症例報告95例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎2)ブドウ膜炎
患者:42歳
当院を受診した翌日より一切のステロイドを断って一年が経過した後、諸症状の改善、体力回復と、ステロイドによる慢性肥満、ムーンフェイスを無事完治された方の詳しい症例報告です。
発症したのは38歳の誕生日の事でした。一日10回以上の下痢、39℃の発熱、嘔吐、下血あり。二件目の町医者で即入院するも原因不明で翌日、札幌市の某医院に転院。「潰瘍性大腸炎」と診断された。
何が何だか理解する気力・体力もなく、聞いたことも無い病名。「一生治らない病で、寛解と再燃を繰り返す。高額な薬での治療となり、特定疾患の手続きが必要。あなたの場合は全大腸型で重症。盲腸が糞石で腫れており危険な状態。破裂次第、即手術となる。将来は最悪、点滴をぶら下げて歩く生活になるかもしれない・・・」とまるで余命宣告のように告げられました。部屋を出てすぐ母親の胸で泣き崩れ、母親は強く娘さんを抱きしめ、背中をさすってくれていたそうです。
患者さんが潰瘍性大腸炎の症状を起こすまでは家族全員、健康体であったため、ステロイドの恐怖や免疫力低下による副作用という「病の連鎖」に危機感や疑問を抱くこともなく、違う治療法を調べる等の思考がありませんでした。その後、大量のプレドニンで一時症状が緩和しました。
ご主人はネットで調べたあらゆる大腸炎の治療やUCの闘病ブログ等をプリントアウトし、病床に運んでくれました。そこには「食事制限が大変、大腸切除やストマ(人工肛門)になる場合、再燃しない場合もあること、10年後には大腸癌になる確率があり定期的な検査が必要」と書かれていた。当時は無知だった患者さんは、恐怖心よりも「頑張って早く退院したい!」と闘志が湧いてきました。実は恐ろしく、寿命をすり減らすような地獄でしかない治療とも知らずに。
また以前に不妊治療を受けていたことがありました。29歳から約9年間、ステロイド投与され、本を一冊出版できるような壮絶な治療を繰り返し、何度か妊娠するも、結局患者さんご夫婦は我が子を抱っこすることはできませんでした。
9年間の不妊治療の後半5年間は、受精卵を育てるべく、数日毎に量が増すHCG注射、クロミッド錠、子宮内膜を整えるプレマリン錠、着床率を上げるディファストン、頭痛が酷くいつもカロナールを服用、排卵を誘発するスプレキュア点鼻薬など、おびただしい量のホルモン剤とステロイド漬けでした。
胸が急激に張り、二の腕が太くなり、腹水が溜まり、お腹は臨月のよう出てきました。足が浮腫み、太ももの付け根が痛みました。しまいには副作用のOHSS(卵巣刺激症候群)で入院するまでに悪くなってしまいました。
体外受精8回目で精も根も、涙も・・・そして貯金も尽きしまい、後悔せぬよう夫婦でとことん話し合い「出し切った」末の結果として不妊治療をなくなく断念しました。残ったものは、夫婦の強い絆と凍結卵でした。体はボロボロ、毎日酷い頭痛を起こしました。
久々にパートを再開され、仕事にやりがいを見出し、精神的にも少し落ち着いた頃、患者さんの中のステロイドホルモンの放出が落ち着き、今まで抑制されていた免疫が働き出したことで主婦湿疹や帯状疱疹と次々に発症されていきました。
○大腸炎の治療記録
<2012年4月13日~5月18日>
38歳4月に潰瘍性大腸炎と診断される。絶食、IVHで24時間輸液と点滴によるプレドニン投与。アサコール一日6錠。
熱は38~39℃から2週間ほどで37℃台へ。下痢下血は15回くらいから徐々に7、8回程に減る。発汗が凄い。頭痛、腹痛あり。ブスコパン使用。
症状が落ち着いた頃、副作用の少ない「G―CAP(顆粒球吸着療法)」を開始。全11回の内6回実施。血管が細く、太い針が入らない。6回目に至っては、動脈に差し込まれる。壁に飛び散った血液跡に、涙が出てきました。
G―CAP開始と同時に、徐々にプレドニン減少。
採血の結果、再びCRPが上昇。大腸カメラの結果、炎症が酷くS字結腸までで検査を断念。
札幌医大への転院を提案される。下痢下血は5~6回。微熱あり。アサコール9錠。体重57キロ。体重減少し、顔はムーンフェイスに変形。
