まず医学とは何かについて述べざるを得ません。辞書的に定義されている医学とは次のようです。『医学とは、生体の構造や生理機能についての探求や、疾病の性状、原因について調査し、その診断、治療、検査、予防等についての研究診療を行う学問である』
この定義に従えば、西洋医学が東洋医学よりも遥かに医学の名に相応しい医学です。解剖学、生理学、生化学、免疫学、検査医学においては東洋医学は西洋医学の比ではありません。診断学においては必ずしも西洋医学が優れているとは考えられません。西洋医学の診断による病名は何万とあります。これは症状診断名というべきであって、病気の原因を極めれば6つしか病気はないものですから、病名を作り過ぎて一般大衆を恐怖のどん底に陥れるだけで、医学に相応しい診断学とは考えられません。原因による6つの病名は一つ目が感染症であり、2つ目はアレルギー・膠原病であり、3つめは成人病であり、4つ目は心の病気であり、5つ目は癌であり、6つ目は医原病であります。あえて7つ目を言えば遺伝子病であります。全ての病気はこの7つのカテゴリーに分類できます。次に予防医学については、ワクチンは予防医学の華といえます。しかしながら漢方も先天免疫を上げることができるので予防医学はワクチンほどではないのですが、確実に有効であることは言うまでもありません。さて、最後に残されたのは治療医学であります。治療医学のために今まで述べた医学の分野があるといえます。病気を治せない医学は医学の名に相応しくはないのは当然でしょう。その意味では全ての医学は病気を治す為の治療医学のはした目といえるでしょう。
東洋医学が脚光を浴び出したのはつい最近です。どのようにして東洋医学が西洋医学に駆逐されていったのかについて考えてみましょう。そして再び東洋医学が日の目を見るようになったのかについても述べてみましょう。
西洋医学が日本に入りだしたのは長崎の港からオランダから入ってきた蘭学が走りです。杉田玄白らによって書かれた解体新書は1774年でした。これらはそれまで日本で行われていたいわゆる東洋医学に飽き足らず、病気の本質を見出そうとまず人体の構造を明らかにしたいと考えたのです。それまでの中国や日本の医学は病気の原因も知る術もなく、ただただ五感を用いて病気を治そうとしただけでした。もちろん西洋医学も解体新書が書かれた1774年当時は西洋医学の揺籃期であり、東洋医学とは大差はありませんでした。1796年にエドワード・ジェンナーによって天然痘のワクチンが初めて行われましたが、彼も何故牛痘を人間に摂取することが天然痘を防止することができるかについては原理を全く知らなかったのです。ただ経験的に乳絞りの女性が牛痘にかかると天然痘にならないことを観察して、天然痘のワクチンを発見したのです。この当時はもちろんワクチンという言葉さえも意味さえも理解されていなかったのです。この意味ではこの時代の西洋医学も経験医学である東洋医学とは50歩100歩でした。19世紀後半になって初めて西洋医学も本格的に病気の原因を科学し始めたのです。その代表者がパスツールであり、エールリッヒであり、ゴッホでありました。日本もその頃明治維新を乗り越えて、医学体制も整備し始めました。この頃の日本は西洋開化の絶頂期であり、東洋医学よりも西洋医学を代表するドイツ医学が優れているということで、いわゆる漢方などの東洋医学が無視され始めたのです。解剖学や生理学などの基礎医学が全く存在しなかった東洋医学は、科学に裏打ちされていない伝統的な経験治療医学に過ぎないと一笑に付され、明治時代に本格的に導入されたドイツ医学によって駆逐されてしまいました。
一方、西洋医学において最も効果があったのは感染症に対する処置の仕方でした。古来から人類は感染症で悩まされ苦しんできたのですが、この感染症の原因は細菌であることが分かり、細菌を殺す衛生法が飛躍的に発達し、ますます西洋医学が注目を浴びていったのです。とりわけ1928年にアレキサンダー・フレミングが発見したペニシリンが西洋医学の決定的な勝利を決めてしまいました。この抗生物質の発見によりほとんどの感染症が征服されてしまったのです。さらにワクチンが特に19世紀後半パスツールによって開発された狂犬病ワクチンは人に用いられた最初の不活化ワクチンでした。ジェンナーの痘瘡ワクチンは弱毒性生ワクチンでありました。このように一度感染症にかかると二度と病気にはならないということは薄々知られていたのですが、病原菌を不活化したり弱毒化したりすることによって積極的にワクチンを開発し、摂取するようになってから、ますます感染症が激減し、人類の寿命は徐々に延びていったのです。現在ではこのワクチンの働きは完全に解明され、メモリーTリンパ球やメモリーBリンパ球によって病原菌が記憶され、再び同じ病原菌に出会えば即座にIgG抗体が作られるので、症状を自覚することもなく殺すことができることもわかりました。しかしながら残念なことには、どのようにメモリー細胞がいつまでも人体に残り続けるかについては、未だ解明されておりません。このメカニズムを解明すればノーベル賞を授与されることになるでしょう。これらの仕事も結局は西洋医学の手法によって明らかにされるでしょう。
