コラム 加齢性黄斑変性症

加齢性黄斑変性症の原因はサイトメガロウイルスである

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 いつも言っているように現代の病気の原因は7500万種類の化学物質とヘルペス8種類であります。とりわけヘルペスが人類74億人の体内に潜み、人類消滅まで悩み続けさせる唯一最大の原因であります。どうしてヘルペスが人間の免疫よりもずる賢くて、人間の免疫から逃れるすべを持っているかについての全てを語り切った後、再びこのβ酸化のテーマに戻って来る予定です。ヘルペスの全てについて語りましょう。

 まず既にヘルペスについて書いてきたことをまとめて掲載したいのですが、膨大な量であるので、ヘルペスと関わりのある文のさわりだけを思いつくままに並べておきましょう。その中身についてご自分で私のホームページの中から探しだして読んでください。

1、なぜヘルペスは人間の免疫を回避できるのか

2、マイケルジャクソンがなぜ白人になった後最後は痛み止めを使いすぎて死んだのか

3、メニエールはヘルペスが原因である

4、ヘルペスが引き起こす病気の全て

5、なぜ自己免疫疾患はないのか(partI) (partⅡ) (partⅢ)

6、自己免疫疾患の原因は、IgGで化学物質と戦っているか、ヘルペスウイルスと戦っているか、また同時に戦っているかである(補体について:60から61ページ参照)(なぜ自己疾患はないのかpartⅡ:30ページ参照)

7、まだ書いていませんが、アメリカのアラガンという製薬メーカーが作ったボトックスが800種類の病気に効くというニュースが最新のTIMESに出ました。実はヘルペスの症状をボツリヌス菌のニューロトキシンを薄めた製剤であるボトックスが抑制しているだけである

8、ソリブジン事件について 2017/01/23

 さぁ、今日から予告していましたように、ヘルペスにまつわるできる限りの真実とエピソードを面白おかしく書き綴っていきます。実はあらゆる細胞に入り込むヘルペスと免疫との戦いは悲しくて苦痛に満ち溢れたエピソードだらけなのですが、まず私自身の右目の失明がどのようにして起こったのか、その失明の根本は8種類のヘルペスの5番目のサイトメガロウイルスによるものであることから説明していきましょう。

 私は今でこそ右目が失明したアホなくそじじいでありますが、「中学3年までは秀才中の秀才でした。と言われてきました。」と思い込んでいたナルシストでした。なぜならば勉強しなくてもオール5が取れたからです。アッハッハ!ところが中学3年生の後半から右目の視力が急激に悪化し、と同時に右後頭部の激しい偏頭痛が始まりました。いつも頭がボーッとし、いくら寝ても寝足りず、辛くて朝起きようとしても心にも体にも力が入らなくなっていきました。近くの病院でいろいろ調べてもらったのですが、何も問題がないということでしたので、思春期の激しい疾風怒濤の時代を迎えつつあるんだと思い込んでいました。にもかかわらず、こんなに思春期が不愉快なものであれば青春というものはなんと過酷なものだろう、青春時代などはない方がマシだと毎日毎日思っていました。この症状は高校に入って一層悪化していきました。中学時代までは学校の授業を聞くだけで全てがうまくいったのですが、高校になると授業中も頭痛が始まり、授業にも集中することができなくなりました。こんな人生が続くのであれば、死んだ方がマシだと思い始めました。

 たまたま中学時代のブラスバンド部の先輩の繋がりで、高1の夏休みに貧乏母子家庭ではありましたが、母親に無理を言って旅費を出してもらって、長野県の山奥にある上松というひなびた一軒しかない温泉宿に行くことを決意しました。目的は2つありました。ひとつは山奥の中でゆっくり療養すれば原因不明の病気が治るのではないかと思う一方、山奥で死んでしまえば誰にも知られないでこの苦しみから逃れられるだろうという思いもあったのです。しかしながら症状は全く良くなるどころか、死ぬこともできずに一人で戻ってきました。この時から自殺願望が自分の心に根付いてしまったのです。成績はどんどん落ちる一方で、病気の方も自分の心がけが悪いと思い、キリスト教会の牧師や仏教の大伽藍の貫主を訪ねて話を聞いたのですが、私の病気には宗教が全く関係ないということが分かりました。訪れた仏教寺院の貫主が言うことには、私の頭痛の原因は戦国時代に祖先が敵の頭を槍で刺したために、その亡霊があなたの頭に乗り移っていると言われ、本当に仏教などというものは滑稽千万の極みだと思ったことがありました。元来、私の青春の病気は心の病気ではなくて、のちに分かった隠れた原因が2つあったので、この原因を除去しない限りは宗教や心ばえというのは全く答えを出してくれないのは当然のことだったのですが、その当時は全くどこの病院へ行っても原因不明というだけだったので、私自身の遺伝子が悪いからだと思い込んだ時もありました。1歳のときに親父が病気で死んでいたので、母親に甘えてなぜ産んでくれたのかとまで堕落してしまっていました。夜寝る前に、このまま寝たまま気づかずに死んでしまえば最高だと思いながら、朝起きて生きている自分に絶望し続けました。つまり死ねないから生きているという生活を20年近く続けました。

