潰瘍性大腸炎・クローン病 症例報告

潰瘍性大腸炎、クローン病完治の症例報告Part34(コメントなし)更新2022.6.4

投稿日:2022年6月3日 更新日:

症例報告75例目

完治されました病名1)潰瘍性大腸炎

患者:39歳、男性

20代前半の頃に発病されました。便を拭いた後に鮮血が少し付くようになり、地元の病院で検査を受けた結果、直腸型の潰瘍性大腸炎と診断されました。「原因不明で一生治らない病気ですが、命に関わるような病気ではなく、薬で抑えることができます。」と医師に言われ、リンデロン(ステロイド剤)を処方されました。リンデロンを使ってすぐに出血が止まると、患者さんは通院しなくなり、薬も自己判断で症状がないときは使いませんでした。

しかし、ストレスや暴飲暴食をきっかけに調子が悪くなり、また通院を始めることになりました。その後はペンタサ、当時新薬のアサコールなどを使用し、寛解と再燃を繰り返しました。そしてとうとうプレドニン錠剤を使用しても良くならなくなったため入院しました。

必死で絶食され、プレドニン点滴、直腸からのペンタサ注腸と続け、最後はLCAP(白血球除去)を10回受けました。両腕に注射で管を通すのですが血管が細く毎回何度も注射され、内視鏡検査も何回も受けました。検査の際にはK大の医師が来られ、内視鏡を行うのですが、傷を無意味にガリガリ擦られて、とても不快だったそうです。プレドニンやストレスで精神的にも疲弊し、本当に辛い思いをされましたが、奥さんやいろんな方の支えにより1ヶ月半ほどで退院することができました。

しかし、そんな入院生活中に病気のことを調べていると松本漢方クリニックのホームページをたまたま見つけました。私の論文は難しすぎて充分には理解できていなかったようですが、当時掲載されていたいろんな方の手記や「必ず治る。」と書かれていた私の言葉を見て、「次に再燃したら、ここに行こう。」と決めたのです。本当は発症し始めたときに真っ先に私の所へ受診されたらよかったのですがね!残念ですね!

そして再発され地元の医師に事情を話し、奥さんと一緒に高槻に向かわれました。患者さんの順番になり「病気は誰が治すんや?」と、もはや定型文である問いに「自分です。」と患者さんは答えられました。私は患者さんが正解できたことを喜び「そうや!自分の免疫が治すんや」「絶対治したるからな!おまえの免疫が治すんや!」とガッチリ握手しました。とても嬉しそうな患者さんの顔をうっすらですが覚えています。

漢方は苦く、高額で手間がかかり、お灸、漢方風呂もなかなか大変で、家族の助けが絶対必要です。また免疫抑制剤を多く使っていたこともあり、始めの頃は1ヶ月半ほどリバウンドの下痢がひどかったようです。

それから1ヶ月後には両腕に少し蕁麻疹のようなものが出てきました。また下痢は収まったのですが、下血がなかなか止まらず不安な日々でしたが、10ヶ月たった頃から下血も止まり始めました。今は普通便になり、症状は完治され当院にはもう来られていません。

症例報告76例目

完治された病名1)潰瘍性大腸炎

患者:34歳、女性

患者さんが潰瘍性大腸炎を発症したのは、高校2年の秋頃でした。中学2年の時、阪神淡路大震災が起こり、兵庫県神戸市に住んでいた患者さんの家は全壊しました。その後は車の中で過ごしたり、親戚の家に行ったり、仮設住宅に入ったりの生活をされました。高校2年の頃、父親の友人たちの助けもあり、元々住んでいたのと同じ場所に、3年がかりでようやく家が完成しました。今思うと、患者さんの潰瘍性大腸炎は学業やクラブ活動、アルバイトが忙しい中、落ち着ける家ができて、やっとホッとできる環境になったことにより、発症したのです。

それまでは病院など行ったこともなく、日常で薬なども全く飲んだことがないくらい病気とは無縁でした。しかしその時は下痢から血便になり、とても恐怖を覚えました。食べるとすぐにトイレに行くというような状態で、食べることも怖くなり、何も食べられなくなってしまいました。