転院前日、シャワー許可。水かポカリ、OS-1とアメは許可がでる。筋肉も衰え急激に痩せたため、服がブカブカになっていたそうです。
<2012年5月18~6月18日札幌医大へ入院>
4度目の転院。前回G―CAPが無効だったことと、血管にも刺す場所がなく、プレドニン投与に決定。錠剤で60ミリから開始。アサコール9錠。絶食でIVH。水のみ可。OS―1は中止。歩行は廊下とエレベーターホールのみ。もの凄いムーンフェイスにご家族に驚かれました。
下血なし、水様便から泥便に変わり1日3~4回。二週間後コンビニ(2階)までの歩行訓練とシャワー許可がでる。
5月下旬、IVHが抜かれる。
絶食3ヶ月明けに流動食を開始。やっと人間らしくなり涙が溢れる。徐々に食欲が出て、やがて全粥「クローン食」という低脂肪低残渣の食事になる。
SAA:3.4、プレドニン25ミリ、アサコール9錠、プログラフ10ミリ、ビオフェルミン、フォサマックと大量の投薬。固形便一日1、2回となり退院することができました。以後、2012年6月~2015年6月の3年間に、計4回入院されていました。
<2012年6月~12月>
プレドニン20ミリから2週間で5ミリずつ減量(のちに11月に終了)。アサコール9錠のちに8月より6錠に減量。プログラフ10ミリ。寛解維持薬イムラン50ミリを投薬開始し12月で終了。ビオフェルミン(11月で終了)。フォサマック(骨粗鬆症予防薬)。
11月中旬~12月5日まで、イムランの効果が見られず悪化し、再入院。
<2013年1~6月>
1月よりプレドネマ注腸20ミリ、ペンタサ坐剤1gを一日ずつ交互に開始。ロイケリン開始。アサコール9錠。ボノテオ(骨粗鬆症予防薬)。
2月からレミケード開始(6週間毎)。
6月中旬~7月中旬まで、ネパールカレーを食べてから調子が下降気味になり、SAA:44.6になり再入院。
<2013年7月~2014年9月>
レミケード(8週間毎)。プレドネマ注腸(毎晩)。アサコール9錠。
10月~医大病床満員につき、2週間札幌の医大系列某病院にて、投薬とペンタサ坐剤のみの無治療のまま待機入院。
10下旬~12月22日まで医大へ入院。レミケードも効果なしで、再びプレドニン60ミリより投薬開始。タクロリムス(プログラフ)投与。
<2015年1月~5月>
プレドニン20ミリから徐々に減量。アサコール9錠、プレドネマ注腸、ボノテオ。
2月からヒュミラ開始(2週間毎に、一回2本を自己注射)。
6月に悪化し再入院。もはや打つ手がなく、大腸切除しかないと言われる。
週末帰宅を利用し、何とか大腸を切除しないですむ方法を調べようと考えた。実際、逃げ出す決意が固まったのは同室のおばちゃんの言葉だったそうで、親戚が同じく「大腸切る」と言われネットで漢方治療を探し当て完治させたというのだ。
帰宅し『潰瘍性大腸炎完治』で検索。様々な漢方薬局や治療法がある中、松本漢方クリニックのホームページと私の論文を何度も何度も読んだ瞬間、これだ!あった!ここしかない!絶対行って完治させてみせる!と、あまりのことにおいおい泣いたそうです。ご主人の帰宅後、松本理論を熟読してもらった結果、理解できた様子だったそうです。早速、航空チケットと宿を調べ予約してくれました。
翌日には札幌医大へ行き退院許可をもらう。外来担当医からは匙を投げられたが、入院担当医は寛大で親身、私の具合を心配し医大とのパイプ継続を約束してくれました。勿論、漢方治療の経過が興味深いことは明白ではあるが。今までのおびただしい量の免疫抑制剤と使用年数を思うと患者さんのリバウンドは相当厳しいものでしょう。後日、松本漢方クリニックのホームページを見たであろう主治医は、治療経過の資料を丁寧に作り渡してくれたそうです。
○松本漢方クリニック受診
2015年6月30日。大腸の調子は最悪、発熱38℃。自宅から松本漢方クリニック到着まで7時間半を要して来院されました。先に鍼灸を受けてもらってから診察。
