少し摂っていました。少し下痢になることはあってもこんなに悪化するのはこの時が初めてだったそうです。
ステロイド剤や免疫抑制剤などの投薬が進むにつれ、今まで免疫を抑えられていたものが一気に動き出し元に戻ろうとして再燃、リバウンドを起こしたのでしょう。原因は食事と、久しぶりの友人との他愛ない会話で開放的な気分になったせいもあるでしょう。
更に翌日も朝からひどい腹痛と下痢に襲われ会社を休みました。まだ体はだるく、腹痛もあり、ベッドの中でうずくまっていました。この1年程で抑えてきたやり場のない怒りや悲しみが湧いてきてたまらなくなりました。いっそ今から泥酔するほど酒を飲んでしまおうかと自暴自棄にまでなりましたが踏みとどまり、なんとかしなくちゃと前を向き、考えました。そして松本漢方クリニックのことを思い出し、腹痛をこらえてパソコンで調べて当院のホームページを見つけて、「クローン病の完治の理論と根拠」のページを読もうとし、その文章量に驚かれたそうですが縋る思いで全て読まれました。
自分の体験と照らし合わせてハッとしたり、シンプルで整合性を感じる理論に興味を持ちました。そして自分の初期症状とストレスがかかった時期が見事に一致していることに気づきました。専門用語などが一杯ならんでいて医学の素人には難しすぎますし、騙されているのか?という不安があったそうですがそれ以上に真実に近づいた感覚を患者さんは感じたそうです。もう一度読み返してみても違和感はなく、今度は当時掲載されていた他の患者さんの闘病手記を読み始めました。そこには多くの患者が完治、症状の改善をした記録が載っていました。
翌日から体調がある程度回復したので出社されましたが、昼休みも家に帰ってからも手記と論文を読み返しました。翌週、いつもの病院にいくつかの検査と問診、内視鏡検査の予約をするために向かいました。血液検査の結果を見るとCRPが上がっていました。初めでは0.4程度でしたが、0.87まで上がっていました。私の論文と手記を読んで勉強されていた患者さんは、このままではどんどん強い薬を使い始めて最後には腸が無くなってしまう!と恐怖がよぎりました。そして問診の最中、あの代理の医者がいつものルーチンのように薬を処方するのを見てこのままでは自分の生活が好転することは決してないであろうことを悟り、患者さんはその場で、病院を変えるので検査結果を同封して紹介状を書いてもらうようお願いしました。
7月下旬に内視鏡検査を受け、翌週に検査結果と紹介状をもらいました。検査結果としては「それほど酷くなってはいないが決して良くなってはいない。」というものでした。患者さんは松本漢方クリニックでの治療を受けるべく準備を始めました。まず医療費助成を活用してエレンタールをまとめ買いし、(内視鏡検査で入院したのですでに2万オーバー)投薬量を自己判断で少しずつ減らしました。(強い薬を長期に服用している方は真似しないでください。)仕事も丁度忙しくなってきましたが、上司に無理を言って9月以降は病院と薬を変えるので副作用で(実際はリバウンドで)病欠が増えるであろうこと、残業もほとんど出来なくなる状況が長期に続くであろうことを説明して、許可を貰えました。目に見えて痩せてしまっていたので心配してくれていたようです。そして9月以降に患者さんが仕事に出られなくなった場合のリカバリーの仕方まで算段をつけました。協力してくださった上司や同僚の方々に感謝しています。
親にも相談し、松本漢方クリニックでの診察に同行してもらい、自宅での治療をサポートしてほしい旨を伝えました。論文や手記、ブログを読み漁り、治療の流れや理論に理解を深め、そして8月下旬、ようやく松本漢方クリニックに初来院されました。
診察を始めてすぐに患者さんが顔面神経麻痺になっていることに気付きました。患者さんはそのことに気づいていないようでした。ストレスとステロイド薬剤により免疫が下がった結果、患者さんは腸だけでなく神経も侵されていたのです。2015年の12月から継続的に起きていたこむら返りも、友人と食事をした際に行ったカラオケで声が思うように出せなかったのも、まさに口や頬、顔面が上手く動いていなかったからです。これからは主食を発芽玄米にしてもらい、それ以外は何を食べても良いと指導すると患者さんは驚き、喜びました。てっきりエレンタール等から慣らしていくのだと思っていたからです。「絶対に治る。あんたの免疫こそが名医なんや。」と言って握手をして問診は終わりました。次に血液検査をしてもらい、鍼灸治療と自宅でもお灸の指導を受けてもらいました。