 私が3つ目の大学である京都府立医大に入学したのは、まさに私の病気の原因を知り、できれば治したいためであったのです。もし治らなければ、医者になって自殺すれば、最もかっこいいロマンティックな死に方に憧れていました。というのは、その時代を風靡した田宮二郎というモテモテ映画俳優がいました。彼は猟銃自殺をしたのです。その原因は誰も知らなかったのです。その死に方が私にとってはとってもロマンティックな死に方でした。私も彼の死に方にあやかって、なぜ医者にもなったのに死んだのかという謎を残して死ぬのは、とってもかっこいい死に方だと思っていたのです。まさに青春にふさわしいというよりも、感情が刺激されやすい私独自のセンチメンタリズムの発露ともいえます。なぜかと言いますと、自分の悩みを他人に言ったところでどうにもならないことが分かっていたので、誰にも話さなかったのです。

 徐々に徐々に陰気になり、元気がなくなり成績も落ちていく、その原因を自分自身も知らないわけですから、友達にも学校の先生にも一言も説明しようがないのです。それまでは誇りが強すぎて言い訳というのは大嫌いでしたから、自分の心を他人に理解してもらうという試みをしたことがない人間でしたから、そんな言い訳を言うと負け惜しみと思われることが嫌だったということもありました。事実、高校2年生の2学期に、生徒会議長に選ばれ、かつブラスバンド部長に選ばれたのでありますが、人前に出るとさらになんとも言えない頭痛と頭重感と不愉快さのために、壇上に立ち続けることができなくなったので、すぐに高校の先生に症状だけを言って役職を返上しようとしましたが、なかなか認められなかったのです。特にブラスバンド部の顧問でいらっしゃった伊吹先生はどんなに説明してもやめることを納得してもらえなくて、30枚以上の便箋に切々と自分の状況を説明して、しぶしぶ辞めさせてもらったほどです。

 私の病気のひとつの原因は、府立医大の2回生のときに分かりました。小学5年生の頃、自転車に乗っている時に高校野球のバッテリーが投球練習している間に知らずに入り込み、右目に硬球が当たり転倒し失神してすぐに病院に行ったことがあります。すぐに眼科医や内科医に診てもらったのですが、右目には異常がないし、特に他に問題がないということで安堵したことがありました。実はこの時に既に第5ヘルペスウイルスであるサイトメガロウイルスが右目の網膜神経細胞に増殖し始め、かつ免疫との戦いも始まっていたのですが。この経緯は後で詳しく書きます。まさに私はサイトメガロウイルスと55年間戦い、右目が完全に失明し、今もCMVと戦っているのです。というのも、右目から後頭部にかけて常にぼんやりとした頭重感が残っているからです。

