症例報告106例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:54歳、女性
2012年10月ぐらいから便を出す時に肛門の上あたりが時々痛みましたが、便は普通便だったのでそのままにされていました。11月ぐらいから便を出す時、先にガスと一緒に赤茶っぽい粘液が出ていましたが、便は依然として普通便でした。しかし便を出す時に粘液が毎日続いたので2013年2月に病院に行き、大腸検査を受けた結果、潰瘍性大腸炎と診断されました。すぐにアサコール朝夕2錠、ミオD朝夕2錠を処方され、2日で粘液が出なくなりました。それから3か月ぐらいはキッチリ薬を飲んでいましたが、ある日、このまま薬をずっと飲み続けることに抵抗を感じ、飲まずに過ごすようになりました。その間、2カ月ごとに病院へ行きましたが、血液検査をしてもらっても「異常なし」で、医師には「薬がよく効いているね」と言われていました。それからは毎回、処方された薬は飲まずにいました。その間も便も体調もよく、治らないと言われていた難病が治ったと思っていました。薬がよく効いてしばらく飲んでなくとも見かけ上は症状が出なかったのでしょう。
しかし、2014年6月頃から、また粘液が便の前に出る症状が出て、患者さん判断でまだ残っていた薬を飲んだりされましたが改善されなかったので病院に受診されました。医師から再熱していると言われ、改めて「やはりこの病気は難病だ」と思い、その日からにキッチリ処方された通り(ひどい症状の時は、1日1回ペンタサ坐剤を1週間続け、アサコール朝夕3錠、ミオD朝夕2錠)にしていましたが、良くなったり、悪くなったりでなかなか改善されず、このままどうなるのだろうと不安になりました。結局、薬を飲んでも改善しないのなら、また前の様に薬を毎日飲まずにひどい時だけ飲もうと患者さん判断でやっていきました。
月日がたち2015年2月ごろから症状も落ち着いてきましたが、このまま一生、改善と再燃を繰り返してだんだん悪くなって最悪は手術するのだろうかと、毎日暗い気持ちで過ごされていました。そんなある日、インターネットで松本漢方クリニックの事を知り、私の潰瘍性大腸炎の論文や当時掲載されていた患者の手記を読まれ、松本漢方クリニックを受診したいという思い、ご家族に相談すると賛成してくれ、大阪高槻まで行くことになりました。
2015年4月に当院を受診。当院の治療にはご家族の理解とサポートが不可欠なので初診時はご家族と共に来院することを奨励しています。ネットでその旨を書いていたので、一人で来ても診てもらえるか心配されたそうですが、「自分の免疫で治る!」とほとんどの患者さんに言っていますが、この患者さんにも同じように言って患者さんに治療を頑張ってもらうようにしました。
それからは毎日、食前食後の表現のしづらい臭いと味のする漢方薬、ご主人に手伝ってもらいながらのお灸、週に1~2回の漢方風呂に入る生活を過ごされました。遠方なので2カ月に1回の通院し、それ以外は2週間ごとに電話診察を受けてもらい漢方薬を郵送していました。
漢方薬を飲み始めて2日目ぐらいから、松本漢方クリニックで治療開始する前に出ていた粘液も出なくなり、それから出血は一度も起こりませんでした。しかし、発病時の普通便から泥のような便に変化してしまい、患者さんは少し心配されていましたが、日々変わる患者さんの症状(蕁麻疹がでたり、風邪をひいたり)に合わせて漢方薬や抗ヘルペス剤の量を変えながら治療を続けてもらいました。9月ごろには食前の漢方薬、お灸、週1の漢方風呂だけになり、便も1日1~2回の普通便に変わり、発病する前の元気な頃の体に戻り、前のような生活を送れるようになりました。仕事や人間関係などでストレスなど溜め込みすぎないためにも、真面目になり過ぎず、あまり突き詰めず適当にやる、他人に嫉妬しない、他人の幸せを自分のことのように喜び、少しずつ後ろ向きな性格を変えるようと無理をしない範囲で努力され、自分の免疫を信じ、免疫で治すということをやっていきました。
また7月に以前通院していた病院で勧められて大腸検査を行うと、1年前にただれていた直腸からS字結腸の間が跡形みたいになっていて良くなっており、「もう絶対薬に頼りたくない」と患者さんは改めて思いました。現在は無事に完治されて当院に通われなくなりました。
症例報告107例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:41歳、男性