最初の病院を受診されましたが、そこでは検査ができないとのことで、次の病院を紹介され、そこで潰瘍性大腸炎と診断されました。そして、手術を勧められましたが、ご両親は「それは絶対避けたい」と言い、次の病院へ行きました。しかし、そこでも手術を勧められ、ご両親が「とにかく手術ではない方法で」とお願いしたため、主治医は「薬で治療して、それでも治らない場合は手術にしましょう」と言って譲歩されました。

それから、1ヶ月の絶食、24時間の点滴、薬はサラゾピリンとプレドニンでした。どれくらいの量を飲んでいたか記憶があいまいだったそうですが、始めは2種類とも10錠以上飲まれていました。徐々に薬の量は減っていきましたが、今考えるととても恐ろしいことです。ステロイドを毎日10錠以上も飲んでいたのですから。ともかく「手術をしなくてもいい」と言われるくらい症状はよくなり、2ヶ月ほどで退院し、それからは通院治療になりました。

その後、2年ほど通院しましたが、その間も少ないながらずっとプレドニンが処方されていました。その間は再燃がなく、日常生活も普通に送れていました。

高校3年の冬頃、母親が乳がんになり、余命3ヶ月を宣告されました。手術の他、色々な方法を試されましたが、患者さんが18歳の頃に母親は他界してしまいました。大好きな母親の他界は、患者さんの人生を大きく変えてしまいました。それからは、何をしていても幸せを感じることができず、心の底から笑うことができなくなってしまったそうです。全ての景色は違ってしまい、「もう自分はこれから生きていても大好きな母がいないのだから、何の意味もない、死にたい」、毎日そんなことを思いました。しかし小さい頃からの母親の教えで自殺だけはするなと教えられていたので、死んでも母親に会えないような気がしてできませんでした。

それから数年、上辺だけでも普通に何事もなかったように振舞っていましたが、実際は心のないロボットのように過ごされていたそうです。体の真ん中に大きな穴が空いているようで、何をしてもその穴は埋まらず、喜怒哀楽も抜け落ち、仕方なく生きているという感じでした。

しかし、色々な本を読んだり、色々な人に助けられたりして、徐々に気持ちに変化が起こり「1度死んだつもりになってみよう」「母と一緒に私は死んだ。今はおまけのような残りの人生をいただいている。だから、何か人の役に立つことをしなければいけない」と思うようになったそうです。

それからは必死に働き、援助もしてもらい、心理学を学ぶため専門学校にも入れました。それから就職され、母親の死から5〜6年が過ぎた頃、ようやく少しずつ前向きに生きられるようになってきました。母親のことを冷静に話せるようになるまで、10年ほど時間がかかりました。今思うと、母親の死から数年間、「強くならなければいけない、心配させてはいけない、人に元気だよ、大丈夫だよと思ってもらわなければいけない」とものすごく気を張ってストレスを溜め込んでいたのでしょう。そして精神崩壊を起こらないよう患者さんの体の中からステロイドホルモンを大量に放出していたのです。その頃を知る親戚は今も、あの頃のあなたは触ると壊れるのではないかと思うくらい張り詰めていたと言われます。

それから結婚を機に仕事をやめて、翌年には第一子を出産。それから2年後、第二子を出産しました。そして2014年6月、血便に気づき、総合病院で検査してもらいました。結果、範囲はすごく小さいものでしたが潰瘍性大腸炎が再発していました。ペンサタを4週間分処方されて出血が収まったのちに医師に「薬はもう飲みたくない」と伝えると、「潰瘍性大腸炎の患者さんは何もなくても飲んでいる人が多いですけどね〜」と言われましたが、とりあえず薬をやめられました。

それから、1年は何もなく過ごしましたが、2015年6月にまた血便を起こしていました。病院には行かず、残していたペンサタでとりあえず血便は止まりました。しかし7月にも血便があり、だんだん頻繁に血便が出るようになりました。その頃、患者さんは保育士の資格をとるために育児のかたわら勉強していました。出産による免疫低下と試験勉強によるストレスから発症につながったのです。このまま病院に行っても、薬をもらって飲み続けなければいけない。年に一回の検査など、先は見えていました。子どもの為にも元気なお母さんであり続けるため、ネットで潰瘍性大腸炎について調べました。そしてようやく松本漢方クリニックのホームページに辿りついたのです。夜中でしたが、眠れず必死に読み漁りました。難しい言葉もたくさんありましたが、他のどの専門と書かれているような病院のホームページの内容よりも、ストンと中に入ってきて、腑に落ちる感覚だったそうです。まだ診てもらってもいないのに、治った気分というか、治るんだという強い安堵感を抱きました。

