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関節リウマチ完治の症例集Part1更新2021.11.2

投稿日:2021年11月2日 更新日:

症例報告1例目

症例:関節リウマチ

ご主人の勧めにより当院を受診され、3年かけてリウマチを完治されました。

患者:当時50歳、女性

最初の異変は1998年頃、腕と肘と二の腕と足裏が痛み、足がむくんで腫れて象の足のようになってしまい、体の調子が悪かったのですが、仕事による不調だと思い、病院には行かず少し良くなったり、悪くなったりを繰り返して日々を過ごされていました。足の腫れはherpesとの戦いで炎症が起こり炎症の四大主徴である発熱、発赤、疼痛、腫脹のひとつである腫れが出てきたのです。炎症はあくまでも生きた病原体の感染でみられるものであり無生物の異物である化学物質によるアレルギー反応では炎症は見られないのです。つまり炎症は免疫が燃やして殺す病原体との戦いでみられるものであります。死んだ化学物質を排除するしかないアレルギー反応はアレルギー症というべきなのです。しかしこの真実は医学界でも知られていないようです。翌年5月頃、車に乗りクーラーを入れると、足が痒くなり、足を見てみると赤い斑点が出ていました。赤い斑点はヘルペス性の点状紅斑です。皮膚科にかかると、寒冷蕁麻疹と診断され治療にはかなり強い薬が必要だと言われた通りに処方された薬を飲まれました。蕁麻疹ほど皮膚の病気で治しやすい病気は他にありません。というのは蕁麻疹は皮膚の真皮で化学物質をアレルギー抗体のIgEと結び付けて体外に排除しようとするのですが表皮組織の基底細胞を破り切れずに自然と雲散霧消してしまって蕁麻疹の症状はいずれすぐ消えてしまうからです。しかし良くなるどころか足のリンパ腺より下部が赤く腫れて歩行が難しくなり、追加で足の腫れを抑える薬が処方されたそうです。強い薬というのはステロイドです。ステロイドで免疫が抑制されている間にヘルペスが足のリンパ節まで感染してしまったのです。その皮膚科から「症状が悪くなったら大きい病院を紹介するから入院するように。」と今思うと脅すような言い方だったそうです。2週間後ぐらいで赤みが取れましたが、足の裏は依然と痛いままで皮も破れて切れて血も出ており、足は象の足のようにむくんでしまいスリッパを履いて行動されていたとのころです。

秋になり、今度は首と肘に痛みを感じ、接骨医院で牽引治療や電気治療やマッサージや鍼と色々やってみたのですが何の変化もなく、冷たい水で洗い物をしている時に水が右手にかかると右手が痺れたり、さらに首と腕と肘が日によって痛みの起こる場所が変わったり同時に起きたりと、症状はどんどん悪化していかれました。

1999年11月頃、整形外科でレントゲンとリウマチの血液検査を行われました。レントゲンでは骨に異常はなく、痺れに効く点滴をされ、薬が処方されました。ビタミンCは補酵素で痺れに効くのはherpesの戦いで隣の細胞に感染しないように細胞外マトリックス(結合組織)にあるコラーゲン繊維を強くすることができるからです。1週間後に血液検査の結果が出るため、来院する前にご主人にリウマチについて調べてもらったそうです。

みなさん、ビタミンC不足による疾患による壊血病は今はほとんど見られませんがどのようにして壊血病で出血が起こったのかごぞんじですか?結合組織はコラーゲンという蛋白が主要な成分です。コラーゲンとは何でしょうか?結合組織の構造蛋白でありアミノ酸三残基で一回転する螺旋を形成します。アミノ酸三残基の配列はグリシンープロリンーヒドロキシプロリンの三つでありこれを繰り返します。これが三本集まって三重螺旋になり丈夫な繊維を形成します。ビタミンCが不足するとプロリンのヒドロキシ化が阻害されてコラーゲンが作られなくなってしまうのです。その結果、種々な部位の結合組織の形成が不良となり,血管の内皮細胞を結び付けている結合組織のコラーゲンも不足してしまい血管が破壊され骨膜,皮下にも出血が起こるので壊血病と名付けられたのです。

患者さんの1日は午前5時頃に起床し、足裏がパンパンに腫れ、手が思うように動かせずシャツのボタンが上手く留められなくて着替えも靴下を履くのも一苦労でした。骨の痛みであるがあり、足をすりながら歩き、また足裏が腫れて靴も履けず、スリッパを履いて移動されていました。朝は特に調子が悪かったそうですが、時間が経つと少しずつ動くのがましになっていたようです。そして1日中痛いところを撫でているのが常でした。

毎朝、顔はむくんでおり、精彩もなく、いつも具合が悪そうだったそうで、「痛い!痛い!」とご主人に毎朝言っておられたそうです。

以上のことを踏まえて、患者さんの症状に当てはまる病名だったため、患者さんは自分がリウマチであるに違いないと思われました。

1週間後、整形外科で血液検査を聞くと、「まだリウマチになっていない。」「何年後かにリウマチになるかもしれない。」と言われ、最後には「また1年後にでも調べましょう。」と診断が終わったそうです。患者さんは1年も痛いまま我慢して生活しなければならないのかと思い、自宅に帰ってご主人に相談すると、ご主人は患者さんのリウマチが治せる病院をすでに調べておりました。そして当院を見つけ、一度診てもらうようにご主人から勧められたとのことでした。

2000年1月、北海道から大阪の高槻までわざわざ来院してくれました。私は患者さんを診てリウマチと診断しました。もちろんリウマチという自己免疫疾患という病気ないのですが、患者さんに分かりやすくリウマチと告げたのです。言うまでもなく痛みはherpesによるものでありご夫婦の思った通りでしたね。どんな患者さんにも伝えていますが絶対に治るよと言い、リウマチの検査内容を説明し、2週間分の煎じ薬と、消毒薬、塗り薬、抗ヘルペス剤を処方し、治りがより良くなるようにお灸のやり方を説明して様子を見てみました。10日後、検査結果が出たため、遠方なので電話にて結果を伝えました。リウマチの抗体が60と高値でしたが、その他の数値は正常値だったので、絶対に治ることをもう一度患者さんに伝えました。リウマチの抗体はすべての健康な人でも持っているのでまやかしですからリウマチの抗体が万一あってもリウマチでない人はごまんといるどころか、リウマチの抗体が異常高値であってもリウマチでない人もごまんといるので医者たちは新しい病名を作り出すのです。その一つがリウマチ性多発筋痛症であり、線維筋痛症であります。病名を変えてもherpesによる痛みは変わらず、しかも治療も同じsteroidです。悲しいですね。

すると2週間目くらいから痛みが少しずつ取れていき、幼少のころからある皮膚の痒みも漢方風呂に入って取れてきました。漢方風呂をバケツに入れて足湯もされたそうです。

2001年1月頃、1回目のリバウンド症状が起こりました。高熱を出し、目の前が白くなるような感じでフラフラだったため、近くの内科にかかってしまいました。私に連絡が来たのは正月が明けてからでした。連絡受けてからすぐ飲み薬を送り、1月中旬には熱も取れて良くなりました。

痛みがかなり引いていき、手の痺れも3本指から中指だけになりました。右股も良くなられたようです。足はまだ足首まで腫れており、足裏に毎日軟膏を塗り続けておられました。歩くのもまだすり足歩行のままでした。

その後、リバウンドを2回繰り返し、2003年4月、久しぶりに当院に来院され対面診察を行いました。数値のほとんどが正常値に戻り、ほとんど普通の生活を暮らせるようになっていました。まだ右手の中指の痺れが残っておられましたが、リウマチによる痺れではない可能性があったため、もちろんヘルペスであったのですがしばらく様子を見ました。

同年10月、起床時に背中と手の指が痛んだようですが、以前に比べてすぐに着替えもできるようになられました。足も以前までは思うように動かすことができず、ベッドの高さを調節して低くし、自宅の2階にも滅多に行かなくなっておられましたが、ベッドから普通に降りられるようになりました。お箸も上手く使えるように元に戻れました。痛いところをよく撫でていましたのもなくなったそうです。そして9月頃に右手中指の痺れも取れました。前までは中指がしびれて利き手でペンを持つことも、パソコンでメールを送ることも上手くできず苦痛で憂鬱だったのです。

今では普通の生活を送れるようになり、治療は終わりました。世界中の医者はヘルペスがすべての痛みの原因であることを誰も知らないので一生治らない自己免疫疾患を編み出しかつ治すことが絶対不可能な免疫を最高度に抑えるsteroidしか治療はないと言い張るのです。悲しい悲しい現実ですね。痛みだけのみならずあらゆる神経変性疾患もherpesなのです。

症例報告2例目

病名:関節リウマチ、悪性リンパ腫(癌)、アトピー性皮膚炎、 アレルギー性鼻炎 アレルギー性結膜炎

初めは奥さんの関節リウマチの治療で来院され、のちに発症された悪性リンパ腫も当院の悪性リンパ腫の治療で完治されました。リンパ腫もリンパ球に感染したherpesがBリンパ球の遺伝子に入り込んで遺伝子を形質転換(変異)生じるのです。抗ヘルペス剤を投与すれば治ります。

患者:当時65歳、女性

2005年53歳の頃、突然手首に痛み、軽いめまい、スーパーのビニール袋を手にした時の痒み、鼻炎も発症し、かかりつけの個人医院に受診されました。診断結果は、関節炎と肌荒れとされ、リンデロンVG軟膏(ステロイド)を処方され、鼻炎は市販の薬を服用されていました。その後、胃炎と膀胱炎を起こし、他の医院にて内科ではガスターD、バイナス錠を処方され、泌尿器科でバナン、クラビット錠を処方され、婦人科でタベジール、ダーゼン錠、マイノザークリームを処方され、眼科でオフロキシン点眼液、フルオロメトロン点眼液と大量の薬を処方されたとのことです。それに付け加え、膝が痛み出したため、月に1回ステロイド注射をされていました。他にもテレビや雑誌などで宣伝されている青汁やプルーンや大麦若葉、青魚エキス等々を飲まれていたようです。

前医の処方:リンデロンVG軟膏(ステロイド)、ガスターD、バイナス錠、バナン、クラビット錠、タベジール、ダーゼン錠、マノザークリーム、オフロキシン点眼液、フルオロメトロン点眼液。

steroidは症状のすべてをたちどころに取ってくれますから医者にとって最高の薬です。steroidが合成されていなかったら外科を除いて偉業は成り立たなかったでしょう。リウマチは化学物質とherpesが原因ですが原因はすべて化学物質です。悪性リンパ腫は癌ですがリンパ球の癌ですからherpesが原因です。だからこそこの患者の悪性リンパ腫を治すことができたのです。

2006年54歳頃、右肘の関節が少しずつ曲がり始め、手足の指の関節も曲がってきたそうです。ご自宅の地域でリウマチの治療で有名な大学病院へ2年ほど通院されておりましたが、初診時にリウマチは治らないので薬で現状維持するしかできないと言われ、ショックで診察室で泣いてしまったことを今でも思い出すほどでした。自己免疫疾患という病気はこの世には存在しません。頭のよすぎる医学者が作り出した病気です。痛みはherpesが原因ですから抗ヘルペス薬を出せば直すことができたのです。

前医の処方:PL散、クラビット、アズレン点眼液、ロキソニン、ハルシオン、モービック錠、マイスリー、アザルフィジンEN、フロモックス、ファルネラートゲル。

治療:膝が痛い時にステロイド注射。ステロイドはあらゆる痛みをたちどころに消してくれる医者と患者にとっては最高の薬ですが病気を治すには最悪の薬です。

しかし、通院しても膝の痛みが増し、次第に車の乗り降りも難しくなり、腕や肘の関節もさらに痛くなっていかれました。担当医も流れ作業のように患者の顔を見ることもなく横向きのまま診察をされ、例えば3時間ほど待たされて診察で眠れないと相談しても2分くらいの問診で睡眠薬を処方されるだけでした。次回も眠れないと言えば、「あまり良くないのですが…」とさらに強い睡眠薬を処方されるだけだったのです。さらに同病院にて長年通院されている患者さんと知り合い、その患者さんの症状が徐々に悪化していくのを見て、このままこの病院で治療を続けて良いのか不安を感じるようになりました。

そんな時、知人の知り合いが同病院のリウマチ科を通院され症状が良くならず、松本医院で治療を受けて治ったという話を聞きました。当時は半信半疑でしたが、まず当院で治療された知り合いの方に会って当院について色々聞き、当院の手記をよく読んで理解してから当院へ来院されたのでした。

2008年1月、ご主人と一緒に当院へ初めて来院された際、私の迫力に押され少々怖い方なのかと思われドキドキされたそうですが、私がちゃんと患者さんの目を見て大きな声で「リウマチは治ります!」と伝えると以前の病院との違いに思わず嬉し涙を流されておりました。今までの薬の服用を止めてもらい、そしてリウマチに効く漢方煎じ薬と漢方風呂と赤い漢方塗り薬と抗ヘルペス剤の錠剤を処方し、帰る前に鍼灸師から鍼治療を受けてもらい、自宅でのお灸のやり方を説明し覚えてもらいました。

処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、赤い漢方塗り薬、抗ヘルペス剤錠剤。

治療:鍼治療。

そして順調に良くなり、リウマチは完治することができたのです。

しかし、数年後に突然左顎の下にゴルフボールぐらいの大きさのシコリを見つけ、急いで近所の病院へ行くとすぐに隣町の総合病院に行くことになってしまい、不安で考える間も与えられず次から次へと検査が続き、診察でリンパの癌だと告げられたのです。それから4ヶ月間、癌の検査の日々が続いたのでした。急性白血病もリンパ腫もすべて骨髄に感染したヘルペスが骨髄の血球を作る幹細胞にも感染して幹細胞の遺伝子に入り込み遺伝子の形質転換つまり変異を起こして癌細胞に変えてしまったからです。水泳の選手で有名であった池江選手の急性白血病も原因はherpesだったのです。何故ならば癌に急性に生じる癌はherpesのリンパ球の癌しかないからです。超音波検査、頚部CT撮影、血液検査、免疫学的検査、尿糞便検査、ホルモンマーカー、CT撮影(胸、腹部)、リンパ節等針生検、細胞診検査、MRI画像診断と10回の検査を耳鼻科と内科で同様の検査を行われ、診断で乳癌とか肝臓癌とかMALTリンパ腫の疑いがあるとまた検査を行い、病院に行くたびに血圧が180以上になり、食欲もなくなっていかれました。MALTリンパ腫とは英語でMucosa Associated Lymphoid Tissueリンパ腫で日本語で粘膜関連リンパ組織リンパ腫であり日本語で説明すると胚中心を経由した濾胞辺縁帯B細胞  に由来する節外性B細胞性リンパ腫です。ほとんどのリンパ腫はB細胞リンパ腫です。節外性という意味はリンパ節の外という意味です。リンパ腫はリンパ節で腫瘤ができ、リンパ球ががん細胞になる病気です。リンパ腫といえば悪性です。悪性リンパ腫はホジキンリンパ腫と非ホジキンリンパ腫にわけられ、またB細胞性、T細胞性など細かい分類があり、それぞれ症状や進行の程度に違いがあります。

多くの検査をされてきたのにもかかわらず、結果は原因不明と言われました。挙句の果てに「とりあえず腫瘍を切り取って調べてみましょう。どうしますか?」と言われたそうです。最初は手術すると返答してしまった患者さんですが、のちに冷静になって私に電話で相談されました。まず手術は取り止めてもらい、当院で漢方煎じ薬を処方し服用してもらいました。結局、漢方せんじ薬と抗herpes薬で治りました。

現在では、腫れもすっかり引き、通常の生活をされています。必要な時にはご主人にお灸をやってもらっているとのことです。この方のお姉さんの大腸がんも治してあげました。いずれ姉さんの大腸がんの症例報告もやります。

症例報告3例目

病名:関節リウマチ

知人の紹介で当院を受診し、のちに詳細な症状の経過の情報を提供していただいた患者さんです。

患者:当時53歳、女性

最初に出現した症状は足が腫れていき、痛みで靴が履けなくなったり、膝回りも腫れてきました。次に右人差し指がこわばり、腫れて痛みが出てきました。閉経期前後に、黄体ホルモンがなくなり始めると黄体ホルモンを代謝して免役を抑えるコルチココステロンを作る必要がなくなります。するとに生理があった40年間免疫を抑えてきたコルチココステロンがなくなり免役のリバウンドが生じ40年間増やしてきたherpesとの戦いが始まります。一番無理がかかる関節にヘルペスが増えかつ痛みを感ずる痛覚神経細胞に感染したherpesとの戦いがリウマチの始まりになるのです。近くの整形外科に受診するとリウマチの疑いと診断され、検査を行うと少し数値が増悪だったため薬が処方されたとのことでした。患者さんが子供の頃、父方の伯母がリウマチになり、寝たきり状態になってしまい亡くなっておりました。その伯母の不自由な体と最後を知っていたために患者さん自身も同じことが起きるのではないかと思い、不安と恐怖心を抱きました。本来リウマチで死ぬことは絶対ないのです。なぜならばリウマチの原因はherpesであるのでherpesで死ぬことは絶対ないからです。

担当医にもよく効く薬はきつい副作用が出るのでここではあまり出せないと言われていたため、薬をできるだけ飲まないようにされていました。

しかし症状は次第に悪化していき、正座ができなくなったり、寝返りができなくなったり、朝目が覚めてもすぐに起き上がれなくなったり、シャツのボタンがはめられなくなったり、手首が痛くて重いものが持てなくなったり、車のハンドルが回しにくくなり、首も痛くて後ろが見られないため車の運転ができなくなってしまいました。さらに肩こりが酷く痛みも伴い、足首や膝が痛み階段の上り下りが大変で、足裏も腫れて歩くのも痛くて困難になりました。口を大きく開けると顎が痛み固いものや強く噛むことができなくなったり、体全体が倦怠感に伴って痛みがずっと続き、最初は右手の指のこわばりだけだったのが両手ともこわばり指を曲げることもできなくなり、腰以外の体の関節が全て痛むようになっていきました。

下に健常人と関節リウマチ(RA)の人の関節の構造の違いを図示しました。説明を加えましょう。パンヌスとは、滑膜にherpesによって破壊された細胞が欠損した部分に肉芽組織を形成して軟骨、骨の破壊に至るRAの関節の病変状態です。肉芽組織とは何でしょうか?組織に創傷や火傷やヘルペスウイルスなどの病原体との戦いによって生ずた炎症などにより細胞欠損や細胞基質の欠損を補填するために、その部位に肉が盛り上がるように見える鮮紅色の軟らかい新生された結合組織です。この結合組織は細部基質(細胞マトリクス)や少ない細胞で作られています。結合組織の出来立てのほやほやである肉芽組織は毛細血管に富む若い結合組織で、線維芽細胞、組織球、マクロファージ、さまざまな白血球である好中球、リンパ球、形質細胞、樹状細胞といった免疫細胞が総動員され殺しきれないけれども抑えきることは可能なherpesと対抗すべく集まってくるのです。とりわけ形質細胞はherpesが感染した滑膜細胞もろとも殺してしまうIF-αとIF-βを作ることができる最後の武器を産生してくれるのです。

ますます症状が悪化していき、不安と恐怖が増す一方でしたが、それでも薬は飲みたくないという板挟みの状況が続く中、知人から当院を紹介され、当院でなら病気を治せると思い、今まで不安と恐怖が一気になくなったそうです。私が直したのではなく患者さんの免疫であるのです。

4月中旬、ご主人と一緒に急いで当院へ来院されました。患者さんは色んな疑問点を私に質問し、私も患者さんが理解できるように何でも説明し、「治したるでー」と伝えて、握手を交わしました。患者さんも元気が湧き、治療に前向きになられました。漢方煎じ薬と漢方風呂とアミノバクトを処方し、さらに来院された際は鍼灸師に針の治療を受けてもらうようにし、自宅でのお灸のやり方の説明を受けてもらい毎日お灸するように指導し、最初の診察を終えました。アミノバクトは免疫の蛋白の原料となるので出しました。現在は免疫の蛋白を作る手助けとなると同時にコラーゲンを作る手助けをする補酵素のビタミンCをアミノバクトの代わりに出しています。

近頃リウマチを診断する血液検査としてリウマチ因子(RF)の代わりに抗体CCP抗体が用いられるようになりました。この違いは何でしょうか?リウマチ因子は英語でrheumatoid factor略してRFでリウマトイド因子とも呼ばれ、IgG-Fcに対する自己抗体であり、他の免疫グロブリン同様、RFにもIgG・IgA・IgM・IgD・IgEの5種類が存在しますが、検査項目RFとして測定される場合は最も割合の多いIgM型のRFのみを意味します。IgG-Fcにしろ IgM-FcにしろFcはconstant fragmentの略であり日本語で定常領域と訳します。この constant fragment(Fc)はこの世の自分の成分であろうが異物の成分であろうが10億種類の有機物質をBリンパ球の膜抗体(Bリンパ球の膜レセプター)は認識できるのでIgMクラスのFc抗体はFcを有機物質の一つと認識されて作られます。更に補体があれば膜抗体のIgMが分泌抗体のIgMなるのですが1~2週間で消えてしまうのです。何故ならば自分自身の成分であるDNAや核をマクロファージや樹状細胞危険な敵だと認識できないから彼らから危険信号が入ってこないのでB細胞は抗体のクラススイッチができないのです。自然免疫でもあるB細胞やマクロファージや樹状細胞のToll-like rec eptor(TLR)はDNAや核や自分の一部であるFcに対するIgM抗体はすぐに作れるのです。リウマチ抗体であるRFはIgM以外に IgG・IgA・・IgD・IgEの5種類が存在しますがIgG・IgA・IgEのクラスに一時的に変えるにはそれぞれのクラススイッチに必要なサイトカインが決まっておりIgGに変えるには、IgAに変えるには、IgEに一時的に変えるにはというサイトカインが必要なのです。これらIFN-γ、IL-5、 IL-4のサイトカインは常に腸管に大量の常在細菌が存在しているので常に産生されているのでこのサイトカインをクラススイッチのために一時的に利用しているのです。因みに人体でB細胞をメモリーB細胞に永久的に変えるにはヘルパーT細胞の助けが必要になるのです。

抗環状シトルリン化ペプチド抗体とは何でしょう?英語で Anti-cyclic citrullinated peptide antibody略して anti-CCP又は, ACPAで上皮細胞にある環状シトルリン化ペプチド(cyclic citrullinated peptide略して CCP)を人工的に無理やり都合のいい抗原に変えて自己抗体測定法として用いて関節リウマチの診断の一助にしたのです。略して抗CCP抗体と呼ばれることが多いのですがそもそも人体にもともと存在しない抗原に対して何の意味があるでしょうか?自己免疫疾患という架空の病気をでっちあげるためにまたまたその上塗りをするために偽の抗体を捏造したという意味はありますがね。アッハッハ!!!!  