潰瘍性大腸炎と10年前に言われ、7回の再燃、ステロイド、免疫抑制剤、注腸薬、L-Gapとあらゆる治療をしてきて免疫がすこぶる低下していましたが、当院で治療を受けて以前の様に生活できるようにまで良くなった患者さんです。
平成17年当時、朝は早く夜は遅いというなかなかハードな会社に勤務しており、そのストレス発散のためにしょっちゅう同期と朝方まで飲むという著しく不摂生な生活を送っておりました。患者さんはそのストレスと不摂生で腸が悪くなったのです。
当初は朱色の血だったので、てっきり痔だと思われましたが、だんだん腹痛も出血も酷くなり、会社の近くのクリニックで診てもらいました。診断は「腸の風邪」との事で、風邪薬と整腸剤をもらうも、一向に治らず、今度は自宅の近くの総合病院へ行きましたが、そこでもウイルス性の何かとの事で、抗生物質を処方されただけでした。しかし一向に治らず、それどころか、1日20回くらいトイレに駆け込んでしまうような状態へ悪化していきました。
その後もどんどん悪化していき、腹痛も耐えがたく、目眩も起こすようになりました。もう一度家の近くの総合病院に行きました。前回とは別の医師により直腸診をすると医師の指にドロッーとした血が付いたことで潰瘍性大腸炎の疑いと初めて指摘されました。詳しく検査され、検査結果が出るまでにこの病気について調べると、治らない病気で一生付き合って行く大変な病気である事を知りました。「潰瘍性大腸炎じゃないように」と祈るも思い届かず、結果は潰瘍性大腸炎であり、入院という事になりました。
その当時、子供が2人いたので気持ちが落ち込み、不安に思っていました。しかし、いざ入院して数週間の断食とステロイドの点滴から始め、途中から点滴を錠剤のプレドニンに変えるという治療を受けると、薬が効いて下痢は止まり出血もなくなりました。そして、日に日に見かけ上症状が良くなっていき退院する事が出来ました。退院してからもプレドニンを徐々に減らしていきながら、ペンタサを飲み続ける生活をされ、だんだんと昔の食生活に戻っていき、お酒も飲むようになっていきました。この頃にはペンタサだけ飲み続けておられました。
3年後、しばらく下痢が続いていた中、トイレで拭いたトイレットペーパーに血が付いていました。そこから下痢は続き、出血する状態だったので定期的な診察を待たず病院に行き、ペンタサの量を増やしてもらうとともに、お尻から入れるペンタサ注腸をもらい、毎日入れ続けました。注腸薬は最初はすぐにトイレに駆け込んでおられましたが、だんだん効いていき出血も少し収まって来たものの、しばらくしてまた出血を起こし、腹痛と下痢も続いてしまいました。そして今度はプレドネマ注腸に変え、その上サラゾフィリン座薬も入れて頑張ってみましたが、これもやはり徐々に効かなくなり、ついにまたプレドニン錠を飲むことになりました。また下痢が止まり、出血も収まっていきました。ペンタサ、注腸薬、座薬を服用投与し続け、最後にプレドニン錠も飲みだし、さすがにこのまま服用を続けるのに危機感を抱いた患者さんはネットで見つけた広島の漢方のクリニックに行くことにされました。
平成21年3月、大阪から車で何度も高速のトイレに立寄りながら、やっとたどり着いたのが、ちょうど移転したてで綺麗な感じのクリニックでした。そこでは毎日の薬の状況とトイレの回数とかをメールで報告しながら漢方薬を送って貰うような診察方法でした。そして青黒い漢方薬を飲み始めましたが、飲んでも飲んでも腹痛は酷くなるし、下痢は酷くなる一方でした。98%良くなると聞いていたけど、患者さんはその残りの2%に入るのだと思われ3ヶ月で飲む事を止めて諦めてしまいました。
そうこうしているうちにプレドニンが効き、プレドニンの量を徐々に減らしてペンタサと注腸だけに落ち着き、またペンタサだけで生活出来るようにまで戻りました。
そして今度は2年後、またトイレットペーパーに血が付くようになっていました。徐々に出血が増えていき、自分で余っていた注腸などを入れてみるも全然効果が出ませんでした。またプレドニンを処方され飲むことになりましたが、今度は飲んでもしばらくしたらすぐ出血し、トイレの回数も増え、効き目が悪くなって来ました。そして医師との相談の上、今度は免疫抑制剤を処方され、下痢、出血が収まりました。しかし、今度は定期検査の血液検査で白血球数が少なくなり過ぎているとの事で、免疫抑制剤をストップせざるを得ないという事になり、何とか飲まずに再発させないように気を付けながら過ごされて来ました。この間白血球が減少し過ぎた事で、旅行に行けなかったり、カゼを引きやすかったりとか生活に影響する小さな事が多々あったそうです。
