症例報告6例目
治した病名:1)リウマチ性多発筋痛、2)痔、3)耳鳴り、4)こむら返り、5)右手指の震え、6)口唇ヘルペス
前医からステロイド治療について詳しい説明もなく、大量にステロイド剤を処方された経緯があり、当院での治療中に激しいリバウンドを起こしましたが現在は後遺症もなく元気に過ごされている患者さんです。
患者:当時83歳、男性
2016年10~11月の二ヶ月間に体重が5kg減少、特に筋肉が落ち、上腕部の力こぶもできず、おかしいと思う間もなく11月の下旬から左側の股関節に痛みを覚え歩行困難となりました。
患者さんの伯母がリウマチで歩くことができず、長期寝たきりであったのを知っていたので、患者さんもリウマチではないかと思い、家庭の医学書などを読み漁ってみてやはりリウマチの症状と重なったため、これで人生終わりかと患者さんは失意のどん底に落ちた思いでした。
その頃、娘さんが孫を連れて遊びに来たときにリウマチに罹ったかもしれないと話をしたところ、「リウマチの治療にはステロイド薬を投与する。ステロイド薬は、免疫抑制作用があるから絶対普通の病院に行ってはいけない。お父さんなら、そのことが分かるはずだ。漢方医を探してみるから、それまで待って」と強く忠告されたそうです。
実は、患者さんも娘さんも大学での専攻は薬学だったため、娘さんはステロイドの恐ろしさをよく知っていたのです。しかし、患者さんの時代では、ステロイドの恐ろしさについて学んだこともなく、娘さんに言われて、そういう作用があるのかと気づいたぐらいでした。
しかし前述した患者さんの伯母は、漢方治療を行っていましたが悪化する一方で緩解することもありませんでした。患者さん自身も、今の韓国釜山市生まれで、幼少の頃病弱だったため、無理に漢方薬を飲まされたことがありました。そのこともあって、漢方にはあまりよいイメージがなく、漢方でどの程度治せるのか疑問を持っておられました。
12月に入ると、痛みに耐えられなくなり、近所の病院の整形外科を受診しました。しかし、検査結果が出る前に、股関節の痛みはほとんどなくなり、今度は両肩が痛くて両手を上げられなくなり、2kg程度の物を持ち上げるのがやっとという状態になってしまいました。更に、衣類の脱ぎ着をするのに奥さんの助けが必要な状態となってしまい、腕の痛みで車の運転もできなくなっていました。
その頃、娘さんが当院を見つけ、患者さんに勧めました。患者さんはとりあえず受診している病院での診断結果が出たらその時点で判断すると娘に返答されました。
年が明け1月14日、最終的に、二、三十年前から現れた新しい疾病「リュウマチ様筋痛多発症」だろうと診断がやっと下され、整形外科の領域外だから内科に回るように指示されたそうです。それまで、整形外科で鎮痛薬が処方され服用しても痛みが治まることはなく、日々に両肩の痛みが強くなっていったため、早速同病院内の内科で診断を受けました。その結果、整形外科と同じ病名を言い渡され、「ステロイド治療をします」と宣告されました。
「ステロイド治療は大丈夫ですか」と尋ねたところ、単に「大丈夫だ」と返答があるだけで何の説明もないので、患者さんは同じ質問を繰り返しました。しかし、意識的に説明を避けているのか、あるいは何も知らないのかのようで、ただ「大丈夫だ」の一点張りだったそうです。
とにかく担当医は患者さんが納得できる説明をしませんでした。患者さんの顔に不信感が表れ始めているのに気がついたのか、担当医の顔が引きつり始め、形相が変わってきたのを今もはっきりと覚えていると患者さんは言いました。この医師は何も知らないなと感じた患者さんは引き下がり治療を受けると承諾しました。この承諾した理由は、心の中で「納得がいく治療を行ってくれる医者を探さなければ危険だ」と思い、「それまでの間、どうしても痛みに耐えられなくなったときに備え、ステロイド薬をもらっておこう」と考えたからだそうです。
はじめは、ステロイド剤を5mg1日3回ということでしたが、処方箋は15mg1日3回となっていました。「これだけの量を飲めば、痛みが確実に和らぐ、そうすればこの患者は信用するようになるだろう」との医師の判断だろうと患者さんは自分に言い聞かせました。というのも、医師の表情からは、このような嫌味な年寄りは早く死んでしまえと判断したなと思えたそうです。とにかく無茶苦茶で、医師の良心を感じなかったというのが患者さんの印象でした。処方薬をもらった近くの薬局の薬剤師も暗い表情で、「初めての患者に15mgとは異常だ。注意してほしい」と忠告されたぐらい異常なことでした。