 京都府立医大で知り合った先輩がある時「なぜわざわざ3つ目の大学に入ってきたのか」と私に問いかけてきました。私は彼に上で述べたような説明をしたら、先輩はすぐに「なぜ整形外科に行かないのか」と勧めてくれました。頸椎症に決まっているというわけです。整形外科の岡崎助教授に診てもらうと、レントゲン写真で第二頸椎がズレていたのです。先生は「15年前にボールが顔面に当たり、その衝撃で自転車から転倒した時に、2番目の頸椎の靭帯が過伸展してズレてしまい、靭帯の軽い損傷も生じ、それを長い間放置していたために瘢痕治癒になっており、手術しても意味がないので、頭痛があれば神経ブロック注射してやるからいつでも来い」と言いました。つまり第二頸椎のむち打ち症状が起こっていたのです。ご存知のように、自動車の追突でよく起こるようなむち打ち症状が突然生じたのではなかったのですが、徐々に徐々にからだの成長とともに靭帯や頸椎のズレが拡大し、中学3年ぐらいから頭痛が症状として起こり始めたのです。この岡崎助教授の診断後1〜2ヶ月間、大学には行けず、さらに鬱状態がひどくなり、どんな方法で死んでやろうかということばかり考えていました。死んでやろうかという感じ方は、その当時は相も変わらず私がナルシストであったということです。しかし今も思うことですが、自殺できる人は本当に勇気のある人しかできないということです。私は情けない男で家族には自殺すると口走っていましたが、実際自殺するなどということは私には絶対できないことでした。

 その後、右目の視力がますます悪くなったので、右目だけのソフトコンタクトレンズを調整してもらうために、府立医大の眼科でその原因を精査してもらったのですが、やはり府立医大の眼科医も原因がわからないというだけでした。このころの左目の視力は1.2であり、右目の視力は0.1も判別できなかったぐらいでした。眼科の先生が、これだけ左右の視力差があれば、偏頭痛が起こるのも仕方がないと言ったことも覚えています。眼科の先生に右目に硬球が当たって右目が変形しているために、右目の視力が極端に落ちたのではないかと質問したところ、明確にそんなことはないと言われたことも覚えています。やはり、右目の網膜色素上皮細胞(RPE)に住み込んでいたサイトメガロウイルス(CMV)を殺すために、キラーT細胞やナチュラルキラー細胞が戦ったために視力の低下が起こっていたことをその眼科医も知らなかったのです。その後、40年間この原因不明の病気のために苦しんできました。医者になってもやはり思い通り田宮二郎の真似ができなくて、今なお生き恥をさらしながら真実を求めて生き続けています。今は認知症になったら他人に迷惑をかけないために自殺しようと考えていますが、果たしてその勇気を出せるでしょうか?アッハッハ!

 しかし人間の運命というのは出会いであります。まずは母親と父親の遺伝子の組み合わせから始まります。アッハッハ!全ての人には生きている間にいろいろな縁があり、私も右目にボールが当たるという不運もありましたが、宿命的な漢方との出会いがあったのです。漢文で書かれた漢方医学書を全て完全に読め理解され、漢方薬局を営んでおられた父親を持っておられた娘さんとの出会いがありました。薬剤師でいらっしゃった娘さんと恥ずかしながら37歳で結婚しました。妻が私の病気を理解してくれ、それに合う漢方煎じ薬を岳父が処方してくれ、婚約期間の6ヶ月にわたって飲んでいる間に頭痛は軽減され、漢方の凄さに感動し、再び医学、つまり漢方医学の勉強を敢然とやる気が起こり、歩きながら勉強を始め、さらに免疫学も独学でものにできるようになったのです。それが今の私です。

 しかしながら、右目は完全に失明し、明かりは認識できるのですが、一切ものの形状や色合いはわからず、当然視力検査においても右目の視力は0.08以下に低下していったのであります。どのようにして私の右目の失明は生じたのでしょうか?網膜の視細胞には2つあります。明かりを識別する桿体細胞が1億2000万個あり、色と形を識別する錐体細胞が650万個あります。私の右目は数少ない錐体細胞に入り込んだサイトメガロウイルスとの戦いが55年間知らぬ間に継続していたので、ほとんど死滅してしまったのです。ところが数多い桿体細胞は今なお生き続けているので、明暗はわかるのです。

 皆さん、ここでサイトメガロウイルス性視細胞炎が生じているということを分かったキッカケは何だったのですか?と聞かれるでしょう。私は以前から原因不明の現代の病気のほとんどがヘルペスウイルス8種類のどれかであると言い続けてきました。既に単純1、単純2ヘルペスウイルス、さらに3番目の帯状疱疹ウイルスについては、かなり具体的に臨床等の関わりで述べてきました。少しずつ4つ目のEBウイルスについても言及してきました。ところが今年はサイトメガロウイルス、つまりCMVについて本格的に勉強し始めるために、去年の12月に私自身のサイトメガロウイルスの抗体の量をたまたま測定したのです。以前から私の右目の失明はヘルペス8種類が関わっているということは目星はつけていました。ところが実際には単純1、2と水痘帯状ヘルペスのIgG抗体価は定期的に調べていたのですが、CMVは一度も調べたことがなかったのです。去年の12月に調べた私の抗体の量は、正常な抗体量は6以下でありますが、なんと527もあったのです。

