症例報告28例目
完治された病名1)潰瘍性大腸炎2)アトピー性皮膚炎
患者:47歳、女性
平成5年5月に待ち焦がれた子供を授かり退院をして2日後に子宮からの大量出血があり再度入院することになりました。子宮内に胎盤が残っていたため、再手術を受けられました。その後もあまり良くならず婦人科で止血剤、子宮収縮剤を服用されましたが半年間子宮からの出血は止まりませんでした。
半年後、子宮からの出血は止まりましたが12月31日から便をした後にポタポタと痔のような出血がでました。元々便は固く、切れ痔になったこともあるので痔だと思っておられましたが出血は止まることはありませんでした。年始だったためすぐには病院に行けませんでしたが近くの内科、胃腸科を受診すると直腸がものすごく腫れていると診断されました。生まれたばかりの子供を実家に預け、再度大きい病院にかかりそこで潰瘍性大腸炎と言われサラゾピリンを処方されました。1日か2日服用するとすぐに止血されましたが、体中に薬疹が出たので服用を止めた途端、また出血が始まりました。今度はツムラの穎粒の漢方薬とリンデロン座薬を処方されましたが、症状は最初直腸型だったのに全大腸炎型にまで進行しまいました。
その後入院されましたが薬は全く同じままで良くなるはずもなく、のちに退院させられ、医者からいろいろ気にしすぎだと言われたのを強く記憶に残ったそうです。当時平成6年位と潰瘍性大腸炎にかかっている人は少なく、パソコンも発達していなかったので病院の医者に言われるがまま半年近く過ごされました。あまりにも良くならないので、違う病院にかかると、たまたま潰瘍性大腸炎に詳しい医者に診てもらい、薬疹が出たサラゾピリンを服用しないとだめだと言われ服用すると今度は薬疹も出ず止血しました。
その後、3年間位はサラゾピリンを服用され、症状も落ち着いてくると、第2子が欲しくなり、サラゾピリンを6錠から4錠、2錠と少しずつ減量していきました。しかしなかなか妊娠しないため婦人科で排卵誘発剤などを使用して、その1週間後卵巣嚢腫発症、そして手術、しばらくして妊娠、すぐ流産してしまいました。その後3年間位はサラゾピリン6錠を服用していましたが、離婚を機に薬を服用しなくても症状は全く出なくなりました。病気と子供を抱えて生活をしていくことに不安だらけで強いストレスが生じ、対処しようと体からものすごい量のステロイドホルモンを分泌していたので症状が一時的に治まったのでしょう。その後10年位は薬も服用せずともいけましたが、平成20年の11月に40歳の婦人科の検診で子宮頸がんと診断されました。幸いステージ1だったので子宮温存で少しだけの切除で済みました。しかし、結局平成23年3月、子宮筋腫が12センチもあり子宮を切除することになりました。この時は潰瘍性大腸炎も治ってきているのに次から次へと病気になるのが患者さんは理解できませんでした。
子宮筋腫で入院をしていた頃に背中に3か所虫刺されのようなものができました。とにかく痒く、薬を塗っても治まらず1年半後にいつも通っていたと違う皮膚科にかかりました。そこでもらった薬を服用した途端、恐れていた便からの出血が始まりました。サラゾピリンを服用されましたが、止血しませんでした。背中もとびひのようになり痒みも酷くなりました。皮膚科でもらったエンペラシン(ステロイド)を服用されると出血も痒みも止まりました。
平成25年1月から5月位までエンペラシンを服用されましたが減量した途端、出血が始まり、エンペラシンを増量しても止まりませんでした。この時初めて薬が効かないという恐怖が頭をよぎりました。また知り合いのお嬢さんが潰瘍性大腸炎で全摘していたので話をするといろいろ薬があるけど、だんだん効かなくなり全摘になっても直腸があれば、人口肛門にならないと言われていましたが、患者さんは直腸の炎症がひどかったので人口肛門になる可能が充分にあると考えました。何としても治したいと決意されやっとパソコンを開いて調べ始め、平成25年8月に入り松本漢方クリニックにヒットされました。