このように免疫が解明されたのも西洋医学の方法であって、東洋医学は免疫学に関しては全く何も貢献していないのです。世間では漢方や鍼灸を用いる医者のことを『漢方の先生』とか『東洋医学の先生』とか言いますが、病気を治すという観点からはそのような言い方は意味がないのです。東洋医学は基礎医学については全く寄与していませんので、解剖学、生理学、生化学、免疫学などの基礎医学はまさに西洋医学の独壇場であることは既に述べました。とりわけ人体に異物が入ったときに初めて病気の症状が出現し、その異物の処理を行うのが免疫であるので、免疫によってのみ異物は排除されるので、免疫学こそ病気を治す医学の代表的学問といえます。この免疫学を充分に理解し、それを活用して病気を治すべきです。しかし西洋医学の医者にかかっても治らない病気があることがわかり、20数年前に漢方が保険適用されるようになったのです。ところが西洋医学は免疫を抑えるだけであり、東洋医学は免疫を上げるという最も大きな違いが理解されず、患者を集めるために同時に漢方エキス剤を使うようになりました。一方で免疫を下げ、一方で免疫を上げるというような治療で、アレルギーや膠原病が治るわけはありません。
西洋医学の薬で使う価値があるのは4つしかありません。1つはワクチンと抗生物質であり、2つ目は高血圧の薬であり、3つ目は胃炎や胃潰瘍の薬であり、4つ目はホルモンが病的に少ないときに用いられる補充療法としてのホルモンであり、多すぎるときに抑制する抗ホルモン剤だけであります。私はこの4種類の西洋薬と東洋医学的処方だけでほとんど全ての病気を治しています。このことが可能なのは、私が西洋医学の免疫学を他の誰よりもよく理解し、さらに東洋医学の処方を充分に熟知しているからです。しかも毎日免疫学を深めるために勉学に励み、かつ優れた治療を行うために日夜東洋医学を勉強しているからであります。
西洋医学は人体の免疫の働きをほとんど分子レベルまで解明しつつあるのですが、治療という点では抗生物質以外の面ではここ100年間全く進歩していないと言えるのです。異物が侵入したときにそれを排除しようとする働きは、遺伝子の命令により様々な免疫に用いられる蛋白が作られ、これらの蛋白が異物を処理するために用いられる時に症状が出現します。
一方、免疫のメカニズムに関しては完全に無知である東洋医学は、過去3000年の間に築かれた漢方処方によって、知らず知らずのうちに免疫の働きを高めることで様々な病気、とりわけ感染症を治してきたのです。東洋医学の漢方薬や鍼やお灸の秘密は免疫を刺激することによって、免疫を上げているのです。西洋医学の薬の中で唯一免疫を高め、ヘルプすることができるのは抗生物質とワクチンだけなのです。ワクチンを除けば、免疫を上げるという点では東洋医学は完全に西洋医学よりも勝っていると言うことができます。従って一番正しい医学とは、西洋医学の免疫学を完全に理解し、治療においては免疫を上げることのできる東洋医学を駆使できる医者が一番優れた医者といえるのです。
『医学とは、生体の構造や生理機能についての探求や、疾病の性状、原因について調査し、その診断、治療、検査、予防等についての研究診療を行う学問である』この医学の定義に従えば、東洋医学は治療だけにおいて格段に優れていますが、他の基礎医学の面においては西洋医学の軍門に下らざるを得ません。しかしながら、患者があくまでも求めているのは病気を治すという目的ですから、東洋医学の方に栄誉を与えるべきです。
私がいつまでも追究してやまないのは、西洋医学の免疫学であり、東洋医学の経験であります。医学に東洋医学も西洋医学もないというのは、医学は正しい免疫学にのっとった治療法を用いて、あらゆる病気を治すことができる医学のことです。このような医学を私は日々実践しております。
「なぜ怖い病気はないのか」の項目の論文も読んでください。