「自分の免疫で治す、これ以上の医療はない」松本漢方クリニックに行くまでに毎日とにかく手記を読んだり、私の理論を読んだりされました。初診時には、とても緊張されていましたが、「自分の免疫で治すんやで!」といつものごとく患者さんを励まし暖かく握手しました。帰って早速、漢方薬を煎じられました。最初はとても苦くて飲めるものではありませんでしたが、3日もすれば慣れてしまいました。

リバウンドはすぐに始まりました。夜中も下痢で目を覚ましました。しばらくして下痢は収まり、次は肩こりが起こりました。ヘルペスの薬で肩こりは収まりましたが、再び下痢が始まりました。漢方を変えると下痢は止まりました。また、血液検査の結果から、貧血もひどかったので貧血のお薬も飲んでもらいました。次に、足のスネや後頭部にアトピーが出て、顔にも痒みのある湿疹が出たので、塗り薬を処方すると痒みが治まったようです。

また私はいつも患者さんに「何より穏やかにストレスをためないこと、心の在り方をよく見直すことが大切」と指導しました。まずは自分が誰かに感謝したり、嫉妬しないことが大切です。相手にばかり過度に期待したり、理想に近づくため自分を追い込んだりしてはいけません。自分を振り返ることです。心穏やかに、いつも少しのゆとりを持って、日常を過ごせばストレスをかけずに済むのです。人間なので、こう思っていても、できる日とできない日がありますが、それは日々訓練、練習ですね。

二人のお子さんがいますが、今まで風邪をひいた時や、鼻水、せきが出ただけでも、迷うことなく、耳鼻科や小児科にかかっておられました。患者さんは、子どもが病気の時、それはそれはメンタルが弱くなって過剰に心配されていました。「早く病院に行かないといけない」と思い、連れていってもなかなか治らないとストレスもありました。しかし、松本漢方クリニックに出会ってからは、せきがひどい時は、ハチミツ大根を飲ませたり、温めたりし、鼻水については家でよく鼻吸いをするなど、薬に頼らない方法を模索するようになりました。熱が出ると焦っていました患者さんでしたが、今は「免疫が上がって闘っているんだな」と、落ち着いて様子を見ることができるようになってきました。

現在は貧血も改善され、顔の痒みも治まりました。下痢も血便もなく、普通の生活を過ごされています。もう当院には通院されておりません。

症例報告77例目

完治された病名1)潰瘍性大腸炎

患者:36歳、男性

消防署で勤務していた患者さんは、様々な状況に対応できるよう、日夜24時間体制で頑張っています。20歳で採用後、「1日でも1秒でも早く一人前になれ」と先輩からの期待を一身に浴びて、知識、体力、人間関係と日々ストレスが溜まっていったのでしょう。さらに26歳で結婚、27歳で1人目の子ども、30歳には2人目の子どもに恵まれ、社会人として、夫として、父として、より一層頑張らなければと思うようになりました。

発症のきっかけは28歳のとき、国家資格を取得するため、約7カ月間の単身、長期研修に行くことになった矢先です。普通の便だったのに回数が増え、水便や漏便が増えました。おならと便の区別がつかず、不安からトイレに駆け込むことが多くなっていきました。次第に便やおならの臭いがしなくなり、白い粘液も出るようになり、ついには鮮血の混じった便(軽度の痔あり)が出るようになりました。深酒をした後や、睡眠不足のときにそのような症状が出ていたようでした。時期を同じくして、時折、急に左わき腹がチクチクと針を刺すような痛みが起こる事がありました。今思うと、ヘルペスウイルスと免疫が戦っていたのでしょ。そのような症状が続くようになり、奥さんも心配していたので、隣町の胃腸外科専門の病院を受診されました。