そしてまた出血が起こりました。今度はプレドニンと併用でL-Capという白血球除去療法で週二回、透析室で治療を受けることになりました。この治療をしている間はトイレに行くときは針を外して、また付けて、また外してを繰り返したそうで、3週目くらいから効果が出始め、トイレの回数も減り出血も少なくなり、5週でよくなって治療を終了する事になりました。
平成26年2月くらいからまた出血が再発しました。座薬、注腸、何をしても効かない状態。主治医と相談したところ、これ以上悪くなるのであれば、大腸を切除しなければいけないかもと言われました。さすがに大腸を切ったり、人工肛門はまずいと本気で考え、色々調べて松本漢方クリニックのホームページを真剣に読むに至りました。以前から知っていたそうですが、広島の漢方が効かなかった事もあり、懐疑的でしたが今回は藁にもすがる思いでホムページの論文や当時掲載していた患者の手記を読み込み、そして「ステロイドを飲むのをやめて、松本漢方クリニックに行こう」と決意されたのです。
平成26年5月27日、とうとう松本漢方クリニックに来院されました。当院に行くと決めてからステロイドを飲むのを患者さん判断でやめていたのでトイレの回数が増えていました。一日15回くらいトイレに行きましたが、ほとんどオナラと同時に血が出てくるだけでした。下痢なのか血なのかわからない感じで我慢できないので子供のオムツをお尻にあてがっている状態だったそうです。松本漢方クリニックに向かう途中、何度もトイレに行きながらやっとたどり着いたのです。
「絶対に治る!」「1、2ヶ月で治るかもなっ~」と気持ちを奮い立たせて握手し、治療に励んでもらいました。止血と下痢止めの2種類の漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を処方し、またお灸も一緒に毎日するように指導しました。早速飲み出して3~4日は何も変わらずトイレも一日10~15回のままでした。そのころには10年近く飲んでいたペンタサやかなりの量のステロイド、注腸などを一切やめていました。リバウンドが始まってだんだん悪くなっていき、トイレの回数も20回以上、夜中も起きてトイレに行くようになりました。さらに腹痛がどんどん酷くなって行き、痛み止めやフロモックス、フラジール、ベルスクロンなどの薬を処方して飲んでおられました。
患者さんは当院で受診されていた患者さんの個人ブログに記述されていた「多くの方は、リバウンドが始まった途端に治療をやめてしまう。リバウンドなしの完治はあり得ません」、「現実は完治するまでに、自分自身のストレスで免疫を抑制した期間やステロイド、免疫抑制剤、抗体製剤による免疫抑制の総量に比例した辛さのリバウンドが生じるのはさけられない」と書かれているのを読んで、当院で治療すると決断していたので腹痛やしんどさにも耐えられると思っておられましたが、想像以上のリバウンドの過酷さに耐え続けることになりました。10年近くペンタサやステロイドや免疫抑制剤を服用されてきたのですから、相当の強いリバウンドがやってくるのは避けようがないのです。
腹痛は日に日に増し、トイレの壁に自分の手形が付くくらい、両壁を押して耐えられていましたし、食べたら腹痛が起こるので何も食べられず、エンシュアHという病院でもらうカロリージュースみたいなものしか飲めないので72Kgあった体重が57Kgまで激減しました。横になっても腹が痛いし、お灸をしてもすぐトイレに行きたくなるのですぐお灸を外さないといけませんでした。次第に精神的にも病んでいき、家族や周りの人に対しても苛立ち、当たり散らしたりと奥さんとはかなり険悪なムードになってしまいました。
あまりにも腹痛が続くので「もうダメかなぁ、あきらめようかな、大腸切除の手術受けようかな」と何度も何度も思われました。その時はいつも松本漢方クリニックの患者さんの手記を読んで粘り続けました。しかし、あまりの痛さに当院へ電話されました。私は「病気を治すのはあんた自身の免疫やで!!」と言って電話を切りました。患者さんはてっきり「頑張れ」とか「違う痛み止め出すから頑張り」と言われるかと思ったらしく、一瞬私に対しても苛立ったそうですが、冷静に考えて前の病院のように「治してもらおう、何とかしてもらおう」と医者まかせにしたらだめだ、「自分で何とかしなければだめだ」と考えを改めてそこから会社も完全に休んで本気で治療だけに専念しようと決意されたのです。