大腸炎の原因は不妊治療によるものだと説明し、ご夫婦ともに熱心に私の理論を読んでいたためすんなり理解されました。相当なきついリバウンドがくることも覚悟をされており、診察終了、熱く固い握手をして「あんたの免疫が治すんやで~!」最後に夫婦共にガッチリ握手し、診察を終えました。
<2015年6月30日採血結果>
リンパ球:13.5、CRP:4.48、血沈:66、TARC:549、IgE:25、単純ヘルぺス:0.3、水痘ヘルペス:27.8
<症状>
39.5℃の発熱、寒気、頭痛、下痢下血5~6回、腹痛、耳鳴り、たまにめまい、ダルさ、寒気、多汗。体重55キロ。
下痢止めと下血止めの2種類の漢方煎じ薬、アシクロビル16錠/日、フロモックス、フラジール4錠/日、漢方風呂、漢方塗り薬の紫雲膏と中黄膏を処方しました。
治療を始めて3日間は頭痛が酷く、38~39℃の熱が下がらなかった。大量の汗と寒気。また下痢止めの煎じ薬の独特な苦味に苦戦しながらしっかり服用されました。下血止めは甘くて飲みやすかったそうです。
自宅でお灸を毎日欠かさずご主人がしてくれたそうです。ネットでスモークレスタイプを見つけ購入。所要時間約40分。
漢方風呂は、浴槽の三分の一程度湯をはった中に漢方湯の入った漬物袋を入れて浸かった。梅や赤シソに似たよい香りで温まり、古いアカが取れて美肌になったそうです。準備と後片付けに結構な手間と時間を要する為、またご主人が担当してくれたそうです。
当院の治療を始めて1週間程で下血と腹痛がおさまり、水下痢から泥便に改善するも寝汗が多い。ある朝、両足首から下が腫れて歩くと痛むようになっていた。5月下旬に温泉での転倒が原因か、プレドニンをやめ免疫UPしたため症状が出てきたのか、翌日は更に腫れ痛み、歩行困難となる。椅子に座ると足が下がり痛みが増すため、座ってもいられないほどだった。近くの整形外科にてレントゲン撮影するも骨折やひびは無し。
痛みに効く煎じ薬を処方し、氷で冷やすように指示しました。ジップロック2つに氷水を入れタオルで巻いたものを両足に巻き、朝夕取り換えました。
食欲なし、たまに吐き気。家事ができない患者さんを心配し、母親と妹が何度も食事を作り届けてくれる。姪っ子も来た日は、皆で漢方生薬をティーバックに詰めてくれたりしてくれました。トイレは自力で可能。
半月で腫れが引き、徐々に歩けるようになりました。関節が固くなりロボットのように歩いていたそうです。キッチンに立てる時間は10分が限度。ご主人の運転で短時間の買い物に出かけるようになった。リハビリは家の中で階段を上り下り。漢方風呂でストレッチやマッサージもされました。
治療を始めて1ヶ月を過ぎた頃、両手の甲と掌に湿疹が出てきました。潰すと糸を引くような透明の液が出てき、半クラススイッチが起こったのです。患者さんは嬉しくて更にやる気が出てきました。朝夕2時間ずつ「紫雲膏タイム」を作り、掻き傷の治りを良くするようにされました。日に日に湿疹が増え、手全体が腫れ、痛痒くなったそうです。
まもなくして手首から指先までの皮膚が黒っぽく変色し、まるで怪物の皮膚のようだった(これは不妊治療の黄体ホルモンが原因です)。湿疹はやがてかさぶたになり、円形の皮が自然とむけ落ちた。無意識のうちに手の甲を掻いており、目の前がフケやアカで真っ白だったこともあったそうです。水仕事ではゴム手袋着用。漢方風呂に入るとよく皮がむけ皮膚が綺麗になりました。約7ヶ月程、湿疹が出ては治まりを繰り返し、一年たつとすっかり皮膚がきめ細やかになり潤いが出てきました。最近は湿疹が出ても翌日には自然に皮がむけ、気付くとなくなっているそうです。黒っぽく変色した手は、以前より薄い小麦色に戻りました。
8月~9月、家事を少し頑張った日や買物に出た日の翌日などは足首が腫れては引くを繰り返していました。寝汗が大量。下血なしの泥便、たまに固形便。
この頃、別の症状が現れる。吐き気が凄く、食欲不振。煎じ薬を吐いてしまうこともあった。MAX67キロだった体重は50キロに減量、ほぼ標準体形に戻った。ムーンフェイスだった顔も元に戻り首がほっそりして、急激に痩せたためか顎下の皮がタプついた。鎖骨が出てきた。張っていた胸は萎んで軽くなり、二の腕や太ももも筋肉が無くなってはいるが細くなり、皮が余っている。
