症例報告41例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:23歳
2003年2月頃、高校2年生の冬。初めはただの下痢と思っていたのですが、だんだんトイレの回数と血便がひどくなり病院を受診されました。その時診断されたのが潰瘍性大腸炎でした。名前を聞いた時はビックリしましたが、病名がついて少しだけホッとされたそうです。処方された薬を服用して2~3週間続けて症状を抑え、3か月ほどかけて薬を止めることができました。しかし高校を卒業し就職してから3度、症状が再発しました。
1度目(2004年12月頃)の再発はペンタサを服用しても効果がなく、ステロネマというステロイドの注腸薬を使用し1週間ほどで緩解期に持ち込みました。しかし2度目(2005年12月頃)の再発では、ペンタサはもちろん注腸薬を使用しても全く効き目がなく入院することになりました。それまでは仕事を休みたくない、ステロイドを使いたくないという思いがあり医師には大丈夫と嘘をついてペンタサのみで1年半ほど我慢していました。
そのため入院直前(2007年6月頃)は食欲も落ち、内視鏡検査で患者さんの大腸を見てみると潰瘍だらけで真っ赤になっており、入院することになりました。
入院中は39度を超える高熱が毎日のように続き、症状を抑えるためにステロイドの服用(1日25mg)、白血球を除去する透析などを受けました。それでも効果が見られず1日60mgのステロイドを服用することになりました。ステロイドの副作用のことは医師からも説明もあり、怖い薬だと認識していましたがこれで潰瘍が治るならと思い抵抗せず服用してしまいました。
2か月余り入院しステロイドの服用によって症状は抑えられ、退院後もステロイド剤を止め免疫抑制剤を服用するようになって退院されました。しかし、退院して半年経たないうちに右肘と左膝に痛みを感じるようになりました。免疫力が落ち痛みがだんだん酷く、肘や膝に関節液が溜まるようになりました。検査に行くと「ステロイド性の骨壊死」と診断されました。痛みを我慢し仕事に通っているとその痛みは悪化し、ついには歩けなくなり1か月ほど入院することになりました。
患者さんはこの時初めてステロイドの本当の怖さを知りました。医師と相談し免疫抑制剤を止めると痛みも落ち着いて退院しましたが、医師は「もうステロイドを大量には使えないね」と言われました。
潰瘍性大腸炎が緩解期に入り1年経つ頃(2008年8月)3度目の再発が起こりました。患者さんはすぐ通院していた病院を受診しましたが、ステロイドの座薬をもらい帰ってきただけでした。
その頃、患者さんはインターネットや本で潰瘍性大腸炎についていろいろ調べていました。初めは漢方という選択肢が頭になかったため松本漢方クリニックのホームページにたどり着くまで時間がかかりましたが、松本漢方クリニックのホームページを見つけ出し、さまざまな病気を持つ患者さんの手記を読むと希望を持つことができたそうです。ホームページを読みステロイドが病気を悪化させているということも知り患者さんはすぐステロイドの座薬の使用を止めました。
青森県から通うにはとても遠い大阪ということで初めは少しだけ迷いもありましたが、母親も松本漢方クリニックの受診を賛成してくれ、主治医にも相談すると「漢方で治るのならそれに越したことはない」と快く紹介状を書いてくれましたそうです。
そして2008年10月4日に私のもとを訪ねて来られました。ちょうどステロイドを止めて1か月経過し患者さんの手の甲には細かい湿疹が出ていました。私はそれを見て「この湿疹があなたの病気を治してくれるでぇ」とはっきり言い、握手を何回もしました。
処方してもらった煎じ薬を飲み始めてからは以前に飲んでいた薬のリバウンドが出て粘血便がだんだんひどくなりました。それでも止血効果のある煎じ薬を処方してもらい約2ヶ月毎日飲み続けてもらいました。少しずつですが血便が少なくなってきた頃、両脚の踝と膝を中心に虫さされのような硬い湿疹がいくつか出ました。その頃から38度を超える熱が出るようになり、その湿疹はすぐに脚全体と肘や指の関節付近に広がりました。湿疹の痛みはひどくなり歩くのがやっとという状態でした。毎日のように私に電話が何回も入ってきました。私はそのたびに「治らない病気はない、頑張ってください」と励ましていました。湿疹の症状は辛かったものの不思議と粘血便の方は日に日に少なくなっていきました。