環状シトルリン化ペプチド(cyclic citrullinated peptide: CCP)抗体(ACPA)は上皮細胞に存在するフィラグリンのシトルリン残基を認識する抗体です。抗CCP抗体は関節リウマチに特異性の高い抗体であり、関節リウマチの診断だけでなく、診断確定前に関節リウマチの発症を予測することもできますとなっていますがすべて意味のない話です。何故ならば自己免疫疾患などという病気はそもそも存在しませんからね。世界中で自己免疫疾患を完治させた医者がどこにいると思いますか?ここにいます。わたしだけです。松本仁幸という狂った医者です。何故ならば医学を何も知らない患者が一番の最高の医者であると言い切っているからです。あっはっは!!!!  

フィラグリン(Filaggrin)とは、表皮顆粒細胞で産生される塩基性タンパク質の1種であり、ヒスチジン-リッチ-プロテインなどと呼ぶ場合もあるのは、ヒスチジンというアミノ酸が大量に含まれている蛋白という意味です。ヒトにおいて皮膚のバリア機能に欠かすことのできない角質層を形成する時に、フィラグリンはケラチンと共に重要な役割を担っています。

シトルリン(Citrulline)は、アミノ酸の1種で、尿素回路を構成する化合物のひとつであり日本でスイカの中から発見され、スイカのラテン語citrullusに因んで名づけられたのですが、シトルリンはmRNA のコドンで指定されているアミノ酸ではないため人間に必要な20種類のアミノ酸には入ってはいないので馴染みではないアミノ酸です。つまり遺伝子転写では作られてはいないアミノ酸がシトルリンなのです。いずれにしろ自己抗体というIgMはすべての人類が生まれ持ったBリンパ球が作れるので病気の診断には全く役に立たないのです。

処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、アミノバクト

治療:鍼治療。鍼灸治療は痛みをとるのに極めて有効です。

自宅に帰ってすぐにご主人に肩と肘にお灸をやってもらうと、あまりの熱さに声も出ないほどの痛みを感じて少し治療を続けられるのか不安になったのはここだけの話です。のちに判明したことですが、もぐさを大きく作り過ぎたのが原因でお灸がかなり熱くなってしまったようです。

翌日、漢方煎じ薬を1番煎じ、2番煎じと煎じて飲まれました。1番煎じは甘かったのですが2番煎じは苦くて飲みにくかったようです。普段から長湯しないため、漢方風呂で1時間入るのは相当きつかったようで漢方風呂から上がると倒れて身動きとれなくなってしまいました。またご主人に背中と腕にお灸をしてもらい、熱さと痛みに耐えて1日が終わりました。

患者さん一人でお灸をするときもありましたが、体の自由がうまく効かないのでもぐさを作って乗せるだけでも時間がかかってしまうため、ご主人が前もって作り置きをしてくれたもぐさをツボに乗せるだけにして短縮し、できるだけたくさんお灸をされていました。漢方風呂は45分まで浸かって終わりました。

1週間後、当院で2回目の受診された際、今回は患者さん一人で電車に乗って来院されたのですが、前回に比べて階段の上り下りが楽になっていたそうです。このまま同じ処方を続けて経過を観察することにしました。また、大量のお薬は重くて患者さん一人では持ち帰れなかったため、ご自宅に郵送してできるだけ負担を減らしました。

それから5日後、朝起きると両腕と両肩に倦怠感があったのですが、ご主人にお灸を大量にしてもらい、そのまま様子を見てみたそうです。

5月初め3回目の診察を終えて2日目、リバウンドが始まりました。胸が痛み、左腕も疼いて夜中に2~3回起きてしまい、なかなか寝付けず、翌朝起きようとすると胸骨のあたりが痛み、まっすぐ起き上がれなくなっていたそうです。足も歩くと痛み、食欲も出なくなっていました。人間の免疫は非常に正直です。時間差をもって過去に免役を抑えたことを覚えており人体を守るために異物と戦ってあげて敵をやっつけてあげているのに免役をいじめる治療をしやがってと言わんばかりの免疫の復讐がリバウンドなのです。免疫はいじめられた強さとかつ回数と長さを記憶しており必ず仕返しをする宿命を持った免役を抑えては絶対にダメなのです。免疫が病気を治してくれるのに免役の痛みを伴うherpesの戦いを無理に楽になるために止めてしまえば絶対に病気を治してあげないよと私だけに伝えていますが他の医者には聞こえていないようです。あっははあ!!!残念ですね。

次の日、胸の痛みが少しましになったものの左腕に痛みとだるい感じが残り、歩くと膝が痛み、体全体が倦怠感でしんどくなり、横になることが多くなってしまいました。なぜ左腕の疼きが続いているのかというと、1年前に五十肩の治療でステロイドの痛み止めの注射を打ってもらったことがあり、その痛み止めにステロイドが入っていたためにリバウンドで左腕が疼いていたのです。この状態がしばらく続き、お灸も患者さん一人では難しくなり、ご主人がいる時しかお灸ができなくなっていました。herpesは所かまわずあらゆる細胞に感染するのです。肩の痛みも、肩の筋肉や、滑膜や、軟骨や、腱鞘や腱板の細胞に感染したヘルペスが原因のほとんどを占めるのです。

その症状を受診された際に相談され、プロテインを飲んでタンパク質を取るようにしてもらい、お灸も頑張ってもらうように指導し、帰りに鍼治療を受けてもらって精神的にも肉体的にも気持ち良くなってもらってから帰ってもらいました。プロテインを飲んでもらうのは免疫の蛋白を作るためには原料のアミノ酸が必要であるからです。

5月中旬、治療を続けて1ヶ月少したった頃、今度は首が回りにくくなり、後ろを振り返ろうとすると首に痛みが生じてできなくなりました。足のむくみも酷く、朝起きて階段を降りる時に足裏の感覚がクッションのようなものがくっ付いている感覚になり、足首も痛むためギクシャクしながらゆっくり階段を降りておられました。左腕の疼きも続いており、肩がいつも凝った状態になっていたそうです。

5月下旬しばらくして、体の倦怠感とそれに伴って痛む感じが少しずつましになっていき、足首の痛みも引いてきたものの、以前に比べて体全体の関節の痛みが悪化し、特に膝の痛みが酷くなり歩きづらくなってしまいました。左腕の疼きは変わらず悪いままです。そんな苦痛の中で鍼治療は唯一の楽しみだったようで、鍼治療はお灸に比べて熱くもなく苦痛もなく、治療後は足が軽くなって肩こりもましになり、膝の痛みも和らげ、次の日にも効果が持続するためにいつも嬉しそうにして帰路についていました。体の倦怠感も自律神経の副交感神経に感染したherpesが原因です。12対の脳神経は交感神経を一切含んでいません。因みに脳神経の10番目の迷走神経(めいそうしんけい)は、体性神経といわれる運動神経と感覚 神経と副交感神経が合わさった神経です。体を休ませろという命令を出す仕事をしている副交感神経の代表は迷走神経であり倦怠感は体中に行き渡っている副交感神経である迷走神経のどこかにherpesが感染しているから疲れていないにもかかわらず体がだるい、しんどいなどの倦怠感を感じてしまい休みたくなるのです。

6月初め、左腕と左肘が疼いて寝付けず、夜中に何度も目が覚めてしまったそうです。

左足首と左膝も痛み出し、右膝も鍼治療をして楽だったのがさらにこわばりが強くなって戻ってきたとのことでした。患者さんは、体内に入った異物を体外に出そうとして免疫が戦っているから、これは必要なことで完治に向かっているんだ!と前向きに頑張っておりました。

6月中旬、握りこぶしのように握れないが1番最初にリウマチの症状で出た右人差し指や左中指のこわばりが段々なくなっていき、体の倦怠感は以前よりも抜けてきておりました。しかし、左腕と足首の痛みがましになったり、戻ってきたりを繰り返しながら、さらに悪化していき、階段の上り下りが1段ずつでしかできなくなり、左腕が上がらなくなり服の脱ぎ着がしにくくなりまってしまいました。足裏のむくみもずっと変わらず歩くと痛みが続いていました。そして左手首も腫れて動かすと痛むようになり、この痛みが長い間痛み続けることになってしまいました。

7月上旬、前回の診察日より体の倦怠感に伴う痛みが抜けていき、肩こりも少し良くなり、膝も少しずつ腫れが引いていき、足の甲の腫れがほとんどなくなりました。しかし、足裏のむくみはまだ継続し、両手指が腫れており曲げると痛みました。肩こりに伴う痛みもあり、特に左肩は腕を上げたり、脇を離れると痛みました。鍼治療を受けた後は特に膝などがすごく楽になり、行きの駅の階段を1段ずつ足を揃えて上り下りしていたのが、鍼治療を受けた帰りでは両足を交互に出して上り下りを普通にできるようになっていました。リウマチになって普通のことが出来なくなっていたために、普通のことが当たり前のようにできるようになって本当に感動されていたそうです。帰りに友人との会食で1ヶ月前よりもずっと顔色や歩き方が良くなっていると言われてますます気持ちが明るくなったようです。

初診から約3ヶ月が過ぎ、9回目の診察の時に患者さんがご自宅でお灸を行った後、痒くなることが起こり、リウマチがクラススイッチしてアトピーの症状が起こるようになっていました。倦怠感に伴う痛みと疼く感じがなくなっており、足や腕や手指を動かすとまだ痛むものの以前に比べて抜けており、確実に3ヶ月前の激しい痛みが良くなっていたそうです。雑巾も前よりしぼれるようなったり、シャツのボタンも前よりはめやすくなったり、車を運転する際に首が痛くてバックが見られなくなっていたのが見やすくなったり、ハンドルをもつ左手も若干の痛みを伴うものもハンドルを回せるようになっておりました。足が腫れて靴が履けなくなっていたのが履けるようになり、朝起きた時に上体をスッと起こせるようになり、膝も曲げやすくなっていたため、布団から起き上がるのが3ヶ月前に比べて楽になっていました。口を大きく開けると顎が痛み、食べ物を口に入れにくく、硬いものが食べられなかったのが、大きなあくびをしても痛みはなく、硬いものも何でも食べられるようになりましたが食欲は変わらずなく、患者さんは残念そうでした。

8月初め、以前は血沈が55だったのが今回24まで下がっており患者さんはまた嬉しくなったそうです。まだ膝と足首と手首と手指などを動かすと痛みが生じており、左肩は腕を上げると痛み、まっすぐに上げられませんでしたが、全身の倦怠感に伴う痛みはほとんど抜け、肩こりや張った感じも良くなっていました。漢方を飲み始めた頃は漢方煎じ薬のせいか朝起きた時や物を食べた後にすぐにトイレに駆け込み軟便気味だったのが、少し落ち着き便も固形状のものになりつつありました。herpesは病原体ですから感染しているヘルペスが多ければ多いほど炎症所見であるCRPやSAAや血沈が高くなりますが戦うべきherpesが減ってくると当然下がります。この真実は世界中の医者は誰も知りません。何故ならば原因がわからない病気はherpesであることを知らないからです。

8月中旬、数値が徐々に良くなっていき、リウマチの症状がクラススイッチしてお灸の後や汗をかいたり、暑くなるとアトピーが起きて痒くて掻くとピリピリする痛みが出るようになりました。リウマチはふたつの原因があります。一つは言うまでもなくherpes、二つ目は化学物質をIgGですからこのIgGをIgEにクラススイッチさせてアトピーにしてこの化学物質に対して免疫寛容にしてしまえば共存できるのです。今日からアミノバクトを止め、プロテインをより効果のある方に変更し、量を4杯から3杯へ変えてもらいました。鍼治療を受けた後、膝がガクガクならずスムーズに動かせるようになり、曲げ伸ばしもしやすくなり、階段が軽く降りられるようになったので大変喜んでおられました。ピリピリする痛みはherpesです。

9月中旬、全身の倦怠感と痛みが全く無くなりましたが、左手首、左手中指、右手人差し指、右膝、右肩と部分的に痛む所はありました。指にはまだこわばりが残り、重たいものは持てず、両手とも握りこぶしにすることができませんでした。ですが、お風呂に入っている時など、体が温まっているときは握ったり開いたりと何回でもできるようになったそうです。階段を普通の交互に降りられるようになりましたが、朝起きてすぐの時は膝がガクガクで重たく感じておりました。

治療を始めて約半年が過ぎた10月中旬、あんなに痛かった右膝が曲げやすく、階段の上り下りもしやすくなり、小走りもできるようにまで回復されました。車の運転もハンドルを回すのも楽になられました。まだ重たいものを持ったり、手首をねじると痛みました。しかし、今まで何もなかった右肩での腕の上げ下ろしをすると痛みを感じるようになりました。患者さん曰く、こっちの肩にはステロイドを打ったことはなかったため、不思議そうにされていました。

11月下旬、診察日に朝起きると吐き気と下痢が酷かったため、電話にて診察を行いました。血沈は16まで下がっていることを伝えると患者さんは喜んでおられました。リウマチになってから6㎏ほど減少したのに加え、今回の下痢のせいでさらに1.5㎏減少してしまったそうです。しばらくは漢方薬を2~3日止め、漢方風呂も2日控えるようにしてもらいました。

12月上旬、右肩の痛みがましていき、左眼がゴロゴロして痒く、右眼のコンタクトレンズが痛くて入れられないと相談されましたが、目の痛みはヘルペス性角結膜炎ですと診断し、リウマチの症状がIgGからIgEへ、クラススイッチしてアトピーになり、更に免疫が上がると角膜や結膜にあらたにみつけだしたherpesとの戦いが始まるや角結膜炎の症状が出てくるのは正常な免疫の働きであることを説明し、寒くなってくると治りも鈍くなってくるので冷やさないように気を付けてもらい、漢方煎じ薬は変更せず、継続してもらいました。

年が明けた2月初め頃、右足の甲の所が急に痛み、歩きづらくなり、右手首も痛みがまた出てきたので車のハンドルも握れず、買い物袋も持てなくなってしまいました。右手で掴んだりつまんだりできず、雑巾も絞れないし腕もだるくて痛むようになりました。お灸を大量にすると翌日には手首の痛みが少し良くなったそうです。

2月中旬、当院で診察をされてから帰宅途中、夕方になって寒くなり出すと鼻水や涙目やくしゃみの連続で患者さんは大変でしたが、そのおかげか膝の痛みが軽くなっていたそうです。しかし数日後、立ち上がろうとした時、急に右膝の後ろがビーンと強い痛みを感じ膝がまっすぐ伸ばせなくなり、普通に歩けず右足を引きずるような状態になり、膝裏にこぶのようなシコリができたようでした。次第に膝裏が硬くなっていきまっすぐ足が伸ばせなくなってしまいました。

3月初め頃、鼻炎が出ていたため漢方の粉薬を出していましたが、あまり変化がなかったため、患者さん希望により煎じ薬に変更しました。数日後、鼻炎が徐々に治まっていったそうです。

5月中旬、右膝の腫れが体全体に広がっていき、以前よりも硬くなりまっすぐ伸ばすことができず歩きにくい状態が続いていました。

6月下旬、アトピーの症状が出てきてますます痒くなり、特に両膝の周辺が痒かったようです。患者さんから希望により暑くなってきたため、漢方風呂を2日に1回に減らしました。鍼灸師には右足と腫れの酷い右膝に電気治療をしてもらい、またお灸をするツボを教えてもらっていました。

7月下旬、左手首が2~3日前から痛み、物を掴めなかったり、重たいものを持つことができなくなっておりました。最初は薬指だけだったのが親指から他の指へと全体に痛みが出るようになり、手首を動かしていないのに痛いし疼くようになっていました。右膝、左膝は右膝ほど痛みませんでしたが、何とか歩ける程度ではあるものの立ったり座ったりすると痛み、両膝だけでなく肩や肩から首にかけて凝っているような感じがあったそうです。のちに血液検査をしてみると、CRPが0.17から0.65ほど増悪し、血沈も前月より10程上がり、メタロプロティナーゼ3も24増加していました。

プロテアーゼ(protease)は、タンパク質をより小さなポリペプチドや単一のアミノ酸への分解を触媒する 加水分解酵素の総称です。それではメタロプロティナーゼ3とは何でしょうか?滑膜の炎症を主な症状とする関節リウマチでは、MMP-3が高くなるのでリウマチの診断の根拠となると言い張りMMP-3の増加が軟骨破壊の原因と言い自己免疫が過剰になりMMP-3を過剰に作るのだと言い張っているのでが噓です。軟骨破壊の原因はherpesが軟骨の細胞で増殖して軟骨細胞を破壊してしまうからです。破壊された軟骨細胞からもれでたMMP-3が多くなっただけなのです。

関節包(かんせつほう) に対する画像結果

関節包とは何でしょう?体の関節すべてにある、コラーゲンででき、外側は線維性の膜(繊維膜)、内側は滑膜の二層構造になった関節の保護膜で外側は繊維膜で内側は滑膜です。繊維膜は疎水性結合組織で滑膜細胞は密性結合組織で形成された膜です。外側の繊維膜は骨膜の続きで神経がきわめて豊富で痛覚神経がとても過敏です。関節が動きすぎて異常位置に入らないように強い痛みを出して脳に関節の異常を知らせる役割をします。関節包は関節嚢とも言い骨膜のつづきで関節腔を完全に包みこんでいます。関節包は緊張または弛緩することができ、関節体の軟骨におおわれた面の近くに固着しています。滑膜 の 内面 から ぬるぬる した、糸をひくような 滑液 が 分泌 され、骨の先端にある軟骨同士の 摩擦 を 軽減します。特に膝関節は、前後にしか動かない関節で捻じれや左右の揺れに弱いので、関節包も膝がその方向に動くと過敏に反応して関節包が緊張して痛みを感じやすくなります。因みに骨膜は periosteumで、すべての骨(緻密骨)の外側に存在する強靭な線維性の被膜で、線維層と骨形成層から構成される。骨の成長期には骨形成層に存在する骨原性細胞が骨芽細胞に分化し、緻密骨の形成に関与します。成長が止まると骨膜は薄くなり、骨形成能は低下します。骨形成層には血管や神経が豊富に分布し、成長期の骨では骨の表面に骨質をつくる働きをし,成人では骨の栄養にも関与しています。成長後でも骨折などの際はその造骨機能を復活して骨質を補充する。骨膜には知覚神経が豊富に分布し敏感であり、関節の異常位置だけでなく、日常的に同じ姿勢を続けたり、膝を曲げ伸ばしすることが多いと関節包に緊張が生じ、関節包に疲労が起きやすいのです。むしろ必要以上にストレッチでストレスをかけると関節包の緊張が強くなり痛みが増してしまうこともあります。正常なひざの痛みの原因はほとんど関節包の敏感な痛覚神経に侵入したherpesです。何故膝や肩に痛みが出たり、動かしにくくなる原因の1つが、この関節包の細胞に感染しやherpesが細胞を潰してそのあとが線維化して新しい細胞ができずに線化して線維化してが固くなってしまうためです。

滑膜はどんな仕事をしているのでしょうか?その生理機能は ①関節液である滑液の産生 ②関節液との物質交換 ③関節の隙間を埋めて関節の安定性を保がチ)では関節の中でも特にこの関節包の滑膜細胞に感染したherpesのために炎症を起こし滑膜炎を起こし、痛みや変形の原因となります。

関節液は関節包の内部の関節腔にある透明で粘り気のある液体で関節がスムーズに動くよう、潤滑液の働きをし、滑液とも呼ばれます。滑液は血液の血漿であるため、電解質、グルコース、免疫グロブリン(抗体)およびルブリシンおよびヒアルロン酸が豊富にあります。滑膜は非常に緩い結合組織から成り、血管とリンパ管があり関節内滲出液の再吸収を促進しています。滑膜結合組織であるので神経と血管とリンパ管があり、特に神経細胞にherpesが感染すると滑膜は痛みが出やすくなるのです。正常な関節に痛みが見られるのは滑膜や骨膜のの痛覚神経に感染したherpesなのです。