 以前からサイトメガロウイルスが網膜炎を起こすことは知っていました。さらにこの網膜炎は、網膜色素上皮細胞(RPE)に感染したサイトメガロウイルスがナチュラルキラー細胞(NK細胞)や特異的キラーT細胞(KT)がRPEもろともCMVも殺したためにRPEが崩壊したと理解していました。ところが自分の右目の失明とは結びつけることを一度もしていなかったのです。なぜならば、55年かかって徐々に徐々に視力が低下し、最近やっと完全失明したことに気づいたからです。

 網膜色素上皮細胞は英語で“RetinalPigmentEpithelium”といい、その略語がRPEです。Retinalは網膜という意味で、Pigmentは色素という意味で、Epitheliumは上皮細胞という意味です。ところが現代の日本でサイトメガロウイルスを本格的に研究している人が誰もいないのです。去年世界で唯一の英語で書かれた『Cytomegaloviruses』を大枚はたいて買って読み始めたのですが、その英語の本にはマウスを用いた実験室のデータはいくらでもあるのですが、人間のサイトメガロウイルス感染症に対する臨床経験や考察がほとんど書かれていないのです。だからこそ私は自分を実験材料にする手始めに、自分のサイトメガロウイルスの抗体を初めて調べたのです。日本の成人の90%以上がCMVに感染しているのですが、正常な人のIgG抗体はほとんどが二桁台です。

 私はこの世に原因の分からない病気は何もないと言い続け、かつその不明な病気の原因はヘルペスウイルス8種類と言ってきました。ここで方向を変えて、世界の失明の病名を調べましょう。そのうちCMVが関わっているかどうかを検討してみましょう。世界の失明の原因(2010年WHO)の1位は白内障(51%)です。これは既に述べたようにヘルペスは関係ありません。2位が緑内障(8%)です。これは既にヘルペスが原因であることは述べました。

 3位の加齢黄斑変性:AMD(5%)は、まさに私の右目の失明はサイトメガロウイルスによる加齢性黄斑変性症といってもいいのです。なぜならば、黄斑は網膜の後極にある卵円形のくぼみで、黄色色素が沈着しており、形と色合いを識別する部分であります。なぜでしょうか?黄斑部の中心は錐状体だけで、桿状体(かんじょうたい)は何もないからです。つまり桿状体はもともと光を認識する場所ではなくて、黄斑以外の他の場所にある網膜で認識しているだけで、結局は形と色合いが認識できなければ私の右目の失明と同じ状態になっているだけなのです。つまり、黄斑にある錐体細胞に感染したサイトメガロウイルスが資本主義は非常にストレスの多い競争社会ですから、ストレスが多い人ほど自分のステロイドホルモンを出しながら鬱にならないように健気に生きている人が免疫を抑えながらCMVをどんどん錐体細胞に感染させ、免疫が戻った時に戦いが始まり、錐体細胞が長い時間をかけてなくなっていったのであります。私は20年以上も偏頭痛で苦しんできたのでストレス満載の生活をしてきました。最もCMVが増えやすい人生を送ってきました。私はまさにストレスホルモンの申し子といってもいい人間であります。

 4位は角膜混濁(4%)でありますが、これについてもヘルペス性角膜炎によるものですが、近頃は先進国では角膜細胞が死滅しても角膜移植があるので解決可能です。5位はトラコーマ(3%)でありますが、その原因はクラミジアであります。現代の日本では衛生状態がいいので滅多に感染しません。実を言いますと、私は小学1〜2年のときにトラコーマ性角結膜炎にかかったことがあります。このトラコーマという病気の感染と私がCMVを大量に目に感染していたのと関係があるのです。これについては後で詳しく述べます。6位は幼少期の失明(3%)でありますが、これも先天性サイトメガロウイルス感染症によるものであります。7位は糖尿病網膜症(1%)については述べる必要はないでしょう。8位の原因不明(21%)が一番多い失明の原因でありますが、これこそ原因不明の病気原因はCMVであります。

