症例報告49例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:20歳、女性
この患者さんは平成26年8月27日、潰瘍性大腸炎と診断されました。8月9日から腹痛と下痢が始まっていましたが、もともとお腹が弱く、初めはいつものことと流していました。また2月に腹痛と下痢で病院に行くと食中毒と言われたことがあったので、今回も食中毒だろうと思い、1週間で治ると思っていました。しかし5日経っても下痢は止まらず1日に5~6回トイレと部屋を行き来していました。
お盆休みで病院が閉まる前にと8月12日に前に食中毒と診断された病院に受診。検査を受けると潰瘍性大腸炎の疑いがあり、2週間後に細胞検査を受けるように言われました。患者さんは最初、事実を上手く受け入れられませんでした。それから自宅に帰って潰瘍性大腸炎のことを調べました。
本当に治らないのか、一生薬を飲み続けないといけないのか調べ続けると、松本漢方クリニックに通われていた潰瘍性大腸炎と診断された人の手記を見つけました。手記を読まれた患者さんは当時同棲していた彼氏に事情を説明し、彼氏はもし潰瘍性大腸炎だったら松本漢方クリニックに行くことに賛成してくれました。
2週間経過し8月27日に病院で検査を受けに行くとやはり潰瘍性大腸炎と診断されました。医師からは「難病だけど薬を飲んでおけば症状は抑えられるし、妊娠・出産もできます。食べ物も特別食べられないものはないですから大丈夫ですよ。」と言われました。松本漢方クリニックを見つけていたので前ほどショックは受けませんでした。その後、ご実家に戻り、病気のことや松本漢方クリニックで治療を受けたいことを説得し、8月31日に彼氏と2人で大阪まで新幹線で来られました。
初診にて潰瘍性大腸炎という病気はどうしてなるか、病気は自分で治すこと、どんな治療を受けてきたか、今の医療についてなどたくさん話しました。潰瘍性大腸炎はストレスが大きく関わっているので最近、何かしんどいこと、辛い事が起こったかと聞くと、やはり強いストレスを抱えていました。その強いストレスに対抗しようと患者さんの体の中にある副腎皮質からステロイドホルモンを出し過ぎてしまい免疫を長期にわたり抑え続け、IgGからIgEへとクラススイッチしにくくなり、IgGの殺しの世界にとどまってしまうことにより今まで患者さんの体の中に溜まった化学物質や細菌を排除の世界のIgEではなく、殺しの世界のIgGを用いて大腸で戦うと炎症を起こし潰瘍性大腸炎の症状が起こすのです。真面目に頑張り過ぎてしまいステロイドホルモンを大量に放出すると免疫はIgGからIgEへとクラススイッチできなくなります。患者さんの場合はその強いストレスの問題が解決したのでホッとし、ステロイドホルモンの放出が激減し、その反動で免疫が一気に活性化したことによりIgGの戦いが腸内で過激化したので潰瘍性大腸炎の症状が出てきたのです。「絶対に治るから大丈夫や」と力強く患者さんに言って安心させました。診察後、採血と鍼灸をしてもらい処方した大量の薬を持って帰りました。
初めての漢方薬は煎じたり、こしたりと大変ですが、彼氏が手伝ってくれたり実家に帰って家族にやってもらったりしていました。味は食前・食後ともすごく苦くて、初めは、はちみつや砂糖を入れたりしないと飲めませんでした。お灸もできなかったりするときがありましたが、あまりできなかったとマイナスに思わないようにしていました。リバウンドが大なり小なりくると思っていましたが、患者さんはリバウンドが来ませんでした。これは潰瘍性大腸炎と診断されて他の病院の治療を受けずに当院の治療を受けたので酷いリバウンドにならずにすんだのです。
漢方薬を飲み始めて3週間経ったくらいから背中に湿疹ができて痒くなりました。私がクラススイッチが起こったと患者さんに言うと、リバウンドにならなくともクラススイッチが起こり、ましてやアトピーもものすごく軽いものだったので大変驚かれましたがすごく喜ばれました。完治された患者さんは今はもう当院に通われておりません。
症例報告50例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:25歳