 関節包とは何でしょう?関節は関節包につつまれています。関節包は、外側は線維膜、内側は滑膜からなる関節を包む結合組織です。そもそも関節全体そのものが結合組織の塊と考えるとリウマチでsteroidを治療薬として用いると最後に医現病としての関節破壊がもたらされるのがよく理解されるからです。外側線維性の膜、内側滑膜二重構造になっています。滑膜は厚さ1mmにも満たない薄い膜で、膜といっても基底膜のように細胞が隙間なく並んでいるわけではなく、結合組織の中に線維芽細胞様滑膜細胞と大食細胞様滑膜細胞やマクロファージおよび少数のリンパ球が存在します。この線維芽細胞様滑膜細胞は英語でFibroblast-like synoviocyteと言い略してFLSです。このFLS細胞にherpesが感染することからリウマチが始まるので極めて重要な細胞なのでしっかり覚えてもらいたいのです。関節リウマチによる関節破壊は線維芽細胞様滑膜細胞滑膜細胞に感染したherpesと免役の戦いで炎症が起こることで関節が徐々に破壊されていきます。このときにherpesを増やすステロイドを長期に用いれば用いるほど、医者による人為的な関節破壊が生じるのです。抗herpes剤のアシクロビルと濃度の濃い漢方を服用させて患者の免疫を手助けすれがあらゆる膠原病や、自己免疫疾患や原因不明なあらゆる病気が治るのに残念でたまりません。なぜならば過去30数年にわたって10万人以上の患者を診察して世界中の医者が治せない病気のすべてを治してきたからです。このSLEの患者さんも私が治してあげたその症例のただの一つに過ぎないのです。リウマチをはじめとするすべての難病は38年の臨床経験を持っている患者さんの免疫の遺伝子とその遺伝子が作ったサイトカインをはじめとする免疫の蛋白が最高の薬(武器)でもって治してくれるのに残念でなりません。

滑膜細胞そのものが折り目がついた襞(ひだ)を形成し、関節を滑らかに動くようにしています。関節の骨と骨が向き合う面は関節軟骨でおおわれています。軟骨はコラーゲン(膠原繊維)に富んでいて、水分を70~80%も含む弾力性のある結合組織で、やはり関節を滑らかに動かす働きをしています。関節の生命は動かすことですから潤滑さが常に関節に要求されるのです。ここで注意してもらいたいのはヒアルロン酸は滑液に多くありますがコラーゲンは軟骨に多いのです。コラーゲンとヒアルロン酸と混同しないようにしてください。

コラーゲンとヒアルロン酸との違いをもっと詳しく説明しましょう。

コラーゲンとヒアルロン酸はいずれも細胞外マトリクスの代表でありますが細胞外マトリクスのイメージが中なkな理解できないのでもう一度説明しましょう。細胞外マトリックスは細胞外空間を満たす物質の総称です。したがって細胞の外のある物質のすべてですから細胞間物資とかマトリクスは基質と訳すので細胞間基質といいます。体の中にの細胞と細胞を結びつける結合組織に細胞間基質が大量にあります。細胞と細胞とを結びつける細胞接着物質も、又組織組織の境界にある基底層も特殊化した細胞外マトリックスであり細胞と細胞マトリックスを結合する物質も細胞外マトリックスなのです。細胞外マトリックスを構成する物質はその性質から大きく3っつのタイプに分けられます。

一つ目はコラーゲンを中心とする蛋白と二つ目は糖蛋白であるプロテオグリカンの仲間で三つ目は細胞接着や組織接着に関わる細胞接着タンパク質の三つに大きく分けられます。

一つ目のコラーゲンは膠原と訳します。膠原病の膠原病です。。自己免疫疾患は、昔は正しく膠原病と呼んだのですが医学会は根拠もなしにありもしない自己免疫疾患に変えてしまい挙句の果てに結合組織病という自己免疫疾患という単一の病名を作り上げたりして楽しんでおられるようです。アッハッハッハ!!!

因みに結合組織病とは正式には混合性結合組織病(こんごうせいけつごうそしきびょう、mixed connective tissue disease; MCTD)は膠原病の一種とされ全身性エリテマトーデス(SLE)、全身性強皮症(SSc)、多発性筋炎(PM)/皮膚筋炎(DM)の3疾患の症状を混合して持つ疾患であり、結合組織にある血管や膠原線維に

炎症を引き起こします。となっていますがまさに自己免疫疾患とは膠原組織つまり結合組織である細胞外マトリックスにあるやや線維芽細胞や骨芽細胞や破骨細胞や脂肪細胞や軟骨細胞や滑膜細胞に感染したヘルペスが

 骨膜は、骨の外側を覆っている結合組織で、骨に血液の成分を供給しています。骨膜には血管も神経も巡っており、骨に栄養を運んだり、ほねに損傷がないかの情報を知覚神経経路を伝ってを脳に届けています。骨が折れると骨膜も損傷し、神経を刺激してしまうことで痛みが生じるのです。 

以上に挙げた結合組織の細胞はすべて結合組織で生まれここで一生を終える土着の住民である細胞なのです。すべての細胞は共通の幹細胞である primitive mesenchymal cell(原始間葉系幹細胞)。mesenchymalは間充織と訳す時もあります。結合祖域には血管やリンパ管や神経も豊富です、白血球のリンパ球、好中球、bリンパ球が分化した血小板や形質細胞や単球などが血管やリンパ管から漏れ出て結合組織に入りherpesと戦うために動き回っているのです。

 

関節リウマチでは、関節が免役を抑える間違った治療をやり続けると破壊されることは既に述べました。より詳しくいうと、関節リウマチでは、免疫の落ちた患者さんの関節に存在する線維芽細胞様滑膜細胞や骨膜の細胞にヘルペスが感染することから始まります。上の図でお分かりのように関節を形成している骨膜、滑膜、関節包は血管もリンパ管も神経も豊富ですから血液からストレスの多い関節に運ばれてきたherpesは血管の内皮細胞に感染して炎症が起こり破壊されるとガレクチン-1という血管新生因子が血管を新しく作らせるようになります。新たな血管が生成されることを血管新生(けっかんしんせい)といいます。このときの新たな血管にBリンパ球、Tリンパ球、マクロファージ、好中球などの免疫細胞が炎症巣である滑膜や骨膜に集まってくると、これらの炎症細胞は、herpesを殺そうとして炎症性サイトカインをつくると痛みも出ますが永遠にherpesとの戦いが続くのではありません。Bリンパ球や滑膜細胞や線維芽細胞様滑膜細胞や骨膜細胞が作るインターフェロンαとインターフェロンβがherpesを感染細胞もろとも殺すこともできるのです。

インターフェロンαとインターフェロンβとは何でしょうか?細胞に感染したウイルスを殺すために最も重要な炎症性サイトカインのインターフェロンαとインターフェロンβの二つのサイトカインはherpesが感染した細胞を自殺させてherpesが仲間の細胞に感染しないようにアポトーシス(予め計画された自殺)をやらせるのです。免疫細胞の一種である Bリンパ球が浸潤して関節に集まります。こうして、滑膜にさらなるherpesによる炎症が起こります。

何故滑膜炎を生じると、滑膜が増殖するようになるのでしょうか?ります。つまり、滑膜細胞の数が増えるのです。じつは滑膜はより正確には内層と外層の2つの区画に分かれています。滑膜細胞は正しくは線維芽細胞様滑膜細胞と言います。

正常関節組織の線維芽細胞様滑膜細胞についてまず説明します。

線維芽細胞様滑膜細胞(FLS)は滑膜の関節の内側にある特殊な細胞型を表します。これらの細胞は、関節リウマチ.などの慢性炎症性疾患の病因に重要な役割を果たします。なぜならば関節リウマチが始まるきっかけはherpesが最初に滑膜細胞(線維芽細胞様滑膜細胞)に感染することから始まるからです。関節の内層は関節包と関節腔の間に位置する薄層である滑膜です。滑液は滑膜によって生成される透明で粘性のある液体であり、滑液中の関節軟骨間の摩擦を減らすことができます。滑膜は、周囲の軟骨を支え栄養素を軟骨に供給します。滑膜は、外層と内層の2つの区画に分かれています。内層は主に、特殊なマクロファージ(マクロファージ様滑膜細胞)と線維芽細胞様滑膜細胞(滑膜細胞)の2種類の細胞で構成されており、滑膜細胞は、ヒアルロン酸の主な供給源であります。ヒアルロン酸はと二つの異なった糖であるグルクロン酸とN-アセチルグルコサミンのヘテロ多糖です。、ヒアルロン酸は蛋白ではなく多糖ですよ。

線維芽細胞様滑膜細胞(滑膜細胞)は、間葉系幹細胞に由来の細胞であり、コラーゲンおよび細胞骨格フィラメントの一部であるタンパク質ビメンチンの発現など、線維芽細胞に共通する多くの特徴をもっているので線維芽細胞様滑膜細胞とも言われるのです。しかし、線維芽細胞とは異なり、独特のタンパク質であるルブリシンを分泌します。ルブリシンは特に、関節の潤滑に不可欠なタンパク質です。さらに、滑膜細胞は、カドヘリン-11 、VCAM-1 、インテグリンおよびそれらの受容体など、細胞接着の媒介に重要な多くの分子を発現します。線維芽細胞様滑膜細胞に特異的なのは、CD55 の発現でもあります。

herpesが感染した線維芽細胞様滑膜細胞の変容と関節リウマチの病因について説明します。どうして正常な線維芽細胞様滑膜細胞が異常な線維芽細胞様滑膜細胞になり関節リウマチの原因と冤罪を吹っ掛けられてしまうのでしょうか?本当はherpesから関節を守るために戦ったのですがherpesが強すぎた上にherpesを助ける医者の出したステロイドにより最後は敗北してしまったのです。関節リウマチはじめすべての自己免疫疾患歯医者の作った病気なのです。ざんねんですね。RAのすべての原因は正常な滑膜細胞にherpesが感染したためです!!!!

滑膜細胞は肝臓の細胞が肝炎ウイルスに殺されても新たに肝細胞を増殖可能であるのと同じように滑膜細胞も同じくヘルペスウイルスによって溶解感染によて破壊されても滑膜細胞の幹細胞によって減った滑膜細胞を補うために滑膜細胞の幹細胞であるA型滑膜細胞とAB滑膜細胞から滑膜細胞が急速に増殖するのです。 この病気の進行中、滑膜全体も殺しきれないherpesとの戦いによる炎症性プロセスが起こる場所になり、最終的には軟骨の損傷や関節の破壊や変形につながるのです。治療と称してステロイドを使われるものですからいくら滑膜細胞が頑張って増殖したりherpesが感染した自分自身の細胞をアポトーシスさせようとしてもて強すぎる賢すぎるherpesはさせてくれないのです。滑膜内の線維芽細胞様滑膜細胞(FLS)の数はもとよりherpesと戦ってくれる援軍となるマクロファージ、リンパ球、好中球、肥満細胞、樹状細胞などの他の免疫細胞すべての細胞の総数が増加し、も大幅に増加するばかりです。これらの細胞は免役を抑制される薬によって戦意もなくなるのに他方元気なのはherpesだけですから戦場だけが拡大するばかりで最後は、関節破壊となってしまうのです。

RA表示中に滑膜に存在するFLS正常組織に存在する細胞と比較して表現型が変化している。それらは接触阻害と呼ばれる特性を失い(より多くの細胞が互いに接触した場合に細胞は成長を停止します)、また接着面への成長依存性も失います。これらの現象は両方とも、炎症組織におけるFLSの数の増加に寄与し、また、例えば癌性細胞の増殖に典型的です。さらに、これらの細胞は、多くの炎症誘発性シグナル伝達分子、特にIl-6 およびIL-8 、プロスタノイドおよびマトリックスメタロプロテイナーゼ(MMP)を産生することができます。他の細胞に直接影響を及ぼし、炎症の増強にも関与する可能性があります。これらのプロセスは、血小板に由来する微小胞の影響を受けます。

最後に、線維芽細胞様滑膜細胞(滑膜細胞)に感染したherpesウイルスは滑膜細胞に感染すると滑膜細胞の遺伝子にも侵入してその遺伝心を形質転換させて遺伝子変異を起こしてしまう証拠を見せてあげましょう。herpesが感染して遺伝子を変えられてしまった線維芽細胞様滑膜細胞(FLS)が正常なFLSと比べてどんな遺伝子の表現型が異なってしまったかをいくつかまとめて列挙しましょう。

1)滑膜細胞にherpesが感染するとIL-αやIL-β産生してアポトーシスするのがの減少。

2)異常な滑膜細胞の遺伝子のエピジェネティックな反応の変化。

3)異常な滑膜細胞の移動性と浸潤能の増加。

4)異常な滑膜細胞のゲノム不安定性。

5)異常な滑膜細胞の遺伝子の突然変異。

6)異常な滑膜細胞の遺伝子が再プログラムされてしまったた細胞代謝。

7)異常な滑膜細胞が破骨細胞形成を増加させ骨侵食を促進させる。

8異常な滑膜細胞が軟骨の分解に寄与。

9)異常な滑膜細胞が滑膜血管新生を誘導。

10)異常な滑膜細胞は他の細胞と接触して結合する必要がないのに接触したがるようになるのです。これもherpesが正常な滑膜細胞の正常な遺伝子を変異させたからです。つまり形質転換させてしまったからです。

11)破骨細胞多く作って骨を減らしていきます。

12)軟骨の分解を促進させ骨の変形をもたらす。

⒔)骨膜の血管新生を誘導する。

14)免疫細胞を血管から誘導してかつ刺激する

ステロイドで免役を抑えて増えたherpesが関節の細胞である線維芽細胞、滑膜細胞、軟骨細胞、破骨細胞、造骨細胞、腱細胞、腱鞘細胞などのあらゆる細胞にherpesが感染していくと最後は関節全体が破壊されてしまうのです。にもかかわらず現代の治療医学はherpesを増やして病気を治さないどころか新たなるherpes病を増やすばかりです。残念でたまりません。

現代の間違った免役を永久に抑え続けるリウマチ治療はどういう結果をもたらすでしょうか?現代医療の間違った免疫抑制治療が生み出す関節、骨の破壊のメカニズムを経過の順に並べてみましょう。 ①滑膜の腫れ滑膜は充血して腫れあがり、もとの厚さの何倍にも膨れあがります。関節腔には関節液がたまり、関節リウマチ特有の「腫れ」が起きるのです。②プロスタグランジンなどの発痛物質が多く産生されます。滑膜には多くの神経が分布しているので、発痛物質が溶け込んだ関節液に痛みを感ずる神経に触れ、くり返し刺激されることで痛みが起こります。滑膜には浮腫(むくみ)も起きているため、神経が圧迫されてさらに痛みます。③骨破壊性の滑膜の炎症が自然に良くなることは少なく、慢性化してしまうと軟骨や骨にまで病変が入り込んでしまします。これが「骨破壊」の状態です。骨は本来、骨を削りとる破骨細胞と骨を造る造骨細胞とがバランスよく働き、骨形成と骨吸収(破壊)を繰り返しながら、新旧を入れ替えることで、常に新しい骨を維持しています。。しかし、炎症性サイトカインは、破骨細胞だけを活性化してしまうので、形成と吸収のバランスが崩れ、破壊だけが進んでしまうのです。これが、関節、骨の破壊のメカニズムです。このプロセスは現代医療を受けると最後は関節、骨の破壊がおこりますという証拠になりますね。残念至極な結果です。免役でしか病気は直せない真実をどうして理解できないのでしょうか?わたしのようなあほうには全くわかりません。

最後の最後にもう一度軟骨細胞を中心に復習してこの項目は終わりにしましょう。こんこうはそもそも軟骨(関節軟骨)と軟骨細胞は何でありどんな仕事をしているのでしょうか?軟骨は関節軟骨とも言います。軟骨は英語でcartilageですが、は線維芽細胞と似ています。それもそのはず線維芽細胞から分化して軟骨細胞や軟骨や滑膜細胞や滑膜を作り出しているので結合組織を形成する同じ仲間なのです。

軟骨はそれを取り囲む基質からなる結合組織です。軟骨は結合組織であるにもかかわらず組織中には血管、神経、リンパ管が見られないのです。軟骨は、骨ではなく結合組織に分類され、豊富な細胞外基質(細胞外マトリックス)と、その中に点在する軟骨細胞が軟骨であるので違和感を覚えます。軟骨は骨ではなく蛋白と多糖でできているのです。軟骨における細胞外基質を、軟骨基質といい軟骨基質の主成分は、コンドロイチン硫酸などのプロテオグリカンです。プロテオグリカン(Proteoglycan)は、たんぱく質を結合した多糖の総称で多糖差が主体の分子群です。特殊な構造をもつ糖とタンパク質の複合体です。「プロテオ」はプロテインつまりタンパク質、「グリカン」は多糖類を意味します。コンドロイチン硫酸は大量の陰電荷を持っており、ナトリウムイオンを引きつけ、この時、ナトリウムの水和水が一緒に寄ってくるので軟骨は豊富な水分を含んでいます。コンドロイチン硫酸はグルクロン酸とN-ガラクトサミンのヘテロ多糖です。N-ガラクトサミンのC-4やC-6が硫酸化されると、それぞれコンドロイチン4-硫酸、コンドロイチン6-硫酸となるのです。軟骨細胞は、軟骨基質の中の軟骨小腔と呼ばれる穴の中に入っています。この軟骨細胞にherpesが感染すると軟骨細胞は崩壊して、破壊された軟骨細胞からもれでたMMP-3が多くなったと同時に崩れた結合組織を修復するためにMMP-3が増えただけなのに、骨でもない結合組織である軟骨を自分の免疫が破壊している自己免疫疾患と、決めつけているのが現代医療の間違いです。実はMMP-3という酵素はherpesによって傷つけられた軟骨基質や結合組織を修復するために断片になった無用なコラーゲン、プロテオグリカン、フィブロネクチン、ラミニン、およびエラスチンなどの結合組織を構成している構造蛋白をまず分解してアミノ酸にします。そして新たに正常な同じ蛋白を作り直して結合組織の再構成を行うために極めて大切な蛋白分解酵素(プロテナーゼ)がMMP-3なのです。フィブロネクチンも、巨大な糖タンパク質で細胞マトリックスである細胞接着分子です。ラミニンは、細胞外マトリックスの細胞の基底膜を構成する巨大なタンパク質です。これらの巨大たんぱく質は多細胞をつなぎとめ組織を構築しその維持、さらに細胞同士の接着、細胞移動や、細胞増殖を促すこともできるのです。

結合組織の破壊の原因はherpesでありマトリックスメタロプロテイナーゼ-3(MMP-3)や自己免疫が原因ではないのです。何回も繰り返しますがMMP-3は関節滑膜や関節軟骨や線維芽細胞で作られるタンパク分解酵素の一種です。結合組織の軟骨の成分を分解する作用があります。軟骨は骨ではないのですから軟骨の成分はコラーゲン、プロテオグリカン、フィブロネクチン、ラミニン、およびエラスチンなどの結合組織を構成している構造蛋白ですからマトリックスメタロプロテイナーゼ-3(MMP-3)はこれらの蛋白を分解しているのです。

滑膜や軟骨に炎症反応が起こることでMMP-3は増加しますと言われていますが自己免疫疾患による炎症を起こしているのではなく、herpesと免疫が戦って出た炎症により関節の結合組織を破壊されているのです。現代医療は炎症の原因がherpesであることを一切考慮しないのは不思議でたまりません。私の右目が、半盲になった原因もherpesであることは一流の大学病院のみならずすべての眼科医が認めようとはしないのです。この様なherpesが原因であることを考えることもしない事例が多すぎます。なぜでしょうか????私は自己免疫疾患という病気がないと理解してもらうために76才の老躯に今も鞭打って勉強をしているのです。自己免疫疾患の原因は何かに対してはherpesしかないという理論をさらに深く解明しかつ理論通り完治させた症例報告も提示しているのです。頑張ります。

同じherpesが原因である全身性エリテマトーデスや糸球体腎炎や、IgA腎症、ループス腎炎、強皮症、乾癬性関節炎、リウマチ性多発筋痛症、混合性結合組織病、皮膚筋炎、多発性筋炎などもすでに説明したようにherpesが起こした病気であるからマトリックスメタロプロテイナーゼ-3(MMP-3)が上がるのです。逆に言うとMMP-3が高い人の病気はすべてherpesが原因と言えます。ちょうど治療薬としてステロイドが著効を示す病気はすべてherpesが原因と言えるのとおなじです。現代医学は病気を診断するためにsteroidを用いているのでしょうか?アッハハ!!!