湿疹が出て3週間経つ頃(2008年12月6日)、熱が少し落ち着いたので松本漢方クリニックを再び訪れました。青森から大阪までは寝台列車で14時間。乗り換えもあり脚はパンパンに腫れ体力も落ちていたので松本漢方クリニックにつくまでとても疲れました。しかし松本先生の顔を見てホッとし、針とお灸の治療を受けてもらうと痛みと腫れが引いて患者さんはとても驚いておられました。
ご自宅に帰って何日もしないうちに熱も落ち着いていき、それまで下痢だったのが少しずつ有形便になってきました。粘血便も驚くほど少なくなり脚の痛みも痒みへと変わってきたので治ってきたという実感が湧いてきて患者さんは嬉しくなりました。1年半経つと下痢が固形便になり、脚の痛みも痒みも治り自然後天的免疫寛容を起こすことができ完治されました。今では普通の生活を送れるようになり、当院を無事卒業できました。
症例報告42例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:26歳
症状が起き始めたのは高校3年の夏でした。それまでは病気とは無縁な生活を送っていました。のちに総合病院で「虚血性腸炎」と診断を受けました。オペを行い11月初旬に退院。残りの高校生活は足りなくなった日数稼ぎのために通学をしていました。
翌年、大学受験のため浪人していた夏に下血、腹痛を起こし、近所の病院にて潰瘍性大腸炎と診断されました。大学病院に入院することになり、ステロイド、Gキャップ、Lキャップを投薬されていました。翌年2月に再入院となり、シクロスポリン(免疫抑制剤)を受ける等、あらゆる西洋医学に基づいた治療を受けました。しかし、よくなるどころかむしろ悪くなるばかりでした。ここでようやく、西洋医学に対する不信感を抱き、身の危険を感じたため半ば無理して退院しました。
このような状況下だったため、受験は諦めていましたが、幸い入院直前に受験していた大学に合格し入学しました。大学生活では、薬にもほとんど頼らず、便回数が1日3回程度だったぐらいで食生活を含め特に不自由することなく4年間過ごせました。在学中、アルバイトも行い、部活動では部長も務めました。また友人にも恵まれました。この経験から健康な人たちの中で過ごすことも大切だと感じました。
こうして就職も無事に出来、親元から離れての生活をスタートしました。ところが、入社した1年目の夏に数年ぶりに大腸カメラを受けたところ、潰瘍がところどころにありました。医者から「クローン病」の疑いと診断されましたが、この時は自覚症状もなかったため特に意識されませんでした。
しかし体に異常を感じつつ、だましだましで仕事を続けていました。迎えた2年目の冬に潰瘍が悪化、腸閉塞を引き起こしオペを行いました。この時に「クローン病」と確定されました。
オペの関係で入院生活も長かったため、インターネットで対症療養ではなく完治するにはどうすればいいのかを検索し、松本漢方クリニックがヒットしました。
退院後すぐに大阪に向かい、今までに体験したことのない病院の雰囲気で、とにかく漢方治療をやろうと決意されました。途中で、費用、漢方作り、漢方風呂の手間で挫折しかけましたが、数年振りに痛みのない体を自由に動かせることが嬉しく、そして周りのサポートのおかげもあり続けることができました。
初めて病気にかかってから約8年が経ちました。振り返ってみると、当院で治療を受けるようになるまで遠回りをしてきたように感じます。しかし患者さんはそれらの経験があったからこそ、私が普段から言っている「治すのは自分」という言葉が真の意味で受け入れられると思ったそうです。今後は、健康で長生きできるよう我慢しすぎないように気を楽にして人生を楽しんでいけるようにしたいと思われています。もう当院には通われておりません。
症例報告43例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:29歳