 結局失明というのはほとんどがサイトメガロウイルスによるものなのです。先ほども書きましたように、失明の原因は、炎症が起こって、ところが、それこそそして網膜上皮細胞(RPE)が免疫との戦いで破壊されてしまうと、RPEは脳の一部であるので修復ができにくく、破壊がどんどん徐々に進み、私の場合も少しずつ視力が低下していったのでありますが、50年以上前の眼科医がそんなことを分かるはずがありません。言うまでもなく、現代の眼科医も絶対にCMVが失明の原因とは言いません。なんと言っているでしょうか?原因不明の失明であると言い続けています。現代の医者でさえ加齢性黄斑変性症が黄斑部の網膜上皮細胞がサイトメガロウイルスと免疫の戦いによって消失していったことを知らないのですから、その当時の医者たちを責めることはできません。

 ここで加齢性黄斑変性症がCMVによるものであることを論証していきましょう。その前に網膜がどのような構造になっているかを下図に示しましょう。実を言えば、加齢性黄斑変性症という病名も実は正しくはないのです。加齢性はサイトメガロウイルス増多性と変え、黄斑はもともと錐体細胞だけが存在し、元来黄斑は黄色く見えるので黄斑は残していいでしょう。しかしながら、実を言えば、CMVは錐体細胞だけに親和性があり、1億2000万個ある桿体細胞には感染しない可能性があるのです。黄斑部だけがところが変性症というのは間違いなのです。正しくは変性症を網膜色素上皮細胞破壊症というべきものなのです。従って加齢性黄斑変性症の正しい病名は「サイトメガロ性錐体細胞壊死症」と名付けるべきものなのです。

 なぜ私がこんなに加齢性黄斑変性症にこだわるかというと、例の京大の山中先生がiPSで初めて臨床応用された病気であるからです。ところが私は以前から言っていますように、早かれ遅かれ必ずこのiPSはガンになるか、患者さが先に死んでしまうかのどちらかだと言ってきました。アッハッハ!つまり原因も分からないのに、iPSを無理やり網膜色素上皮細部に変えて移植しても、その原因が除去されない限りはiPSも必ずガンになるか、新たなる加齢性黄斑変性症になるということが分かっているからです。なぜなるのかというのは簡単な答えがあります。それは移植したiPS細胞に周辺の網膜色素上皮細胞に感染したサイトメガロウイルスが再び感染したときに、早かれ遅かれサイトメガロ性錐体細胞壊死症という状況が起こるからです。なぜそうなるのかを説明しましょう。まず下図の左側に眼球と網膜と色素上皮細胞の概略図を示します。下図の右には正常な黄斑と網膜と視細胞と網膜色素上皮細胞と脈絡膜にある血管の詳細を載せておきます。よく見てください。

 さて、加齢性黄斑変性について、現代医学の知見を利用しながら少し詳しく解説しましょう。まず加齢黄斑変性には滲出型(ウエット型)と萎縮型(ドライ型)の2つの種類があり、症状は同様であるものの発症のメカニズムが異なっていると現代医学は考えています。下に滲出型と萎縮型の絵図を示しておきます。よく図を見ながら説明を理解してください。黄斑のある網膜の下部には、網膜色素上皮細胞(RPE細胞)という一層の細胞がありますね。その下に脈絡膜という血管に富んだ組織が見えますね。網膜が正しく働き、正常な視力を得るためには、網膜の下にあるRPE細胞やその下にある脈絡膜が正しく働く必要があります。現代の医学では滲出型と萎縮型は別の原因だと考えていますが、実は原因は同じであり、それはサイトメガロウイルスによるものなのです。滲出型は萎縮型から進展しただけなのです。つまり網膜色素上皮細胞(RPE細胞)が破壊されただけである状態が萎縮型であり、免疫が反応し始めると血管新生が行われるのです。左下の滲出型の絵図を見てください。RPE細胞と脈絡膜の間に隙間ができて、ニョキニョキと生えているような木が見えますね。これが新しく作られた血管なのです。萎縮型はいずれ免疫反応が回復すれば結局は滲出型に変わるだけなのです。