更に滑膜の特異性について考察しましょう。関節は関節包に包まれています。この関節包は、外側は線維膜、内側は滑膜からなり立っています。滑膜は厚さ約25μmから1㎜以下で、膜といっても基底膜のように細胞が隙間なく並んでいるわけではなく、滑膜の中の結合組織の中に線維芽細胞様の滑膜細胞とマクロファージおよび少数のリンパ球が存在します。ここが極めて重要なポイントになります。滑膜は果たして細胞だけで成り立っているのか、それとも細胞外マトリックスなのか、それともいろいろな種類の細胞と細胞外マトリックスと融合した極めて特殊な組織なのかという問題であり、さらにかつまくには血管もリンパ管もあるのは滑膜は細胞ではないのです。何故ならば細胞のなかに血管やリンパ管があるわけはないのです。それでは滑膜が膜によって外と内とが区切られているのは一体どうなっているのでしょうか?答えが出ました。関節の構造の絵図をよーく見てもらったらわかるように滑膜組織は自分の細胞の膜で境界を決めているのではなく骨と接触している部分は骨で仕切られ、骨と接触しない部分は関節包で仕切られているのです。正しい答えは滑膜組織は細胞組織ではなく細胞外マトリックスなのです。たまたま細胞外マトリックスのなかに滑膜細胞、リンパ球、マクロファージ、好中球、単球、線維芽細胞様が、リンパ管血管と共存しているだけなのです。

滑膜そのものがひだを形成し、関節を滑らかに動くようにしています。また滑膜細胞は関節液を産生し、滑膜は血管もリンパ管も神経も豊富ですが、軟骨は血管がないので軟骨へ栄養を供給しています。関節液には滑膜細胞によって産生されたヒアルロン酸、ラブリシン(lubricin、糖タンパク質の一種)が豊富に含まれます。ヒアルロン酸やラブリシンは関節の潤滑に不可欠です。だから膝の痛いときにヒアルロン酸を関節の注入するのは関節液にヒアルロン酸が減ったために関節の潤滑つまり動きがが悪くなったので痛みが出たと整形外科医は考えるからです。herpesによって生じた関節リウマチ、変形性関節症において破壊された細胞マトリックスを再構築するために 、滑膜細胞は異常増殖するのです。滑膜細胞の増殖をパンヌスと言います。MMP-3は滑膜細胞や炎症細胞や腫瘍細胞から産生される異常になった細胞マトリックスのタンパク質を分解する酵素で新しい細胞マトリックスを作るためには、正常な蛋白を作る必要があるから古い蛋白を分解せざるを得ないのです。さらにMMP-3は細胞外マトリックスの一部であるherpesによって異常になった古い血管壁の構造を破壊することにより血管新生の促進に働いているのです。パンヌス(pannus)とは何でしょうか?herpesとの戦いによって生じた炎症により関節の滑膜細胞や滑膜自身が増殖して形成された絨毛状の組織のことで,マトリックスメタロプロテイナーゼなどのタンパク分解酵素を分泌して軟骨を破壊したり,破骨細胞の活性化で骨破壊をもたらすのです。滑膜細胞の絨毛とは柔突起とも呼ばれる細かい突起で表面積を増大させ、さまざまな栄養素を効果的に吸収することによって例えば破壊された蛋白からできたアミノ酸等を吸収して正常な大量のコラーゲンやヒアルロン酸や潤滑剤であるラブリシンを大量に作ろうとするのです。軟骨も破壊されるのでそのためにもコラーゲンが大量に必要になるので滑膜の表面が絨毛状になるのです。最後にここで述べたリウマチのすべての経過はsteroidやほかの免疫を抑える薬を使えばどうなっていくかの病態であることとヘルペスがその間どのように増えてどのように病状に影響を与えるかについては一切考慮されてはいないことを知ってください。医者の書いた研究論文のすべては免疫抑制剤を使ったら治らないという証拠を詳しく書いているだけですから病気のつくり方を教えてもらっているだけです。アッハッハ!!!!免疫でしかあらゆる病気は治せないので免疫抑制剤のすべては病気を作っているだけです。残念ながら病気を治してしまえば医者の仕事はなくなってしまうのです。

8月中旬、お盆前の掃除や片付けで動き回ったため、膝が痛み、その分アトピーが出てこなくなってしまいました。膝が痛いと腫れてしまうので、お灸をされていましたが、左手首の痛みは変わらず同じ痛みが継続していたそうです。

8月下旬、左手首の腫れや痛みが徐々にましになってきたようです。右膝も前より腫れが引いて歩きやすくなられました。階段の上り下りをすると違和感があり、少し痛みを感じてしまうのは変わりませんでした。しかし、症状が幾分かましな時にお灸をさぼってしまうことが多くなり、また漢方風呂も2~3日に1回にされ、夏場で気温が高いことから30分ほどで出ていまっていました。

9月下旬、まだ少し違和感が残り、しゃがむことはできませんが、歩くのが随分と楽になり、右膝も曲げやすくなり、膝の皮がしわになって皮膚の下に骨があるのがわかるようにまで膝の腫れもどんどん引いていきました。左手首は鍼治療で集中的に治療をしてもらって幾分か楽になりましたが、曲げたり、重たいものを持つと痛むのは変わりませんでした。

11月初め、少し体調がよかったため、久しぶりに自転車に乗ってみると膝の痛みが出なかったため、2日続けて自転車に乗ってしまい、その後膝が腫れて痛くなってしまいました。しこりも出てきて歩きにくくなりました。

11月下旬、気候が寒くなっていき冷えるせいか膝がまた痛み、まっすぐ伸ばしにくく、歩きづらくなりました。最近お灸をさぼっていたため、お灸を大量にされました。

また年が明けた2月初め、なかなか引かなった左手首の腫れも少しずつ引いていき、朝起きてすぐでも握りこぶしができるくらいまで良くなっておりました。しかし手首の方をねじったり曲げたりすると痛みを感じるのは相変わらずだったようです。また、右膝の裏にこぶのような腫れと膝の上の方の腫れが酷くなってきました。血液検査でも血沈やプロティナーゼ(mmp-3)やCRPの数値も徐々に上昇しておりました。のちに、膝裏のこぶが出たり引っ込んだり、膝が腫れたり引いたり、痛みが強かったり弱かったりを繰り返されました。しかし、治療を始めた最初の頃に比べて歩くのがずっと楽になり歩きやすく、精神的にも前向きな気持ちでした。

この頃にはご友人と一緒に会食できるようになりました。以前までは何を見ても食欲がわかず、ご馳走を食べても美味しく感じませんでしたが、やっと美味しく食べられるようになられました。食べられるようになって体に良いものを西洋医薬とサプリメント以外で何でも取り入れようとし、リウマチに黒豆を自宅で煮て食べてみたり、ニンニク灸をされたりしましたがニンニク灸は大きな水ぶくれができて失敗されたりと色々試されていたそうです。

2月中旬、鍼治療にてあまりに肩こりが酷かったため、肩に置き鍼をして肩が軽くなって良くなったそうです。膝の方も鍼治療を受けてしばらく調子が良くなりました。置き鍼は皮内鍼や円皮鍼とも呼ばれ、貼る鍼です。鍼(針)のツボや痛む筋肉上にぺたっと貼っておくだけの鍼です。

4月上旬、再び手首が痛み出しました。食事の支度や食器を洗うなどができるようになっていたため、痛みが酷かったため鍼治療を受けに来られました。その後、リウマチに効くという薬草のサウナに行かれ、体が温まって膝が幾らか楽になられたそうです。しかし、左手首の痛みは増すばかりで、膝裏のシコリも引っ込まず、手首を冷やさないようにサポーターをつけ、お灸を大量にされておりましたが、5月中旬にお灸を痛い部位に集中し過ぎたためか、大きな水ぶくれができてしまいました。

6月中旬、左手首の痛みがなかなか良くならなかったため、お灸をもっと大量にし、後で良く手首を動かすように指導しました。手首が硬くなったままにしておくと固まって段々動かしにくくなってしまうためです。膝の方は少しずつ良くなっておりました。

9月初め、まだまだ暑さが続き、お灸がさぼり気味になっておられましたが、手首の部分だけはまた痛みがぶり返したらと不安に思いしっかりお灸をされていました。膝の方は少しさぼっても問題なかったそうです。暖かい気候の時は免疫が活性化されて免疫の働きが良くなるので、夏の方が調子がよくなります。

9月中旬、まだしゃがめず、あまり動きすぎると後日痛くなってしまいますが、庭の草刈りや車の洗車などできることが増えていき、患者さんは喜んでおられました。

9月下旬、朝晩が冷えるようになってきたため、足首や膝を冷やさないように厚めのニーソックスやレッグウォーマーを履いて過ごされていたそうです。膝裏の腫れがすごく引いていき、しこりも引っ込んでいるので歩くのも楽になられました。手首の痛みはまだ残っているものの腫れも引いてクラススイッチしたためかアトピーが出てきました。それから両掌や指との関節や膝にもアトピーが出てき、表面がザラザラで痒くなってボリボリ掻いていたそうです。

10月中旬、膝裏のシコリも引っ込み凄く歩きやすくなっていました。腫れは若干残っていましたが走れるようになるまで回復されており、また手首も痛みが残っておりましたが以前に比べたら本当に楽になっていたそうです。朝起床すると左手が少しこわばってしまいますがあまり気になるほどのものではなく、アトピーの症状の方が勝っており、思いっきりボリボリ掻いて赤い漢方塗り薬を塗ってもらうようにしました。リウマチがアトピーにクラススイッチしたのです。

数日後、朝方に急な膝裏の痛みが起こりました。シコリやこぶのように硬い腫れも出てき、歩きづらくなったため、またお灸を大量にされました。すると、左手首の痛みがだいぶマシになり、膝裏のシコリも引っ込んでいきました。たまに急にシコリが出たりしたそうですが、お灸をすると良くなるとのことでした。

現在では、リウマチの症状が落ち着き、クラススイッチして発症したアトピーもなくなり、日常生活に何の支障もなく普通に過ごせるようになるまで良くなられました。西洋医療を続けていた頃では夢のような出来事だったと患者さんに言われました。この患者さんも無事完治され、当院に来院されなくなりました。下のCRPとRF(リウマチ因子)の経時的な動きを見てください。最後は良くなっています。

以下、血液検査を掲載します。

症例報告4例目

病名:アトピー性皮膚炎、喘息、関節リウマチ、自律神経失調症 自律神経失調症の原因はすべて自律神経に感染したherpesです。

自律神経失調症は自律神経にherpesが感染しているからです。

リウマチの症状が出たことをきっかけに当院を知りました。病気になるのは免疫を抑える治療法だけでなく、生活習慣やストレスを抱えるものの考え方で免疫を低下させ、病気になりやすくなってしまうことを理解されました現代の病気はステロイドホルモンを出しすぎて免疫を自分で落として自分で病気を作っているのです。それに輪をかけているのが医者の仕事です。

患者:当時33歳、男性

幼い頃から肘の内側や膝裏にアトピーがあり、運動後などで汗をかくと痒くなって掻きまくっていたそうです。また、卵やそばやキノコ類やタコイカ類を食べると痒みや嘔吐を起こすことも判明しておりました。リウマチを治すにはふたつやるべきことがあります。一つはリウマチの一部の原因とアトピーの原因は同じ化学物質ですから免疫寛容を起こすためにリウマチをアトピーに変え二つ目は二つ目の原因であるherpesを細胞に閉じ込めることで潜伏感染させておくことです。しかし強いストレスが患者さんにかかると再びherpesが潜伏感染から増殖感染になり隣の細胞に感染し始めるのです。ストレスがなくなると再び免疫がherpesとの戦いがはじまり症状が繰り返されるのです。だからこそヘルペスは人類絶滅まで人類を苦しめ医者がherpesの味方をしているものですからどうにもならないのです。

小学校入学前後に季節の変わり目など気候の変動に1年に3~4回喘息の発作を起こすようになり、発作が起きた時は近所の診療所で吸入を受け、飲み薬(テオドールなど)を服用されていたそうです。また、耳の付け根にもアトピーの症状が現れ、傷の治りが悪くなり、ジュクジュクした傷ができたときには近所の診療所で薬を塗られガーゼで傷を保護されていました。ジュクジュクした傷はherpesです。喘息は気管支の粘膜のアトピーと言い換えてもよいのです。

処方:テオドール。

小学校高学年頃になると、アトピーのジュクジュクした傷ができることはなくなり通院しなくなりましたがアトピーの症状が変わらず起こっておりました。喘息は変わらず発作を度々起こしていたため、診療所などに置いてあるネブライザーという医療機器を購入され毎朝インタールという薬を吸入されておりました。それでも発作が起きた時は気管支拡張薬のようなもので吸入し、それでも発作が収まらない場合は通院して飲み薬を服用されておりました。また、臨海学校の際に埃っぽい場所や環境の変化により喘息の発作を起こしたため、以後埃っぽい場所や環境の変化に気を付けるようになられました。

処方:インタール。インタールは理由は分かりませんが現在は販売中止です。

中学、高校では、アトピーの症状が軽症だったため通院せず、喘息の発作は高校のスキー旅行の際に発作を起こしただけでほとんど起こさなくなっておりました。

しかし、ある日突然腹痛を起こし、かかりつけの診療所に受診しペニシリン(抗生物質)を処方され、2~3日服用されましたがアレルギー反応で腸炎を起こしてしまい1週間入院されてしまいました。入院中は詳細不明の解毒の薬と言われた点滴をされ、痛みが我慢できなくなるたびにナースコールをして痛み止めの注射を打ってもらっておりました。ですが注射を打ってもらっていると起きているはずなのに夢の中にいるようなぼんやりとした感覚に襲われ、怖くなり痛みを我慢するようになってしまいました。それから退院後、注射された周辺や指先に皮膚の感覚が麻痺するような症状が起こりました。薬による副作用と考え、同じ病院に受診されましたが原因不明と言われ精神科に回され、カウンセリングを受けたり、よくわからない薬を処方されたのです。これでは治る訳ないと考え、別の病院にかかると自律神経失調症と診断され、現在これといった治療法がないということで通院をやめて放置されたとのことです。自律神経失調症の特効薬は原因療法である抗ヘルペス剤のアシクロビルがベストです。内科で一番よくつかわれている薬はsteroidですが病気を治す薬ではないのです。同じように精神科の薬も対症療法であることにはかわりはありません。何故ならば精神科の病気は心の病気ですから根本療法をするには心の苦しみの原因を除去することしかありません。薬では絶対無理です。これを機に医者は病気を治してくれる偉い人という認識から、患者のことをよく診もせず、適当に薬だけを処方する信用できないものとなってしまいました。

処方:ペニシリン。

浪人中、アトピーと喘息は特に変化なく症状が続いておりました。しかし、急に手が冷たくなって震えてきたため、病院へ受診されると過呼吸と診断され、またよくわからない薬を処方されました。また自律神経失調症に効くと言われたクロレラという液体を服用されたりしておりました。クロレラの液体を飲んでしばらくすると真っ黒な便が出て、時間の経過と共に自律神経失調症が良くなったそうです。その後、大学生になってからも過呼吸の発作を起こし、2か月ほど通院され飲み薬を服用されました。過呼吸の発作は自律神経失調症の症状の一つです。herpesが原因です。

処方:クロレラ。

その後無事に大学に入学され、今後の就職のことも考えて体育会系のサークルに入り体力と体重をつけましたが、合宿で夜中に発作を起こし以来、練習中に過呼吸や喘息の発作を起こすようになってしまいました。患者さん曰く、練習の遅れによる焦りや、深夜にまで及ぶミーティングなどで精神的なストレスが溜まっていたため、免疫が抑制され過呼吸や喘息の発作が起きたのです。喘息の発作を繰り返し、気管支が常に腫れて気道が狭くなり、ちょっとの運動でも体に熱を帯び疲れてしまうようになってしまいました。病院に通って毎日使うステロイドの吸入器と発作時に使う気管支拡張の吸入器を処方されましたが、ステロイドを使い続けると段々効きにくくなり、最後は入院生活になるか、気管支拡張薬は苦しさから量が増えていき心臓に負担がかかって亡くなった人が出て新聞で騒がれていたのでステロイドの吸入器と発作時に使う気管支拡張の吸入器の両方とも使われませんでした。

ステロイドに頼らない治療法がないかと本屋で喘息の本を見て回り、そこで喘息はIgE抗体がアレルギーを起こす物質を体外へと排除しようとしてアトピーや喘息の発作が起こることを知りました。体質を変える治療法を色々見つけましたが、遠方で通えないとか、あまり一般的な治療ではないので大丈夫なのかとか、両親の説得とかで結局、医者にはかからず自分で治す方法を模索されていました。

空気中のダニやハウスダストを減らすためにベッドの横に空気清浄機を置いたり、肉や卵を一切摂らず野菜と魚を中心とした和食のみを食べ、化学調味料なども徹底期に避けたりされました。アレルギーを起こす物質が減らせれば少しずつ体にアレルギーを起こす物質を取り入れる減感作療法という治療と同じ効果が得られるのではと患者さんは考えられたのです。そして体力を成人並みにつけることと、ストレスを避けるようにサークル活動を続けて体力をつけようとされましたが、逆に体力がつくどころか消耗していき、また当時の体調では就職できないと思っていたために退部することもできず、体調はなかなか良くなりませんでした。減感作療法はアレルゲン免疫療法とも言われ、患者にアレルゲンエキスを投与し、免疫寛容へと誘導することを目標としたものですが、意味がありません。何故ならば患者によって無数にある異なったアレルゲンをすべて確認することが不可能である上に一種類のアレルゲンに対して免疫寛容がおこったからと言ってアレルギー体質全体が変わるわけではないのです。連夜続く発作の苦しさから「あと何年生きられるだろう」、「このまま何もせずに死んでいくのか」、「死ぬことが怖いと思っていたけど、本当に死にそうな状態になると死ぬことが救いに思えるようになるんだなあ」などと考えてしまうこともありました。喘息で死ぬと思うようなときにはステロイドを一時的に使わざるを得ないのは言うまでもありません。しかし病気を治す薬ではないどころかヘルペスを増やすので病気づくりの最高の手段であることを忘れないでください。

そんな時、喘息の発作が酷くなる時期に規則性があることに気付き、サークルが始まる少し前の3月末や8月末頃に喘息の発作が起こっておりました。学業と両立出来ていなかったためにサークルを退部し、半年ほど経つと自然と慢性的な気管支の炎症は治まったとのことです。

しかし、慢性的な気管支の腫れが引くのと同時に、幼少期から続いていた関節周辺に起こる軽度のアトピーと異質なアトピーが出始めたのです。喘息ほど死にたくなるような苦しさはなかったものの、痒くて夜中は眠れず、講義中は痒みを我慢することしか考えられないような状態になられました。アトピーは小学校以来、医者にかからずにいたため、今回も医者にはかからずに患者さん自身で治そうとされました。喘息が起こる気管支の粘膜は狭いのではるかに広い皮膚に人体にたまりすぎたアレルゲンを皮膚からも排泄しだしたのです。防ダニ加工の畳の上にアトピー用の布団を敷いて皮膚に触れる刺激を減らすとともに、極力痒くても掻かないようにされておりました。しかし、薬を使わずに劇的に良くなるわけもなく、寝たきりのような生活を送りながら何ヶ月が経った頃、アトピーが悪化してまともに大学へ通うこともできなかったと聞きつけた親戚から漢方でアトピーを治す医者が市内にいて、実際にそこで治った人がいるということを教えてもらったそうです。

西洋医学の医者は信用ならないが、漢方なら副作用も出ないし安全だろうということで紹介された診療所に行くことになられました。その診療所では院長先生の他に漢方のアドバイザーのような人がいて、脈や顔色などを見てその人の状態に合わせた煎じ薬と塗り薬と漢方風呂を出されました。塗り薬は紫の薬と黒の薬の2種類が出され、のちに塗った後の劇的な効果を思い返すとステロイド含有だったかもしれないと患者さんは考えました。現代の中医学の診断学は時代遅れなのです。免疫をまともに知らない漢方医が多すぎます。しかし3000年の経験医学が価値があるのは漢方には免疫の成分が大量に含まれていることを古代の中国医学者は免疫については何も知らないで漢方生薬を用いて無知で患者の免疫を手助けしていただけなのです。この漢方処方を用いればこの病気によく効く、あの漢方処方を使えばあの病気に効くという知識を総集成してつくりあげられたのが中国の漢方経験医学の歴史なのです。決して病気を治せたのも診断学が正しかったわけでもないのです。しかし、当時の患者さんは黒の塗り薬さえ塗っていると布団から出られないというほどの痛みは抑えられていたのでそればかり塗っていたそうです。黒の塗り薬を塗るとあっという間に傷がふさがりましたが、痒くても掻いてはいけないものだから叩いたりこすったりして痒みを誤魔化しておりました。得体の知れない黒の塗り薬には必ずsteroidが入っています。劇的に痛みやかゆみや喘息発作の症状が消える薬はすべてsteroidが入っています。そんなある朝、顔を叩いていつものように痒みを誤魔化していると突然文字が見えにくくなってしまいました。患者さんは最初、目をこすった後のように一時的に見えにくくなったのだろうと考えておりましたが、いつまで経っても治らず、これはおかしいと眼科へ行くと、アトピー性白内障でアトピーの症状を掻かないように顔を叩いていると発生する合併症だと担当医に言われました。違います。正しい病名はステロイド医原性白内障です。治療行為が許されている資格の医師免許は独占的な権力を付与された資格ですが同時に責任があるのですが噓をついて責任を回避することが多すぎます。残念です。アトピーなら喘息のように死ぬこともないし、漢方薬は副作用が少ないし、仮に副作用が出ても死ぬことはないと安心していたのに、当然両目が曇ってまともに歩けないくらい視力が低下し、手術をしないと治らないとさえ言われ目の前が真っ暗になられました。いくら副作用が少なくとも症状を抑えないことで不可逆的な障害が残ったら何の意味もないじゃないかと、期待していた東洋医学に裏切られた気持ちだったとのちに患者さんから聞きました。アトピー性白内障という病気はありません。ステロイド性白内障というよりも顔面のアトピーでステロイドを使っている間に瞼のすぐ下にある水晶体にherpesが感染増殖してsteroidを使いすぎて最後は水晶体の細胞が破壊されて生じたのです。白内障になると細胞は元に戻りませんので人工水晶体と入れ替えるしかないのです。