日光浴をしたり、色々な鍼治療やマッサージに行ったり、松本漢方クリニックの漢方煎じ薬と漢方風呂をメインに、良いと言われる治療を試している間に徐々に気持ちが前向きになり、体が元気になっていきました。少しずつ普通の食事ができるようになり、会社にもオムツをしながらですが行けるようになり、漢方と鍼治療だけでいけるようになるほど良くなって行きました。依然トイレの回数は多かったものの、痛みが引いてきた事でだいぶ楽になり、そして9月くらいから右のお腹の辺りにアトピーが出てきました。本当に松本理論で言われていた通りにアトピーが出てきたことに驚きと喜びました。次に首にかなりアトピーが出始め、徐々にトイレの回数も減っていき、年末ぐらいには普通の食事、お酒も飲めるようになってきました。
症例報告108例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎2)アトピー性皮膚炎
患者:47歳、女性
潰瘍牲大腸炎の発症
平成5年5月に子供を授かり退院をして2日後、子宮から大量出血があり再度入院。子宮内に胎盤が残っていたため、再手術されました。しかし予後もあまり良くならず、その後半年は子宮からの出血は止まりませんでした。患者さんは今まで薬を殆ど服用せずにいたそうですが、その半年間婦人科で止血剤、子宮収縮剤を服用されてきました。
子宮からの出血が止まって12月31日に便をしたあとにポタポタと痔のような出血がありました。元々便は固く、切れ痔になったこともあるので痔だと思われましたが出血は止まらず、また年始だったためすぐには病院に行けませんでしたが近くの内科、胃腸科を受診すると直腸がものすごく腫れていると言われました。子供がまだ小さく実家に戻り再度大きい病院に受診するとそこで潰瘍性大腸炎と診断されました。サラゾピリンを処方され1~2日服用するとすぐに止血しました。しかし体中に薬疹が出たので服用を止めましたが、また出血が始まりました。今度はツムラの穎粒の漢方薬とリンデロン座薬を処方されましたが、症状は最初直腸型だったのに全大腸炎型にまでなってしまいました。その後入院しましたが薬は同じままで良くならずそのまま退院させられ、しまいには医師には気にしすぎだと言われたそうです。医者の本来の仕事は患者の病気を治すことです。しかしこの患者さんの出会ってきた医者達はその真逆の仕事をしている様ですね!あまりの対応に憤りを通り過ぎて呆れてしまいますね!アッハッハ!!
平成6年当時だとこの病気の罹患者もが少なく、またインターネットも今ほど発達していなかったので医師に言われるがまま半年近く過ごされました。同年7月、あまりにも良くならないので違う病院にかかるとたまたま潰瘍性大腸炎に詳しい医師が診てもらえました。「こんなになるまでよく我慢していた」と言われ、薬疹が出たサラゾピリンを服用しないとだめだと言われ服用すると今度は薬疹も出ず止血しました。
他の病気の発症
その後、3年間ほどサラゾピリンを服用されました。症状が落ち着いてくると、第2子が欲しくなり、サラゾピリンも6錠から4錠、2錠と少しずつ減量していきました。しかしなかなか妊娠しないため婦人科で排卵誘発剤などを使用しました。その1週間後、卵巣嚢腫発症して手術、しばらくして妊娠できましたがすぐ流産してしまいました。その後3年間位はサラゾピリン6錠を服用していましたが、離婚を機に薬を服用しなくても症状は全く出なくなりました。友達にはすっきりしたから病気が治ったんだよと元気づけられるも、患者さんは内心この病気と子供を抱えて不安だらけでした。この時に患者さんの体からものすごい量のステロイドホルモンを分泌され、離婚と子供と病気による強いストレスに対抗しようとしていたのでしょうね。だから見かけ上の病状が出なくなったのです。その後10年位は強いストレスに対抗するため対象のステロイドホルモンが放出されていたので薬も服用せずにいれました。
平成20年11月、40歳で婦人科の検診で子宮頸がんと診断されました。幸いステージ1だったので子宮温存で少しだけの切除で済みましたが、結局平成23年3月、子宮筋腫が12センチもあり子宮を切除することになってしまいました。この当時は潰瘍性大腸炎も治ってきているのに次から次へと病気になるのか理解できなかったと患者さんは言っていました。
潰瘍性大腸炎の再燃
子宮筋腫の入院をしている頃から背中に3か所虫刺されのようなものがありました。とにかく痒くて薬を塗っても治まらず1年半後いつもと違う皮膚科にかかりました。そこで処方された薬を服用した途端、恐れていた便からの出血が再発しました。この時はまだサラゾピリンを服用すればすぐ止まるだろうと思っていましたが止血しませんでした。背中もとびひのようになり痒みも酷くなりました。皮膚科でもらったエンペラシン(ステロイド)を服用すると出血も痒みも止まりました。平成25年1月から5月位まで服用してましたがエンペラシンを減量した途端、出血が始まり、増量しても止まりませんでした。