その日、娘さんが心配して患者さんに尋ねてきました。ステロイド薬を見て、本当に服用するのかと怒り出しました。娘さん曰く、生体防御の免疫系の働きが低下したとき、自力で日常生活ができなくなり、患者さんが倒れたら病弱な奥さん一人になってしまうことを気にかけていたからです。少なくとも患者さんには元気で動き回れる状態であってほしかったのです。
先ほどの整形外科の医師の件や娘さんの忠告を聞き入れ、信頼できる治療を行っている医者の下で治療を行いと思い、来週1月17日に当院を受診することになりました。
しかし娘さんにステロイドは一錠たりとも飲むなと強く注意されてもなお、患者さんはステロイドは生体ホルモンとして非常に大切なものなのに、これが免疫を抑え鎮痛薬として働くのか、その矛盾した作用がどうしても信じられませんでした。痛みの苦痛から逃れることと、本当に効くのかという探究心も手伝って、娘さんには服用しないと約束したステロイドを飲み始めてしまいました。3日目に強い痛みは確かに消え、体が楽になりましたが、手の指、手首などの関節の痛みは残りました。このとき、患者さんはこの関節の痛みはステロイドといえども簡単にはなくならないだろうとただ漠然と感じたそうです。
1日45mg(15mg×3回)を3日間服用されました。関節の痛みは残ったままでしたが、なんとか車の運転ができ、15km離れた当院へ向け車を走らせました。患者さんの心は、科学的に納得出来る方法であれば、その方法に頼ろうと決めていましたから、「リウマチ様筋痛多発症」は何が原因で発症している疾病であるか私の考え方を改めて聞きたいと期待して出かけたそうです。
初診は雑談から始まりました。私はいつも雑談を通して患者の人となり、また考え方など見ています。患者さんもそれが伝わったのか少し緊張されておりました。雑談が一通り終わったところで、別の病院でリウマチ様筋痛多発症と診断されたと患者さんから聞き、私は、即座に、かつ、じっーと患者さんを見ながら、「その原因はヘルペスだ」と一言ぽつりこぼしました。
患者さんは全く予想しなかった答えに愕然とし、動揺されていました。その変化を私は取りこぼさないようにじっと観察していました。
患者さんは、口の周りに年に1,2度水疱ができ、痛みと気分の悪さにいつも10日間程悩まされることが何十年も続いたことがあり、近所の病院に受診すると医師からヘルペスウイルスが棲みついて起こしている症状だと聞かさたことがありました。またヘルペスは局所的なもので全身に広がっていくことはないとも聞かされていました。当時は患者さんも本当かなという疑問と不安感はあったようですが、自分の都合のよい解釈を受け入れていたのでしょう。
「ヘルペスが引き起こす症状群とリウマチの症状とを比較すると一致している点がある。このことからリウマチはヘルペスが引き起こしている疾病だといえる」私は患者さんに詳しい説明をしました。その説明は、分子細胞生物学や免疫学の最近の成果までを根拠とするものであり、レベルが非常に高く、専門外の者にとっては容易に理解できるようなものではありません。しかも、私は身につけられた高度な知識を縦横無尽に使えるのです。
患者さんから病気に罹り受診したとき、最新の科学的見地から何が原因なのか詳しく説明を受けたのは、80年の生涯で初めてだと言われました。2017年11月、食事量が減少してもいないのに、急激に筋肉が減少していく様を見て、何かが筋肉を分解しているなと感じていましたが、原因が全然分からず、現在の医療水準では納得できる説明はないだろうと半ば諦めていたそうです。
患者さんはヘルペスが原因で引き起こされた疾病だという説明に納得する点が多く、疑問を感じる点はなかったとのことです。当院で行う治療は、一般的に医療界で行われているリウマチの治療法とは全く異なり、理にかなった方法だと感じられました。
リウマチに効く漢方煎じ薬を2種類と抗ヘルペス剤(アシクロビル錠)を処方しました。最後に鍼灸を受けてもらい毎日自宅でもお灸をしてもらうように指示しました。
患者さんは50~60年前の学生の頃、西洋医学と東洋医学のそれぞれの長所を生かした医療が早く完成されるべきだという話をよく聞かされていたことがあったそうです。その理想が当院において実現していたととても驚いておられました。
心配していた娘さんに患者さんは当院での診察内容を説明すると、娘さんは不安そうな顔をされたそうですが、患者さんが当院で治療を受けることに前向きなのを聞いて納得されました。