眼の手術を行うにあたって、アトピーの症状を安定させなければいけないということで西洋医学の権威であり、皮膚科の評判が良いという大学病院へかかられました。大学病院で副作用があるが短期間服用する分には問題がないというおそらくステロイドが含まれた強めの飲み薬を飲み、1週間後くらいにはアトピーが劇的に良くなられました。その後、飲み薬は中止し、上半身、下半身、顔の左右と額と部位によって違う塗り薬を塗り分けて患者さんに合う塗る薬を試行錯誤され、顔に治験の薬と体にはマイザー軟膏が処方されることになりました。アトピーの症状を安定させ、眼の手術も無事に終え、裸眼では近くのものが見えにくくなってしまいましたが両目とも見えるようになり、その後痒みや特に副作用も出ることなく、無事に大学を卒業し就職することもできたそうです。そして、眼を見えるようにし、さらにアトピーの症状を良くしてくれた当時の大学病院の主治医のことを絶対的に信用するようになったのです。

処方:ステロイドの飲み薬、治験薬、マイザー軟膏。マイザー軟膏もステロイドです。ステリ度で病気を治すことができないので最後は当院に来られたのです。

しかし、就職された会社で採用時に喘息で休学状態だったことを伝えておりましたが、分煙がまったく考慮されず、夜寝る時になっても皮膚や喉にタバコの臭いが染みついて気持ち悪く喘息の一歩手前のような症状が起こるようになってしまいました。仕事中もタバコで咳をしたくなられましたが、咳をするとタバコを吸うなと言っているように思われ人間関係が悪くなるのではないかと恐れて咳をこらえるしかありませんでした。アトピーの症状は不思議と起こらなかったようです。タバコの煙には500種類の化学物質が含まれており喘息のきつい人はタバコは禁止は言うまでもなく間接禁煙をやるべきなのです。

結局、試用期間後に退職されましたが実社会の厳しさと理不尽さが突き付けられました。会社を辞めた後、喘息が起こりその後アトピーの症状に変わったそうです。体調も悪く次の就職先が決まらなかったため、工場でアルバイトされていましたが、作業着の材質や通気性に問題があったのか、同僚の休憩中に吸うタバコのせいかわかりませんが、仕事が終わる頃にはアトピーが痒くなってしまいました。ようやく次の就職先が見つかっても、そこの会社も分煙されておらず、長く続けられませんでした。そこの会社を辞めた後も喘息が起こり、その後アトピーに変わっていたとこのことです。

しかし、今回のアトピーの症状は重く、塗り薬を塗っても安定しなくなり、その頃は主治医が大学病院を辞め診療所を開設されていたため、その診療所に通われておりましたが長期間症状に変化がないため一度大学病院で入院されることになってしまわれました。入院中はジスロマックという抗生物質を3日間服用され、体にマイザー軟膏と顔にキンダベート軟膏を塗っておられました。1週間ほどで皮膚の状態が良くなり、退院されましたが2~3週間後にはまた元の状態に戻ってしまいました。その後3回喘息からアトピーへと変わりましたが、症状を抑えるだけという治療法に限界を感じました。患者さんは体の中にあるアレルギーを起こす物質を皮膚か喘息の発作によって体外へ排除しようと働きかけている免疫を、ステロイド軟膏を使って免疫の働きを抑え続けられ、何かきっかけがあればいつでも症状が再発する状態だと患者さんは感じていたからです。しかし、他の医療は全く信用できず、当時の主治医のことを信頼していたので、退院後もステロイド軟膏を塗りながら体に合う薬を探しておりました。途中、顔に使っていた治験薬の治験期間が終わり使えなくなったのでプロトピックに変更されましたが、塗っても効いている感じがせず、顔が火照って顔を叩きたくなったので目の後遺症を恐れて使われませんでした。代わりにマイザー軟膏をなるべく薄く塗っていたそうです。また体に合う飲み薬を探す際は、以前のペニシリンの件で何かおかしいところがあればすぐに服用を止めていました。

以下はこれまで試されてきた飲み薬です。プロトピックはsteroidと比べて免疫抑制の力ははるかに劣っています。プロトピックの一般名はタクロリムスで免疫抑制剤の一種で、臓器移植または骨髄移植を行った患者の拒絶反応を抑制する薬剤です。こんな移植の際にも散られる強い薬がアトピー性皮膚炎に対する塗布剤としても用いられるのは全く理解できません。だからハイリスク薬であると言われているのです。

エピナジオン:変化なし。

ジスロマック:ジュクジュクした傷が見かけ上治まる。

ツムラの漢方(銀に黄色の帯):痒みが軽減される。

ツムラの漢方(銀に水色の帯):手首や足首がむくんできたため服用を中止。

ビタミンCとカルシウム:痒み止め

他にも服用された薬があったそうですが、心臓が苦しくなったりと副作用が出ずよく効く薬は見つかりませんでした。どんどん症状が多彩になりかつ深刻になっていくのは、医者の作った医原病がひどくなっていくのです。その理由はステロイドを医者が投与するたびにアレルゲンは体内にたまるだけではなくherpesが爆発的に増えていったからです。あらゆる組織でherpesとの戦いが始まるからです。そんな中、メドロールというステロイド錠剤を1日3錠を1週間飲み続けてすぐに塗り薬に切り替えようと考えられましたが、減らすと症状が悪化してしまうため、メドロールを止めるのに1年半かかりました。

処方:メドロール。

メドロールを減量しながら行政機関でアルバイトを始められました。メドロールを飲み始めて半年がたった頃、自転車で職場に着いた直後、心臓が苦しくなって貧血のように顔が真っ青になりました。ヘルペス性の心臓神経炎です。横になっても治まらないので病院へ連れていってもらい、心電図や血液検査を受けると特に異常は見られないと言われたそうです。症状は徐々に落ち着いてきましたがこういう発作が起こると数日また発症する可能性があるということで大事を取って3日ほど仕事を休まれました。検査結果では異常が見られないと言われましたが、血を抜いた際に血が止まりにくいのを診て、医者からステロイドが原因であると説明を受けた後、患者さんは自分の体の中が今どうなっているのか恐怖に襲われました。患者さんなりにメドロールの副作用について調べ、今まで半年飲んでも全く副作用が出なかったために患者さんは自分に合った薬だと思っていたからです。薬を飲んで副作用が出てくる頃には手遅れになると思い知り、一刻も早く薬をゼロにしようとすぐさま1日半錠に減らされました。

その後は上記ほど酷い貧血のような症状は起こりませんでしたが、度々おかしな症状(視力低下、指先の痺れ、胸痛、喉の異常な渇き、体に力が入らない、ちょっと歩いただけで異常に疲れる)が現れました。指先の痺れで整形外科にかかってみると、ステロイドの量を減らした事による神経の炎症だと言われ、神経ブロック注射をされ、しばらく治まっておりました。

1日半錠から2日半錠にすると症状が悪化したので、1日半で半錠に減らし、その後は毎日4分の1錠を飲み、のちにメドロールを完全に止めました。やめた後、胸が締め付けられるような禁断症状が起こり、朝にメドロールを飲んでおられたようですがカバンに入れて持ち歩き禁断症状が現れたときにだけメドロールを服用されていたそうです。そうしてやっとメドロールを完全に断つことが出来たのです。

しかし、メドロールを完全に断った頃、指や手のひらや足裏にものが当たると痛みを感じるようになられました。ヘルペス性痛覚神経炎です。最初は自転車に乗っているせいかと思われましたが、なんとなく手足の指が細くなっているような気がし、痛みも段々酷くなってきたのでインターネットで調べてみるとリウマチの症状と似ていたそうです。リウマチは早期治療が大事だということでその日のうちに指の痺れを治療した整形外科にかかりました。そこでレントゲンと血液検査を受け、結果が出るまで1週間かかり、リウマチかどうかもわかりませんでしたがとりあえずステロイド軟膏を処方されたとのことです。あれほど懲りたステロイドでしたが、塗り薬を塗らないと関節が破壊されてしまうのではと考え塗り薬を塗ることにしましたが、患者さんは検査結果など聞くまでもなく、全身の異常なだるさや朝の腫れや他の関節への痛みの広がりという症状からリウマチに違いないと思い、引き続きインターネットでリウマチについて調べてみました。しかし、調べてみると不治の病で最終的に寝たきり、内臓にも障害が起こるという恐ろしい情報ばかりだったそうです。この世に不治の病は何もありません。そこで「リウマチ」と他に「根治」や「治す」といった前向きな単語で検査してみると、当院のホームページを見つけることが出来たのです。長かったですね。まずリウマチの論文を読み、ステロイドやアレルギーや免疫の関係を読み進めていくうちに、これまで患者さんが抱いていた疑問を解きほぐし、文章から必ず治せるという自信を感じられ、ここしかないと思い立ち、週末の朝一番に診てもらおうと当院へ来院されてきました。

休日ということと受付開始時間を9時だと勘違いしたこともあり、早めに家を出て8時半に当院へ到着されました。患者さん曰く、全国からリウマチの患者さんが殺到して開院前から列を作っていると思い、行ってみると早く来すぎたために入口に誰も並んでいなかったので最初は焦ったそうです。

問診票を書いてリウマチ患者さんの手記を読んでいると、患者さんよりもはるかに酷いリウマチ患者さんが良くなっているのだから、きっと自分でも絶対に治るはずだと確信されたそうです。私の診察を受けて、言葉使いは汚いが情熱的で自身に満ちた手記の想像通りの人だったとのちに患者さんに言われました。それまで患者さんが見てきた医者たちは皆どこか自信なげで、この薬がダメなら別の薬を試すといった具合に薬を出しているだけの人ばかりだったようです。

私が患者さんを見ただけでリウマチと診断されたことに納得されておりました。本当は病名なんかはどうでもいいのです。原因が何かであるかを突き止めることが一番大切なのです。皆さん原因がわからなくてどのような治療ができますか?症状をとるほど簡単な間違った治療ならば誰でもできます。事前にホームページの論文や患者さんの手記を読んでリウマチが治る病気だと理解されたからです。また、インターネットにもあるいくつかの検査項目に該当していないから「リウマチじゃない」と診断され、「もっと酷くなってリウマチと診断されるまで放置しておきなさい」と言われるよりよっぽどましだったからです。今まで大量のステロイドを飲んできたことを知って怒鳴ってしまいましたが、どんな患者さんにも伝えますが必ず治してあげると言い、力強く握手を交わしました。リウマチに効く漢方煎じ薬と赤い漢方塗り薬と黄色い漢方塗り薬と消毒液と漢方風呂を処方し、血液検査を受けた後で鍼治療とお灸を受けてから帰宅するように指示し、何かあれば連絡するようにしました。

処方:漢方煎じ薬、漢方塗り薬2種類、消毒液、漢方風呂。

初めてのお灸や鍼治療や漢方風呂をして体がポカポカして痛みや炎症が治まるような感じだったそうです。漢方風呂の後は皮膚がスベスベになったとのことです。漢方煎じ薬を飲み始めて2~3日すると手首や足首の付け根がむくんできました。以前、皮膚科でもらっていた漢方薬でも同じ症状が起こり、その当時は服用を中止するように指示されたことがあったため、その皮膚科と同じように体に合わなかったのかと怖くなり私に電話で相談されました。私は漢方煎じ薬を大量に飲むことで免疫を上げ、むくんだところからIgG抗体からIgE抗体へとクラススイッチして作らせ、リウマチの症状がアトピーに変わり、最後は自然後天的免疫寛容を起こしてIgE抗体が化学物質やヘルペスウイルスとの戦いを休戦し、アトピーが完治できることを説明して、むくんでいるのは問題ないことを説明しました。患者さんは理解され、アトピーをどんどん起こし一時は靴を履くこともペンを持つこともできないほど腫れが酷くなっておりましたが、数日経つと腫れが引き今後そのような症状が出ることはなかったそうです。

2週間後、来院され、前回より倦怠感や痛みがなくなっており、血液検査の結果でもリウマチの値は正常値になっておりました。しかし免疫を抑制し続けて来たためにリンパ球の値が正常値以下とかなり低値だったことと、アレルギーのIgE抗体も正常値の何万倍も高値でした。今回からアトピーの煎じ薬も加え、お灸もするように指示しました。早速、自宅で痛むところを中心にお灸をされましたが、もぐさを大きく作り過ぎて熱くなり過ぎたり、上手に置きたい場所に置けなかったりと、一通り痛む場所にやるだけヘトヘトだったそうです。その内、痛みも徐々に落ち着いていき、ちょっと痛みがましになるとお灸をサボりがちになってしまうほどでした。

そのまま順調に症状が安定していき、年が明けて1月~2月頃、ピリピリとした痛みが出てくることがあったため、前回と同じような検査項目にヘルペスの値を調べる項目も付け加え、抗ヘルペス剤のアシクロビルを処方しました。またリウマチに良いと聞いて、少しでも早く治すために近所のプールで週2~3回ウォーキングを始められたそうですが頑張り過ぎて足首を痛めてしまうこともありました。

しかし次の月、体が猛烈に痒くなり、かつてないほど酷いアトピーの症状が起こられました。酷い痒みが起こった後、掻いた後がケロイドのようになり、全身、特に顔からリンパ液がとめどなく流れるようになられました。消毒液は痛すぎて塗れず、エルタシンや赤い漢方塗り薬を塗ると一時的に痛みが軽減されますが、すぐにリンパ液が染み出てエルタシンを流し落としてしまうほどでした。眠る時も顔の向きによっていろんな箇所にリンパ液が流れて気になりまともに眠れなかったとのことです。空気、特に冷たい空気が触れると痛みが走り、家にいる時は1日中布団の中で生活し、食事も布団の中で顔も出さずに潜って食べていたそうです。仕事に行くときは、顔中に包帯を巻いて空気に触れないようにして、耳はニット帽、眼には水中眼鏡という格好で自転車に乗って通勤されていました。職場の空気は比較的暖かく包帯をしていればかろうじて痛みを我慢できたため、週に1回だけ睡眠不足を解消するために休みをもらい、それ以外は出勤されておりました。このような状態が1ヶ月ぐらい続き、その後、リウマチの痛みが出なくなったため、アトピーの漢方煎じ薬だけにし、漢方風呂も週に2回に減らしました。そして、上記のアトピーの症状が噓のように肌が綺麗に戻りました。ステロイドを使っていた時のような、免疫を抑えて表面上綺麗になるも内側にくすぶっているような時と違う感覚だと患者さんは言いました。

しかし、アトピーの症状がほぼなくなった頃、以前メドロールを飲んでいた時のように胸の苦しさが起こり、体に力が入らなくなり、ちょっと歩いただけで異常に疲れる症状が起こりました。患者さん判断で症状が治まるまで漢方煎じ薬を止め、様子を見ながら量を半分戻し、通常の量へと戻されました。のちに通常の漢方煎じ薬の量に戻しても症状が再発することはありませんでした。免疫を上げるとherpes、アレルゲンとの戦いが激しくなるのをリバンド現象といい病気を治す大切な当然のプロセスであるのです。

6月頃、前回の血液検査の結果が、治療開始当初はリンパ球が10%だったのが20%まで上がり、ヘルペスの値もやや下がっておりました。

8月の血液検査の結果ではリンパ球は24.5%と順調に上がり、10月の血液検査でも非特異的IgE抗体の値が治療開始時の15580だったのが9360と低下していき、リンパ球は17.5%と正常値でした。体調が安定してきたので患者さんは社会復帰のために就職活動を始められました。しかし今後どこで働くかわからない不安な状況下でストレスによるステロイドホルモンを患者さん自身が大量に放出していたのか、9月頃に初めてリウマチの症状が発症した時のような体のだるさと熱っぽさが発症し再び体調が悪化していきました。リウマチの症状が発症してからはストレスを感じたり、関節に負担をかけないようにされたそうです。11月の血液検査のリンパ球は20.1%と正常値でした。

以前に大量にステロイド剤を投与し続けて来たため、現在もアトピーの治療のために通院されておりますが、リウマチの症状は完治されました。33歳の若い男性だったので直りが早かったのです。現代の医療がすべて間違い地気が付くまでに時間がかかった患者さんはもっともっと苦しまなければならないのです。残念です。

症例報告5例目

病名:関節リウマチ

不治の病と言われているリウマチなどの膠原病は治る病気であり、人間にとって一番大切な免疫細胞を抑制する西洋治療を扱う病医院とすべての病気の原因であるヘルペスウイルスがどれほどずる賢いか理解された方です。

患者:当時76歳、男性

2007年10月頃にアレルギー性鼻炎になり、耳鼻科にて点鼻薬と抗アレルギー剤(オノンカプセル)、プレドニン錠5㎎(ステロイド剤)を服用されました。その後、耳鳴りがするようになり週に1回の点滴を6回受けたとのことです。耳鳴りは蝸牛神経に感染したherpesが原因です。

処方:点鼻薬、オノンカプセル、プレドニン錠5㎎。

1ヶ月後、狭心症を起こし、循環器科でバイアスピリン錠100㎎と中性脂肪を下げるクレストール2.5㎎錠をしばらく服用し続けました。するとCK(CPK)クレアチンキナーゼ値が急上昇したり、診察前の体重測定で毎回筋肉量と質がやや乏しく、普通以下と表示されておりました。しかし、当時ボディビルジムに通い、胸囲が1m余りあったとのことで、気に留めず看護師と共に体重計の故障かと思っていたそうです。CK(CPK)クレアチンキナーゼは英語でCreatine Kinase略してCKとかCPKとも言い英語でCreatine PhosphoKinaseで読んでクレアチン-ホスホキナーゼは、クレアチンATPからクレアチンリン酸ADPを生成させる酵素で、筋肉の収縮の際にエネルギーを供給してくれます。骨格筋心筋などの細胞に分布しています。

処方:バイアスピリン錠100㎎、クレストール2.5㎎錠。バイアスピリン錠は、抗血小板作用にもとづく血栓予防薬です。

2年後、いつものようにジムで筋トレをされていると、両足、首、腹筋が痛み始めたのです。スポーツドクターを探してあらゆる診察を受けた結果、血液内科で精密検査を受けることになりましたが結果は白血病は疑いもなく陰性だったそうです。また整形外科を受診し骨癌でもなかったと診断され、かかりつけ医にて痛み止めを処方されました。しかし、その後も痛みは増し、薬の効きも徐々に短くなっていき、不安でかかりつけ医に「もしかしたら、膠原病ではないですか?」と聞くと「今は良い薬が出来ているから大丈夫ですよ。」と言われたそうです。更に「絶対に治りますか?」と聞くと、「痛み止めはありますが、治療薬は…」と口を濁らせ、「でも一般的にはステロイドを使って楽になっておられますよ。」と返事されたのです。患者さんは昔、愛犬が癌になり、ステロイド治療から腎臓が侵され亡くなった経験があったため、ステロイド治療に悩んでいたところ、ご友人がいろいろ調べてくれた結果、ステロイドを一切使わずに漢方で治す当院を勧められ、患者さんは受診されたのです。

2016年2月、当院での初診の際、患者さんは私の迫力と、病気は患者さん自身の免疫で治すために大量の漢方煎じ薬で免疫を高めて、医者はその手助けをするだけだと言われて患者さんは大変驚かれておりました。患者さんも含めて大半の大衆は、病気は医者が薬を出して治すものだと思っているからです。現在、全てのリウマチ関連の血液検査が陰性にもかかわらず、関節の痛みを訴える患者が増えております。しかし、リウマチにおいてIgG抗体を含んでいる蛋白免疫グロブリンγの上昇や、炎症の度合いを示す検査である血沈や、ZTTやTTTの上昇が見られたので、それらがすべて陽性になっている時にはかなりの重症のリウマチだったのです。つまり重症のヘルペスの患者さんです。ヘルペスは逃げ隠れするのが上手ですから患者さんの免疫があがったときに初めてCRPやSAAや血沈などの炎症所見が高くなるのです。炎症所見が高いのはherpesを見いだせたといえるので良いことなのです。

処方:漢方風呂、抗ヘルペス剤、漢方薬。

早速、初診日の晩に湯船に漢方風呂を入れて入浴されました。お風呂から出ると激しい寒気を覚え、また戻って入浴するのを繰り返し、最後は電気毛布上下を一番強くして1時間寒さで震えていたそうです。早速、リバウンド症状が起こったのです。翌日に患者さんから連絡が入り、リバウンド症状であることを説明し、これから起こる痛みは病気を治すために免疫が戦っている証拠なので今は我慢するように伝えました。

のちに処方した抗ヘルペス剤であるベルクスロン錠400㎎を1日10錠を服用すると、手足、首、胴とすべての筋肉の痛みが出てき、さらに背筋のこむら返りを起こしました。現在はベルクスロン錠はアシクロビルに名前が変わりました。患者さんはボディビルの応用で、仰向けに寝て足の両膝を立て、お尻と肩甲骨をマットに当てて、腰と背中を反らす様にして両手をバーベルを持っている格好にし、腰と両肩は付けたままで背中を反らしたまま腕を上げると一時的にこむら返りが治まっていたそうです。こむら返りはあしの腓腹筋に感染したherpesとの戦いの証拠です。しかし10分もするとまた痛みが出て反り返しをする繰り返しで疲れて寝てしまう日が続いたのです。眠れない日も何日もあり、絶えず痛みとの戦いだったのです。この患者さんはこの病気になる前に極めて強いストレスがかかっていたようです。