この時初めて薬が効かないという恐怖が頭をよぎりました。また知り合いのお嬢さんが潰瘍性大腸炎で全摘していたので話をするといろいろ薬があるけど、だんだん効かなくなり全摘になっても直腸があれば、人口肛門にならないからと言われましたが、私は直腸の炎症がひどかったので人口肛門になるのだろうなと思ったりすると、なんとしても治さないと強く思いました。この時からやっとパソコンを開いて調べ始め、平成25年8月に入り松本漢方クリニックにヒットしました。当院のホームページにこの病気は治ると書いてあり、当時掲載していたいろんな患者さんの手記を読み漁りました。患者さんはすぐにでも受診したいと思われましたが、仕事も休めず、また子供も短期留学していて他に頼る家族もおらず、ましてや神奈川から大阪まで通えるのだろうかと悩みました。とにかくこの状態を何とかしたいと強く決意し、お盆の時期に新幹線に何とか飛び乗ったとのことです。
この時の患者さんの症状は、粘液交じりの血便でトイレは10回位でした。食後1時間に3,4回続けてトイレに駆け込むという状態だったので、新幹線の中では何も食べないようにしておられました。お盆の時期だったので、京都は人であふれていました。そして乗換えて、高槻に到着し当院を見つけました。医院に入ると針治療、尿検査などを先に受けてもらってからその後、診療を行いました。私の論文は例のごとく難しいのでこの患者さんもそこまで深く理解されていなかったものですから病気とは何か、どのようにして病気になるのか、また原因であるヘルペスウイルスについて一から説明をしました。最後に「いいか、治るから。自分の免疫が治すんや」と握手をして漢方薬と漢方風呂を処方しました。
アトピーとの戦い
自宅に帰って早速、食前食後の漢方薬を煮だして服用し、漢方風呂を週に1回入っていました。症状の方は相変わらず1日にトイレを10回位で変わりなく、しかしそれ以上ひどくなることもありませんでした。
1か月後、お腹にプツプツ出来たと思ったら忘れもしない9月26日の夜中、背中が物凄く熱くなり「わ一!!!!」と思わず大きな声を出してしまったほどですが眠かったので眠ることはできました。翌朝、背中を見てみると背中一面、目を覆いたくなるようなアトピーが真っ赤に出来ていました。1週間、2週間経っていくと足、手と広がっていきました。首や顔、手のひらなどにはアトピーは出なかったので長袖を着ている限り、傍目にはわかりません。トイレの回数は変わりなく、今度は痒みが追加され掻き壊して血だらけになり、更に黄色い液体も出てきました。しかし仕事は休めず患者さんはこの時ほど人生で辛いと思ったことはないと言わせるほどでした。潰瘍性大腸炎の症状よりアトピーの症状のほうがきつかったです。
こんな状態の中、11月12日にやっと出血が止まりました。嬉しい反面、アトピーの症状がひどく痒みのほかにヘルペスで背中がピリピリと痛くなり、仰向けに寝れなくなってきました。手を挙げることも出来なくなりました。また体中から皮が剥がれ落ち、お風呂もフローリングも皮だらけになり、湯垢取りとコロコロは手放せなくなりました。
しかし2月半ばになるとアトピーもだいぶ落ち着いてきました。遠方のため3~4か月に1回しか来院できませんでしたが、血沈は少しずつですが下がっていき、ヘルペスのEIA価は128以上あり、RF定量が140前後あり、少し軟便だったので下痢止めとアトピーの漢方薬を服用されていました。
2014年の10月半ばまで調子が良かったのですが、たまたま友達が送ってきてくれた物凄く辛い台湾ラーメンを食した次の日、便に一筋の赤い線が見えました。嫌な予感は的中し、また出血が始まりました。すぐに粘液も交じり始めました。私の所へすぐに連絡され、粘液をとるためと、止血のための漢方薬とフラジールを送りました。2013年11月に1週間位フラジールを服用して止血したので、また1週間服用すれば止血するだろうと思ってました。しかし今回はそうはいかず、フラジールを2か月服用した時にアシクロビルを追加で服用し始めると、症状が緩和されて1か月位で完全に症状が治まりました。便が形になっていたということは直腸の炎症からきたのでしょう。患者さんはリンデロン座薬を朝晩2回、通算で6~7年は使用していたので、直腸からのステロイドが抜けるのに時間がかかったのです。2015年2月頃には漢方薬は止めてヘルペスの薬、アシクロビルだけ服用し、そして潰瘍性大腸炎もアトピー症状も完治することができました。卒業おめでとうございます!アハハ!アハハ!