早速、自宅で処方した漢方煎じ薬と抗ヘルペス剤を服用されました。2~3日後、何もできないぐらいに気分が悪くなりました。たった3日間しか使っていないのに、ステロイドのリバウンドがこんなに強く現れるのかと患者さんは驚かれました。この強く気分の悪い日々は約2週間続きました。しかしその間は、強烈な気分の悪さからか、痛みについては気づかない日々でした。
2月の上旬が終わる頃、気分の悪さが一段落すると強い痛みを感じ始めました。この頃、肩の痛みから腕で自分の体を支えられなくなり、加えて腹筋力も無くなり、起き上がることも出来ない状態になってしまいました。幸いにも脚力だけは残っており、ベッドから起き上がるときは足を振り子のように振って反動をつけ、ベッドの端に座って立ち上がるという生活が続きました。しかし、ベッドから転げ落ちれば、もう患者さん一人で立ち上がることが出来なくなるので、いつも細心の注意を払ってもらいました。
患者さんが最も困ったのが入浴でした。手の握力がほとんど無くなり、タオルを握れず体を自分で洗えない状態となってしまいました。さらに浴槽からあがることが出来ず、高さ20センチの風呂用の椅子を浴槽内の椅子として使うことにより、なんとか浴槽から出ることが出来たのです。
痛みは日に日に強くなり、睡眠中も痛みで起こされるようになりました。娘さんや患者さんはリバウンドの状態を見て動揺し、当院での治療を続けることに不安を感じました。また、近所にいる80代のご夫婦の奥さんが患者さんと同じ病気に罹り、ステロイド療法を行っていました。患者さんがこの病気に罹る頃には、奥さんは痛みを感ずることはなく元気な生活を送っていた場面が目に焼き付いていたため、患者さんがリバウンドによる痛みで苦しむとき、ステロイド療法がよかったのではないかと心のブレが起きていたからです。しかし、ステロイド治療に戻っても先が全然見えないではないかと自分自身に言い聞かせました。
このような心が揺らぐ期間が1月下旬から2月上旬まで続きました。
そんな時、奥さんが患者さんを元気づけようと、良くなって闘病手記を書くときのために気分が悪かったときや、どのような症状だったのかメモしておこうと言い出しました。患者さんは病状を振り返り、気分が悪かった時の症状を言い始め、「悪心、悪寒、吐き気、全身の倦怠感、虚脱感」と言い連ねて、これらの症状は覚せい剤の断薬症候群だとわかりました。ステロイドは覚せい剤と同じ精神依存を伴う薬物だと気づいたのです。患者さんはステロイドを3日間しか使わなくて良かったと冷や汗が出ました。もし半年でもステロイドを使っていたら、止めるには大変な苦痛を伴い、松本式治療法を受けている途中でステロイド治療に逃げていたと思います。
強い気分の悪さは2月中旬でピークを迎え、気分の悪さは徐々に薄らぎ9月頃まで続きました。
2月下旬、真夜中に釘を刺すような強い痔の痛みを感じました。患者さんは何十年もイボ痔で苦しめられていました。痛みが走るときは、必ず出血していたので早速、痔の坐薬を使おうとトイレに行くと、出血していないことに気づきました。患者さんは不審に思って、いつも使っていた坐薬の成分を見るとステロイドが入っていたのです。こんな薬にまでステロイドが入っていてびっくりされました。
この痔の痛みは、その後9月にあり、そして12月にはいつの間にか治っていたのです。一般に痔はなかなか治らない病気の一つに数えられていますが、当院でリウマチの治療を始めて、痔も治ったのです。
当院で治療を始めてすぐのリバウンドによる痛みについて戻りますが、痛みのピークは2月の終わり頃の3日間でした。3日間、夜間に痛みでウンウン唸っていたそうですが、約4ヶ月が経ち3月に入ると痛みが下降線をたどり始めました。
肩の痛みは、手を動かさない限り、感じない程度に戻っていきましたが、その代わり、今度は、腕の関節、手の指の関節が痛くなりました。しかし今度の痛みは耐えきれないほど強いものではありませんでした。この痛みはステロイド使用で軽減した時の痛みと同じものだったそうです。
肩の痛みと腕の関節の痛みは、6月頃ほぼ治まりました。指関節の痛みは、長く続き、押さえると少し痛みを感じました。この指関節の痛みが原因で、手の握力がほとんど無くなり、2~3月は箸を握ることも出来ず、食事はサジでしか食べられない状態でした。この痛みは2018年2月頃まで続き、症状が酷かった2017年2月頃の指関節の痛みに比べ、10%程度だったそうです。
患者さんに現れた症状の中で最も生活に支障を来したのは、握力がなくなるという症状でした。握力がなくなるのは、手が使えないことと同じです。何かを手に持っても、ズルズルと落ちてしまいました。ものを持つときは、指を使うのではなく、両方の掌でものを押さえて持ち上げることは出来ますが、重さは2kg程度が限界でした。