そうして治療を続けて2年半と少しが経過し、筋肉痛やその後リバウンドでアトピーの症状なども起こりましたが、今ではすべて完治され、通院されておりません。

化学物質にIgE抗体を武器にして戦うとアレルギー反応を起こし、IgG抗体で戦うと膠原病やリウマチの症状が起こります。しかし、病気の原因の一つとして、大衆のほとんどが痛みや痒みは医者が処方した薬を付ければ治ると信じ、疑問や不安を持つことなく免疫を抑える薬を使用していることです。多くの薬は免疫抑制剤であり、使うと体で一番大切な免疫細胞を殺す薬を買い求めていることになります。免疫が殺されると細菌やウイルスなどの抵抗力がなくなり、感染症にかかりやすく、風邪を引き悪化すると肺炎になりやすくなったりと病気にかかりやすい体になってしまうのです。

少し話が難しくなりますが、WHO(世界保健機関)では、270種目の薬で十分であるにも関わらず、日本は一万種類以上の薬を労働厚生省は認可しています。昔は小さな薬局で包帯、赤チン、メンソレータム、漢方薬が陳列され、調剤室には薬剤師さんが頓服を調合されていましたが、今では百貨店のような大きなドラッグストアが増えてきました。

患者さんから、あるテレビ番組で医薬評論家が「製薬会社はマッチポンプである」と言っていたそうです。患者さん曰く、製薬会社は自社で病原菌を造り、自社製薬で殺菌薬を製造し、各大病院や大学病院の教授たちと内々のバックマージン(割り戻し金)で、厚生労働省の認可を取って世に出していると聞いた時は、なるほど、これがドラッグストアの増大に繋がっているのかと思ったそうです。

さらに、ヘルペスウイルスの増殖を抑制するアシクロビル錠(ベルクスロン)400㎎はリウマチや膠原病の患者さんだけでなく全ての病気の治療にとって必需品であります。しかし、抗ヘルペス剤は医療保険が効かないのです。医療保険が効けば薬が安くなり、病気に悩んでいる人にとって楽になります。抗ヘルペス剤がリウマチや膠原病に対して適応となることを祈ります。

昔から患者は医者を信頼しております。例えば、医者から「この薬は○○によく効きますから服用してください。」と食用粉末のプラセボ(偽薬)を患者に渡すと、翌日「先生よく効きました。ありがとう。」という実験があります。この例から患者は医者の出す薬に何の疑問も持たないのです。

免疫とは「疫(病気)を免れさす」という意味です。人の細胞は体を常に一定の状態にして平和に暮らしたいと思っていますが、化学物質やヘルペスウイルスなどの外的異物が入ると、自己のタンパク質と異物を見分けて異物を排除する機能があります。化学物質は殺したり、溶かす事ができませんが増殖もしないので、IgGからIgEへとクラススイッチさせ体外へ排出するのです。アレルギー鼻炎であるくしゃみもその排出機構の一つで、時速100㎞以上で飛ばし、鼻水を出すことで水洗いまでしてくれます。ところが医学に無知な一般大衆は鼻水が出るのが嫌で何回もテッシュで鼻をかんだり、薬局で鼻水を止める為のスプレー(中味は大半がステロイドで免疫を殺す薬)を使っています。

また、長期に渡りストレスがかかっている人は、神経的にも肉体的にもストレスに耐えるため、自分の副腎髄質からアドレナリンを出し、更に副腎皮質からステロイドを出し続け(1日、0.5㎎以上)結局自分自身で免疫を抑制する事になり、男性でもリウマチになる人が増えてきたのです。

現代医学は、異物を排除しようとする免疫の働きを一時的に抑制するだけですから、IgEやIgG抗体やリウマチ抗体が再び作り出され、まるでイタチごっこのように永遠に闘いが終わらないのです。免疫の働きを一切抑制せず、アレルギーとして体外へと出させ、ただ症状を漢方で楽にするだけで、IgE抗体やIgG抗体やリウマチ関連抗体が作られなくなり、戦いを休戦させて痛みが出なくなる自然後天的免疫寛容を起こすことができるのです。

最近は、「病気にならないように、サプリメントを飲んでいますので、大丈夫です。」と言われる健康な方が増えてきました。幾ら果実何個分、野菜何グラム分が入っているとは言え、小さなカプセルの中身は、100%化学物質から出来ており、人によっては逆に病気を引き起こす人もおられます。出来れば自然の畑から採れた、新鮮な野菜を摂る事によって、無害で身体を守ってくれる免疫細胞がより強く、活発になるのです。

さて、話を戻しましょう。リウマチ、多発筋痛症、膠原病の原因についてあらゆる本を読みましたが、どの本も医学会のガイドラインに沿った、同じような内容でした。ある新聞記事には「身体を動かせなくなるALS(筋萎縮性側索硬化症)や、定期的に長時間の治療が必要な人工透析と異なり、初期の関節リウマチは身近な人にも見えにくい病です。ALS(筋萎縮性側索硬化症)もherpesが原因です。リウマチは主に関節の内側にある滑膜が炎症を起こして、腫れや、痛み、こわばり等の症状が起きる病気です。原因は不明となっていますがherpesですが、医学書には免疫に異常が生じて、悪い免疫が、良い免疫を攻撃する事で起きる病気です。」とありました。これについて反論します。免疫同士が攻撃するとしたら、人間は癌にはならない筈です。何故ならば、人間の体内の中にある免疫細胞は、外的異物(化学物質)が入ってきた時に、自己と非自己を見分け、増殖する敵に対しては殺したり溶かしたりします。増殖しない化学物質に対しては殺したり、溶かしたり出来ないので、わざわざクラススイッチをしてIgG抗体からIgE抗体を作り、体外へ排出します。

では、何故、免疫細胞は悪い癌を攻撃しないのかというと、癌細胞も正常な細胞もその人自身の細胞なので、免疫細胞は同類と考え攻撃をしにくいのです。本に記されている様に、良い免疫が悪い免疫を攻撃してくれたら、高額な薬害のある抗癌剤を飲んだり、苦しんで死ななくて良いのです。従って免疫細胞同士は、攻撃しないのです。

ただ言えるのが体内の中にいる60兆個の細胞は、毎日分裂を繰り返し、24時間で入れ替わる細胞数は数千億から一兆個です。そのため遺伝子の複製に間違い(ミスコピー)が起きても仕方が無いのです。そのミスコピーで生まれた細胞が癌細胞で、毎日5000から6000個が生まれています。これだけ多くの癌細胞が日々生成されているのに、ほとんどの人が癌を発症しないのは、免疫細胞であるNK細胞(ナチュラルキラー細胞)や樹状細胞が日夜闘って癌細胞が生まれる度に見つけ次第退治してくれているからです。それに遺伝子はエクソンとイントロンの二つでできており蛋白を作る設計図は遺伝子の数パーセントにすぎないエクソンだけですからイントロンの遺伝子が変異しても何の影響もないのです。

数年前、自身も癌患者で癌研究に熱心だった医師が語っておられたのは、「ミスコピーで体内にいる癌細胞は、細胞分裂の激しく起こっている組織周辺に留まり、血管からバイパス(血管新生)をひき、ブドウ糖だけを吸収して増進して行く。研究の結果、血管にブドウ糖と化学構造式が同じビタミンC(アスコルビン酸)を入れたところ、癌細胞はビタミンCをブドウ糖だと思って吸収して壊死した。ビタミンCの血中濃度が高くなると、血液中の鉄分と反応を起こして過酸化水素となり、全身の毛細血管から体内に出ていきます。正常細胞はカタラーゼという酵素が過酸化水素を中和するので影響をまったく受けませんが、癌細胞はこのような要素を欠乏するため、すぐに過酸化水素に反応しダメージを受けて破壊されてしまいます。そのため、抗癌剤よりこの治療法を勧めている医師もいますが果たして真偽は確定していませんしビタミンC(アスコルビン酸)で直らないからみんな苦しんでおられるのです。この治療法はノーベル賞を二つもらったアメリカのライナスポーリングが主張したのですが医学会から100%否定されています。

さて、新聞に出ていたリウマチの話に戻りましょう。「リウマチの完治は困難で、徐々に進行し、関節の変形や破壊、手足の機能障害に至る事もあります。薬(ステロイド)で、症状や進行を抑える治療法が一般的です。しかし免疫の働きを抑える薬の成分によっては、感染症や他の病気との合併症を起こす恐れもあります。40~60歳の発症が多く、女性の発症確率は男性の4~5倍とされ、日本リウマチ友の会によると、リウマチ発症により70%が社会生活、45%が結婚生活に影響があったと答えています。ちなみに、日本リウマチ友の会はステロイド使用の医師達によって作られています。

このように、新聞記事も日本医学会のガイドラインに沿った文章が多いのですが、リウマチになって初めて病院へ行き、「痛み止めはあるが、治す薬はない。良くならない、徐々に症状が進んでいく。」と告げられたら、患者はたまったものではありません。

私は免疫学で培った理論と東洋医学の臨床経験を融合しかつ自分のヘルペス性視覚障害である病気も自分で治療を行っているので、治らないとされている病気の治療法が見つかり数多くの患者が助かっています。一般的に病気とされているものは、すべからく自分の病気は自分自身の免疫細胞と異物との戦いで生ずるもので、神経に関わる痛み、痒みというのは表面的な自覚症状に過ぎないです。特に免疫細胞が、体内全体の神経に潜んでいる悪賢いヘルペスウイルスを見つけ出し闘って殺す時には、筋肉やあらゆる内臓に病原体であるヘルペスにより炎症が起こり、病気が生じる事を世界の医学者が(知ってか知らずか)何も語らないのです。さらに医学会が治療と言ってステロイド薬を使用しているのは大変残念です。何故ならばステロイドを使えば使うほど人類最後の悪魔のようなヘルペスを増やしているからです。

症例報告6例目

病名:関節リウマチ

自分と同じようにステロイドで苦しみ人が増えないことを切実に願っている方です。

患者:当時42歳、女性

当時18歳の時に病院で痛み止めのピリンを服用し、顔がお岩さんのように腫れてしまいました。20年以上前のことで記憶が定かではないとのことで注射をしたか覚えておられませんでした。しかし、その頃から足の冷えを覚えていたそうですが、まだ若くあまり意識することなく過ごされていたそうです。しかし、結婚と妊娠と出産を繰り返すごとに体がどんどん弱っていきました。また、陽気な性格だったのか、人には理解してもらえず辛い時間が流れていました。

処方:ピリン(痛み止め)。

そしてリウマチの症状が出始めた頃、近所の病院で橋本病の検査を受け、その日以来丸1年チラージンを毎日0.5錠服用されておりました。当時彼女はアレルギーを4つ持っており、西洋医学の薬は怖いという気持ちが先行し、薬を使うことに渋っていたところ、「足りないもの(ホルモン)は薬で補わなければならない」と諭され飲んでいたのです。チラージンは副作用がほとんどないので大丈夫との説明だったのに、何故か9年間毎日出ていた蕁麻疹がまったく出なくなり、代わりにいつの間にか朝起きると指が少し痺れていたり、きつい靴を履いたわけでもないのに両足指が代わるがわる時々痛みが起こりました。そして6月頃に使いすぎていた左手指が痛くなり、この時にはっきりとリウマチを自覚されたのです。

処方:チラージ

(チラージンSという甲状腺の薬は甲状腺機能低下症に用いられる甲状腺ホルモンの一つです。私のリウマチの患者さんにはチラージンSを服用している人が何人かいましたが、どうもリウマチがアトピーになり最後に自然後天的免疫寛容を起こしにくい印象があります。その理由は二つ考えられます。一つはチラージンSは確かに甲状腺が作り出しているホルモンの一つであるサイロキシンでありますが、サイロキシンそのものではありません。他に製剤にするためにいろいろ修飾されております。従ってこの薬全体がリウマチを起こすアレルゲンとなっている可能性があります。二つ目は橋本氏病は1912年に日本人の橋本策という人によって見つけられたものであり、最も代表的な自己免疫疾患の一つであります。臨床的には一般には甲状腺機能が正常でありますが、甲状腺の組織の障害が高度になると機能低下が見られ、ごく一部には機能更新が見られることがあります。この橋本氏病とリウマチが合併することが多いのは、両方の病気に共通のアレルゲンが存在しており、リウマチが悪くなれば橋本氏病の方が良くなり、その逆な事も起こる印象があります。リウマチだけならば免疫寛容が起こりやすいのですが、膠原病の一つである橋本氏病は起こりにくい為にいつまでもリウマチが治りにくいと考えられます。

さらに詳しく説明しますと、リウマチは関節腔の中に見出された異物が両側の滑膜に引っ付いたアレルゲンを排除しようとして生じる炎症であります。ところが関節腔は常に、言わば潤滑油が出入りしているところであり、血流が豊富であり、異物も侵入しやすいのですが、同時に炎症産物も運ばれやすい上に中空であるために滑膜が再生しやすいので傷が治りやすいのです。私は全ての膠原病は多かれ少なかれ関節の痛みが伴うことを指摘しておきたいのですが、これは何故かというと人体に入った人間にとって異物であるアレルゲンは一番入りやすいのは関節腔であるからです。このような異物は人によっては他の組織やその組織の結合組織に引っ付きやすくなり、それが神経に引っ付けばMS(多発性硬化症)やギランバレー症候群となり、血管の内壁につけば多発性血管炎となり、筋肉に付着すれば多発性筋炎となり、皮膚組織につけば強皮症となり、心臓の膜に付けば膠原病性心膜炎やリウマチ熱となり、肺に沈着すれば間質性肺炎(リウマチ肺)になり、その異物が血小板につけば血小板減少性紫斑病になり、赤血球に付着すれば自己免疫性溶血性貧血となり、骨髄に付着すれば再生不良性貧血となり、眼球のブドウ膜につけばブドウ膜炎また強膜に付着すれば強膜炎になり(これらは全てリウマチの時に同時に合併することが知られています。)、肝臓に付着すれば自己免疫性肝炎や原発性胆汁性肝硬変になり、涙腺や唾液腺に付着するとシェーグネン症候群になり、腎臓に付けば自己免疫性糸球体腎炎になります。このように全ての臓器において人間にとって異物となるアレルゲンが付着して、それを排除する免疫反応として自己免疫疾患が生じるのです。逆に言うと、自己免疫疾患が生じない臓器や組織は何も無いのです。さらに以上のような様々の膠原病がいくつか同時に生じるときにSLE(全身性紅班性狼瘡)と言われるだけです。さらにSLEや多発性筋炎(PM)や全身性進行性硬化症(PSS、全身性強皮症)などの症状を同時に持った膠原病をオーバーラップ症候群と言い、さらにこれに加わるに抗RNP抗体が高い時に混合型結合組織病(MCTD)と言うわけです。つまり関節の症状が一番目立つ時にリウマチと言い、このリウマチを基礎として色々の組織にアレルギーを起こす時に膠原病が重症になっていくわけです。原理的にはリウマチが治るように他の全ての膠原病は治るはずなのです。何故治らないかというと、自然後天的免疫寛容が生じるまでに症状に耐えられなくなったり、炎症を起こした組織の修復がしにくかったり、修復するのに時間がかかったりして後遺症が残り、機能が正常に回復しない為に実際的には取り返しがつかなくなる可能性があるからです。

私の考えでは、膠原病は癌ではないので炎症だけで死ぬことはないのですから、今後の私の研究課題はいかにして早く様々な組織の炎症を回復し、機能障害をもたらさないようにして最後にIgG抗体をクラススイッチしてIgE抗体にかえ、IgE抗体の産生を抑制Tリンパ球抑制させ自然後天的免疫寛容を起こさせるかということになります。従ってリウマチと橋本氏病が同時に存在する時は同時に免疫寛容が起こらない限りはリウマチも治らないと考えられます。つまり原因は同じであるわけですから、リウマチだけが治るということは有り得ないのです。もちろんここで断っておきますが、関節腔にたまるアレルゲンは一つだけではなく無数にあります。このアレルゲンが無数にあるのはアトピーのアレルゲンが無数にあるのと同じことです。この無数のアレルゲンの中の幾つかだけが甲状腺の結合組織に付着してこれを免疫が攻撃することにより、甲状腺ホルモンを作る甲状腺の細胞もとばっちりを受けてホルモンを作れなくなる為に甲状腺の機能が低下するのです。ここで起こった炎症の後始末をするのには関節と比べてはるかに血流が少ないうえに、新しい正常な細胞を作り変えるのにも周りに詰まった細胞があるので押し付けられてしまって簡単には作れないのです。つまり一度引っ付いた異物を処理することが極めて難しくなり、Tリンパ球などにクラススイッチをする必要も感じさせることができないどころか、ましてや自然後天的免疫寛容などというのは程遠い出来事になってしまうのです。つまりクラススイッチするためには敵に生命があり殺す必要がある場合に用いられるIgG抗体を殺さないで排除できるIgE抗体に変えるのには、あるレベル以上の誤った免疫の試行錯誤が必要なのです。殺す必要がないとTリンパ球が認識する為には、無駄な戦いを一定量行う必要があるのです。処理したと思った異物が最後に処理されないままで残っていることをTリンパ球が認識する必要があるのです。関節の炎症によって起こるリウマチの場合は大量の失敗の結果が血流に流れ出てリンパ節でTリンパ球に認識され、殺す必要がないことに気付いた時に初めてTリンパ球はクラススイッチを命令するのです。そしてBリンパ球はIgG抗体をIgE抗体に作り変えるようになりアトピーが初めて出現し、これを繰り返している内に大量に入ってくる異物が無限であると認識した時に始めて抑制Tリンパ球がIgE抗体を作ることをBリンパ球に知らせると同時に補助Tリンパ球に対してもIgE抗体を作る刺激をBリンパ球に出さないようにと命令するのです。ここで初めて自然後天的免疫寛容が起こり、リウマチもアトピーも完治してしまうのです。ちなみに抑制Tリンパ球が生産の抑制をかけることができるのはIgE抗体だけなのです。これも極めて合目的な生態のもつ素晴らしい機能であります。というのは、もしIgG抗体が作られることが抑制され自然後天的免疫寛容が起こってしまえば、人類はすでに滅び去ってしまっているでしょう。何故ならばIgG抗体は人の命を奪うウイルスや細菌などの感染症を起こす敵をやっつける為の武器であるので、これらの敵と共存することは自らの命を奪われることを意味するからです。

彼女が出産を行った際、全て帝王切開手術で赤ちゃんを取り出されたとのことです。2度目の出産時には切迫流産、切迫早産のために薬漬けの毎日で、妊娠9ヶ月の時に1ヶ月入院され24時間点滴を受けられましたが、残念ながら死産となってしまいました。しかし、手術後は点滴に薬を加え無理に人工的に子宮を収縮させるのですが、その痛みは息もできないくらいの激痛だったため、痛み止めを注射されました。のちの産後の回復も遅く、精神的にも肉体的にも大変辛いものでした。元々、以前から生理不順だったのですが、2度目の出産後はより生理がおかしくなり過多月経で悩まされました。体もすぐに疲れてしまい、血流も悪いのか正座などですぐに痺れを感じるようになったそうです。また風邪がなかなか治らず喘息の発作を起こすようになってしまいました。年中咳が出て発作のきつい時だけステロイド吸入をされていましたが、集中力が欠け、目覚めはいつも悪く、すぐに疲れてしまう毎日で本を読むことさえ、しんどいものとなってしまいました。

そんな患者さんの心の支えだったのが、「もう一人産んでも大丈夫!」と産婦人科の医者に言われたことでした。死産の辛さを乗り越えるためと長女に兄弟を作りたい一心で3度目の帝王切開をされました。しかし、無事に出産を終えると体調がますます悪くなり、産後の回復も遅かったのも加え、全身麻酔の予後が悪かったのか頭痛持ちとなってしまいました。

少しでも治したい、良くなりたいとあちこちの婦人科で診てもらい治療を受けられましたが思ったほどの効果はなく、体力がもたずにいつも途中で断念されていました。漢方薬局も行かれたことがありますが、少し生理が楽になり、頭痛もましになっていたそうです。しかし煎じるタイプではなくエキス製剤だったため、この頃に漢方煎じ薬を出してくれる安心できる病院を探しておられました。

処方:桂枝茯苓丸(エキス製剤)

患者さんにとってリウマチは悪化すればいずれ寝たきりになるか、もしくは激痛を伴う大変な病気と言うイメージでした。なぜならば、ご主人のご両親と同居を始めた頃、お義父さんがリウマチを患い西洋医学の病院へ通院していた傍ら、近所の漢方薬局でも強い痛み止めをもらい、あっという間に指は変形し、口内炎ができ食欲不振でかなり痩せ衰えてしまい、数年後に肺炎で亡くなってしまったからです。(リウマチの現代医療を長期に続けてきた人は免疫の働きが極めて低下するので、最後は感染症の肺炎で亡くなられる事が多いのです。関節の病気であるリウマチそのもので死ぬことはありません。) 他にも身近な人の家族でリウマチで寝たきりの生活を送り亡くなった人達を見てきて、何とかできるものなら治したい、痛みの恐怖から逃れたい気持ちで一杯だったそうです。インターネットでリウマチについて調べていた時、高槻にある当院のホームページを見つけられました。その頃の患者さんはドライアイでパソコンを見続けることが辛かったのですが、それでも私の「革命的リウマチの根本治療法」を何度も読み込み、今までの様々な病気と治療法と処方された薬を思い出しては私の理論にますます納得されたのです。