標準体形になれたことは本当に喜ばしいことなのだが、栄養不足のため、メンタルにも影響が出てきた。とにかく今までやっていたことが殆ど出来なくなる。だるくて漢方風呂も断念。煎じ薬も飲むのに時間を要し、飲んでも嘔吐してしまう。居間の真ん中で寝たきり状態。ちょっとしたことで涙が溢れ弱音を吐き、一人になるのが怖くてご主人を困らせてしまうことも。迷惑をかける罪悪感から、生きていてもいいのか?なんのために生きているのか?迷惑かける位なら死んだ方がマシだと毒を吐くようになっていました。病気を治す前に死んでしまうと言い、近くの大病院の点滴でも良いので栄養を摂るようにかなり強めに指導しました。
そんな折、また別の症状が出てきました。手先と足のふくらはぎから下にかけて全てに痺れが出てきた。24時間ジリジリして、何かに触れても感覚が鈍い。例えるなら長時間正座した後に足が痺れる、感覚が無くなってくるのと似ている。
眼の奥が痛み、時々パチン!と音がして痛みが出始め、白目の端から充血が始まってくる。血管が切れる音かと思い怖くなった患者さんは私に連絡を入れてきました。私はヘルペスによる痛みであると説明し、アシクロビル16錠に増やし、漢方煎じ薬を出しました。しかし痺れが徐々に増し、アシクロビルを20錠増やしても変わらず、24錠まで増えた。また目やにの薬も処方しました。
まだ指がピリピリと痛み、ペットボトルの蓋など開けられない、錠剤をパチンと押し出すことも出来なくなりました。湯水に触れるとビリっと痛み、箸もスプーンも持ちづらい。割り箸は痛くて持てないほどでした。足先の感覚もほぼなくなり、靴下も靴も自力で履けない。
呂律も回らなくなり喋りもぎこちなくなる。脳神経がどこかやられてしまったのではないか、いよいよ死ぬのかな。患者さんはそう思い泣いてばかりだったそうです。当時体重46キロ。
<札医大での採血結果>
総蛋白:5.9、アルブミン:2.5、ヘモグロビン:2.82、リンパ球数:1058、CRP:0.29、SAA:17.1、赤沈:80
担当医に「今すぐ入院」と言われるも断り、代わりに「輸血か点滴を」と言われ、点滴を受けました。以降、しばらくビタミンと鉄剤を飲む。今後は自宅近くで点滴出来るよう、ソーシャルワーカーに手配。「脱ステロイドで漢方治療をしている」旨を伝えたところ、自宅から近い2件は断られたものの、市内の車で15分の町医者が承諾してくれました。
そんな患者さんの姿を見て、母親はに「実家に戻っておいで」と言われました。この頃、ご主人も言葉には出さないが患者さんの介護にかなり限界が来ていたそうです。患者さんはご両親にお世話をお願いすることになりました。20年ぶりの実家暮らしは予想以上に患者さんも両親も取り巻く環境や生活スタイルが変化しており、3週間が限度でした。しかし、患者さんは生きる気力と体力を取り戻すことができました。妹も姪っ子を連れてご飯を作りに来てくれたり、父親は朝食作りと布団敷きをしてくれたりしました。今まではご主人が一人で頑張っていてくれていたことです。今まで当院にかかっている何人もの患者さんがそうであったように、家族の協力が絶対不可欠とはまさにこういうことなのです。
10月~12月、手も足もビリビリ痛み、夜に眠れず、じっとできず寝返りを繰り返す。鼻水が喉にからみつき黄色く、咳も出る。便はほぼ固形便になった。
アシクロビル24錠/日、下痢止めとヘルペスの煎じ薬、フラジールを処方。
<医大での採血結果>
総蛋白:6.3、アルブミン:3.1、CRP:0.10以下、ヘモグロビン:9.1、リンパ球数:960、SAA:2.7、赤沈:20
12月6日、5カ月ぶりに松本漢方クリニックを受診。手足のしびれ、足首の関節がたまに腫れるようになる。鼻炎、眼の奥が痛み時々充血、耳鳴り、たまに下痢気味と臭いガスが出る。手に出てくる半クラススイッチは冬になって激しくなってきた。手の甲の色は小麦色と変化なし。生理痛が若干重くなる。
<松本漢方クリニックでの採血結果>2015年12月6日
リンパ球:15、CRP:0.54、血沈:27、MMP3:78.1、TARC:735、水痘帯状ヘルペス:14.9
<札医大での採血>