20才の時に美容院で働き出して半年たった頃、職場の先輩の働く真面目な姿勢を見て諦めていた漫画家への道にもう一度進みたくなりました。しかし、漫画だけで食べていける自身もなく、またご両親がお金を出して行かせてもらった美容学校、美容師免許の全てを蹴ってまで辞めて漫画家になることができず、何とか両立できないかと思い美容師の勉強と漫画の勉強を並行していました。仕事に勉強に忙しくなり、食生活も乱れ、寮内や美容院の先輩にも迷惑をかけたりして体力的に限界を感じ、悩んだ末に2010年4月美容師を辞めました。
この漫画と美容の日々による強いストレスに対抗するために患者さん自身がステロイドホルモンを出してステロイド剤を飲んでいるのと変わらない免疫抑制状態になっていました。そして大量のコンビニ食品を過食し化学物質が大量に体内で溜まっていたのです。
2010年冬、初めての自覚症状が起こりました。美容師を辞めたその年の冬にお腹が緩いと感じることが頻繁にありました。主な自覚症状は仕事中トイレが我慢できない、貧血、腸の張りトイレの回数は10回には満たないくらい。しかし「ほっとけば治る」と思い病院にはいかず仕事中何度か漏らしましたがオムツ等つけてしのぎました。あんまり頻繁に漏らすときはインターネットで「どうやったら大便を我慢できるか」を検索したりしました。実践しましたが効果はなし。
このまま当院を知って大量の漢方薬と抗ヘルペス剤を飲んでゆっくり心も体も休めるとすぐ治ります。しかし、その時患者さんは早く漫画家になれるようもっと一日にたくさん、もっとたくさん勉強しなければ家に置いておいてくれる両親に対しどうやって恩返しを、などを毎日頭によぎらせていたので、ストレスを自分自身で勝手に与えまくっていましたので、IgGからIgEへクラススイッチすることなくだらだら下痢、少しの血便が続きました。
ある日、モツ鍋を食べ大量の血便が出る。一度地元の小さな医者に受診した時は「ひょっとしたら細菌か何かかもしれないのでもし酷くなるようなら大きな病院へ行ってみたら」と言われ、ビオスリーを貰い帰りました。
その時の症状は便20回(心配でトイレに行って何も出ないのを合わせると30回くらい)貧血、発熱、寒気。現代医療で脂っこいものは控えるようにと言われます。私の理論だとこの出血の原因は本当はアレルギーIgEの世界で排出されるべき化学物質を上記のストレスによって逆クラススイッチしてしまっているので殺せない化学物質を殺し溶かそうとして戦い結合組織を傷つけ潰瘍ができ出血する。普通のUCの免疫を抑える治療をしている人が脂質が多いものをとると、小腸で脂質は脂肪酸とグリセリンに分解されリンパ管に吸収され、免疫系の司令塔のいるリンパ節につながっているのでどうしてもリンパ管に化学物質が脂肪酸とグリセリンとともに吸収され化学物質を殺そうと免疫が活性化しその結果として抑えていた免疫が活性化し化学物質への間違った攻撃を開始され、出血を起こすのです。
便の回数も体のだるさも変わらず症状をインターネットで調べると「大腸がん」など出てきて「細い便が出ると大腸がんの可能性大」とあり、細いかどうかわかるような便なんて出ないんだけど、とあまりに無知すぎて大腸がんよりも深刻な症状のような気分になり総合病院にかけこみました。
病院の先生に症状を説明したら尻の穴に指を突っ込み指につけた紙に染み込んだ血の色を見てすぐに検査となりました。血液検査、尿、便検査、心電図、腹部超音波、内視鏡下生検査、CTスキャンを受けられました。
午前中に来て、夕方にやっと検査が終わりました。今日から入院したほうが良いといわれましたが、体力的にフラフラで精神的にもまだ何の病気か分からない不安な患者さんにそう尋ねました。何の病気でどうしたらいいのか何にも分からないのにどうやって決めたら良いんだろうか、と思いましたが、ひとまず急かされるように入院しました。患者さんも相当何も知らない人間だったので素直に「そんなに早急に部屋を空けてくれるなんてありがたいな」とぼんやり思いました。その時から絶食が始まりました。