2002年10月上旬、喘息を患っている次女と一緒に当院へ訪れました。早速、漢方煎じ薬をもらった晩に煎じて飲んでみると、30分もしないうちに体が温まり、血流が良くなっていく感覚があったそうです。その翌朝はとても体が軽く感じられたとのことでした。しかし倦怠感は急には変わりませんでした。受診から5日後にリバウンドが始まり、頭痛が起きたり、体のあちこちが痛くなったり、筋肉痛が起きたりされました。

治療:鍼治療、お灸。

処方:漢方煎じ薬、漢方風呂。

当院を受診して、患者さんは長女の妊娠の時にはすでにリウマチの兆候が見られていたことが判明しました。患者さんは24歳で長女を出産され、27歳で死産、29歳で次女を出産されましたが、長女の時の悪阻は大変軽く、二度目、三度目の悪阻は全くなかったのです。長女の出産後、一時期に手が痛くなり、指先は痺れ、赤ちゃんを抱くことやオムツの交換に大変苦労されておりました。当時は悪露(おろと読み、子宮が収縮して妊娠前の状態に戻るときに子宮内から排出されるものです。胎盤や卵膜が剥がれた傷からの血液、リンパ液などの浸出物や子宮にたまっていた血液や分泌物や粘液が混ざっています。)が通常約30日ほどで終わるのに対して100日も続き、子宮の回復も遅く、産後の肥立ちが遅かったせいだと思い込んでいたようですが、すでに薬漬けのせいでリウマチの症状が抑え込まれていたのでしょう。

(リウマチにせよ、いわゆるアレルギーにせよ誰でもそれらの症状を起こす抗体を作る遺伝子は本来生まれ持っているので、それぞれの抗体がゼロである人は誰もいません。大量のアレルゲンが入ると知らず知らずのうちに一過性にリウマチになったりアレルギーになったりしていると言えます。例えばこの人のように敏感な人はとりわけアレルギー症状を強く記憶しているのです。また私の例でいえば、実を言えば私はアトピーもありますしアレルギー性鼻炎もあります。ただそれを病気と感じたことは無いだけです。私のような一度もアレルギーやリウマチの治療をした事の無い人でも何故症状が少しではありますが残る理由を説明しましょう。言い換えると、私の治療で自然後天的免疫寛容を起こした人でも何故抗体がゼロにならないかを説明しましょう。さらにアレルギーの病識が無い人でも何故アレルギー抗体やリウマチ抗体が微量ながら血液に見られるのかについても説明しましょう。

私の理論では免疫を抑制しない限り最後には自然後天的免疫寛容が自然に生じます。このメカニズムというのは、一度抑制Tリンパ球がある一定の敵に対して補助Tリンパ球や抗体を作るBリンパ球(形質細胞)にIgE抗体を作ることを禁止してしまえば、その抑制Tリンパ球は代々免疫機構の中に残っていくと考えます。ちょうどそれは一度出会った敵は記憶され、次に出会えばすぐに戦えるようにしているのと同じことです。さらに同じ敵に会う度に補助Tリンパ球は記憶を強めるように、同じアレルゲンに出会う度に抑制Tリンパ球は免疫寛容の記憶をさらに強めていくのです。しかしながらこの情報は後天的なものであるので、新たに毎日骨髄で作られている言わば無垢で純粋なTリンパ球は兄貴分たちが自然後天的免疫寛容を起こしていることに気が付いていないのです。従って生またばかりのTリンパ球やBリンパ球は生まれつきの性質を発揮しようとして兄貴たちが共存している敵に対して一時的に命令に出会うまでは抗体を作り続けるのです。しかしいずれ彼らにも抑制Tリンパ球の命令が届き自然後天的免疫寛容が幼弱で新鮮なリンパ球にも貫徹し、症状としてはほとんど気にならなくなってしまうのです。従って自然後天的免疫寛容の意味は二つあるのです。一つはアレルギーを起こしつつあるリンパ球に対して初めて戦う必要の無いことが学習によって後天的にはじめて生じることと、二つ目は子孫のTリンパ球に生まれてくるたびに戦うことの必要の無いことを教えることを意味します。私は初めの頃は一つ目の免疫寛容に力点を置いていたのでありますが、最近では二つ目の免疫寛容の意味を理解できるようになったのです。)

漢方煎じ薬を飲み始めて1ヶ月足らずで風邪をこじらせてしまい、お灸した指からアトピーが出始めたのも束の間、蕁麻疹もアトピーも全く出なくなり、指の痛みもなくなっていました。ただ倦怠感は変わらず継続し、風邪が治るとすぐに蕁麻疹やアトピーが痒くなっておりました。

(何故風邪を引いたときにアトピーの症状が軽減するかを説明しましょう。それは風邪のウイルスに対してはIgG抗体が作られる必要があるのですからIgE抗体にクラススイッチする余裕が無いからです。勿論風邪のウイルスがアレルゲンになるわけではないのですが免疫は総力を持ってIgG抗体を作ることに専念しているので余裕が無いのです。さらにおそらく命を奪う可能性のある生命体であるウイルスを殺すことが免疫の第一義的な仕事であるので、IgE抗体を作ることが無視されるように設計されているからでしょう。その戦いが終われば徐々に殺さなくてもいい異物を排除するように設計されているようです。さらにウイルスをやっつける為に免疫機構全体の働きが高揚しており、その勢いがアレルギーの免疫も高めていると考えられます。)

風邪を引いて数日後、朝目覚めると体がとても軽く感じ、頭はすっきりし、指のアトピーはさらに痒くなっており、体の中から不思議なエネルギーが湧いてくるような感覚を覚えました。この状態が3日間ほど続き、長年あった肩こりもその日以来なくなったそうです。

(漢方や鍼灸は元来血流を盛んにし、その結果免疫細胞の需給が改善され、抑制された免疫が正常に戻ることによって、最後に自然後天的免疫寛容を起こしやすくするものです。この方の場合は、私がリウマチもアトピーも必ず治してあげますという強い確信を伝える前に十分すぎるほどに私の理論を理解しておられた為に、前向きな生き方ができたことが大きな相乗効果をもたらしたと考えられます。私の言ったとおりに痛みがアトピーの痒みに変わり、ますますその確信を深めたようです。)

治療を始めて2か月余りでリウマチによる痛みがまったく無くなり元気な体を取り戻すことが出来ました。初診の時に一緒に受診された次女の喘息も発作が一度も出なくなり、リバウンドで出た蕁麻疹も良くなり、親子で完治することが出来たのです。

(喘息もアトピーも蕁麻疹も全て原因は同じなのです。しかしながら喘息が一番重篤であるので、アレルゲンを皮膚から出すのが一番合理的であるのです。もちろんアレルゲンを狭い気管支の粘膜からではなく一番広い外部に接している皮膚からアトピーや蕁麻疹として出すように人間の体は出来上がっているのです。最後には喘息も皮膚の症状として入れ替わり、治ってしまうのです。)

症例報告7例目

病名:関節リウマチ アトピー 喘息

リウマチを発症されてから4年後に当院を受診し、ステロイドとストレスにより重いリバウンドに苦しんできた方の報告です。

患者:当時44歳、女性

幼少の頃からアトピー性皮膚炎と喘息を患っており、近くの病院で既にステロイド軟膏や錠剤や週に1回の注射をされていたそうです。これらの薬はすべて一時的に症状を楽にするだけで見えないherpesが増えるだけでいずれ自己免疫疾患というherpesの戦いが遅かれ早かれ出てくるのです。中学生頃になると喘息の症状が出なくなり、通院をやめて錠剤と軟膏を止められました。酷い湿疹が20代半ばまで続き、時々ステロイド軟膏を塗って凌いでいました。

2008年9月頃に鼻づまりが酷く、味覚と嗅覚がなくなり、鼻に少し触れただけで激痛が走り出したため、耳鼻科を受診するもアレルギー性鼻炎と診断され、抗アレルギー薬と点鼻薬を使っていましたが良くならず、むしろ夜間に喘息発作の様な症状が頻繁に起こり出しました。味覚と嗅覚がなくなり、鼻に少し触れただけで激痛が走ったのもherpesが原因です。味覚が消えたのは第八脳神経にherpesが感染したためであり嗅覚がなくなったのは第一脳神経にherpesが感染していたからです。鼻に少し触れただけで激痛が走ったのも鼻の粘膜の痛覚神経にherpesが感染したためです。年末ごろに喘息の発作と両瞼の酷い腫れが起こり、両手首関節の痛みと腫れが現れ出しました。両手首関節の痛みと腫れは関節にもherpesが感染したためです。総合病院の内科、耳鼻科で検査するも原因不明と言われ、はっきりしたことがわからないまま抗アレルギー薬と吸入薬を処方されるも症状が変わることはありませんでした。この世に原因の不明な病気は何もありません。

処方:ジロマック錠、ノイチーム、ムコダイン、キプレス、アドエア吸入薬。

2009年5月頃にリウマチ・アレルギー内科を受診され、血液検査の結果によりリウマチと診断されました。しかし数日後にアナフィラキシーショックでICU(Intensive Care Unitの頭文字を取ってICUと略し、日本語で集中治療室と訳します。)へ救急搬送されたため、アレルギー反応を起こした原因がわからないとリウマチの治療投薬ができず、また患者さんの諸事情により検査入院ができなかったために、医師の指示により毎日摂取した食物、行動の記録を取り始めました。また喘息発作を防ぐためにアドエア吸入薬とシングレア服薬を服用されました。しかしその後、あちこちの関節が痛むようになってしまいました。

処方:アドエア吸入薬、シングレア服薬。アドエア吸入薬はステロイド吸入薬。

シングレアは、ロイコトリエン阻害薬(LTRA)であり、主に気管支喘息や遅発性のアレルギーを抑える免疫抑制剤です

のちにまたアナフィラキシーショックを2回起こしましたが、原因が分からず、アナフィラキシーショックとは何でしょうか?アレルギー抗体であるIgEによる全身アレルギー反応(I型アレルギー反応)です。生体内に化学物質の異物(抗原)が侵入 すると、特異的な IgE 抗体が産生され、肥満細胞・好塩基細胞の細胞表面にある高親和性レ セプターに付着します。そのような状態になっている個体が、再び同じ抗原に曝露されると、この抗原とこのIgE抗体との反応が生じて、肥満細胞・好塩基細胞から、ヒスタミンなどの chemical mediator (化学伝達物質)が遊離し、血管拡張・血管壁透過性亢進・気道平滑筋収縮・浮腫 などが起こり(即時型過敏反応)、それに基づいて多彩な症状を発症する病態です。 ショックとは?急性の循環不全を呈する状態で、血圧が低下し、組織に十分な血流が得 られず、主要臓器が低酸素となる状態で、様々な症状・所見が出てきます。このようなアナフィラキシーショックが生じるのもステロイドを長年の間使いすぎたのでアレルゲンが体内に貯まり過ぎ IgE 抗体もだんだん蓄積されて免役が少しでも上がりかつ少量でもアレルゲンが取り込まれる突然のリバウンドが起こるとアナフィラキシーショックが起こるのです。リウマチ治療もできないと言われ続けステロイドの吸入と免疫抑制剤を服用し続けておらましたが、このままステロイドや免疫抑制剤を使い続けることに不安を覚え、患者さん判断で服薬と受診を止めてしまいました。しかし、継続してあちこちの関節が痛むのに加えて右足の薬指にかなりの腫れと痛みが出始めたため、もう一度アレルギー内科に受診され、症状が酷いときにリンデロンの服用とシングレアとアドエア吸入薬の服用を再開されました。

処方:リンデロン、シングレア、アドエア吸入薬。

アドエア吸入薬はステロイド薬・β2刺激薬配合剤の吸入薬で気管を広げます。リンデロンはベタメタゾン吉草酸エステルというステロイド成分で、ステロイドの強さは「ストロング」に分類されます。

治療を再開してから1ヶ月が経過すると、左脚全体が肥大化し皮膚が変質して熱をもつようになり、痛みで歩くことも、じっとしていることも辛くて難しくなってしまいました。しかし、それでも内科、皮膚科を受診するも原因不明と言われていたそうです。

右足の薬指、親指の炎症が悪化してしまい、リウマトレックスを週に4錠の服用を始め、痛みが酷い時はセレコックスとアシノンも服用されておりました。数時間から数日ごとに特に肩などの体中を移動するように激しい関節痛と筋肉痛が起こったそうです。体の疼きで寝返りや立ち上がりが困難になってしまい、蕁麻疹や痒みのない赤い湿疹も出てきました。段々右足の薬指と親指の炎症が悪化していき、就寝時に薄いタオルが乗っただけで激痛が走って歩行が辛く、外出時に杖をついて歩ける時もあれば、仕事に行けない時もありました。症状に合わせて病院にてリウマトレックスが週に5錠に増量されました。

リウマトレックスは関節破壊を抑止する薬としてほぼ第一選択として用いられ、世界的に今日の関節リウマチ治療の基幹薬となっている。この薬剤によって関節破壊の進行を遅らせることができるようになったが副作用もきつい。ビタミン9である葉酸を活性型葉酸にする酵素の働きを阻止することにより、核酸合成を阻止し、細胞増殖を抑制するのみならず、免役グロブリン産出抑制、抗体産出抑制、リンパ球増殖抑制などにより、免疫を抑制する。何故リウマトレックスは関節破壊を抑止することができるのでしょうか?コラーゲンの多い滑膜組織や軟骨組織のコラーゲンを分解するコラゲナーゼの産出を抑制するので結合組織である滑膜を破壊しないので関節破壊の進行を遅らせることができるようになったのです。

処方:リウマトレックス週に4錠→週に5錠、セレコックス、アシノン。

セレコックス錠は痛みや炎症の原因となる生理活性物質であるプロスタグランジンの産生をおさえるので 炎症による痛みやはれをやわらげます。

右足親指の腫れが少し軽くなってくるも親指を動かそうとするとピクリとも動かず、整形外科にて腱が切れているか伸びきっているなど色々言われたもののはっきりとした原因は分からず、さらに後頭部右部の痛みが続いて首を回すことができなくなり、さらに肝機能の数値が良くないと診断されフォリアミンを週2錠を服用されてしまいました。

2013年、体中を移動して起こる関節の痛みと筋肉痛は変わらず起こっており、右足の親指と薬指の炎症が良くなったり、悪化したりを繰り返され、首の痛みも悪化し横になると自力で頭を持ち上がれなくなってしまい、さらにリウマトレックスを週に6錠へ増量されてしまいました。

処方:フォリアミン週に2錠、リウマトレックス週に6錠。

フォリアミン錠は葉酸製剤であり、葉酸製剤とは、ビタミン9である葉酸を補い、リウマトレックスによる葉酸欠乏をふせぐためです。

2013年6月頃、やっと当院を見つけ受診されました。食前と食後の2種類の煎じ薬を処方し、患者さんは早速その日のうちに漢方煎じ薬を飲まれました。早速リバウンドが起こり、数日右耳下のリンパ腺あたりが腫れ、両足親指の腫れ、首の痛み、全身のあちこちの関節の腫れ、打撲のような筋肉痛のような痛みが移動したり、肋骨の局所的な痛みが一時的に消えたり痛んだり、また痛みや腫れが起こったりと1日で変動する状態が続いたとのことです。

1ヶ月後、上腕にドーナツ状のデコボコした紅斑(herpes性紅斑が四肢に広がり、特に痒みはなくどんどん広範囲になっていき、擦るとリンパ液が出て酸っぱいニオイがしたそうです。紅斑に続き、手のひらや足裏に水疱が広がり出て、皮が薄く剥がれ出していきました。それから1週間後、手のひらや足裏の表面にチカチカした感覚が常時続くようになり、さらに水疱を覆っている皮が硬くなり、直接触れても触られた感覚がなくなり、手足が肥大化していかれました。また唇が腫れ、2~3週間腫れが続きピリピリするようになったとのことです。

以上の症状はすべてherpesの症状です。以下の症状のすべても免疫がherpesを処理するときに必然的にみられるのです。何故ならばリウマチの原因はherpesそのものであり、決して自分の過剰な免疫が自分を攻撃した結果生じた病気ではないからです。世界中の大秀才の集団である医者たちが知らないわけはないのに何十年も噓がまかり通っているのはなぜでしょうか?やはり資本主義経済ではお金が一番大切だからでしょうか?病気を治すと医者の仕事がなくなるからでしょうか?皆さん自分の頭で答えを出してください。

2013年8月頃、手足のチカチカ、ピリピリが悪化し、手首と足首より上の方へ広がっていきました。仕事でペンを持つこともパソコンでキーボードを打つこともビリビリした刺激で困難になり、座っても立っていてもビリビリ感が辛く、じっとしていることが出来ないため、立ったまま足踏みをしながらデスクワークをされていたそうです。膝上からつま先にかけて脚が肥大化し、皮膚が赤黒くなり、うっ血しているような痛みと、脚の中を引っ搔き回されているような酷い痛みが常にありました。

唇の腫れぼったさが口内にも広がり、口の中がまるで長時間飴を舐めた後のような、水分を取られたような、口の中がギスギスした感じになり、舌の裏に大きな口内炎が出来始めました。当初、患者さんは口内を火傷したのかと思っていたそうですが、日増しにギスギス感が酷くなり、食べ物を喉まで送ることが出来なくなってしまいました。口内全体が真っ白になり、舌がツルツルになり出汁でも沁みるため、固形物を食べられなくなってしまいました。栄養補給ゼリーで空腹を満たしていましたがそれでも刺激に感じられ、8月下旬にはほとんど食事ができなくなってしまいました。一握りのご飯でお白湯に近いお粥を作り、かなり時間をかけて流し込むようにして食事をとっていたそうです。

リバウンドのヘルペスの症状による体中の痛みはますます悪化していき、横になると激痛で自力で頭を上げられなくなってしまい、足の指に1㎝~1.5㎝ほどの巨大な水ぶくれが複数でき始めました。破れるといけないと思い針で刺して水だけ抜こうとされましたが、水を抜いた後が熟したトマトのようにグジュグジュと真っ赤な身が剥き出しになってしまいました。他の水ぶくれも破れてしまい激しい痛みに襲われてしまいました。日に日にまるで殴られたような赤紫へ変色、変質していき、体のあちこちの痛みと不快感で睡眠も取れなくなり仕事にも支障が出始めたために8月末に退職されました。

退職したことでホッとしたためか、手足のピリピリ感がビリビリ、ヂカヂカ感へと悪化し、膝上からつま先までの激しいむくみが四肢全体に広がり、真っ赤な皮膚が赤黒く変色し、部分的に爬虫類のようなガバガバと硬い皮膚になってしまいました。足裏やその他の部分は皮膚が薄く、少し物が触れたり摩擦があるとビックリするほど激痛が走るようになられました。この頃から体を起こすことも辛く寝たきりの毎日を過ごすようになったとのことです。

目の周りの変色と変質が進み、リンパ液が流れ出して止まらなくなられました。さらに体で感じる温度に異変が起こり、腹部からつま先まではストーブに当てられたように熱く感じますが、首や肩辺りは凍えそうに寒気を感じるようになられました。熱さと脚の皮膚の下を掻き回されるような異常な痛みで肩にはフリースをかけ、脚にはアイスノンを当てて冷やし、タオルケット1枚で過ごされていたそうです。

当院を受診して4ヶ月が経った10月頃、右眼を動かすと目の中に丸い光が移動して見えるようになり、同様に左目にも同じ光が走り出したそうです。焦点が合わなくなり文字が読みづらくなり、眼に走る光が数カ月間続きました。

週2~3回漢方風呂に入るのが精一杯で、ある日洗髪していると両手にごっそりと髪が抜け落ちたとのことです。頭頂部が少し薄くなってきたので少しでも頭皮への負担を減らそうと腰まであった髪を短く切られましたが脱毛は止まらず、12月中旬にはほとんどの髪が抜け落ち、頭皮はブヨブヨと柔らかい皮膚になっておりました。

胴体部は湿疹はあるものの普通の皮膚でしたが、それ以外は人間の皮膚とは思えない色と肌質で、布団に横たわって息をしているだけで精一杯な状況でした。はっきりとは覚えてないとのことでしたが、ある日顔の産毛が真っ白になっていたそうです。眉毛はほぼほぼ抜けて残りの生えている数本は真っ白で、当時のメモに「白いまつ毛が数本」と残されておりました。

熱を持ち、赤黒くむくみ上がった膝から下の痒みがひどくなり掻き毟るたびに1日何度も大量のリンパ液と血でタオルをビショビショにさせました。掻き傷の痛みに加え、皮膚の下を搔き回されるような痛みと熱感で足全体が酷くうっ血した感じで本当に辛かったと患者さんは言われておりました。

12月中旬、ズルズルとしていた膝から下は痛みと熱感、皮膚がピリピリ、チカチカする感じ、うっ血した感じに変化が見られないものの、皮膚が少しずつ乾燥し始め、流れ出るリンパ液や出血が減少していかれました。まだ足裏のピリピリ感があり、バスマットの上に立つのは辛く、太腿から膝、腕は皮膚が硬く見た目は象の皮のような蛇腹ホースのようで赤紫もしくは赤黒いままだったそうです。