リンパ球数:1179、CRP:0.59、SAA:16.6
夏に寝たきりだったとは思えないほど体力気力が回復され、運転や料理もできるようになれました。食欲も戻りました。大晦日のおせち料理を母親と分担して大量に仕込み、長時間キッチンに立ったため手足が痺れ、足首が痛くなるもリハビリと考えました。
2016年1月上旬、インフルエンザになってしまい、時間外ではあったもののあまりの辛さで堪らず私に電話されました。私は「大丈夫やで!絶対、熱下げたらアカンで!またいつでも電話しいや~!」と言っていつでも電話に出れるようにしていました。最初は熱39.5℃だったのも、4日後には36.8℃まで下がりました。喉の痛みと痰はしばらく残りました。体重43キロと少し減ってしまう。
2月になり、抜け毛の量が多少多く感じるようになる。鼻炎がひどくなったとのことで、脱毛に効く煎じ薬、鼻炎の漢方粉薬を処方しました。また発芽玄米を主食に食べるように、レシピを教えて作って食べるように指示しました。
<3月、札医大での採血>
リンパ球:20.6、CRP:0.18、SAA:15.2
手の痺れがほぼなくなってきた。指先のみ多少痺れを感じるが、ペットボトルや缶詰の蓋も開けられるようになった。割り箸も持てるようになった。手の感覚が戻ったことで湯水などの体感温度が分かるようになる。物に触れてもその質感をほぼ正確に感じられるほど回復されました。漢方煎じ薬を飲んで髪の質が良くなってきた。しかし足の痺れは変わらず。だが、手が回復し5本指ソックスや靴も自力で履けるようになった。たまに下痢気味になり下血あるという事で下痢止めと痛みを取りかつヘルペスに効く煎じ薬を処方しました。ペンタサ注腸のやり過ぎで直腸のクラススイッチが遅れているのでしょう。
<札医大での採血結果>
リンパ球数:1135、CRP:0.10以下、SAA:4.5
○2016年4月26日4カ月ぶりに、松本漢方クリニック受診。今までで一番体調が良かった受診だったそうです。当時の大阪の気温は27℃と比較的カラっとしていましたが、冷房で冷え過ぎて下痢にならないようにインナーに上下とも冬用ヒートテックを着込んでこられました。診察前に久々の鍼灸を受けてもらいました。長旅で歩き腫れた足首に鍼灸をすると痛みが引き、関節がやわらかくなり動かしやすくなりました。
鍼灸が終わって、私との診察を始めました。電話で寝たきりだった時はしんどそうな声をしておられましたが、鍼灸の後だったのもあり顔色は良く元気そうにされていました。松本理論を患者さんやそのご家族の方々がしっかり理解され、治療に取り込んできた証拠です!!私は患者さんとずっと支えてきたご主人に固い握手を交わしました。
<松本漢方クリニックでの採血結果>2016年4月26日
リンパ球:20.7、CRP:0.05以下、血沈:11、MMP3:63.9、TARC:656、水痘帯状ヘルペス:15.3、EBウイルス:20.0以上、サイトメガウイルス:2.0未満
免許の更新にて左右の視力が全然違うことに気付き焦るが検査に問題なし。その後、眼科の診察結果、眼鏡使用で(右目0.5、左目1.5)、『ブドウ膜炎』と診断。やっと目に感染していたヘルペスウイルスを患者さんの免疫が見つけ出したのです!免疫ありがとう!
症状的に特別日常生活に支障をきたしているほどではなかったものの、ブドウ膜炎の他に胸膜炎、虹彩炎、角膜炎、結膜炎、緑内炎に効く煎じ薬を処方しました。
<医大での採血結果(6月3日)>
リンパ球:21.8%(一年前は13%でした)、CRP:0.12、SAA:6.1
しばらくブドウ膜炎とヘルペスに効く煎じ薬とアシクロビル24錠/日、鼻炎粉薬、たまにフラジールを続けてもらいました。
食事制限一切していないにもかかわらず一日4~5回トイレに行き、下痢だったのが泥便たまに固形便で出るようになり、たまに下血が出てくる程度にまで落ち着いてきました。
膝から下の足の痺れがあるものの、ゆっくり登山も出来るほど良くなっていました。
そして完治に向かって、明るく、いつも笑顔と感謝の心を忘れず、自分の免疫を信じて頑張り続けてきた結果、無事にぶどう膜炎も完治され無事、当院を卒業することができました。