検査の翌日「潰瘍性大腸炎」だと知らされました。「治らないけど、死ぬような病気じゃないからうまく付き合いながらやっていこうね」と言われ、その後食事制限についての説明や特定疾患の説明等がありました。「調子が良いときは食べてもいいからね、ずっと食事制限は無理だから」と気持ちをやわらげてくれました。10日間絶食(飲物とアメはOK)水溶性プレドニン30mg、ガスター注射液20mg、ただステロイドは使い続けると抜けられなくなるから、今はかなり症状が出てるから仕方ないけどステロイド依存にならないようにしたいと力強く言われ患者さんは気持ちが元気になりました。下痢は20から30回くらい、頭痛や吐き気が頻繁にありました。
途中大腸検査をしました。腸内の出血の様子をこの目で見てどうしてもっと大事にしてあげられなかったのと思いました。ただ、どうやって大事にしたら良いか分かりませんでした。食べるのがものすごく好きなので(血便時も食欲減らないです。むしろ便が出るのですぐお腹がすく、それで余計に食べていました。)つらかったですが、食べる系のTV番組を見たり、無駄に院内のコンビニへ行き食べ物をジロジロ見て売っている料理本を立ち読みしたりして過ごしました。
プレドニゾロン6錠、ガスターD錠20mg2錠、ペンタサ8錠、ロキソニンを続け血便が出なくなったので食事が始まりました。コンスープやおもゆ等からはじめました。便回数は5回程でした。
一ヵ月後2月16日に退院しました。それから一ヶ月自宅療養されプレドニゾロン4錠、ガスター2錠、ペンタサ8錠、 ビオスリー6錠を飲み続けました。プレドニゾロンを6錠から4錠にしたら体調が悪くなったので試しに5錠にし、安定してきたので4錠にしました。
一ヵ月後3月16日、仕事復帰しました。プレドニゾロン2錠、ペンタサ8錠、ビオスリー6錠、ガスター2錠、ペンタサ注腸1g。プレドニンを減らして注腸に変わりました。特に何も変わらないという印象をうけましたが、プレドニンの量が減り、二週間後はゼロにしてみたのですが大丈夫でした。塗り薬、錠剤、注射の順に薬の効能は強くなるのです。なのでリバウンドも強くなります。
それからは体調は良好でした。しかし添乗員に転職したばかりで緊張の中やっていた上に免疫を下げる薬ばかり飲み、免疫を下げに下げた状態だっただけなのです。
その年の11月に徐々にトイレが近くなり出血もありました。その時は添乗員の仕事にも慣れ、長期の宿泊が続き薬の飲み忘れやペンタサ注腸は一切やらなくなったので免疫が回復してきたのです。トイレは日によりますが7~8回くらい。
2013年5月、体調は基本的に毎日お腹がゆるいという状態。病院は2ヶ月に一度通っていました。去年5月から担当医が代わり、若めの大人しい先生に代わりました。下痢、漏らしは続くがどうすることもできず、様子見が続く日々でした。下痢が続いていることを担当医に相談するとアサコールという新薬があると聞き、アサコールが何か調べもせず「はい、アサコールOKです」と飲み始めました。
同年7月、大腸検査を受け今後の治療法について話し合いました。医師の提案はイムラン、G-cap、レミケードとそれぞれ説明をし、道筋だけ見せてどれが良いかは言いませんでした。医師もどれをやっても治らないと分かっていて、副作用や効果、治療方法を説明して、どれが得か、どれが良いか患者さん判断に任せようという空気を感じました。私が決めなくてはと思い、本当に無知な患者さんはなんとなく新しい方が良さそうだと思い「レミケードをやります」と言いました、
やると決めて不安になり、あとでインターネットでポツポツ調べると、体験記等やその後の症状等を見ました。ほとんどの方はやってからすぐはいいけどだんだん効かなくなると言っていました。
TNF-αが炎症の原因親玉だからそいつを抑え殺すと書いてありました。免疫のことなど何も知らない患者さんでも、そこまで分かっていて何でそのTNF-αがいっぱい攻撃しちゃう状況になるのかは分からないのが不思議に思われました。レミケードの説明書きに「UC(潰瘍性大腸炎)の腸管では免疫異常が見られ、そのことで自分の腸を傷つけてしまうことがわかってきました。」「わかってきました」の言い回し。金額もものすごく高く自分は特定疾患で良いかもしれないけどそういう問題かなあ?というくらい大きなお金が自分の見えないところで動いている感じを受けました。その時に検索してようやく松本漢方クリニックにたどりつきました!結局レミケードは断りました。