患者さんは潰瘍性大腸炎と診断された時、一生治らないと説明され、どうしても受け入れることができませんでした。他に何か方法があるはずとインターネットで調べたところ、松本漢方クリニックのHPにたどり着きました。理論に目を通すと不思議と内容がスッと頭に入ってきて、完治した自分を想像する事が出来き、これしかないと確信し、遠方でしたが松本漢方クリニックを受診されました。
私はどこの病院の治療も受けずに真っ先に当院に受診されたことを知り、握手をし、「誰が治すんや?」と患者さんを試すと「自分です。自分の免疫です。」と答えてくれました。また握手して「必ず治る!安心せい!」とまた握手!患者さんは私からとてつもないエネルギをもらったと後になって言われました。
それからは下痢の漢方薬とお灸と抗ヘルペス剤を服用し続ける日々。ストレスを溜めないこと。もう競争の中では生きない。人と比べない。他人は他人、自分は自分。今までの生き方を変えるように心がけました。それから3ヵ月後、地元の病院で血液検査をするとリンパ球が41まで上昇。下痢は固形便になりました。
2回目の受診はほとんどの時間が世間話になってしまいました。患者さんはずっと笑っていました。これもストレスを溜めず朗らかに生きようと心掛けてきた結果です。患者さんの場合はこの病気になったことで今までの生き方を見直すきっかけになりました。今までの生き方は間違っていて、それを患者さんの大腸は気付かせてくれたのです。
症例報告44例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎
患者:24歳、男性
平成20年10月、17歳の時に血便を主訴で病院へ。病名は潰瘍性大腸炎と診断され、サラゾピリンを処方され服用されていましたがその後全身倦怠感が出始め、10日後には39度台の高熱と全身に紅斑型紅皮症型皮疹が出てきました。サラゾピリンに対するアレルギーが出現し、服用を止めて入院されステロイドを全身に投与されました。1週間ほどの入院でした。その後ステロネマの注腸もされ、数ヶ月通院していましたが、数十日すると毎日の注腸も辛く、そのうち止血したので途中でやめてしまいました。そのうち受験勉強で忙しくなりまた血便が出始めリンデロン座薬で止血。腹痛と血便は精神的にもとても辛いものでした。
実家を離れ大学に入っても度々の出血を繰り返し、近くの病院を訪ねても全ての薬にアレルギーが出ました。次は総合病院を紹介され、そこでも出されたのはサラゾピリンでした。前回のことを思い、もう恐怖しかなく使用されませんでした。母親が知人に勧められ漢方を送ってくれたのを服用し止血されました。高い漢方だったようですが量が少なく長くは効きませんでした。先が見えなくなりかけていた時、また母親から「大阪に行くよ。もうここしかない。」と九州に住む母親と岡山で待ち合わせをして必死の思いで松本漢方クリニックに来られました。2015年11月のことでした。
最初にお灸をして受けてもらってから私の診察を受けてもらいました。潰瘍性大腸炎やクローン病などの自己免疫疾患になる方やアレルギーになった患者は病院からステロイドを入れられる他に、患者自身によるステロイドホルモンで免疫を抑制して病気を発症してしまいます。そしてステロイドホルモンを出すのは強いストレスに耐え続けてきた人に起こるのです。患者さんに性格を注意し生き方を変えなければならないことを説明しました。血液検査にてIgE抗体、単純ヘルペスIgG、水痘ヘルペスIgG抗体などを調べ、血便を止める漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤とお灸を毎日続けてもらうように指導しました。
診察を終え帰路についていた中、出血が減っているのに気づき、患者さんは大変驚かれました。こんなに早く効果が出てくることに驚いたと同時に松本漢方クリニックだったら絶対に治ると希望が見えてきました。
初診時のIgE抗体が401でしたが、徐々に減少し200台になりました。毎日の煎じ薬も苦ではなく、西洋医療を受けていた時のような先が暗く思えていた日々を思うとこれからの将来が明るく感じ、母親の為にも必ず治そうと思われていましたが、あまり頑張り過ぎてまたぶり返さないように釘を刺しときました。 就職活動によるストレスでぶり返しましたが無事に乗り越え、出血も止まり値も安定し、完治されたので当院に通わなくなりました。