ホームページには潰瘍性大腸炎は治ると書いてあり、当時掲載されていた潰瘍性大腸炎の患者さんの闘病手記も読み漁りました。何とか休みを取りお盆の時期に新幹線で神奈川から大阪まで来られました。この時の患者さんは、粘液交じりの血便でトイレに1日10回くらい駆け込んでいました。食後1時間に3,4回続けて駆け込むという状態だったので、新幹線の中では何も食べないようにされていました。大量の人の波から何とか抜け出し、電車に乗換えて高槻に到着し松本漢方クリニックを見つけました。
診察前に鍼灸と尿検査などを先に受けてもらってから診察を始めました。「いいか、治るから。自分の免疫が治すんや」と患者さんと握手をし漢方薬と抗ヘルペス剤と漢方風呂を処方しました。
早速ご自宅で漢方薬を食前食後の2種類を煎じ、週1回に漢方風呂に入ってもらいました。症状は相変わらずトイレ1日10回位で変わりなく、酷くなることもありませんでした。1か月後にお腹にプツプツ湿疹ができ始め、9月26日の夜中、突然に背中が物凄く熱くなり「わ一!」と大声をあげてその後睡魔に誘われ寝てしまいました。翌朝背中の異変を感じ見てみると、背中一面、目を覆いたくなるほどのアトピーが真っ赤に出来ていました。1週間、2週間経っていくと足、手と広がっていきました。首や顔、手のひらなどにはアトピーは出なかったので長袖を着て隠していました。トイレの回数は変わりなく、今度は痒みが追加され掻き壊して血だらけになり更に黄色い液体も出てきました。しかし仕事は休まず出勤されていたのでこの時ほど人生で辛いと思ったことはなかったと後になって患者さんが言っていました。クラススイッチが起こり潰瘍性大腸炎の症状からアトピーの症状へ切り替わって化学物質や異物を体外へ排出しようと自然後天的免疫寛容が行ったのです。
そして11月12日に下血が止まりました。ですがリバウンドによりアトピーの症状がひどく痒みのほかにヘルペスで背中がピリピリと痛くて背中をつけて寝れなくなっていました。手を挙げることも出来なくなりました。また体中から皮が剥がれ落ち、お風呂もフローリングも皮だらけになり、湯垢取りとコロコロは手放せなくなりました。
2月半ばになるとアトピーもだいぶ落ち着いてきました。神奈川と遠方のため3,4か月に1回通院してもらい、それ以外は電話診察を行い郵送で処方した薬を送っていました。血沈は少しずつですが下がっていきましたが、ヘルペスのEIA価は128以上あり、RF定量が140前後あり、少し軟便だったので下痢止めとアトピーの漢方薬を処方していました。
2014年の10月半ばまで調子が良かったのですが、たまたまご友人から送られてきた物凄く辛い台湾ラーメンを食した次の日、便に一筋の赤い線が見え、嫌な予感は的中しまた下血が始まりすぐに粘液も交じり始めました。粘液をとるためと、止血のための漢方薬とフラジールを送りました。以前に1週間位フラジールを服用して止血したので、また1週間服用すれば止血するだろうと思っておられましたが、今回はそうはいかず便は形になっていたため直腸の炎症だと患者さんは思われました。患者さんはリンデロン座薬を朝晩2回通算で6,7年は使用していたので、直腸からのステロイドが抜けないと治らないと考えたからです。アシクロビル錠を追加で服用してもらうと症状が緩和されていき、1か月位で完全に症状が治まりました。アトピーの症状も綺麗に完治され、今はもう当院には通われておりません。
潰瘍性大腸炎が理論通りアトピーにクラススイッチし、自然後天的免疫寛容を起こした方の典型例です。しかも最後に残るのは、ヘルペスだけであることを、身を以て証明された方です。最高の医者である自分の免疫を信じ、最高の製薬メーカーである自分の免疫の遺伝子が作り出すタンパク質を信用してもらえば良いのです。病気は自分の免疫でしか治せないのです。医者がやることは病気の原因を説明し、正しい免疫の働きを手助けするだけです。