自宅に帰り、翌日にはお灸のための道具を買い、漢方薬を保存するための容器をネットで買ったりと準備され、数日後から本格的な治療が始まりました。余っていたペンタサは全て捨ててもらいました。お灸は背中を母親にしてもらい、漢方薬を煎じて作っては飲み、抗ヘルペス錠剤を飲み、主食はネットで買った無農薬の発芽玄米を粥にして食べられました。食前食後の漢方を飲んで免疫を高め、さらにお灸でリンパを刺激し免疫を上げます。お灸で出来た火傷痕はIgEの産生を助けてクラススイッチを早めてくれます。発芽玄米は下血、下痢の緩和に役立ちます。できれば無農薬のものが好ましいですが、白米よりも玄米の方が栄養価が高いのはもちろんですが、玄米よりも発芽玄米のほうがさらに栄養豊富で消化にもいいのです。何故、発芽玄米がクローン病または潰瘍性大腸炎に良いのか詳しく考察している論文があるので、詳しく知りたい人はここを読んで下さい。
治療開始から2、3日後にはリバウンドにより下痢が出始めました。とは言っても1日2~3度で腹痛も殆ど無く、仕事も無理の無い範囲でこなせていました。それでも体重は落ちていき53キロから50キロ丁度まで落ちました。
治療開始から2週間後、薬が切れたので電話診察を受けられました。薬と一緒に当院での血液検査の結果も同封しました。CRPが0.05以下、リンパ球数も30程度とどちらも正常値でした。リンパ球数が正常値なのは当院にかかる前からしていた投薬の減量のおかげかもしれません。
10月に入ってからはそれまで怖くて食べていなかった油脂類の多い普通の食事を摂るようになりました。チョコやスナック菓子も食べるようになりましたが特にリバウンドが酷くなることもなく、体重は増えていきました。下痢だった便は形を保つようになり、軟便気味、というくらいになりました。この頃から漢方風呂に入ってもらいより免疫をあげてもらいました。
11月には軟便は少しずつ固くなっていきました。こむら返りは一切なく、声の通りも良くなっていました。カラオケでも気持ちよく歌えました。体重は54キロまで戻りCRPは0.05以下を維持しています。少し寒くなってきましたが、久しぶりに埃の被ったバイクを掃除して、ほんの数十キロほど走りました。バイクだけでなく他のもの全て病気のせいで手離さなくてよかったですね
11月下旬、便は完全に固形便になっていました。痔の方は相変わらずまだありましたが痛みはなくなりました。漢方風呂が効いているのです。クローン病発覚以前から痔の軟膏をかなり使っていたこともあり、治るのに時間がかかるのです。
始まりはほんの3~4ヵ月、必死に仕事をしたことがきっかけでした。結果的に得たものは仕事の経験とそこそこの残業代で、失ったものは残業代以上のお金と食の自由と食に付随する楽しみでした。そして当院の治療費が、他院の治療費に比べてもかなりの金額で驚かれました。リバウンドよりも経済的な不安の方が大きくなられましたが、これから一生、長生きしたとして60年以上病に苦しみ、お金や食の自由、移動の自由、あらゆる楽しみ、最終的には臓器まで奪われる可能性を考えればずっとマシだと患者さんは思いました。そしてこの治療法で上手くいくという確信を持っていた患者さんは最後まで不信感から投げ出すことはありませんでした。標準治療を受けていた時以上に治療のためにお金を投資されました。1年半標準治療を受けており、他の患者さんに比べたら短い期間ですが、それでも多くのものを損した気に患者さんはなりました。
今は肩の力を入れすぎず適当さを持つこと、僅かな可能性にも縋る価値があること、視野を広く持つこと、社会の裏側には悪意や我欲が多く隠されていること、他にもいろいろありましたが、これらの教訓を活かしながら日々を楽しく過ごせています。