とにかく、指が使えなくなったら、手のひらを使う工夫が必要でした。生活も指を使ったり、握力が必要なことを避け、手のひらでなんとかやれないかと工夫する毎日でした。指にお灸をするように指示しましたが、指のお灸は飛び上がるほど熱く、足の指も手の指と同程度に熱いので、かなり頑張っていただきました。
そして握力の回復が見られるようになったのは5月に入ってからでした。この頃から周りから血色が良くなったといわれるようになられました。6月には、車のハンドルを回すのに必要な握力も回復したと感じ始めたのですが、車を不安無く運転できるようになったのは8月からです。今では、奥さんの助けなく、一人で車を運転することが出来るようになりました。
次に睡眠について述べたいと思います。患者さんは寝る姿勢で、肩が痛いのと腕力が無くなっていることから寝返りが打てず、あお向けのままで寝ておられました。なので、30分から1時間ほど経つと目が覚めてしまいました。一定の姿勢を保っていると、背中が熱くなるので、起き上がって2,3時間体を冷やしながら寝ていました。なので、一晩の睡眠時間は合計して3時間程度しかありませんでした。十分な睡眠をとるため、昼間も寝ることに努めても、睡眠時間は合計5~6時間でした。この状態が4ヶ月ほど続きました。
5月に入って、ある晩ふっと目が覚めたとき何か気分が良く、ぐっすり寝たなと思い、時計を見ると3時間続けて眠れていたことがわかりました。嬉しさのあまり言葉にできないほどだったそうです。これで快方に向かうんだと、その嬉しさでいっぱいでした。そのまま快方に向かい、顔色も良くなっていきました。
十分な睡眠がとれるようになると、屋外にも出られるようになりました。握力も少し回復した患者さんがゴミを出しに行くと、前述の私と同じ病気を患っていた奥さんのご主人に会いました。奥さんのことを尋ねたら「持病が悪化して大変だ」とのことでした。患者さんの娘さんが心配していたのは、このことだったのです。ご主人と話をした数日前、真夜中に救急車がやってきていましたから、奥さんの状態が芳しくないということは充分理解できたのです。
患者さんが元気になっていたのを見て、ご主人に当院での治療について問われたので詳しく説明されました。すると、「妻の治療をそちらに変えようと思うがどうだろう」と問われたので、ステロイドのリバウンドで患者さんが苦しんだ話をし、奥さんは1年半ほどステロイド療法を行っているためリバウンドがかなり強いということと、80歳を超えた奥さんにリバウンドに耐得うる体力が残っているか、また保険が効かないので当院の受診を諦めました。今では、介護車がやってきています。最近は、ご主人の顔が暗くなっており、奥さんが選んだ療法について後悔されているような感じがあるようです。
次に患者さんが体験した症状として、目まい、ふらつきがありました。目まいの症状は、痛みがひどいときに付随して現れました。目まいは1~2日程度でしたが、そのときにトイレに行くのは大変だったそうです。ふらつき感は9月まで続きました。
このふらつき感は、酒に酔ったときのような自分ではまっすぐ歩いているつもりでも、実際はジグザクに歩いているのとは異なり、この病気のふらつき感は、自分でジグザグに歩いているように感じ、まっすぐ歩こうと努力するのですがなかなか出来ないのです。少しずつふらつきがマシになり元気になってくると、歩行練習も兼ねて出来る限り買い物などに行ってもらいました。すれ違う人々の異様な視線を感じながらも、ふらつかずまっすぐ歩けるようになったのは11月頃でした。
また4月になってから、左手の人差し指と中指がまっすぐにならなくなり、出来る限り両指の屈伸を行うように指示しました。体が自由に動けるようになった6月頃になっても両指はまっすぐにはならず、患者さんは諦めていました。しかし、それからしばらくして9月のある日、気づかない内に手の指全部をまっすぐ伸ばすことが出来るようになっていました。患者さんは無理矢理、後遺症はもう治らないと思い諦めていたため、患者さんから夢のような出来事だったと後遺症がでなかったことをご家族と一緒に喜ばれたそうです。
また、持病の痔の痔核がなくなったり、ヘルペスウイルスによる口の周りの水疱ができなくなりました。さらによくこむらがえりを起こしていたのもなくなり、右手指の震えが消えて字が書けるようになりました。2017年9月頃に1回と2018年1月に1回、合計2回、数秒ずつ耳鳴りが止まるようになり、徐々に耳鳴りが治まっていきました。
今では後遺症もなく、リウマチ性多発筋痛症も持病も完治され、当院には通われておりません。