8月から口内の痛みで歯磨きもろくにできず、口を漱ぐことも難しいことになっていました。歯茎が下がり、虫歯もできましたが歯科での治療は口が痛みで大きく開けられず思うように治療が進めなかったとのことでしたが、内頬のただれがほんの少し良くなってきたため、低刺激のマウスウォッシュ液でそれでも激しく沁みたようですが口を漱ぐようにしました。舌はまだ真っ白のツルツルで口内炎も残ったままでした。

一握りの髪を残して禿げた頭にタンポポの綿毛のような白い産毛が生え始めてきました。顔のただれは随分と軽くなりましたが顔全体に酔っぱらっているような赤みがあったそうです。ある日、患者さんが鏡を見ていると口角を上げているつもりが、顔の表情が全く変わらなくなっていたのです。約4か月間、口内のただれと酷い口内炎で食べ物を噛むことも、話したり笑ったりすることもできず顔の筋肉を使っていなかったためでしょう。患者さん曰く、これまでもショックと不安の連続でしたが、この時も恐怖と不安で一杯になっていたとのことでした。その後は布団の中で毎日口を大きく開けて「あ、い、う、え、お」と声を出す練習を始めたそうです。

当院で治療を始めて1ヶ月後~5ヶ月間、激しい痛みや痒み、そして不安と恐怖で1日通してほとんど睡眠がとれない状態が続きました。体が辛かったのはもちろん、精神的にも正常な状態でいることは難しいことです。絶対に治ると信じていてもリバウンドでこれからどんな症状が出てくるのか、いつまで続くのか、考えただけで怖くて怖くてたまらなかったと当時を振り返って仰っておりました。働くこともできずただ横になり、加えて苦痛で泣き続ける患者さんの姿にご家族の方は胸を痛めて、患者さんもそんなご家族の心配に心を痛めておりました。

年が明けた2014年1月、症状が治まったことはありませんが肋骨あたりで打ち付けた様な痛みが再度悪化されました。息を吸うだけで痛むほどでした。何でもいいので少しでも良くなって前の生活に戻れるようにと、人に会えるような心境ではなかったものの家の周りをウォーキングするようになられました。皮膚や禿げた頭が辛くて悲しくて、誰にも見られたくなかったため、マスクにニット帽にさらにフードを被って歩いておられたとのことです。

2月~4月、ずっと赤黒く爬虫類のような皮膚だった首の湿疹が随分と軽くなり赤黒さも薄まってきました。目の周りのリンパ液は出なくなったものの、まだ赤黒くプツプツと赤い湿疹が出ており、酷くなったり軽くなったりを繰り返されました。両頬の皮膚も柔らかくなり肌色に戻ってきていたのですが、急に両頬と顎に連なった大きな濃茶のシミが現れ、遠くからも見えるほどでした。

両脚の膝上から足の甲までは、まだ皮膚は硬く、触れても直接触られている感覚がなく、夜中もほぼ足を掻いて眠れないままでした。しかしリンパ液はほとんど出なくなり数か月前とは比べものにならないほど楽になられたとのことです。それでも心身ともに負担はまだまだありました。しかし数年間腫れ上がり炎症が続いていた右足親指の関節は、左脚と同じくらいに小さくなりました。まだ親指を動かそうとしてもピクリともせず、関節は固まっているため踏み込んだりはできませんでしたが、足裏全体をつけて立てるようにまで戻られました。

その後、首と後頭部に痛みが起こったり、体のあちこちに蚊に食われたような丸い蕁麻疹が時々出てきたり、腰から下に紅斑があちこち出てきたり、左手親指の付け根に4日間ほど炎症が起こったり、右肩の関節の痛みと周辺の筋肉痛が1週間ほど続いたり、右足親指の付け根の関節が酷く腫れ痛むのを1週間ほど繰り返したりと、身体中のあちこちの関節痛や筋肉痛を繰り返されました。皮膚はまだ変質したところが多かったとのことです。

当院で治療を始めて3年が経過した頃、数年間ずっと炎症で腫れあがっていた両足親指と薬指の関節はまだ曲がっていたり固まっていましたが、腫れが引いてきました。また、踏み込んだりつま先立ちは無理でしたが、足裏全体を地面につけて立てるようなりました。全く動かせなかった両足親指も指先の方だけですが少し動かせるようになりました。少し無理をしたり、ストレスを感じたりするとヘルペスウイルスによる関節や筋肉痛の移動する痛みを起こすようになるまで良くなっていかれました。

リバウンドで抜け落ちて真っ白になった身体中の毛のうち、まつ毛はほぼ元の黒色に戻り、髪の毛は半分近く黒い髪に戻ってきました。その他の毛はまだ白いままですがこのまま順調にいけば元の黒髪に戻るでしょう。酷くただれて赤黒くガバガバに変質した四肢の皮膚はまだ元に戻るには程遠い状態で毎日掻いて皮が剥げて、また掻いてを繰り返しておられました。

現在も当院を受診されておりますが、髪はほとんど黒くなり、まっすぐ立って走れるようにまで良くなり社会復帰もされリウマチの痛みは消えました。他の病院ではどこも原因不明と言われていた体中を移動する激しい痛みも今では出なくなりました。

症例報告8例目

病名:関節リウマチ

初めは娘さんの潰瘍性大腸炎で当院を受診され、のちにご自身の病気を治療された患者さんです。

患者:当時54歳、女性

最初は潰瘍性大腸炎と診断された当時19歳の娘さんの治療のために当院を受診されました。ある日、便に血が混ざっていたため、地元の病院に受診すると潰瘍性大腸炎と診断されたそうです。担当医から腸を全摘しなければならないとか、一生薬を飲み続けなければいけないと説明を受け、娘さんにそんな治療を受けさせたくないと思い、当院を受診されたそうです。ご友人のアトピーのお子さんが当院を受診され症状が良くなったのを身近に見てきたため、当院のホームページを熟読されてから通院することを決意されたとのことです。

西洋医学の薬を飲ませず当院で治療されたため、クラススイッチを起こして潰瘍性大腸炎からアトピーに切り替わり腕にアトピーと頭皮からフケのようなものが沢山出て、わずか7ヶ月で潰瘍性大腸炎の症状が良くなりました。それから1年後に軽い出血が起きましたが当院の薬を飲んで数か月で治り、それから今まで病気は再発されておりません。

脱線してしまいましたが、お母さんのリウマチの症状は15年前くらいに朝起きた時にこわばりを感じられました。当時はこわばりが軽くすぐに治ったためにその場はそのままにされました。しかし、そのうちに左手中指の第一関節が少し痛くなり、やや出っ張りも起こりましたがそれでも軽いものだったのでそのまま放置されました。

2012年6月、左手に力が入らなくなり軽い物も持ち辛くなったので当院を受診されました。受診して1ヶ月で力が入るようになりましたが、朝起きると軽いこわばりがまだ残っていたため、患者さん曰く人によっては気にしないぐらいのこわばりだったそうですが薬を飲み続けアトピーに切り替わるのを持ち続けました。それから3年経った7月頃、気が付くと左手親指の関節と付け根が痛くなり、関節が動かし辛くなっていたとのことです。この頃から腕と首の後ろにアトピーが出始めました。しかし、仕事にも行け、見かけ上でも患者さんがリウマチだと気づかれないほどの症状でした。

現在でも遠方のため、電話診察を行ってお薬を郵送して治療を続けておられます。ストレスが起こると関節が痛くなることがありますが、それ以外は普通の生活を送られております。

症例報告9例目

病名:関節リウマチ

関節リウマチと診断され20年もの間、西洋治療を行っておりましたが腎臓や肝臓や骨密度などの薬害に限界を感じ、当院を受診され完治された方です。

患者:当時54歳、男性

最初は肩の痛みから関節炎と診断され、錐で関節の中を掻き回るような痛みが頻繁に起こり、夜に痛くなると我慢できず寝室から出ていき一晩中起きていたほどの痛みでした。しかし、2~3日すると痛みが消えていたそうです。のちにリウマチと診断され、一生治らない原因不明の病気と言われた時はショックが隠せられなかったとのことでした。患者さんは仕事に支障がきたさないようにと、最初は痛みが起こり始めそうになると痛み止めと胃薬だけ服用していたのが抗リウマチ薬とすぐ併用するようなりました。シオゾール金製剤注射を受けた際にあまりにもしんどくて車で自宅に帰るのがギリギリだったこともあったそうです。ステロイド剤が怖いものだと何となく頭に入っていましたが、症状が酷い時でも連用だけはしないようにして服用されていたそうです。前の内科医に「私も痛い時は飲んでいるから」と頓服として半錠のおそらくプレドニゾロン錠0.5㎎も一緒に処方されていたためです。当時はネットもなくむやみに飲まないように飲む薬を薬の本を買って調べておられました。シオゾール金製剤注射月に1~2回、筋肉内に注射します。主な副作用は、皮疹、胃腸障害、蛋白尿などで、稀に薬剤性の肺炎を起こします。昔はよく使用されていましたが、最近は新たに投与されることは少なくなっています。

前の病院での処方:痛み止め薬、胃薬、シオゾール金製剤注射、リマチル、リドーラ、オークル、カルフェニール。

リマチルは一般名はブシラミンで免疫系の働き抑えます。T細胞の増殖を抑制する作用が強い。リドーラは 内服の金製剤です。副作用としては下痢や軟便が多く、皮疹もあります。何故金製剤が良く効くのか不明です。オークルは抗アレルギー作用、サイトカイン産生抑制作用、蛋白分解酵素の産生抑制作用、血管新生抑制作用、細胞接着抑制作用などにより、抗リウマチ作用をしめします。カルフェニールは現在は諸般の事情により販売を中止させられましたがくわしい理由は分かりません。

抗リウマチ薬が効いてくるまで2日仕事され、1日痛みで寝るといった生活をされておりました。肩、股関節、肘、足首、首、顎に痛みがあり、カルフェニールで落ち着いていたのがだんだん年数が経つにつれて効かなくなっていきました。

1998年に患者さんのご両親が相次いで亡くなってしまい、無理を重ねてしまったために気が付くと左肘がくの字型に変形し、両足の外反母趾が酷くなり中足骨の末端に圧がかかるようになりタコができてしまい、また山型に変形第2関節が靴などに擦れて上下にタコができてしまいました。もう板の間は素足では今でも歩くことができなくなってしまいました。前の内科医は「変形しても心配しないで、近くの市立大学病院に紹介するから」と手術と人工関節の説明を受けたそうですが、この内科病院は他県で移動がしんどく、近くの整形外科のリウマチ科に変えられました。ここでの処方も変わりなくカルフェニールと痛み止めと胃薬でしたが、頻尿がひどくなり夜中に1時間おきに8回ぐらいトイレに行くようになり、湿疹も酷くだんだん効かなくなってきたとのことでアザルフィジンENに変更されました。

前の病院での処方:カルフェニール→アザルフィジンEN、痛み止め、胃薬。

アザルフィジンENは消炎鎮痛剤で効果が得られない時に使用される免疫抑制剤。

患者さんは真面目に医者の言う通りに薬を毎日朝昼晩と飲み続けておりました。しかし、アザルフィジンENに変えて数年後に蛋白尿が出るようなり+、+1とずっと出るようになってしまいました。そのうち、アザルフィジンENも効かなくなり蛋白尿が+2、+3となりとうとう次に変える薬がなくなりました。ずっと断っていた抗がん剤のリウマトレックスを処方され、夕方1回飲んで翌朝になると、患者さんの奥さんが患者さんの顔が土色に変色していたためすぐに病院へ行くと蛋白尿が悪化しすぐリウマトレックスの使用が中止となり、生物学的製剤のTNF阻害薬(レミケード、エンブレル)に変えられました。また前医者に一度腎生検を受けるように強めに言われたそうですが断り続けていたそうです。

前の病院での処方:リウマトレックス→レミケード、エンブレル。

レミケードは一般名はインフリキシマブで、抗ヒトTNF-αモノクローナル抗体です。リウマトレックスは一般名をメトトレキサートであり、葉酸代謝拮抗機序をもち免疫抑制剤です。インフリキシマブは、抗ヒトTNF-αモノクローナル抗体です。

その頃、左肩、左肘、右手首、右膝、左足首、手の指などが痛み、特に左膝が酷く骨か何かがギコギコと鳴っていたそうです。あれだけ断っていたステロイド剤を膝に注射するようになり、仕事がきつい時や次の日に大事な用事があるときに左に2本、右に4~5本膝にステロイド注射を打ってしまいました。しかし半日も効かなくなり出し、このまま治療を続けることに限界を感じられ、当院で治療をすることに決意されました。

前の病院での処方:ステロイド注射。

以前から当院のホームページを見つけて知っていたのですが、私の論文や以前まで掲載していた患者さんの手記をよく読んで頂いていたため、当院で治療を行うと20年間抗リウマチ薬やステロイドを使ってきた分のリバウンドがやって来ることが容易に想像できたそうです。またクラススイッチしてからのアトピーも相当酷くなると思い、仕事はどうなるのか、奥さん一人に負担をかけることになると思い通院を諦めていたのです。そんな時、大学を卒業した娘さんが患者さんの体調が思わしくないことを聞き、家業の手伝いを買って出てくれたおかげで、申し訳ないと思いつつも当院で治療を行えるようになったのです。

2008年7月初め、奥さんと一緒に当院へ受診されました。その当時、膝がかなり痛んでいたため、階段の上り下りが大変だったと思いますが、それでも電車で3時間かけて高槻の当院まで来られました。私と力強く握手を交わしたことは何よりの励みと絶対に治るんや!と患者さんの自信につながり、後々のリバウンドを乗り越えることができたとおっしゃっていました。

当院での処方:漢方煎じ薬、漢方風呂、お灸、抗ヘルペス剤。

当院での診察後、鍼灸師から鍼灸を受け、自宅でのお灸のやり方と漢方入浴や漢方煎じ薬の煎じ方の説明を受けてもらい、何かあれば私に連絡が入るように個人の携帯番号を教えました。

患者さんは帰宅するとすぐに今まで前の病院で処方された薬をすべて処分し、当院の治療を行ってもらいました。治療を始めて40日ぐらいは何の変化も起こりませんでしたが、お盆ぐらいからだんだん一人では歩きにくくなっていかれたとのことです。それからの痛みは想像を絶するもので、2階への階段が登れなくなり1階へ行動範囲を移動し、さらに膝が伸びなくなり寝ることさえ苦痛で1時間も眠れなくなってしまいました。目が覚めると痛みと体が固まっており、寝返りを打つのも泣きながら打っていたそうです。横を向いて眠っていると左肩が痛み、首に引っ付いて離れなかったそうです。自分の足の重さや手の重さや羽布団の重ささえ腹が立ち、しまいには地球の重力にも腹が立っていたとのことです。

2008年10月中旬、両肘が痛み、左の肘は約5度しか動かせられませんでした。右膝の痛みが強く、階段の上り下りで膝の中の骨が擦れてガキ、ゴキと音が鳴りっぱなしだったとのことです。

朝起きると右膝に激痛が走り、ベッドに座り立ち上がるまで30分はかかっていたそうです。杖が1本から2本になり、2本で必死に歩いておりました。それでも営業の配達や得意先回りは娘さんに任せ、運転だけは頑張っていたそうです。自動車に乗り込むのと降りるのが死に物狂いだったようですが、1日中寝込むことはなかったとのことです。

2009年1月に長男の結婚式が大阪のホテルだったのでマイクロバスを借りて家の前からホテルまで直行してもらい、この頃一番リバウンドがきつかったので患者さんはずっと車椅子でした。

2009年6月中旬、右足膝が良くなっていき腫れもだいぶ治まったものの、左足が曲がりにくく痛みが出てきました。頭皮がカサカサと痒くなるのと、耳の後ろ辺りが痒くなるぐらいの軽い症状が出てき、血液検査もリンパ球が基準値以下の16~17ぐらいで酷い時には8.9まで低下していました。膝が最終的に伸びるかどうか心配しつつも前の病院で治療していたときよりも比べ物にならないくらい気持ち的に良くなってきたとのことです。

2010年の春頃に左肩の痛みがやっと無くなり、右肘の痛みも取れ左足も少しずつ良くなり始め、1人で2本の杖をつきながら車で配達に行けるようになりました。

しかし、8月頃電話を慌てて取りに行って、敷居に足を引っかけ右側に傾きながら思いっきりフローリングの床に転倒してしまいました。股関節の辺りが痛みましたが、しばらく仕事を続けていたそうです。ですが、その後打った所が激しく痛み、38度の発熱が全く下がらなかったため、1週間後に車椅子で近くの整形外科に行き、レントゲンを撮ると大腿骨頸部骨折で完全に折れておりました。担当医から骨癒合が最もしにくい内側骨折で骨頭壊死、偽関節形成の恐れがあるため、人工関節をしなければならないと言われ、患者さんはその場ですぐに私に電話されました。患者さんは私の論文と患者さんの手記を読んで、人工関節をしている人はその人工関節の部位で異物と接触して炎症を起こし続けクラススイッチがなかなか起きにくくなると考えたからです。私は電話で整形の担当医とかなり相談し、近くの市民病院の紹介状を持って盆明けに診察へ行き即入院となりました。人工関節かボルトで留めるかの2つの選択肢がありましたが、骨頭壊死と偽関節形成が起こるまでの猶予がおよそ2年だったため、骨頭が腐るまでにリウマチを完治させ、その後に人工関節にするということを私と奥さんから言われて患者さんはボルトで留める手術を受けられました。漢方煎じ薬とお灸は血流を良くするために手術前後2週間は漢方煎じ薬とお灸を止めるように指示しました。無事に手術が終わった後、骨折に効く漢方煎じ薬を処方し、何かあればすぐに私へ連絡を入れるように伝え、患者さんも何かあれば頻繁に私に連絡をされました。

そして翌年の2011年7月頃、世話になった娘さんの結婚式で娘さんとのバージンロードを杖1本で一緒に歩くことが出来るまでに回復されました。バージンロードを歩きながら、初めてのお灸の際に娘さんに夕食後に肩や膝や肘にお灸をしてもらっていたそうで、熱いだのお灸が太いだの患者さんが文句ばっかり言って怒っていたのを娘さんは文句1つ言わずにお灸をしてくれていたのを思い出したりしたとのことです。

骨折の方は1年と3ヶ月かかりましたが無事に引っ付くことができ、整形の担当医も大変驚かれたそうです。

さらに翌年の2012年1月終わり頃、インフルエンザにかかってしまい、インフルエンザに効く漢方煎じ薬を処方して治ったのですが、その後にインフルエンザのような症状が出て、胸に激痛が起こりかなりしんどかったそうです。しばらくすると左胸に背中にかけて幅15㎝で角度200度ぐらいの見事な帯状疱疹が出てきたのです。私はベルクスロン(アシクロビル)と漢方煎じ薬を処方し、のちに綺麗に完治しました。また帯状疱疹が出ていた間はリウマチの症状が治まり、いつも痛んだ左膝が嘘のようによく曲がるようになり、痛みもなくなっていました。しかし、帯状疱疹が完治するとまたリウマチの症状が元通りに起きてしまいました。

当院での処方:アシクロビル錠、漢方煎じ薬。

2013年1月、左膝が痛み、右手中指第二関節が腫れていましたが、仕事で20㎏~30㎏の重いものを持ったり、配達で杖をついて歩いて膝に負担をかけていました。今までは少し無理するとすぐあちこち痛みが出てきてどうしようもなかったのが、少々無理しても右膝と右手中指第二関節以外は痛みが起きなかったそうです。患者さんの周りの人からは「どこ病気なん?そんな元気そうで顔色よろしいのに」とよく言われたそうです。

どんなに普段、有機の野菜や米をはじめ化学物質を使っていない飲料、身の回りのものは電磁波に気をつけて、鍋一つにしてもアルミ鍋は全部捨てステンレス製にし、白砂糖は絶対にだめと、気を付けていても石油からできた化学物質の固まりである薬を飲み続け、良くなるどころか悪くなる一方だったのです。

リウマチは東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターに行こうが近所のリウマチ科に行こうが基本は変わりません。免疫を抑制する抗リウマチ薬やステロイド剤を使い続けて内蔵がボロボロになり、免疫が落ちて感染症にかかりやすくなり、薬剤性肺障害などで命を落とします。生物学的製剤は強力に免疫を抑えます。残りの人生墓場に行くまでずっと打ち続けなければなりませんし、その間は感染症に怯えなければなりません。炎症反応を強力に抑え込むことで、感染症になった時の自覚症状、他覚所見が希薄になるため、感染が重症化しても気が付かないのです。何とも恐ろしいことです。他院で年40〜60万円の治療費を払い、少しずつ少しずつ、破壊も進行していきますよ。残念ながら。

娘さんは生理痛が酷く1~2日は必ず寝込んでいましたが、当院で処方した漢方煎じ薬ですっかり元気になったそうです。

現在は杖なしで歩けるようになり、股関節などの痛みも減りましたが、頑張り過ぎたりストレスがあると痛みが出てくることがあるので、今でも抗ヘルペス剤を飲んでおります。

-アトピー性皮膚炎, リウマチ性多発筋痛症・線維筋痛症, 未分類, 気管支喘息, 潰瘍性大腸炎・クローン病, 症例報告, 自律神経失調症, 関節リウマチ
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