今まで患者さんが見たどの医院よりも理論に対し詳しく説明されていた。大変難しい話ですが、何度も同じ事を反復的に言ってくれるので1度目は分かりにくくても、他の話をしてからまた同じ事が再登場すると2度目3度目には理解でき、結果分かりやすさを感じたそうです。読んでいる途中に分からない単語や説明と思った時はほぼ必ず次の項目にそのことが説明され、計算つくされた読み安さを感じられたそうです。理論を熱心な感じで説明している他院も他にありましたが、必ず「あれ?」が説明されず「その部分はスルーにされるともう分からないな」というのが多かったので結局その理論を理解する事が出来なくてその医院に行きたいと思うことはありませんでした。
症状が出ているのは体が戦っているからだというのを見て、そういえば風邪で熱が出るけどその後はとても良くなる事を思い出しました。風邪で熱が出たってそう焦る訳じゃないけど原因不明とされてるものの症状を出なくする為にだけは躍起になるのは確かに変かもと思いました。
早速、当院へ受診。今まで使ってきた薬を問診票に書き、血液検査と尿検査をし、鍼灸を先に受けてもらいお灸の説明を聞いてもらい、診察を受けてもらいました。私は何度も握手し「絶対に治るから!」と声をかけました。その後、処方した漢方の煎じ方と漢方風呂の使い方を教えて薬を買い帰りました。
今までの薬を全て辞め、しばらく漢方薬を飲み1週間続けたくらいで便が少し固まりました。頭痛の時はヘルペスの薬を飲んでもらいました、頭痛→嘔吐→二時間後くらいにはスッキリというサイクルでした。
患者さんは今まではロキソニンを持っていないと不安でしたが、この時は仕事中に頭痛があってもその時は苦しいのですが、この瞬間をやりすごせば一日終わる頃には通り過ぎるということが分かったので気が楽になりました。便は3から5回程度、日によって固まったり下痢になったりしましたが血便はでなくなりました。
2013年11月頭くらいから、脇の下乳首が痒みだしました。乳首は以前から冬になると乾燥して痒いときがありました。11月中頃乳首から汁が出るようになり、腕が痒くなり始めました。美容院時代によく皮膚科の薬を塗っていた所でした。11月終り、ものっすごい形のいいバナナ型の便が出ました。両腕全体がものすごく痒くなり、毎晩毎晩掻いていると膨張し、腕が突起の集まりでボコボコになりました。ついにクラススイッチがきたか!翌日には突起は少し落ち着き浸出液が出始め、とめどなく汁が出るのでラップを撒いて上からタオルを巻きました。
11月25日、腕全体がジンジンと締め付けたような痛みが出てきました。その夜、熱が38度出ました。感染症だけは怖かったので総合病院の救急外来へ行き、理由を述べて抗生物質一日分だけ貰って帰りました。若い医師でしたが「何を言っているか全くわからない」という顔だったそうです。患者さんも疲れていたので説明が面倒でした。伝わらないのが分かってましたから。
家に帰り、抗生物質とピリピリとした痛みもあったのでヘルペスの薬を飲んで寝ました。翌日、当院に電話をし抗生物質とヘルペスの薬を処方して送りました。仕事も長期で休みを入れました。CRPは2.26でした。それから四日後痛みは引き、痒みが出始めました、ピリピリの痛みもまだありました。とても痒いですが掻くとその後とても痛くなり、出てくる汁が臭くて不快でした。水泡が繋がり皮膚がもっと灰色になり皮がめくれ始めました。めくれた下からピンクの薄い皮膚がでてきました。便は1,2回程で調子良いです。
腕以外に顔(少し)、耳の裏、鎖骨、お腹周り、背中、太ももがアトピー肌になりました。水泡ができたのは腕だけです。頭皮からはフケがよく出ました。
紫雲膏をところどころ塗り、液が出るところにはラップを撒き腕はラップとタオルで基本的には放置していました。休職してゆっくり休むことができ、とても充実した時間を過ごすことができたそうです。
基本的に放置状態で一ヵ月が経過した後、すごいな!2014年1月1日友人に会うと必ず「腕を見せて」といわれ、すっかり治った様子に「すごい!人間ってすごいね!戦って勝ったんだね!」と皆言ってくれました。本当は後天的免疫寛容を起こしてヘルペスと免疫の戦いが休戦したのですがものすごく快感でした!
リバウンド時に出なかった膝下の脛辺りにポツポツとアトピーが出てきたので漢方を処方しアトピーは綺麗になくなり、潰瘍性大腸炎は完治されました。もう患者さんは当院へ来ていません。