 「滲出型(ウエット型)の加齢黄斑変性は、RPE細胞が老化に伴う様々な原因で障害されることにより脈絡膜から異常な新生血管がRPE細胞の下またはRPE細胞と視細胞の間に作られ、そこからの出血や血液成分の漏出などにより、視細胞の機能が障害を受ける疾患だ」と現代医学は主張します。これは間違いです。それは老化に伴うという病気は、ほとんどヘルペスウイルスと長年に戦ってきた結果生じた病気なのです。なぜならば老化が進めば全ての人が加齢性黄斑変性症になるでしょうか?なりませんね。アッハッハ!医者は原因不明の病気をすべて「年だ」と言いくるめて曖昧にしてしまうのです。

 一方、「萎縮型(ドライ型)の加齢黄斑変性は、老化による炎症がRPE細胞に起こり、RPE細胞と共に、その上部にある視細胞が失われることで、視力の障害が生じる疾患です。」という現代医学の主張も間違いなのです。老化は炎症を起こすことは絶対にないからです。逆に老化になると免疫が弱くなり炎症が起こりにくくなるからです。「ちなみにこの病気は、高齢者に多く、特に60歳以上に多くみられます。また男性に多く、男性は女性の約3倍の頻度でみられます。約20%には両眼性に発症します。」とされています。言い換えると80%は片眼性に起こるということですね。みなさん、老化は片眼にしか起こらないでしょうか?顔のシワは老化により左側にしか起こらないでしょうか?右側にシワがないということは起こり得るでしょうか?ありえないでしょう。アッハッハ!結局サイトメガロウイルスは私のように右目だけに増殖すれば右目だけに加齢性黄斑変性症が起こり、たまたま両眼の網膜色素上皮細胞にヘルペスウイルスが感染すると長い時間をかけて両眼とも加齢性黄斑変性症が生じるのであります。さらに男性に3倍多いのは、男性の方が女性よりもはるかにストレスが多いからです。付け加えると、世界のあらゆる国で男性の方が女性より寿命が短いのは、世界中の男性はストレスが多く、それに耐えるためにステロイドホルモンを出しすぎて免疫を抑える結果、女性よりも様々な病気になりやすく、最後は寿命が短くなってしまうのです。元来、老化というのは病気ではないのです。老年科という標榜科がありますが、意味がありません。年をとればすべてが衰えていくのですから、老人は死ぬことを恐れてはならないのです。常に死ぬことだけが自分の義務であり仕事であるので、いつ死んでもいい心がまえを常に持っておくべきです。そして若い人に迷惑をかけるべきではないのです。

今日はここまでです。2017/01/26

 コラムを読まれた徳弘徳子さんから、私の理論の裏付けになる体験談を提出して頂きましたので、転載します。

 ステロイドの悪い証拠を書きます。リウマチ性筋痛症で6月20日にステロイド服用開始後、同年8月15日に早くも網膜色素上皮症と医大の眼科で診断された折りの事です。私が「下の整形外科でリウマチの為、ステロイド治療しています」と伝えると、眼科医は「変化があったらすぐ来なさい」と言いました。ステロイドが関係して悪化するとは言わなかったが、この一言で判りました。今迄は半年に1回に来院するようにとしか言われていなかったからです。

 8月17日水漏れにより目が見えなくなり、すぐ眼科医へ行きました。眼科医から「水が貯留しているので自然治癒しか無い。もう悪くなることはあっても、絶対良くはならない」と言われました。

 その後12月28日2回目の裂孔で右目が中心暗点になりました。定期的には月1回来院するよう指示がありましたが、変化があれば随時受診しなさいと言うことでした。眼科医は一切薬を出しませんでした。

 その後、約1年弱でステロイドも増量になり、見切りをつけ、やっと松本医院へ辿り着いたのです。松本医院への通院を開始した後、眼科医に「もう下の整形外科には見切りを付けました。漢方治療に切り替えて大阪へ通院しています」と報告すると眼科医は「それなら通院は半年に1回で良い」と言いました。これでステロイドが悪いことを実証したのです。

 昨年の11月の眼底検査で、眼科医に「目の薬を何か服用していますか?」と聞かれたので、「漢方煎剤と漢方湯です」と答えると首を傾げていたので、「近頃は中心暗点の部分がモヤの様に白くなり、おかげ様で相当良くなりました」と返答しました。

 今年の3月で5年になりますが、煎じ薬と漢方湯は毎日日課にしていました。漢方は効くのです。ゆっくりですが真面目と言うか本気で取り組む事が大事と実感しました。

今日はここまでです。2017/02/3

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