内視鏡で組織を取り、病理検査をした結果、「潰瘍性大腸炎」と診断をされました。医師からは「これは難治性の病気で、一生付き合わなければいけない。一生服薬しなければいけないけれど、あなたは炎症部位が少なくてよかったね。」と言われました。病名は仕事柄聞いたことがあり、難治性だとは分かっていたものの、いざ自分の前に降りかかってきたら、これからの不安やいら立ちが一気に押し寄せてきました。大好きだったサーフィンにも行く気力がなくなり、全てにおいてやる気がなくなってしまいました。思考が停止し、何も考えずに処方されるがまま、ペンタサとブスコパンを服薬していました。

調子が悪くなると、ペンタサ注腸を入れるようになり、経過を見ていましたが、一向に改善せず、良くなったり、悪くなったりを繰り返しました。また、風邪や花粉症、疥癬、帯状疱疹などを発症しながら、1年に1回の内視鏡検査を受けましたが、炎症部位と治療内容も変わらず、入院歴もなく、約10年間、胃腸外科を受診し続けました。

2人目が小学校に上がる今年の春頃、奥さんが「薬を一生、飲み続けるなんておかしい」と言い出しました。奥さんはインターネットで潰瘍性大腸炎を完治する方法を模索していました。しかし患者さんは「この治療が当たり前で、完治することはないがこのまま飲み続ければこの状態で死ぬまでいける、大丈夫」と思い、薬物依存状態で、奥さんの提案に疑問を覚えました。そう思う反面、自分でもこのまま薬を一生飲んでいくのは嫌だと思ってはいたし、でも、止めるとひどくなったり、将来大腸がんになるのでは…などと考え、複雑な心境でした。

あるとき、奥さんが松本漢方クリニックのホームページに載っている潰瘍性大腸炎が完治した人の手記を見つけ、印刷し、患者さんに読ませてくれました。読んでいくうちに、「医者は一生付き合わなければいけないと言っていたのに、完治している人がいる。私も治るのかも。」と思い直し、手記だけでなく私の理論を読み漁りました。「病気は自分の力で治す、薬が免疫を下げる」という私の理論を理解され、患者さん判断で思い切って薬を飲むのを止めてみました。薬を飲むのを止めて2週間、良くも悪くもない日が続き、私と会って話をしたいと思った患者さんは車で片道7時間の道のりを奥さんと一緒に走りました。

松本漢方クリニックに足を踏み入れた瞬間、強烈な薬草の匂いがありました。はやる気持ちを抑えてようやく診察。私というか私の理論を信じて、遠方から大阪まで受診しに来たので、しっかり受診したいと思い、今までの経緯を話してくれました。

10年免疫を抑える治療をし続けてその程度の薬量で病状が安定しているなら、もしかしたらもともと潰瘍性大腸炎になってないかもしれないと伝えました。患者さんは現代医療に対する不信感とともに強い衝撃を受けた顔になりました。そしていつもの定型文、「あんたの病気は治る。僕は手助けするだけや。自分の免疫で治すんやで。」と力強く言いながら握手をしました。

次回からは電話で診察を行い、薬を郵送することにしました。診断後、鍼灸を受けてもらい自宅でもお灸のやり方を教えて、漢方薬を処方し、その日は帰路につきました。

帰宅した後は、早速、食前食後の煎じ薬2種類と漢方風呂、3箇所(足とおなかと腰)にお灸の治療を行いました。そして1週間後、受診時に行った血液検査の結果の報告がでました。電話で「治す力は十分にあるで。治るで。」と再度励ましました。漢方を続けていくと、次第にトイレに行く回数が減り、便臭がし始め、トイレへ駆け込むこともなくなりました。おならもできるようになりました。腹痛、血便もなくなりました。

3カ月後ぐらいに2回目の外来受診を行いました。便にも形が出来始め、背中やふくらはぎ付近がかゆくなり始め、クラススイッチが起こったことがわかりました。もう1種類の食間の煎じ薬が処方することにしました。この頃になると、最もストレスになっていた漏便の不安がなくなり、気持ちが前向きになったことで、趣味のサーフィンやバイクなど楽しめるようになったそうです。

初めての受診から6カ月後、3回目の外来受診を行いました。「炎症反応もない。治す力も十分あるで。」と引き続き温かく励ましました。一生薬を飲み続けても治らないと言われた病気が、7カ月間で症状が治まってきたのです。何故、他の医者は私の真似をしないのでしょうか?私の真似をすれば一生治らない病気を治すことができるのにね!アハハ!悲しいですね。

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